金光教泉尾教会「大恩師親先生十年祭」



『開会の辞』

                        金光教泉尾教会 教会長
                             三宅光雄


三宅光雄師

本日は、故三宅歳雄大人を偲ぶ会にご臨席いただきまして、本当に有難うございます。今も司会が申しておりましたように、先程、泉尾教会にて『大恩師親先生十年祭』を仕えさせていただき、祭典の最後の「教会長挨拶」では、始めは一言だけご挨拶をさせていただこうと思っていたのですが、もう祭壇に上がった途端に、ただただ神様に神霊様に皆様にお礼を申す外なくなりました…。

今も松長猊下の隣で、「実はこの会場は五年前の『五年祭』の後の「偲ぶ会」も、このお部屋で、そして同じテーブルの数で、そしてご来賓の方々の数も今日と同じでさせていただきました」と、まったく一緒なのですね。ということは教会でも話したのですが、何ひとつ私がさせてもらっているのではないのですね。神様でありますし、神霊様でありますし、父の霊が一緒になってこの今日の『十年祭』、また「偲ぶ会」を、全てをさせていただいているのだと思わせていただきます。

お祭でも、祭詞で奏上させていただきました様に、「大恩師親先生・三宅歳雄大人」とは私の祖父で、祖父が15歳で玉水教会初代大先生のお育てを頂き、10年間教会修行をさせていただき、大先生のお祈りのままに泉尾の地に座らせていただき、それから82年、泉尾の地で布教をさせていただき、その間に先の戦争もありました。戦後の大変な時もありました。その中を、ただただ、「人を助ける」。その御用をわが身の御用と、そのことを自分の務めとされて、お広前に座り切られ、同時に個人の助かりは人類の共栄だと、世界平和を祈られました。特に晩年の祖父は、常に申しておりました。「神様いませばこそわれあり。玉水初代大先生いませばこそわれあり。親先祖の霊様のご信心あればこそわれあり」と。自分の存在そのものが神様のおかげであるし、信心のおかげであるということをずっと申しておりました。

私はその祖父・三宅歳雄の信心を少しでも自分の中身にさせてもらおうと、本当に足らん者ですが願わせてもらっております。本当に不十分なのです。何もできません…。そして何にも知らないのですね。全て、総長であります三宅善信と、教会人スタッフ、ご信者の皆さん方がしてくださっている。その上に乗っかっているだけなのです。そして何でもかんでも「親先生」と言っていただきます。

何にもできない私でありますが、これからも三宅歳雄の、そして三宅龍雄の信心を、わが信心として求め現させていただきますので、先生方にはどうぞご指導を下さいまして、後進を少しでも育ててやろうというお心で、今後とも宜しくお願いいたします。今日はお出ましをいただきまして、本当に有難うございました。


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