金光教泉尾教会は大阪市大正区にあり、金光教内でも独自の教風で知られる。それはこの教会の創設者である故三宅師歳雄(1903-93)の個性的な信仰に基づく。三宅師は平和活動や宗教協力活動でよく知られているが、その信仰世界そのものの独自性は私たちに一つの問いを投げかけている。このような信仰の形はいかにして可能だったのかと。
『園に集う人々』は1963年から74年までの教話を集めている。73年、布教開始46年周年の際に三宅師は「言いたきことあり、よく聞けよ」と神の言葉を聞く。「46年間、ご苦労であった」、また「天地金の神が一礼申す」と。だが、続いては「お前自身の足らぬところを日にちお詫びしておる。信者のたらんところも」と語りかける。三宅師は彼自身、信者の足らぬところを彼自身の足らぬところとしてお詫びしているのだという。しかし、神はさらに「そんなことでは済まぬのぞ」と言葉を継ぐ。詫びる神、そして三宅師はそのことに「泣けて泣けて、済まないので、たまらぬ」思いになる。神はその上なお、「今年は大変である」と警告を重ねている(191−2ページ)
人間の苦難をともに担う苦しみ願う神、そして徹底してそれらにならおうとする自己の像は金光大神の救いの瀬会の三宅師流の継承である。「詫びる」ということの徹底は、理不尽とも思える苦難を強いる世界について、なお自己のこととして受けとめるように求める。だがそれは消極的な自己攻撃ではない。これまた徹底した「願い」による大らかな希望を伴っている。三宅師はそれを「なんでもの願い」とよぶ。
神と人との双方が「なんでも助けていただこうと願う願いの両方からの願い合いの姿」(276ページ)である。
三宅師の教話から伝わってくるのは、このような他者の苦難への集中力であり、凝集されて感受された苦難を他者とともに詫び、助かりを願う拡充された共感力である。そこに人間が人間であるゆえんがあると三宅師はいう。「何故、人間が万物の中で、とりわけ尊い存在なのであるか?」人間が「御神願の現われ」であり「神様のお恵みの現われ」だからだ(70−71ページ)。
苦難に心を寄せ、ともに詫び、本気で願う。容易でないが、神がその見本であるところのその可能性にならっていく。それこそが信仰なのだと説くのである
(書 評)
三宅歳雄教話選集『園に集う人々』
心にしみる慈雨の一滴
金光教泉尾教会教会長として長年尽してこられた三宅歳雄師の教話を集めた。日本の高度経済成長期後、戦後の世界秩序が行き詰まりを見せてきた昭和44年から49年までの説話で、鋭い時代警告にもなっている。
一読者として評者が何をおいても知りたかったのは、救世のために世界各地をかけずり回り意を尽してきた世界的宗教者としての三宅師の行動力の源泉についてだ。「この道の偉大さありがたさ」のなかで次のようにある。
「偉大にして広大無辺な神様の思召しを、もっともっと頂き、日にちに力強く明るく生かしていくことこそ、本教の最も大切なところであります。…『氏子あっての神、神あっての氏子』の精神、すなわち『あってのある』というあり方を確と身につけることが大事であると思います」。つまり、まず「神に生かされている」という事実、そして神もわれわれによって生かされているということ、この両側面の把握が大切だと説く。
その一文は「われがあるというこの事実、この不思議はどれほどの『あっての』連続の結果のことか…。そのことが十分に解ることがまず必要です。神様のおはからいというか、天地の容易ならぬお恵みあってのわれ…」と続く。神からのあり余る恵みを自覚した時点で、三宅師は後ろをふりむくこともなく救世のために世界平和のために立ち上ったことがわかる。神の愛は尊しである。
人類共栄会の創設者である三宅師は、庭野日敬立正佼成会開祖らと共に1970年にWCRP(世界宗教者平和会議)を創設し、84年から94年までWCRPの国際委員長、財務委員長を務めた。ちなみにWCRPは国連に政策提言することのできるNGO(非政府組織)で、世界の主な宗教が加盟する最大の宗教協力団体だ。
一定の成果を収めてきたWCRPだが、三宅師の抜けた穴は大きい。天国の三宅師本人は、自分は退場なんかしたのではない、こちらで昔以上に平和実現のために働いているよ、とおっしゃることだろう。三宅師は「天地に生かされ天地に生きる」という言葉をWCRPで語られたことがあった。一つひとつの説話がこの荒れた世界、渇いた心の中にしみ通る慈雨の一滴である。
(金光教泉尾教会編 定価1600円)