14年8月31日
『大恩師親先生十五年祭挨拶』
金光教泉尾教会
教会長
三宅光雄
三宅光雄師 |
只今は共々に「大恩師親先生十五年祭」を拝ませていただきました。玉水教会長先生、また、ご本部から金光先生、大阪府連盟の難波教会長先生、さらに大阪センターのご代表の先生を始めご来賓の先生方。そしてご縁を頂いておりますお教会の先生方のご参拝もいただき、このように「大恩師親先生十五年祭」を頂かせていただいて、本当に勿体ないことだと思わせていただき、今も一番前の列でご霊舎の大恩師親先生のお写真を下から拝ませていただきまして…。
15年前の8月31日の夜にご帰幽になったのですね。午後7時57分。大恩師親先生は14歳で玉水教会にご修行に上がり、24歳から72年間、この泉尾の地でお座りくださった。そのおかげ様を持ちまして、私自身、今日こうしてここにおらせていただいているわけでございます。
確か私が高校3年生の時でしたが、大恩師親先生に、その当時は親先生とこうお呼びしておりました。「親先生、泉尾教会のご信心を一言で教えてください」と、こう申したことを思い出しました。勿論今ならそんなことは勿体なくて申せませんが、まだ訳も分からん高校生に、その時におっしゃった大恩師親先生のお言葉。そしてお顔もお声も思い出すのですね。それは「人が助かる教会」。
「人が助かる教会」としかおっしゃらなかったし、またそれだけなのです。「人が助かる教会が泉尾教会だ…」。このようにおっしゃったお声まで今思い出し、そのお祈りのおかげ様で、この不徳な、不十分な私が助かりの道を歩ませてもらっている。本当に勿体ないことだと思わせていただいております…。
私も学院を出させてもらって36年になりますが、まだ二十歳代の頃に、もう30年以上も前ですが、私にも、皆さん方にもよくこのお話をされましたね。それは、「思いの強まったものを願いと言い、願いの強まったものを祈りと言い、祈りは命」。こうお教えくださったのですね。当時の私には、その言葉だけしか分からなかったような気がします。また今も分かっているとは思っておりません。大恩師親先生のお思いのお祈りの強さ…。このお祈りにお応えさせていただくのが、御神縁を頂く私共の、今日の御祭の一人ひとりの中身にさせていただかなければいけないことだと、そう思わせていただくのですね。本当にそう思います…。
今日はあらためて皆さん方もこのご霊舎の上の大恩師親先生のお写真を拝ませていただき、皆さん見えているでしょう。時には微笑んで、時には厳しく。私には御祈念をさせていただくと、そのように見せていただくのですね…。しかしどんな場合でも「助かりの道を歩め」と、このように祈ってくださっているお声が聞こえてきます。
私は不十分なことで、大恩師親先生に「喜びに喜びを、お礼にお礼を、お詫びにお詫びを重ねなさい」。「有難うに有難うを重ねた時に初めて、最初の有難うが有難うになり、重ねた有難うが生きるためには、もう一度有難うと重ねるのですよ」ということを、事あるごとに教えていただいているのに…。まあ形だけの「有難う」は言えているかも分かりませんが、重なっていないですね。更にもう一度重ねるなんてとんでもない。全くできていない自分というものを、今あらためて思うのですね…。
私は一昨日イギリスのバーミンガムより戻ってまいりました。泉尾教会から17名の方々と共に、更には日本全体では100人を超える人々が、IARF国際自由宗教連盟の世界大会へ…。私はIARFの会長としてその大会を主催し、25カ国から300人という参加者の、私はその責任者としてイギリスのバーミンガムに行かせていただいておったのですが、なぜ大恩師親先生の大事な「十五年祭」の前に、こんな大切な行事が重なったのだろうかと思っていたのですね。その日程は私だけでは決められませんから。それというのも、IARFにはヒンズー教もイスラム教もキリスト教もユダヤ教も、いろんな宗派の方々がおられます…。この日は集会をしたらいかん日。この食物は食べたらいかんとか、いろんな戒律があって、結果、その日にしかできなかったのですね。「よりによって何故こういうことになったのだろう…」と、7月の中旬まではそう思っておりました。ふと気付いたのですね。違う、わざわざ神様がこの日を重ねてくださった。わざわざ重ねてくださったのだ…。「喜びに喜びを、お礼にお礼を重ねなさい」と教えられているのに、私はそれを…。だから私にわざわざ重ねてくださった…。
大恩師親先生が1969年に、立正佼成会の庭野先生と共にこのIARFに正式加盟をされて、まさか19世紀から続く、世界で最も権威のある、国連の経済社会理事会の特別諮問資格のあるNGOの、その団体の会長に孫がなるなんてことは思っておられなかったと思うのですね。その御用を私は頂いているのに…。これこそは、わざわざ「大恩師親先生十五年祭」にそれを重ねてくださったのだと、そう思わせていただくようになって、本当に勿体ないこと、勿体ないことだなと…。ただただそのように思わせていただいて、今日を迎えさせていただいたのですね。
イギリスのバーミンガムは最高気温が20度で、夏なのにコートで歩いている人もおられました。世界は広いですね。日本に戻らせてもらって、帰ってくるなり教会所員が、「親先生、明後日の天気予報は雨になっております」…。「雨ですか…」。「どの天気予報を見ても雨です」…。
「よっしゃ、おかげ頂いた」と思ったのですね。 雨なら必ず、もう雨以下はないのですからね。好都合(晴れ)のおかげを頂く御祈念を皆で今からしよう。何とその私の、小さな一の願い(御祈念力)に、大恩師親先生の100のお徳を足してくださって、そして偉大な神様のおかげをもちまして、今日は傘いらずのおかげを頂きました…。
さあ、今日から、今からはこの「願い、祈り」をしっかりと持たせていただいて、せめても大恩師親先生の神霊様にご安心いただける中身を、私共一人ひとりが頂かせていただくことで、今日の御祭の中身とさせていただきたいと思います。