(敬称略)
三宅龍雄大人を偲ぶ会
スピーチ
清風学園 理事長
平岡英信
清風学園理事長
平岡英信先生
僭越ではございますが、ご指名でございますので、一言ご挨拶させていただきたいと思います。宗教界のご大徳がたくさん居られる中で、私もちょっと上がり気味でございますが、お許しください。
「三宅歳雄先生という素晴らしい先生が居られるので、お前ひとつ勉強して来い!」と父から言われて国際宗教同志会に入らせていただきました。今から四十数年前の話です。歳雄先生は、大変厳しい人で、独特の個性があり、実行力も抜群の方でしたから、いろいろな意味で勉強になりました。
その歳雄先生の下に、この度十年祭を迎えました龍雄先生が居られたんですが、龍雄先生は、いつも皆の前で歳雄先生からボロカスに叱られるんです。こんな無茶苦茶な叱り方あるのかな、というぐらい厳しい言葉でしたが、その時に龍雄先生は嫌な顔ひとつされず「ハイ、ハイ」と答えておられました。それを見て「この方はいったいどういう方なのかな…?」といつも思っておりました。
また、歳雄先生は国際的にも活躍されていましたので世界中に行かれるため、教会を留守にされることが非常に多い。そして、難しい問題を一杯抱えて帰って来られる訳ですが、その問題の数々を解決されるのは、実は龍雄先生だったんです。最初は、ただ「ハイ、ハイ」と言って受け流しておられるのかと思いましたが、実際は歳雄先生が留守の間、龍雄先生が裏のしんどい仕事を全部引き受けておられた。歳雄先生が思う存分仕事ができたのは、実は龍雄先生が居られたからやなと、後になって思います。
そういうところは私たちにはまったく見えなかったのですが、今から考えると、凄い人だったと思います。ご令息も立派に育てられ、私も勉強になることがたくさんありました。私も龍雄先生からもっと学んで、私共の長男や次男にしっかり教えていかなければと感じております。心から感謝すると同時に尊敬しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。簡単ではございますが、ご挨拶に代えさせていただきます。どうも有り難うございました。
衆議院安全保障委員長
左藤 章
衆議院安全保障委員長
左藤章先生
失礼いたします。浄雲寺の左藤でございます。今、司会の方が左藤家とは先々代の左藤義栓の代からのお付き合いとご紹介いただきましたが、実は違うんです。歳雄先生とは、さらにもう一代遡って、私の曾祖父であり、大谷学園を創立した左藤了秀の時代からのお付き合いでございます。そして、祖父である義栓、岳父である恵、私まで含めれば四代にわたるお付き合いになります。
私がサラリーマンを辞めて岳父の秘書をしている頃に泉尾教会を訪れた時は、歳雄先生もお元気でいろいろと教えていただきました。そしてその後、龍雄先生ともご交情をいただきました。私の父を見ながら言うのではありませんが、先程、平岡英信先生がおっしゃった通り、龍雄先生が居られたから歳雄先生も元気にあれだけの仕事ができたのだと思います。やはり、いろんな世界で活躍する人の息子さんは―こんなことを言うと、まるで自分のことを話しているようにも感じますが―しっかりと父親をフォローしてあげないと駄目であります。しかし「本当にフォローできるのは、やはり血の繋がった息子なのだろう」と思いますと、あらためて、龍雄先生のご労苦は大変なものだったのではないかと思います。それが今の金光教泉尾教会の隆盛となり、信頼へと繋がっているのだろうと思います。岳父の恵も、少し前に他界した母の定子も本当にお世話になりましたし、今、私は光雄先生や善信先生に大変ご厄介になっております。縁というのは有り難いものです。三宅先生ご一家に、あらためて感謝を申し上げたいと思います。
今、政治の世界は非常にややこしい状態になっています。特にアラブ世界は宗教家に至るまで戦争ばかりやっています。本当に残念であります。日本はそういう面で、各宗派の皆様が心を開き手を携えながら、国民をどう導くか、国をどう安康の世界にして行くかをお考えいただいている。私は政治の世界に身を置きながら、本当に感謝しております。これからも、宗教心を持った子供さんをしっかりと育てて、日本がこれからも良い方向へと向かっていくようにしなければと思っております。
今後も、左藤家だけでなく、国際宗教同志会でもいろいろご厄介になると思いますが、どうかよろしくお願いを申し上げます。龍雄先生にも、これからも天からわれわれを見守っていただければと思います。十年の節目を迎えられた龍雄先生の霊に感謝申し上げ、偲ぶ言葉とさせていただきます。有り難うございました。
比叡山延暦寺 執行
小堀光實
比叡山延暦寺執行
小堀光實先生
大変多くの方々がご臨席になります中、私ごときがこのようにテーブルを代表してご挨拶をさせていただけますこと、大変光栄に思います。今もご紹介にありましたように、私は延暦寺の僧侶の1人でございます。宗教者の方々が多い中、私がこのように申し上げるのは、大変僭越至極ではございますが、僧侶は嘘をついては駄目でございます。嘘をつきますと罰が与えられますし、歯が痛むそうでございます。虫歯でなくとも歯が痛むそうです。ですから、私が申し上げますことは嘘偽りではございません(会場笑い)。正直なお話をさせていただきます。
龍雄先生が帰幽されてから10年の年月が経ちました。金光教泉尾教会様とご縁を頂きましてから、二十数年が経ちますけれど、私がこのように宗教者の方々と出会うきっかけを頂いたのは、泉尾教会様との出会いでございました。当時、比叡山延暦寺の代表役員でありました者から「小堀君、君は山の中(天台宗内)のことばかりでなく、外でいろいろ勉強してきなさい。特に、他宗教の方々のお話を聞くように」と言われ、「3月に大阪で若い宗教者の方々の集まりがあるから行くように」と命ぜられました。当時、私も含めて宗教に関わる者は何かと理屈が多いと思っておりましたので、実はそう言われた時、内心は「嫌だなあ」と思いました。「何処であるのか?」と尋ねますと、大阪市大正区にある泉尾教会という、教派神道の新しい教会とのことでした。
気持ちが定まらないまま案内状を見ますと、「佐渡ヶ嶽部屋の稽古風景を見て、その後、ちゃんこ鍋を囲む」と記されていました。それを見た時、私の気持ちが180度変わり、「是非とも参加させていただきます!」と答えました(会場笑い)。私は根っから大相撲が大好きなのです。今日は佐渡ヶ嶽部屋の親方がお見えでしたが、千秋楽ですから、もう既に席をお暇なされたことと思いますが、小さい頃から大阪場所へは何度か足を運んでおりましたが、関取衆をはじめとする若い方々の熱心な稽古の雰囲気に浸れることができるということで、大相撲に釣られて金光教泉尾教会へと足を運んだのが皆様とのお付き合いの始まりであります。そして、本日も参っております毘沙門堂門跡の叡南覚範大僧正他、皆様方のご指導をいただきながら、毎年、比叡山延暦寺の山上において天台宗の大きなイベントとして、『世界平和の祈りの集い』をさせていただいております。
延暦寺のほうからお礼を兼ねて、龍雄先生とのエピソードをひとつご紹介したいと思います。実は、「できれば、佐渡ヶ嶽親方に比叡山の山の上で講演をしていただきたい」とお願いしたことがございました。今から十数年前のことで、今は亡き横綱琴櫻の先代佐渡ヶ嶽親方でございます。三宅光雄先生にお願いしたところ、「分かりました。では、その口添えをいたしましょう」ということで、トントンと話が進みました。しかし、親方にお越しいただく際、講演料はどうさせていただくのが良いかと龍雄先生にご相談申し上げたところ、「比叡山のお坊さんはそんなことを心配しなくてよろしい」と、大変有り難いお言葉を頂きました。願わくば、現親方にもお越しいただきたいところですが居られませんので、是非、光雄親先生、現親方にも比叡山延暦寺の文化講座の講師に来ていただくよう、よろしくお願いをしまして、私の拙いご挨拶とさせていただきます。
立正佼成会 理事長
川端健之
立正佼成会理事長
川端健之先生
失礼いたします。ご紹介いただきました立正佼成会の川端でございます。本来ならば、会長の庭野日鑛がご挨拶を申し上げるべきところでございますが、本日、北関東で新道場の落慶式がございまして、会長としてどうしても出席しなければならず、偲ぶ会への出席が叶いませんでした。会長から「泉尾教会の親先生をはじめ、皆様にくれぐれもよろしくお伝えしてほしい」と申しつかっております。会長の名代として、こうして三宅龍雄先生の十年を偲ぶ会にお招きいただき、ご挨拶する機会を頂戴したことは、大変光栄なことでございます。
金光教泉尾教会と私どもの立正佼成会は、長年にわたり深いご縁を頂いてまいりました。とりわけ、初代教会長であられた三宅歳雄先生と立正佼成会の庭野日敬開祖は、深い宗教的信念によって結ばれた盟友とも言える間柄でございました。庭野開祖は生前、歳雄先生について次のように述べております。「私と共に道なきところに道をつける苦労をされたのが、平和活動の大先輩ともいえる三宅歳雄先生であった。この大地には、もともと道というものはなかった。まず、一人が歩く。また、次の人が歩く。そうして道というものはだんだんと出来上がっていくものであろう。私よりも3つも年長の三宅先生が、難航する国際会議の席上、静かな激情と共に宗教者のあるべき姿を肺腑をえぐる言葉を以て語りかける言葉は、洋の東西を問わず宗教者の胸に鮮烈な印象を与えるものであった」この言葉からも、諸宗教対話協力の黎明期の歳雄先生の存在が庭野開祖にとってどんなに心強いものであったか、お2人がどれほど強い信頼感で結ばれていたかが窺えるのであります。
そうした先人の歩みを引き継がれたのが、三宅龍雄先生であり、立正佼成会の庭野日鑛現会長でした。共に二代目として、WCRP等の活動を先頭に立って牽引してこられました。平成18年、龍雄先生が帰幽された際、庭野会長は次のように述べております。「私は龍雄先生に特別の親近感を抱いておりました。お元気な頃の龍雄先生は、WCRPの会議などに出席されますと、歳雄先生同様、ひときわ情熱あふれる発言をされ、会議をリードされていました。その一方、個人的にお会いさせていただきますと、私より10歳も年長でおられながら常に謙虚に振る舞われ、恐縮するほど後輩の私を立ててくださいました。そのお姿に、多くのことを学ばせていただいたものであります」歳雄先生と庭野開祖と同様に、龍雄先生と庭野会長もまた、ひときわ深い絆に結ばれていたことが拝察されるのでございます。
先達が切り拓いてくださった諸宗教対話協力による平和実現への道は今、WCRPを中心に世界的な広がりを見せております。その歩みを一層力強く推進していくことが、私どもに託された使命であり、先達に対する何よりの恩返しでありましょう。歳雄先生が道なきところに道をつけられ、龍雄先生がその道を広く確実なものとされ、今、光雄先生、善信先生、また修先生がそこに新たな息吹を注ぎ込んでくださっています。金光教泉尾教会の皆様がそうした尊い道のりを継承し、諸宗教対話協力による平和実現に向けて地道に力強く前進されることこそ、歳雄先生そして龍雄先生が一番願っておられることでございましょう。私どもの教団といたしましても、先達の願いをわが願いとし、金光教泉尾教会の皆様と手を携えて精進させていただく所存でございます。三宅龍雄先生の十年を偲ぶ会にあたり、平和への決意を新たにすると共に、皆様のご健勝、ますますのご活躍をご祈念申し上げ、挨拶とさせていただきます。誠に有り難うございました。
和宗総本山四天王寺 執事長
瀧藤尊淳
和宗総本山四天王寺
執事長
瀧藤尊淳先生
失礼いたします。四天王寺の瀧藤でございます。先日、善信総長様から「龍雄先生のエピソードを2、3分でいいからお願いできないだろうか?」とお声掛けいただいたのですが、実は私は生前の龍雄先生と一度もお会いしたことがないので、私がご挨拶をお引き受けして良いものか迷っておりました。ここでお話しする内容は、私というよりも、私の父でございます尊教と龍雄先生が非常に親しくさせていただいておりました関係で、四天王寺を代表しまして龍雄先生のご遺徳を偲び、一言ご挨拶をさせていただきたいと思います。善信先生からお伺いしたお話をこの場で皆様にご紹介させていただく形になりますけれどもご容赦いただければと思います。
私の父も平成22年12月8日に89歳で亡くなりましたが、その折には光雄教会長様には本当に温かいお言葉を頂戴しました。父も非常に喜んでおっただろうと思います。龍雄先生は、長年にわたり諸宗教対話等に対する国内外の活動にご尽力されました。そして初代の歳雄先生を助け、さまざまな場面で初代様のご代行を立派にお務めになっておられたと伺っております。私の父尊教は、平成2(1990)年から4年間、四天王寺第105世の管長を務めさせていただいておりましたが、その最中の平成5(1993)年、四天王寺は創建1400年の年を迎えておりました。これを記念して、同年7月に四天王寺において、世界連邦平和促進全国宗教者四天王寺大会が開催されました。10月には各宗ご本山をお招きして、聖徳太子奉賛の法要が勤修されました。
また同年8月には、万国宗教会議百周年記念伊勢大会が開催され、お世話くださった龍雄先生と父尊教、そして中村元先生も同乗され、大会に出席するため近鉄電車で伊勢へ向かうこととなったようです。当時、私は四天王寺学園に在職しておりましたので、残念ながらその場には居りませんでしたが、車中では四天王寺の七不思議や四箇院(しかいん)、インドのサーンチーの仏塔のことなどさまざまな話題が次々と出て、時を忘れて話に花が咲き、龍雄先生も熱心に耳を傾けられ、大変有意義な一時であったそうです。父にとって、さぞ楽しい一時であっただろうと思います。
このように、心から信頼し、肝胆相照らすお付き合いをさせていただいた龍雄先生のご生前のご厚情に対し、あらためて厚く御礼を申し上げる次第です。世界の平和を願い、国際的な舞台において宗教者としてその実現に邁進された龍雄先生の尊い諸活動に敬意を表すと共に、そのご遺徳をお偲びし、泉尾教会様の今後のますますのご発展を祈念いたしたいと存じます。
実は、この会が始まる前に、善信先生から「生前に縁がなくても、こうしてお亡くなりになってからできる縁のことを『仏縁』と言うのですよ」と尊教が申しておったと教えていただきました。本当に、良い仏縁を頂戴しました。これを私からのご挨拶の結びとさせていただきます。本日は誠に有り難うございました。
孝道教団 統理
岡野正純
孝道教団 統理
岡野正純先生
失礼いたします。大変僭越ではございますけれども、一言ご挨拶させていただきます。今、ご紹介にありましたように、三宅光雄先生とは「宗教者有鄰(ゆうりん)会」でご一緒させていただいております。宗教界にはいろいろな連合会―例えば宗教間の対話であるとか、あるいは世界平和といったような―が、それぞれの目的の下に集まって活動していますが、この有鄰会に限って申しますと、まったくそういう目的がございません。ただ一緒にいたいから居るという会でございます。9人のメンバーが居りまして、それぞれの教団の責任者、あるいは将来責任者になる方々が集まっております。その関係で光雄先生から「挨拶せよ」ということで、本日の挨拶のお役を仰せつかりました。
実は、私はお父様の龍雄先生には生前お目にかかったことがございませんが、光雄先生からお話を伺っていると、光雄先生は大変お父様に可愛がられて愛情一杯のご家庭で育てられ、また、ご兄弟の皆様も、本当にご両親の愛情を受けて育てられたと伺っております。光雄先生ご自身のご家庭は、お嬢様が3人居られますが、同じくご両親が本当に愛情深く育てておられます。奥様も光雄先生に大変愛情深く優しく接しておられることが素晴らしいと思います。と申しますのは、日頃宗教界でいろいろなお付き合いをさせていただいておりますが、奥様に愛されていても、優しくされている宗教界の先生方はそんなに多くないと思っております(会場笑い)。これも宗教の修行の一端ではないかとつくづく思います。
しかし、光雄先生のご家庭におかれましては、お互いに支え合い、愛情一杯に育てられている。これはなんと言っても、お父様、またお母様の愛情の下で光雄先生がお育ちになったことが、そのまま続いているのだろうと思わせていただいております。その愛情あふれるご家庭の中の雰囲気で以て、ご信徒の皆様を愛情で包み込み、また、私ども外部の者も、三宅家の愛情で包んでいただくことをお願い申し上げて、今日の龍雄先生の愛情が私どもにも繋がっていることをひしひしと感じさせていただきつつ、大変拙いお話ではございますが、本日のご挨拶とさせていただきます。有り難うございました。
本門佛立宗 前宗務副総長
西村淳晨
本門佛立宗
前宗務副総長
西村淳晨先生
有り難うございます。先輩諸兄が多々おられる中でご指名をいただきまして、大変恐縮しております。三宅先生ご一家におかれまして、歳雄先生、龍雄先生、光雄先生、そして善信先生等々、三代にわたって父親の代からいろいろとご教導を頂いてまいりました。韓国の宗教者の方々との会合をはじめ、また中国に歳雄先生とご一緒させていただいたり、数多くの国際宗教同志会の会合でも勉強させていただきました。この場を借りまして随喜御礼申し上げます。
龍雄先生の思い出と申しますのは、大阪市北区にございます、私どもの本門佛立宗清風寺を建て替えさせていただく際に、「現在は高齢化社会でございますから、寺院に特別養護老人ホームを併設させていただきたい」と龍雄先生にご相談申し上げたところ、龍雄先生が直ぐに竹中工務店の方々をご紹介くださいました。そして、龍雄先生は「何かあれば、いつでも相談に来なさい」と、父(註:西村現淳本門佛立宗講有猊下)が他界した後もずっとご教導いただき、本当に有り難く思っております。
今後とも、光雄先生、善信先生、それぞれにご教導を賜りまして、私どもとの交流をより一層深めていくことができればと念願いたしております。本日は、このように盛大な三宅龍雄先生の十年を偲ぶ会にお招きいただき、本当に有難く思っております。今後、三宅家ご一門、金光教ご一門の、ますますの隆昌発展をご祈念申し上げ、甚だ簡単ではございますが、ご挨拶とさせていただきます。本日は有り難うございました。