2010年9月4日から7日まで、ダライ・ラマ14世をはじめ全世界から六百余名が参加して、インド南部のケララ州コーチ市で『対立を越えて和解へ:21世紀の挑戦』をテーマにIARF(国際自由宗教連盟)の第33回世界大会が開催され、三宅光雄金光教泉尾教会長がIARF会長(任期4年)に選出された。
数百名の参加者で満堂となった世界大会開会式 |
9月4日午後、今回の世界大会の会場であるCRC(カトリック・リニューアルセンター)周辺は、大勢の警官が警備する異様な雰囲気であった。インドでは、宗教対立によるテロ事件等も珍しくなく、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世法王をはじめ、日本や欧米から大勢の外国人が集まるこの機会は、テロリストが「何か事件を起こす」には絶好の機会だからだ。開会式は、CRC最大の施設ヨハネ・パウロ2世記念講堂(オーディトリウム)で行われた。最初に、日本からのヨガグループとコーラスグループが実演を行い、コーチ市長や地元の宗教者が歓迎の挨拶を行った。続いて、大会実行委員長のホミ・ダラー博士が歓迎の挨拶、トーマス・マシュー博士が会長演説を行った。
物々しい警備陣に囲まれて到着したダライ・ラマ14世法王は、30分間にわたる基調講演を行った後、フロアの一般参加者との質疑応答を30分間も行われた。ノーベル平和賞受賞者でもある法王が、一般大衆からの質問に丁寧かつユーモアを交えて回答される様子に、会場は大いに盛り上がった。IARFが4年に1度の世界大会時に授与している『シュバイツアー賞』のダライ・ラマ法王へのプレゼンテーションスピーチを三宅善信金光教泉尾教会総長が務めた。ノーベル平和賞受賞であるアルバート・シュバイツアーは、日本では、アフリカの民衆のために医者としての生涯を捧げた「偉人」として知られているが、音楽家バッハの研究者であり、自身オルガニストでもあった。さらには、新約聖書の文献学的研究でも第一級の成果を挙げている神学者でもある。特に主著『生への畏敬』で知られる哲学者でもあった。おまけに、シュバイツアーは、IARF創設の元となったユニテリアンのメンバーでもあった。
ダライ・ラマ14世への「シュバイツアー賞」授与理由を述べる三宅善信総長
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この後、ダライ・ラマ法王は、西田多戈止一燈園当番が持参した「マハトマ・ガンジー縁のチャルカ(糸紡ぎ車)」を回した。「20世紀の聖者」として世界中から尊敬されるガンジー翁は、徹底的な非暴力思想でインドの独立を勝ち取ったが、そのシンボルがこの小さな糸車であった。ガンジー翁がかつて糸を紡いだチャルカをダライ・ラマが回し、その後に続く多くの人がチャルカを回すことによって、人々の心がひとつになるというシンボライズされた場面であった。なお、この日の開会式に当たって、110年に及ぶIARFの歴史上初めて、バチカンの正義と平和評議会議長のピーター・タークソン枢機卿からメッセージが寄せられたが、これは三宅光雄教会長が7月上旬にバチカンを訪問し、FIARFからのへの支援を要請したことにローマ教皇庁が応えたものである。
マハトマ・ガンジー縁の「チャルカ(糸車)」で糸を紡ぐダライ・ラマ14世と、
それを見守る三宅光雄泉尾教会長(左側)と西田多戈止一燈園当番(右側)
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翌5日は、記念講堂で全体会議@が『人権を推進することにおける宗教の役割』をテーマに開催された。インドの社会運動家として著名なスワミ・アグニベシュ師と、UUA(ユニテリアン・ユニバーサリスト協会)のピーター・モラレス会長と、ムンバイ高等裁判所のマルチア・ローハニ弁護士を発題者に迎えて、三宅善信師がモデレータとなってディスカッションが行われた。話は、古代インドのウパニシャド哲学から最先端の医療技術と倫理の問題、アメリカにおいて差別されている中南米系(ヒスパニック)移民からイランで宗教弾圧を受けているバハイ教徒に至るまで多岐にわたったが、三宅善信師はモデレータの役目を難なくこなした。
午後には、4年に1度開催されるIARFの最高意思決定機関である「総会」第1日が開催され、マシュー会長が議長役を務めて、財務報告や業務報告を担当者が行い、全世界から参加した議決権を有する105名の代議員が次々と質問したり、提案を提出したりした。十数名の国際評議員以外の会員にとっては、この「総会」が唯一、意見表明をすることができる機会のため毎回大いに白熱すし、終了予定時刻が1時間以上延びた。
翌6日も、前日を同様のスケジュールで進行し、「朝の祈り」に続いて、全体集会Aが『科学と宗教:対立か集合か』をテーマにそれぞれ基調発題者とモデレータの下に開催された。午後の「総会」第2日目は、前日の「総会」で話し合われたいろんな案件の決議を取っていく部分である。この日の総会のクライマックスである役員人事の投票に入り、三宅光雄金光教泉尾教会長の会長就任を含む国際評議員19名の人事が可決された。なお、副会長にはイスラエルのシュロモ・アロン博士が、財務担当役員には英国のジェフ・ティーゲル氏が選任された。
トーマス・マシュー会長から会長選任を告げられ、
招かれて登壇し、握手する三宅光雄新会長
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大会最終日となる7日は、インド全域において交通ゼネストが行われたが、宿泊先ホテルから徒歩で会場入りした新会長の三宅光雄師と世界各国から参加した約200名の青年たちの意見交換会が急遽持たれることになった。今回の世界大会に先立って、9月1日から3日まで、「RFYN(自由宗教青年ネットワーク)」大会が開催されており、世界各国から約200名の青年が参加したことである。特に注目されたのは、これまでIARFの活動がほとんど及んでいなかったアフリカの数カ国からや、旧ユーゴスラビア地域、今なお戦火の絶えないアフガニスタン、さらには、インド国内多数居るチベット難民の青年たちも多数参加したという点である。三宅新会長は、これらの青年たちの要望を聞き、また、自身の青年たちに対する期待を述べた。
各国から集った青年たちの中へ飛び込んで、彼らと直接対話する三宅光雄新会長
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閉会式の基調講演者を務める予定であったカラン・シン博士(註:親の代まで、カシミールとジャミールのマハラジャで、旧ネパール王室とも姻戚のインド国民会議派の重鎮。インド大統領候補。三宅歳雄初代教会長と共に、長期にわたりTOUの国際委員長を務める)は、直前に勃発したカシミール地方での中国軍の介入問題に対処するため、急遽来訪が中止されたが、歌や踊りで大いに盛り上がった閉会式の最後に、トーマス・マシュー旧会長から新会長に就いた三宅光雄師に「会長の象徴」であるハンマーが手渡され、4日間にわたる第33回世界大会は無事終了した。
新旧評議員を招き、意見交換のための小宴を催す三宅光雄新会長
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世界大会終了後、同日夜の帰国便出発までの時間を利用して、三宅光雄新会長は、今期で退任する旧評議員と新たに選出された新評議員を招いて小宴を開き、時間の許す限り、意見交換を行った。