5月11日と13日、インドが二十数年ぶりに核実験を実施し、世界を驚かせた。ソ連社会主義体制の崩壊による「冷戦」の終結から十年近く経ち、世界の関心が、超大国による核戦争への危機感から、むしろ小規模な民族・宗教紛争への対応の方向へ向かっているこの時勢に、インドが核実験(核兵器保有の意志表示)を実施したことの意味は大きい。14日からの国連ジュネーブ軍縮会議と15〜17日に英国のバーミンガムで開催されるサミット(主要国首脳会議)の直前の時期を選んで核実験を実施したことは、明らかに「NPT(核拡散防止条約)体制」に対する挑戦である。
これに対する各国の反応が興味深い。自らも核保有国で、近年まで核実験を行ってきた中国や英仏両国は静観の構え。既にあらゆるタイプの核開発を済ませて実践配備済みのアメリカは、自らの優位を固定化するためにもこれ以上の核保有国の増加を望まず、対印制裁をちらつかせた。日本政府は、お決まりの「唯一の被爆国としての抗議」を在京の駐日インド大使を外務省に呼びつけて伝達し、年間千数百億円におよぶ援助(対印円借款)を凍結することを決定した。もちろん、インド政府は日本政府の言うことなんかに耳を貸すはずはない。コンピュータ産業をはじめとし、経済発展が日の出の勢いのこの国にとって、経済破綻で落ち目になったかつての成金大国日本から多少の金を貰うために言うことを聞く必要など全くないからだ。
それどころか、ことの善し悪しは別として、インド政府の反論の方が遥かに整合性がある。まず、「(第二次世界大戦の戦勝国である国連の)常任理事国の米・露・英・仏・中の五カ国のみの核兵器保有を認めながら、それ以外の国々の核兵器については、保有はおろか実験すら認めないNPT体制は不平等である。インドの領土保全と主権の維持のためには、核兵器の保有は不可欠だ。核保有国は、NPT体制の前提条件として核軍縮を約束しながら、ほとんど実行していない。これでは、両者の間の不平等な関係が固定化されるだけだ。したがって、現状ではCTBT(包括的核実験禁止条約)にも加盟することはできない」という論点である。
次に、今回、核実験を行ったバジパイ政権は、3月に発足したばかりのインド史上初の人民党(BJP=ヒンズー教至上主義政党)の政権であるという点である。人民党は、総選挙の公約に「核兵器の開発」を掲げて選挙戦を闘い、国民からの圧倒的支持を受けて成立した「民主的な政権」であるということである。経済開放路線を取ってきた前政権とは打って代わって、外国資本の締め出しを図っていることも、一連の動きに矛盾していない。インドにとって潜在的脅威の隣国パキスタンをはじめ、中東諸国・北朝鮮他、核兵器を所持したい国はいくつでもある。
しかし、そもそも核兵器開発に関していえば、開発しようという自分の立場を正当化しようと思えばいくらでも正当化できるということを忘れてはいけない。いわく、「正義のため」、「正当防衛のため」、「安全保障のため」……。これらはすべて、言い換えれば、「自己肯定・絶対化」の立場である。だが、われわれ信仰者は、まず「自己否定・犠牲」の立場から出発しなければならない。教祖金光大神様が天地金乃神様との関係を築かれるきっかけとなった「これで済んだとは思いません」という姿勢である。
三宅歳雄教会長は、1957(昭和32)年、「原水爆実験禁止要請国民使節」の一員として、自治体や労働界の代表と共に宗教界の代表としてモスクワを訪れ、時のソ連首相のブルガーニン氏とクレムリンで会見。2時間にわたって核軍縮の必要性の直談判におよぶという離れ業をやってのけた。全面的核戦争がいつ起こっても不思議でないと思われた東西冷戦真っ最中に、徒手空拳の一民間人が、超大国ソ連の首相に一歩も引けを取ることなく対面し、ブルガーニン氏をして「米英が核実験を止めるのであればソ連も止める。(核兵器を開発した)ソ連科学アカデミーの核物理学者とも話し合ってはどうか」と言わさしめたのは、驚嘆に値する。この間の詳しい経緯は、
『平和を生きる』(講談社刊)の53〜60ページに詳解されているので省略するが、三宅歳雄教会長の先見性と世界平和に掛けた意気込みの一端を垣間見た思いがする。
余談だが、当時、「今度、ソ連に行った三宅歳雄という人物はどういう人物で、核軍縮要請は金光教の教団としての公式見解か?」と文部省から問い合わせを受けて、慌てた金光教本部が、「あれは、三宅歳雄個人がしていることで、教団としての金光教には関係ない」と回答した、というから驚きである。今でこそ、「広島平和集会」をはじめ、数々の平和・国際貢献活動を推奨している教団も、教会長のビジョンと行動力には、遠く及ばなかったのであろう。
その後も、世界の宗教者による平和活動を推進する国際団体であるWCRP(世界宗教者平和会議)を創設したり、国連本部で三次にわたって開催された「国連軍縮特別総会(SSD)」にも、三宅歳雄教会長はその都度、出席し、日本の宗教者を代表して、核軍縮と世界平和に掛ける意気込みを世界の指導者に示したことは、案外、世間に知られていない。
三宅歳雄教会長の布教60年記念祭が仕えられた直後の1987(昭和62)年2月、ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)が主催した「人類の生き残りのために核兵器のない世界をめざす国際平フォーラム」に、三宅歳雄教会長は世界の識者のひとりとして招待され、クレムリンでソ連政府首脳と会見。また、ノーベル賞受賞者で反体制物理学者として有名なサハロフ博士とも会談し、同フォーラムの「決議文(核実験の即時全面禁止)」を、核保有国の政府に伝達する役割(三宅歳雄教会長は英国を担当、駐モスクワの英国大使と会見した)を担うなど(前掲書82〜90ページに詳細)、人類共栄・世界平和達成への新理念を求めて、核軍縮に関しては、各方面にわたって大きな働きをした。
この際の三宅歳雄教会長の「あなたあっての私、私あってのあなた、という相互依存関係抜きに人類の生き残る道はない。アメリカあってのソ連という見方をすれば、相手もそのように変化する」という、フォーラムの参加者の度肝を抜く発言が、ゴルバチョフ氏を動かし、その後のソ連の政策転向、すなわち、ペレストロイカ(改革開放)やグラスノスチ(情報公開)を促し、この時以来、ソ連は核実験を「相手国のするしないにかかわらず、自ら率先して停止(モラトリアム)する」というゴルバチョフの「新思考外交」に大きな影響を与えた。
こうして、三宅歳雄教会長が、時代時代の要請に応じて、否、時代に先んじて取り組んできた核軍縮への取り組みの努力が、最近、ややもすると薄れがちであった泉尾教会の信徒にとって、今回、非暴力の精神を説き、二十世紀の聖者といわれたガンジーの没落五十年という筋目に強行されたインドの核実験は警鐘を鳴らす機会になった。今こそ、再発足した「人類共栄会」運動への全信徒を挙げての取り組みが求められる時である。
泉尾教会では、今年11月にインドで開催される第23回WFM(世界連邦運動)世界大会の席上、同アジアセンターの会長として、三宅龍雄副教会長がナラヤ大統領他インド政府首脳と会見し、直接、政策変更をせまる予定である。