三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出
立正佼成会 会長
庭野日鑛

本年は、金光教泉尾教会の初代教会長であられた三宅歳雄先生が、帰幽なされて10年という節目の年にあたります。8月30日には、「十年祭」が執り行われると伺っております。この大切な節目の年を迎え、金光教泉尾教会の皆さまは、歳雄先生が念願しておられた「世助け、人助け」に向け、決意を新たにしておられることと存じます。

歳雄先生が帰幽されて、ほぼ1カ月後の平成11年10月4日、本会では、庭野日敬開祖が満92歳で入寂しております。歳雄先生と庭野開祖は、深い宗教的信念に結ばれた「盟友」といえる間柄でございました。同じ明治生まれの先達(せんだつ)が、時を同じくするように旅立たれたことに、お二人のただならぬ因縁、絆を感じたものであります。
庭野開祖は生前、歳雄先生について次のように述べておりました。

「私と共に、道なきところに道をつける苦労をされたのが畏友というか平和活動の大先輩ともいえる三宅歳雄先生であった。この大地には、もともと道というものはなかった。まず一人が歩く、また次の人が歩く。そうして道というものは、だんだん出来上がっていくものであろう。私よりも3つも年長の三宅先生が、難航する国際会議の席上、静かな激情と共に、宗教者のあるべき姿を、肺腑(はいふ)をえぐる言葉をもって語りかける光景は、洋の東西を問わず、宗教者の胸に鮮烈な印象を与えるものであった」

この言葉からも、諸宗教対話・協力の黎明期の中で、歳雄先生の存在が、庭野開祖にとってどんなに心強いものであったか、お二人がどれほど強い信頼感に結ばれていたかが伺えるのであります。

先達が切り拓(ひら)いてくださった諸宗教対話・協力による平和実現への道は、いまWCRP(世界宗教者平和会議)を中心に、世界的な広がりをみせております。その歩みをさらに力強く推進していくことが、私どもに託された使命であり、先達に対する何よりの恩返しといえましょう。

歳雄先生は、私にとりまして信仰の大先輩であり、折に触れてご指導を頂いてきた恩人の一人であります。会議などで同席させていただきますと、「宗教者は実践しなければならない」と、出席者に叱咤激励(しったげきれい)しておられたことを想い起こします。国際会議などの場でも、少しも臆することなく発言され、WCRP日本委員会の存在を世界にアピールしてくださいました。

私は、歳雄先生と最後にお会いしたときのことを、今も昨日のことのように覚えております。

平成11年3月29日、金光教泉尾教会で「平和のための宗教者研究集会」(WCRP日本委員会主催)が開かれました。会議の合間、私は、白柳誠一先生、西田多戈止先生と共に応接間で待機しておりました。

しばしお待ちすると、三宅先生が付き添いの方に両腕を支えられながらも、ご自身で歩いて応接間に入ってこられました。正直に申し上げ、かなりお疲れの様子でした。しかし私どもの前では、自らに鞭打つように、気丈に、ごあいさつをくださり、別れ際には握手までしてくださいました。大先輩の温かいお心に、万感胸に迫るものがございました。

そして8月31日、歳雄先生は、96年のご生涯を閉じられました。何かとても大きく、大切なものを失った思いがいたしました。9月3日には、ご自宅に弔問に伺い、奥の間で最後のお別れをさせていただきました。これまで永年にわたって頂いてきたご恩に、ただただ感謝を申し上げました。

弔問の際、応対してくださった龍雄先生も、残念なことに平成十八年3月28日、帰幽なさいました。その年の夏、京都で開催されることになっていた「第8回WCRP世界大会」への参加を、最期まで待ち望んでおられたことを、後日光雄先生から聞かせていただきました。本当に襟を正される思いがいたしました。

歳雄先生が道なきところに道をつけられ、龍雄先生がその道を広く、確実なものとされ、いま光雄先生、善信先生がそこに新たな息吹を注ぎ込んでくださっています。

金光教泉尾教会の皆さまが、そうした尊い道のりを継承し、諸宗教対話・協力による平和実現に向けて、一層力強く前進されることこそ、歳雄先生、そして龍雄先生が一番願っておられることでございましょう。

本会としましても、先達の願いを実現すべく、金光教泉尾教会の皆さまと手を携え、精進させていただく所存であります。

歳雄先生の「十年祭」という意義深い年にあたり、皆さまのご健勝、ますますのご活躍を祈念申し上げます。

戻る