記 念 講 演

  『新世界秩序における日本の役割』

                       
元アメリカ合衆国大統領
                          ジミー・カーター


▼違った宗教、歴史、文化を持つ人々を理解しようとする努力

 まず、私にとりまして、ここ金光教泉尾教会に来ることができましたことは、光栄でありますし、また大変な喜びでもございます。そして、久しぶりに三宅歳雄教会長先生にお会いすることができまして、非常に嬉しく思っております。三宅歳雄先生は、WCRP(世界宗教者平和会議)を創設されました。本当にパイオニア的なお仕事をなさったと思います。しかも、世界的な取り組みをなさっています。特に、宗教的に深いお心をお持ちの先生が、ヒューマニズムという観点から、世界平和の問題に取り組んでいらっしゃり、私自身、個人的にもWCRPの活動をよく存じ上げております。そして、諸宗教間の理解を深めることによって、世界中に新しい友情の輪を拡げていかれました。政治家にはなかなかそういったことができない。また、やりたがらないものであります。

 人々の心を癒せるのはやはり、三宅歳雄先生のような宗教心の深い方だと思っています。三宅教会長様がなさって来られたお仕事は、異なった宗教の指導者間の対話の場を設けるというまことに画期的な事業でした。それ以外にも、アジアの各地で、孤児たちに対しても救いの手を差し延べていらっしゃいます。もう千名以上の孤児たちが、三宅先生の民族紛争に対する深い洞察、そして、その寛大なお心で安心した生活を送っていると伺っております。三宅歳雄先生は、本当に、単に理屈だけを言っている人や、自分の宗教を伝道しようとしただけの方ではない、人を救うために実際に行動なさる人であります。その取り組みのあり方をたいへんユニークにわれわれに示して下さっておられます。常にご自身のお考えを実行に移してらっしゃいます。これはやはり三宅先生の深い宗教心から来ているのだと私は思います。


カーター元大統領と懇談する
三宅歳雄教会長(1991年当時)


 われわれは皆知っています。こういった宗教や信仰心というものがわれわれの生活、人生の基盤となっていることを、単に個人生活の基盤に宗教があるだけではなくて、国家の基盤となっているのも、そして、国民生活の基盤となっているのも、やはり宗教なんです。われわれは、この宗教の智恵と洞察と知識を持って、人種や国境の壁を越えることができると思うんです。政治的、イデオロギー的な誤解を越えることができるのは、こういった(宗教的)寛容の精神を通じてだけだと、私は思います。と同時に、われわれは、自分自身の宗教的信念を守り、そして、これを強めてゆくことができる。もちろん、他の人は自分とは違った宗教的な信念を持っているかもしれません。しかしながら、お互いが違った信仰を持ちながらも、お互い信仰者であるという共通性ゆえに、相手が自分の信仰について理解してくれると思うんです。

 こういった「自分たちとは違った宗教・歴史・文化を持った人々を理解をしよう」という努力を通じて、われわれは、世界中の苦しんでいる人々に思いを馳せるべきです。皆様方日本人や私たちアメリカ人は、人類の兄弟姉妹たちの中で、特に恵まれた人間であると言えます。まず、偉大なる国、富める国の国民であるという恩恵に浴しています。例えば、最低限の住む家がないという状況でもなければ、食べ物がないということでもない。政治的に迫害されて難民になっている訳でもない。また、われわれは戦火にまみれて逃げまわっている訳でもありません。


▼共通のゴールを目指すパートナーとして

 そういった恵まれた環境に暮らすわれわれにとっては、恵まれていない人たちのことがなかなか理解できない。そしてまた、そういう人たちとうまくコミュニケーションをとることができないんです。そのような世界の状況下において、WCRP(世界宗教者平和会議)が創設され、私も現役の大統領であった頃(1979年)に、WCRPの指導者の皆様をホワイトハウスに招き、三宅教会長様をはじめとする世界の宗教指導者の方々とお会いする機会を持つことができました。われわれは共通のゴールを持っているのです。

 例えばアフリカを見て下さい。ここ20年、毎年食糧・穀物の生産量がどんどん落ちていっているんです。平均的なアフリカ人は、1日当たり何カロリー摂れているかと言いますと、たった70Kcalしか摂れていません。20年前はそうじゃなかったんですね。もちろん、20年前でも決して十分ではありませんでした。しかし、今ほど酷くはありませんでした。そこで、私たちカーターセンターは、彼らと一緒にパートナーシップを組んで、『グローバル2000年』というプログラムを実施いたしました。そして、それをすることによって、アフリカの人々のカロリー摂取量が倍増いたしました。今では、20万人もの人たちがこのプログラムに携わっています。「穀物の生産量を増やせるように」ということで、それぞれの地域風土に適したいろいろな穀物を育てております。みんな自助の意志に満ちています。近い将来、その生産量を3倍、4倍にすることは決して不可能じゃないです。第1年目にして、これだけ(倍増)の生産量を上げることができたのですから……。

 途上国の食糧問題以外でも、世界にはいろいろな伝染病がまだ蔓延(はびこ)っています。豊かな暮らしをする人々から忘れ去られた人たちが、その伝染病で苦しんでいるのです。今日一日だけを取ったとしても、世界中で4万人の子供たちがさまざまな疾病によって死んでいるのです。毎日毎日4万人ですよ……。それも、決して予防するのが難しい病気じゃないんです。ワクチンさえあれば簡単に予防できる病気で死んでいるのです。日本ではこんなことはあり得ません。アメリカでもそんなことはないんです。そういった疫病に対しての免疫をつけようと、子供たちの保護のためのいろいろなプログラムを組んでいます。例えば、ポリオもそうです。チフスもそうです。そして麻疹もそうです。それぞれ子供たちが免疫をつけるために予防接種をしようというプログラムを実施しています。


▼何故、国連は紛争解決に無力なのか

 また、カーターセンターでは、現在世界中でどういった武力紛争が起こっているのかということを毎日モニターしています。今年(1991年)の初めの時点で、なんと111の武力紛争が続いているんだということが判りました。その内の30は「主要な戦争」と分類されているものがありました。主要な戦争とは、1,000名以上の人が、その戦場で死んでいる戦争のことを意味します。これは非常に深刻な問題なんです。場合によっては何十万人という人が1年で死んでしまうんです。例えば、エチオピアにおける「エルトリア内戦」です。こういった悲劇を克服するにあたって、当事国の政府に頼ることはできません。こういった抗争をなくそうとしても、政府の手でなくせるものじゃないんです。なぜなら、彼らは、当事国の政府に対して、反旗を翻えして戦っているのですから……。

 世界中の国々は、こういった内戦の当事者たちが権力を持つことに関して、影響力を持っています。この人たちがどこに関心を持っているかを考えますと、兵器に関心を持っているんですね。戦争を予防することよりも兵器を売ることに関心を持っています。昨年、世界中の国が100億ドルの武器をこの「主要な30の戦争」の当事者たちに売りました。そして、今でも世界中で兵器を作っています。

  そこで、当然の疑問が発生いたします。いったい国連は何しているのだ? 国連(の安保理)はこれらの戦争を扱っているんじゃないか?と……。もし、30もの大きな戦争があるとすれば、当然、国連でこれらの紛争解決に取り組まないといけないんではないか……。と、そういう疑問を持たれた方は多いと思います。

 ところが、国連にはこういった戦争を扱う権限は与えられていないのです。世界中の多くの国々が多国籍軍を構成してイラクと戦った湾岸戦争は終わりました。ところが、今やこの地球上のほとんどの戦争は、実際には「ニ国間の戦争」ではないんです。すべてが同一国内の内戦なんです。すなわち、ひとつの国の隣人同士の戦争なんです。そうなると、国連は対処できません。(主権国家同士が全面的に戦った)第二次世界大戦の戦後処理体制を元にして創設された国連は、(独立した主権)国家間の問題に対処するための機構ですから、こういった国内問題に対処することさえ許されてないんです。国連のスタッフたちは、例えば、ある国の政府を倒そうとしている反体制革命家たちと連絡を取ることが許されていないんです。たとえ、その国が国連の加盟国でなかったとしてもです。したがって、現在、地球上で行なわれている戦争、これはすべて国家によるものではないのです。また国連のメンバーがやっているものでもないんです。


▼湾岸戦争は不必要であった

 それでは、「誰がこの戦争を解決できるのか?」と言えば、変な言い方になるかもしれませんが、民間人しかいないんです。皆さんであり私たちであり、宗教的な取り組みをしている人たち、人間性を求めている人たちでしかこれらの戦争を収めることはできません。

 (対イラク戦争を支持した)大多数の合衆国民の一般的な考え方と、私は全く違った意見を持っています。例えば、(先頃、戦火の収まった)湾岸戦争ですが、私は、一般的なアメリカ人とは違って、今でも「湾岸戦争は不必要であった」と思っています。大勢のイラク人が死んだ。サウジアラビア人も死んだ。クウェート人も、ヨルダン人も、パレスチナ人も死んだ。いったいあの戦争で何人の人が死んだのか? 本当に正確な数字は、誰も掴めていないと思います。あの湾岸戦争で何人が死んだかなんて誰も知らないでしょう。

 そして、今でもクルド族の人々は、戦争前にも増して非常に苦しんでいます。また新たに難民になられら方々もたくさんいらっしゃいます。普通のイラク人でも、戦火のイラクを逃げ出して難民になった方々もたくさんいます。彼らは、世界中に、これまでいた3,000万人の難民の中に新たに加わっていったのです。自分の国を追われた難民がまた新たに増えたんです。


金光教泉尾教会で行われた
カーター元大統領による講演

 湾岸戦争の結果、われわれ世界を癒そうとする者として、やはりこうした戦争を防止することが非常に大きな責任であると決意を新たにいたしました。人々の苦しみを許してはいけない。戦争当事者を非難することは簡単です。また、攻撃の場を設定することも難しくはないでしょう。なぜかというと、他の人の行為によって人々が苦しんでいる時、そこには憎しみが生まれてきます。憎しみはドンドンと大きくなっていきます。そして、相互の人間としての信頼感というものがなくなってしまっています。そうすると、戦争で苦しんでいる人たちは、お互いに同等なパートナーとして――たとえば、イスラエル人とパレスチナ人もそうなんですけど――同じテーブルに着こうとしないんです。そこで、われわれのカーターセンターで何をやっているかと申しますと、こういう当事者同士では、同じテーブルに着こうとしない人々とそれぞれにパートナーシップを組んで、彼らの信頼を醸成することをやっているんですけど、他のアプローチでなんとかこの戦争を予防できないだろうかということを考えています。


▼選挙を通じた平和の構築

 それから、これもまた、われわれのように民主主義社会暮らす人々にとっては、解りにくいことかもしれませんが、正しい選挙を行なうことが、案外、問題解決に役立つことがあります。場合によっては、話し合いのシステムが機能せず、その国内で政治家たちがうまくコミュニケーションしていないということがあるんです。やはり、その国の人たち自身の手でその国の将来を創っていって欲しい(註:民族自決の原則)と思います。内戦が行なわれている国で選挙が行われた時に、武器を持った勢力が国民を脅して権力を握るのでなく、自分たち自身の自由な意思決定によって「正しい代表によるによる政府を構成することができる」という幻覚を打ち破ってはいけないと思うんです。

 たとえば、皆さんが選挙に立候補したとしましょう。知事であれ大統領であれ国会議員でも結構なんですけど、そういった選挙に出ると、候補者は皆、選挙民の人たちが、もし「自分のほうに正義があれば投票してくれるだろう」と、皆そう思っているのです。もちろん、内戦を戦っている当事者たちもそう思っているんです。そこで、私たち(カーターセンター)のところへやってきます。そういう時に私は、「もし、あなたがたが公正な選挙をしたいのであれば、停戦できるはずだ」と言っているんです。そして、こういった信念に基づいて、われわれの活動を行っています。中米のニカラグアでも選挙は行われました。ここでも、長年「コントラ紛争」が戦われていました。もう、既に35,000人もの人が死んでいました。(独裁者)ノリエガ将軍がいたパナマでも選挙がありました。ドミニカ共和国でもありました。昨年の12月に選挙がありましたハイチでもそうであります。選挙の監視団を派遣するというのは、内戦を解決する。そして、戦争を防止しようという新しいテクニックなんです。われわれは新しいアプローチとして、「選挙を通じた平和の構築」を模索しています。これも宗教家の皆さんたちとのパートナーシップを組んでやっていることなのです。


▼人間としての基本的な考え方は同じ

 私の考え方を少しまとめさしていただくと、既にいくつか、どういったニーズが世界にあるのか、お話をいたしました。そして、われわれ全員が、今、戦争の被害を受けている人たち、難民になっている人たち、そして自分の家族に十分な食糧を与えることができない人たち、子供たちを学校へ行かすことのできない人たち、あるいは仕事を持っていない人たち、自分たちが持っていた資産を全てをなくした人たち、病気で子供を失った人たち、しかも、その病気が、先進国に住んでさえいれば直ぐにでも治すことができたはずの病気で子供を失った人たち。そういった人たちの気持ち、それを考えなくてはいけないでしょう。そして、それこそが、この教会に属する皆様方、三宅先生の下へ集う皆様方、また、世界宗教者平和会議の皆様方が協力して考えていかなければならない、仕事をしていかなくてはならない、その舞台だと思うのです。お互いに、今ここにいるわれわれで協力して、そうした難儀に苦しむ人々に手を差し延べる必要があるでしょう。そして、そういった人々により良い生活ができるように、何らかの手助けをすることができると思います。

 まず、人種の間の壁、これを乗り越える必要があります。民族の特性の違い、あるいは宗教の違い、あるいは政治的な壁、そういったものを全て乗り越えていかなければなりません。社会制度の違いもあるでしょう。しかし、われわれは全て神の下に、皆同じ人間であるのです。三宅歳雄教会長様がよくおっしゃっていらっしゃいますが、「地球上の全ての人々は、お互いに関係を持っているんだ」ということです。そして、そういうお互いに関係を持っているわれわれ人間は、他の人たちが持っているニーズを無視してはいけませんし、また自分たちの持っている信仰心を裏切ってはいけません。

 平和を追求するに当たっては、われわれは、時代の変化に自分たちを合わせていかなければなりません。しかし、基本的な考え方は、常に自分のものとして持っていなくてはいけません。そして、その基本的な考え方は決して変わることがないものです。その決して変わることのないものとは何か?神への忠誠心、正義心、兄弟愛、人々に対する奉仕の心、わかち合いの心、熱意、愛情、こういうものが人間として決して変わることがない特性を持ったものです。そして、人間は誰でも、生涯の中にこういった不変のものを生み出すことができるはずです。三宅歳雄先生の前に来て、私を含めてこの場にいらっしゃる皆様方も、本当に心が洗われたような気になるかと思います。たとえ、それぞれ違った宗教を持った人たちであっても、「人間としての基本的な考え方は同じだ」ということを私は痛感いたしました。

 ご清聴どうも、ありがとうございました。
(湾岸戦争直後に1日だけ来日して金光教泉尾教会で行なった講演) 1991年4月12日

 


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