三宅歳雄師を偲んで(各界から寄せられたメッセージ)  
(順不同・敬称略)


■三宅歳雄先生の想い出

比叡山延暦寺 長臈
山田能裕

「大阪には、気骨のある三宅歳雄先生がいらっしゃるから」と、よく口にしていた山田恵諦天台座主は、日頃「宗教事情の厳しい大阪にあって、金光教の確固たる地盤を確立された歳雄先生の布教理念を、天台宗の若い僧侶は学ばなければならない。時代に生きる宗教の在り方を考え、実践するためにも」と、関西の天台僧に檄(げき)を飛ばしておりました。

そのためもあってか、私にとっても忘れることができない人の一人に三宅歳雄先生がいらっしゃるのです。

それは、行動する宗教者の集まりでもある世界宗教者平和会議(WCRP)に参加させていただき、あらためて、己の宗教的信念に従って、平和の構築に邁進(まいしん)される宗教者の熱意と行動に、自分の甘さを再認識すると同時に、行動することの大事さを実践をもってご指導くださったお一人でもあったからなのです。

腹の底から出る重たい声と少ない言葉数で核心を突く歳雄先生の話し方は、老若男女はもとより、職業や地位、さらに国を越えて人の心を捕らえるだけでなく、的確に方向付けをなさる力量の程に、あらためて深い教養はもとより、信仰と実践に裏付けされた自信が育てた品格のなせる業ではなかったか、と思っておりました。こんなことがありました。

カンボジア動乱(註:数百万人の自国民を殺戮(さつりく)した親中国の共産主義ポル・ポト政権が、ベトナムに支援されたヘン・サムリン軍によって1979年に崩壊させられた後、親ベトナムのヘン・サムリン政権が樹立されたが、それに対抗して、シアヌーク元国王派、ポル・ポト派、ソン・サン派が合従(がっしょう)して内戦が10年以上続いた)の折、歳雄先生もご昵懇(じっこん)だったクメール人民民族解放戦線(KPNLF)を統括するソン・サン元カンボジア首相の要望もあり、WCRPの難民委員会として、食料や衣料の他にクメール語による教科書や宗教書、さらにカンボジアの文化に関する図書の復刻と配布活動を国内のジャングルに避難する人たちに展開している時、歳雄先生が「(WCRP)役員の中に、(タイ領内の)難民キャンプなら解るが、(カンボジア)国内にあってベトナム軍に追われて点々と移動する避難民が対象ではその効果が上がらず、『金の無駄遣いでは?』という声がある。どうなんだ?」と…。

 「難民キャンプは国際法によって保護されています。しかし、国内に留まり、必死に生きようとする人たちには何処からも救援がないのです。かかる人たちを救援してこそ、宗教者として、またWCRPとしての面目が立つのではないですか」と申し上げたのです。すると即座に、「よし解った。しっかりやれ!」と、握手してくださった手の温もりと力強さは今もって忘れることはできません。しかし、歳雄先生が旅立たれて早や10年。さらに歳雄先生を師として敬い仰ぎ、その教えを守り布衍(ふえん)しておられた龍雄先生には、宗教指導者としての哲学を拝聴することを楽しみにしておりましたのに、歳雄先生の後を追われるように遷化され、今春で早や3年…。ご縁を頂戴できなかったことは誠に残念ですが、幸いに光雄先生が後継者として立派にご遺志を継承され、ご活躍の程を垣間見ますとき、あらためて龍雄先生のご遺徳を偲んでおります。

所詮(しょせん)この世は無常の世…。いろいろとご指導くださった先生方の大半が示寂された今、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり…」と、芭蕉の『奥の細道』の言葉を思い起こしては、混迷の昨今を、歳雄先生ならばどのようにご指導くださったか、思いは不況の世を駆け巡ります。

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