二代親先生五年祭教話
11年3月27日
教会長 三宅光雄
ただ今は、先代教会長『三宅龍雄大人五年祭』を仕えさせていただき、共々に参拝のおかげを頂かせていただきました。この『五年祭』を頂くに当たりまして、200日前より信行をさせていただき、今日をお迎えさせていただきました。その間、私自身は信行をさせていただいていたつもりでありましたが、200日間お守りを頂いて、今日の御祭を頂かせていただくおかげを頂きました。
5年前の、本当は明日でございます。3月28日、先代教会長はお国替えをいたしましたが、その年の1月17日、母の誕生日でありますが、その母の誕生日に朝の御用をさせていただいた後、お広前から退がらせていただいて、父の部屋で母に「誕生日おめでとうございます」と…。ひとしきりお話をさせてもらって、部屋を出て障子を閉めるなり、大きな声で後ろから、「おーい」と言う声を頂いたのですね。間違いなく私を呼んでおられる。障子を一旦閉めたんですよ。ですがそのお声で戻り、「何でしょうか?」と聞かせていただきますと、じーっと私の顔を見られて「しっかりと、頼むよ」と二言おっしゃった。実はそれが先代教会長、父からの直接に頂いた最後のお言葉。世間で言う遺言でございます。「しっかりと、頼むよ」というお言葉を頂きました。
そして私は3月7日が誕生日でございます。8日は私どもの教会の祭典日でして、祭典退下(たいげ)の時に、婦人会が花束を50歳のお祝いに贈呈してくれたのですね。そしてある意味、祝賀ムードというのでしょうか、おめでたい。そしてお取次をさせてもらって、あと数名の方というその時にメモが入ってまいりました。
「親先生が急にお身体が悪く、救急車を呼ばせていただきます」…。私は「はい」と返事を書かせてもらったまま、お取次を続けさせていただいた。ご神前でご祈念をさせていただいて、直ぐに入らせていただくと、ちょうど奥玄関から救急車が出ようとしているところでした。勿論その直後、車で残りの家族と病院へ行かせていただきました。
その後、お彼岸の霊様のお祭がありました。その翌日に「昨日は『霊大祭』を仕えさせていただきました」という報告に行かせてもらった時には、私の方を見られて「うーん」とこう…。勿論イエスかノーはおっしゃるのです。「うーん」か「うん」かはおっしゃるのですね。だからイエスかノーかは分かる。だけども先程も申しましたように、お言葉としては1月17日が最後でした。そして担当医のところへ行かせてもらいますと、「4月の上旬ぐらいには退院ができるから、退院はいつにしましょうか…」と聞かれて、「有難うございます」。それが22日でございました。
23日、病院に詰めている家内から電話があり「危篤」。それから私は6日間病院に泊まらせていただいて、28日にお国替えさせていただきました。
今思いますと、私が50歳という、その節目を頂くまで命を燃やして待ってくださって、ご信者からお祝いをしていただいた。それをご自分がその報告を聞かれてから入院。そして『霊大祭』も報告をさせてもらって、その後ご危篤……。
本当に、今も二百日間信行をさせてもらってと申しましたが、それどころか何もかも先代教会長のおかげ様をもって、お祈りをもって。今日の御祭もおかげ様をもって仕えさせていただきました。
今日はご信者だけでなく、教内外の先生方にもご参拝を頂き、本当に有難うございます。全て大恩師親先生、二代親先生のお徳のおかげ様であります。私は本当に何もできません。いたらぬ者ですが、今日のこの『五年祭』を自らのくぎり、あらたまりにさせていただいて、明日から300日間。大恩師親先生が昭和二年、玉水教会初代大先生のお祈りを受けられてこの泉尾の地に座り込めとお言葉を頂かれて85年。そのお礼の御祭に向かわせていただこうと思います。どうぞ私と共に皆様方も一緒になって、お礼を申してしっかり向かわせていただいてくだされば有り難い。そう思わせていただきます。本日は有難うございました。