【三宅歳雄 教話選集】

『光かがやく宮』

「人助けの信心一筋の道」

上智大学 名誉教授

安齋 伸

金光教泉尾教会の三宅歳雄師は九十四歳を迎え、現役の教会長として、人助けの信心一筋でお役を果たしておられる。この正月、布教七十年の記念祝典が営まれることになっており、御子息の龍雄師が編纂委員長となり、歳雄師の過去七十年間の三万回にのぼる教話の中から、第一回配本として昭和三十八年から昭和四十三年までの教話の四十二話を選んで刊行されたことは、まことにめでたいかぎりである。

歳雄師は若冠二十四歳にして、泉尾(大阪市)の地に教会の礎を築かれ、七十年間、精魂を傾けて難儀に苦しむ人々の助かりに祈りの努力を尽くして来られたばかりではなく、その視野は世界、人類、全宗教界に及び、現在も世界連邦の構築に、またWCRP(世界宗教者平和会議)の柱石として、宗教協力による世界平和の確立に貢献しておられる。

歳雄師は「親先生」」と呼ばれ、人々から敬慕をされているが、そのご子息の龍雄師は泉尾教会にあって親先生を扶けておられ、二男の美智雄師はWCRP日本委員会の事務総長の重責にある。

龍雄師のご子息の光雄師や善信師や修師も金光教の教会長、教師として国内外で活躍している。親子孫三代が社会で、宗教界で羽ばたいていることは、ご本人たちの信心と資質にもよろうが、親先生の徳によるものではなかろうか。

近年の衰えを知らぬ歳雄師の教話は泉尾教会の機関誌『いずみ』で心の糧、実践への指針として毎月読ませていただいている。今回刊行された選集で歳雄師の六十歳代の教話をまとめて読ませていただいて、あらためて先生の心の底からの謙虚さ、人々の難儀からの助かりを願う山をも動かす祈りと信念、苦しんでいる人々への愛を痛感する。ある宗教を信ずれば信ずるほど、自己の宗教を絶対化するのが普通だが、歳雄師の「人が助かりさえすればよいのである……本当に人が助けられる道ならば、金光教でなくともよい」(25頁)とまで言い切る言葉には真っ先に人々の救いを重視する師の宗教観が躍如としている。

平和への願いもありきたりのものではなく、「各人の助かりを願うと同時に、平和の実現を願い、世界平和確立の努力を惜しみなく払うことこそ、自らの助かりは緊がるものである」(40頁)と述べて、救いを願うなら、平和のために尽くせ、と言っておられる。

また、人生についても、「人生は淋しいどころか、こんな楽しい、有難い、力強い『二人づれの人生』はないと思うのである」(53頁)と、神様と二人づれの人生の喜びを語っておられる。同行二人も観念的にとらえれば、考え方に終わり淋しさもいや増すばかりであろうが、実感的にとらえるとき、神我と共にありの喜びが溢れるのであることが示されている。

人生には困ることが多く、人は困難に押しつぶされそうになって、意気消沈しがちであるが、歳雄師は「困って困らぬ生き姿が、泉尾教会の願いである」(100頁)と説き、「私の信心している道は、『いきいきやらせてもらう道。どんな中でも、明るい生き力を頂いて勇み行く道である』と言いきれる人になってください」(101頁)と励ましておられる。私たちもどんなときでも人生の道を希望を持って進みたい。

そして、いきいきさの秘訣として「ひとつでも世の〓〓人の〓〓お役に立たせていただけてこそ、いよいよいきいきさせられ、この天地がいよいよ支えてくだされ、恵まれる〓〓幸せにしていただけるものと信じております」(127頁)と述べている。

余分なものを他に与えることではなく、自分に必要なものでも分かち合って人の役に立つことこそ幸福の源であると教えておられるのである。そして「人の幸せを祈る……人の喜びを自分の喜びとする生き方をしていくことが神様に恵まれているご恩報じになると同時に、そこから、次のお恵みを頂く道でもある。なんとすばらしいことであろうか」(158頁)と愛と信心の極意を伝えている。

教話には、新約聖書のイエスのたとえを思わせるものも歳雄師の発想でちりばめられている。そのひとつは…それをそのままジット持っていては、永遠に一粒の種で終わってしまう。けれども、それを大地に蒔くとき、初めて、幾千粒、幾万粒を超えるのである」(185頁)と。これは聖書の「一粒の麦、死なずば……」を思い出させる救いの真理である。

教話の中で歳雄師は幾度もご自分のことを無能無力と言われるが、この謙虚な自己批判の言葉にふれるたびに、私はキリストの使徒大聖パウロの「神は私の弱さのゆえに、私を強められた」「私の中に生きるのは私ではなくキリストである」を思い出す。この聖なる教話を各位が襟を正してじっくり拝読することをおすすめしたい。

(『中外日報』一月二十三日号掲載書評より)

「 世の難儀とともに歩む 」

東京大学 教授

島薗 進

金光教泉尾教会の三宅歳雄師(明治三十六年生まれ)が、大阪で布教を開始したのは昭和二年であり、本年は布教七十年を迎える。それを記念して、昭和三十八年から四十三年までの間の師の教話四十二篇を集めて刊行されたのが、この『光かがやく宮』である。これまで三宅師の全体像をまとめた『なんでもの願い』(講談社、昭和六十二年)、平和活動の足跡をまとめた『平和を生きる』(同、昭和六十三年)が刊行されていた。これに対して本書は、師が日頃、信徒を前に語った教話をそのままに記録しており、当時の泉尾教会の信仰生活の息づかいをじかに伝えている。

読者は何よりもまず、人の「助かり」を願う師のエネルギーと気迫に圧倒されるだろう。「私は『ああ安心……』というては死にません。狂い死にすると思います。『狂い死に』ということは、その時の難儀な氏子と一緒に死ぬということ……せめて自分の耳に聴こえ、目に映る一切の難儀を背負って死んでゆきたい……。」そして、「足らぬも足らぬも、言葉にいい尽くせぬ程の足らなさ、不十分さを思う。しかし、事実は、その足らぬ私を、このような有難い場に置いていただいていることが不思議でならぬのであります。」

現代の宗教は巨大化した世界の、ますます深まり、複雑化する困難に手をあげてしまい、ひたすら小さな幸せの確保や孤独な安心の境地に思いを向けたり、さもなければ未来の救済の約束をバネに仲間の団結を固めるといった姿勢に陥りがちである。ところが三宅師はあくまでわれわれ自身の日々の生活の諸問題(難儀)とわれわれを囲む社会の具体的な問題の数々を見据えつつ、ともに「おかげをいただく」ことを指標に、多様な他者の住む世界へと働きかけていくことを求め続ける。「世のすべての難儀が救われる……人皆が幸せにならなければ、自分一人が幸せになるということができぬのである。」

もちろん人知人力のみで巧妙に解決しようというのではない。助かってほしいという神様の願いの中に生かされていることを自覚し、助けられ続けていくことを願っていく。そのようにして「天地の力に包まれていく」こと、常にいきいきといきがいを待ち、「お役に立っていく」こと、「そのことが、人間が生きてあるという姿ではあるまいか」と説かれる。「願い」と二人、神様と二人、「なんという有難い、力強い生き方であろうか。」

真実の祈りで人の助かりを求め続けていくことが「真まこと攻ぜめ」と表現されるが、こうしたいわば烈々たる信仰は、昭和の激動の中の大阪を大きくまっすぐな「願い」とともに生き抜いてきた宗教者にふさわしい。日本の宗教伝統が育んできた情熱的な連帯の信仰の、二十世紀における飾るところない表現として、昧読すべき書物である。

(『佛教タイムス』二月十三日号掲載書評より)

金光教泉尾教会
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