弔 辞
故三宅龍雄大人の葬儀・告別式においては、以下の三名の方から弔辞を賜りました。
金光教 教主
金光平輝
故金光教泉尾教会長三宅龍雄大人の御前に、謹んで申し上げます。
あなたは、御神縁のままに、願いを立ててわが道の教師となられ、教会長として、一筋に御取次の御用に当たり、終生、神と人とあいよかけよで立ち行くあり方を世界に顕現するはたらきをおすすめくださいましたことは、まことにありがたいことであります。
いま、あなたのご帰幽にあい、痛惜にたえません。ここに、玉串をすすめて、哀悼の意を表し、霊のお道立てと、あとあとの大みかげを祈ります。
平成18年3月31日
立正佼成会 会長
庭野日鑛
三宅龍雄先生が帰幽なされたことに、今私は、深い悲しみに包まれております。
謹んで哀悼の誠を捧げさせていただきます。
平成十一年八月、先代の三宅歳雄先生が帰幽されてから、まだ六年余の歳月しか流れておりません。これほどまでに早くお別れの時を迎えるとは、思ってもおりませんでした。折しも本年は、世界宗教者平和会議(WCRP)の第八回世界大会が京都で開催される大事な年であります。WCRP国際名誉会長であられる龍雄先生には、正式代表としてご参加いただき、大所高所からご指導賜ることを念願しておりました。龍雄先生ご自身、最期を迎えるまで、第八回世界大会を成功に導くことができるよう、心を寄せておられたと伺っております。かけがえのない方を失ったことが、ただただ残念でなりません。
私は、これまで金光教泉尾教会とひとかたならぬ深いご縁を頂戴してまいりました。先代の歳雄先生と本会の庭野日敬開祖は、同じ明治生まれであり、心の奥底で、常に深い宗教的信念に結ばれた「盟友」ともいえる間柄でした。その息子にあたる者同士として、私は、龍雄先生に対して、特別の親近感を抱いておりました。お元気な頃の龍雄先生は、WCRPの会議などに出席されますと、歳雄先生同様、ひときわ情熱あふれる発言をなされ、会議をリードされていました。その一方、個人的にお会いさせていただきますと、私より十歳も年上でおられながら、常に謙虚に振る舞われ、恐縮するほど後輩の私を立ててくださいました。そのお姿に、多くのことを学ばせていただいたものでございます。
龍雄先生は、WCRPのみならず、IARF(国際自由宗教連盟)でもご活躍されるなど、一貫して諸宗教対話・協力による平和実現を目指してこられました。そのご遺志を、残された私どもが継承し、より力強く推進してまいらなければならないと、今改めて心に誓っております。
有り難いことに、ご子息の光雄さん、善信さんは、現在、WCRP日本委員会で重要な役割を担っておられます。本年八月に開催されます第八回世界大会が実りあるものとなるよう、お二人のご子息をはじめ、多くの諸先生方のご協力を頂きながら、私も全力を尽くしてまいる所存です。龍雄先生、どうぞ霊界から、私たちの取り組みをお見守りください。
金光教泉尾教会の皆さま、龍雄先生という師が帰幽なされたことは、言葉に尽くせない悲しみであろうと思います。しかし龍雄先生は、皆さまが自らの信仰を深め、今まで以上に力強く前進されることを、何よりも望んでおられるに違いありません。皆さまは、諸宗教対話・協力による平和実現に向け、先駆者の役割を果たしてこられました。その使命は、今後ますます大きくなってまいります。先代の歳雄先生、そして龍雄先生の願いをわが願いとして、皆さまが異体同心となり、平和のため一層ご尽力されますことを心より願ってやみません。私どもも、皆さまと手を携え、平和への道を歩んでまいります。
龍雄先生、これまでのご教示、誠にありがとうございました。
平成18年3月31日
金光教泉尾教会 信徒代表
廣瀬 彰
親先生、親先生…。私たち信者一同の親様、親先生…。
慈(いつく)しみ深く、お心の広い、そしてお優しい親先生…。その親先生と、たった今こうしてお別れ申し上げねばならぬとは…。私共はたまらぬ悲しみで胸がいっぱいでございます。
世界的に偉大なお働きをなされた先代恩師親先生を戴かれ、常にその背後にあってお教会を守られ、信者を育ててまいられた親先生のすばらしいお働きがあればこその今日の泉尾教会の輝かしいご比礼(ひれい)を拝ませていただいております。
若い頃から私は、常に親先生のお導きによってお育てを頂いてまいりました。お結界でのお優しいお顔で、しかも力強く励ましてくだされたお言葉のおひとつおひとつを今思い起こしております。親先生、本当に有難うございました。
その親先生に、本当にご安心していただくことのできぬまま、このようにお別れせねばならぬことは、本当に辛く大きい衝撃であります。ご信者の皆様もおそらくご同様の思いでおられることと思います。
ここから、私共一同はこの悲しみを乗り越え、この気持ちをバネとして、来年一月二十八日の御布教八十年記念大祭迎えに向かって邁進(まいしん)してまいりたいと存じます。
それこそが、御恩になった親先生に少しでもお報いできることであると思っております。私共信者一同は、親先生のご信心を決して忘れることなく、ここからの信心精進を誓い、ここから真一心の信心をさせていただきます。
親先生、霊様となられましても、どうかいついつまでも泉尾教会信徒の上をお祈りお守りくださいませ。親先生、頂戴したご芳情の万分の一にも及びませんが、至らぬ私の気持ちを申し上げ、弔辞とさせていただきます。
親先生ありがとうございました。
平成18年3月31日
御礼のご挨拶
喪 主
三宅光雄
ただ今は、玉水親教会長湯川正夫先生のご祭主をもちまして、故金光教泉尾教会長三宅龍雄大人の葬儀告別式を仕えさせていただきました。有難うございました。
また皆様方には、遠方からの方をはじめ、大勢の方々にご参拝いただきまして本当に有難うございました。
親先生は昭和三年二月七日のお生まれであり、先代恩師親先生がこの泉尾の地にてご布教されて一年目にお生まれになりました。七十八歳という齢を迎えられてのご帰幽でありますが、それは同時に、昭和二年に先代恩師親先生がご布教されてからの七十九年間のその歴史とピッタリと重なっており、まさに、泉尾教会の歴史そのもののご生涯を送ってくださいました。
戦前・戦中・戦後、そして現在…。人の助かりのために、先代恩師親先生の跡を承(う)けて、常に「一乃弟子」としてご修行をくださいました。そのおかげをもちまして、私はこうして今、この場で皆様にお礼を申し上げております。
私が小学校六年生の時に、この会堂が完成をいたしました。ちょうどお広前の入口部分のロビーを、小学六年生の私が走って横切りますと、お結界から「ちょっとこちらに来なさい」と、優しい声で呼ばれ、私がお結界へ進みますと、奉献台で頭が割れるくらい叩かれました。
今まで一度も父に叩かれたことのない私でしたが、その時、父は、「教会の子はお広前では走ってはいけない」と、こう教えてくださいました。私に教会子弟としての自覚を与えてくだされたのは父であります。私の記憶の中でたった一度でありました。しかも、頭の割れるくらい一番強く叩かれたことによって、今の私が??何もできていませんが??仮初(かりそ)めにも紋付き袴を着させていただいて御用をさせていただいているのも、全て父のおかげであります。
今日、父と別れるというこの日を迎えさせていただいて、「父の霊に、父の名に恥じない、また先代恩師親先生の願いに添える私にならせてください」と願わせてもらっております。
どうぞ、今後とも不十分な私ではありますが、皆様方のご指導を頂きまして、少しでも天地金乃神様に喜んでいただき、世と人を祈り、世界平和実現のお役に立たせていただく御用のできますよう使いきっていただきたいと思います。
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