■三宅歳雄先生の想い出
妙智會教団 会長
宮本丈靖
来る8月30日に三宅歳雄先生「十年祭」が執り行われるとのお知らせを頂き、改めて感慨を深くいたしました。思えば、私が平成11年9月4日に行われた教会葬で弔辞を述べさせていただいてから、早くも十年の歳月が流れたわけですが、先生をお慕いする私の想いはいまも少しも変わりがありません。
あの日、私は先生の御前で「私はいま、偉大な宗教家三宅歳雄先生を失った悲しみと、はかり知れない寂しさで、何を申してよいのか言葉が見つかりません。私が先生のご逝去の報に接しましたのは、9月1日の早朝5時、朝のおつとめが終わった時でございました。その一瞬、私は驚きと残念無念で、気も転倒してしまいました。『諸行無常』という言葉も、『生者必滅』のことわりも私は身に沁みて心得てはおりますが、それでもなお襲ってくる哀切の念は、ますます深まるばかりでございます」と心のままを吐露し、別れを惜しみました。
私が先生とご縁を頂戴しましたのは、昭和45年に開催された「第1回WCRP京都大会」に向かっての準備委員会の時と記憶しております。以来、お目にかかるたびに、先生は笑顔で「法友が来てくれた」と年下の私を温かく迎えてくださいました。
先生とお別れはしたものの、私はいまも先生の『教話選集』を座右の書として日頃から拝読させていただき、先生より親しく尊いお言葉のかずかずを頂戴しております。なかでも「私は決して『偉い先生』ではない。名前は教会長であるが、皆さんたちと一緒である。私も一信奉者である。皆さん方の苦労というか、問題というか、その中で、皆さん方と共に苦労し、共に祈っていこうとするものである」とのお言葉は、教団を担う者の戒めとしてたえず襟を正して深く心に頂いております。
他にもさまざまな「教話」を通じて、いまも私は先生にお会いしています。
「人生は長い旅である…。人生の旅。その旅を行くのに何が一番大事なことであろうか? それは『歩む』ということを止めてはならぬ。『歩みを続ける』ということである。止まってしまっては旅にはならぬ」
この「教話」も私の大好きなお話のひとつですが、じつは日頃から会員一同に「修業とは善いことを心を込めて繰り返すこと」と指導している私にとって、先生のこのお言葉はまさにわが意を得たりの心境で、大きな勇気を頂戴しました。
最後にもうひとつ、私が心の宝として頂戴している先生のお言葉に触れさせていただきます。それは昭和40年に行われた創立38周年青年大会でのご講話のようですが、大勢の若者たちを前にして先生は「諸君はまだ若い。苦労を買うて出る青年であれ! 苦労を友とせよ! 私の臨終を見ていただきたい。私が諸君のなかに誕生する…その喜びを見てもらいたい。諸君のなかに私を生み出してください。そして、諸君が、その生き方…『なんでも!』の願いに立って、世のお役に立つ人となるためにご精進くだされば、私は、そこに生きる。生きられる。『われ永世』といえるのである」と熱く力強く語られていらっしゃいます。
先生の意を継がれた龍雄先生も本年3月に「三年祭」をお迎えになられますが、歳雄先生のご遺志を継がれ、類い稀なる国際感覚を揮(ふる)われて宗教協力にご尽力になり、また南アジア各地に孤児院や学校を建設されるなど、龍雄先生のご功績も枚挙にいとまがございません。
そしていま、歳雄先生の「われ永世」のいのちを龍雄先生を通して光雄先生、善信先生の中に見出すのは私だけではないはずです。
どうぞ、今後も三宅歳雄先生の偉大なるご精神を多くの若者たちの中に生み出し続け、よりよき未来を築いていただきますことを、世界平和実現を希求する宗教者の一人として心から願っております。