14年8月31日
『三宅歳雄大人・三宅ツ子姫を偲ぶ会挨拶』
金光教泉尾教会
教会長
三宅光雄
三宅光雄師 |
有難うございます。本日は金光教泉尾教会先々代教会長、私の祖父に当たります三宅歳雄大人(うし)、祖母の三宅ツ子姫(ひめ)の、それぞれ十五年、二十年の「偲ぶ会」にお出ましを頂きまして、本当に本当に有難うございます。
本日、先程まで金光教泉尾教会に於きまして、「三宅歳雄大人十五年祭」を仕えさせていただきました。その時にも話をさせていただいたのですが、私共の教会の霊舎の上に、三宅歳雄大人の大きな写真があります。私共の教会では三宅歳雄大人を大恩師親先生とお呼びしておりますが、その大恩師親先生のお写真があるのですね。だいたい畳一畳くらいの大きさです。そのお写真を私はお広前の一番前の列であらためて拝ませていただきますと、「しっかりせい、頼むよ」とおっしゃっておられるのですね。
実は今日、先生方にはお帰りの際にお持ち帰りいただきますが、この度記念の本を発刊させていただきました。これで10冊目になります。そしてその1冊ずつの本に名前があります。「聖地泉光園御神願成就」です。大恩師親先生は戦後約3万回、三宅歳雄は3万回ご教話をされました。毎日です。毎日です。そのご教話を教話選集として10回に分けて、本にさせていただいています。今回は「就」ですね。御晩年の91歳から96歳までのご教話。その一番最後の最後。96歳の4月。お国替えをされたのが8月31日ですから、その4ヶ月前の4月でございます。その4月のご教話。一番最後の最後のページ。その終わりの3行に「『頼む、頼む』と頼みきる以外にない私です…。」という文が出てまいります。その直前には、「二代先生に頼み、三代先生に頼み、皆に頼み」そして、「頼む頼む…」となるのですね。それがご教話の最後の最後の…。3万回ご教話をされた一番最後の中身でありました。その「頼む」ということを、私は今日あらためてお写真を見させていただいた時に、「今なお頼んでおられる」…。
思っておられる。願っておられる。祈っておられる。それだけではないのですね。師匠の方から土下座をして頼んでくださっているのです。では弟子の私はそれをどう頂くのか。何と不徳な弟子だな。師匠が頼んでくださっているのに、そのことに応えることができていない。本当に申し訳ない。このように思わせてもらって、御祭を頂かせてもらって、そして会場のこのリーガロイヤルホテルに来させてもらいますと、今度はこのお写真。お2人が並んで微笑んでおられる。
数ヶ月前に係の人(業者)に言われたのですね。私は教会では「親先生」と呼ばれています。偉いから親先生ではないのですよ。教会長だから親先生…。その人が、「三宅歳雄先生とツ子(つね)先生の、お二人が揃って、こちらを見ている笑顔の写真を探してください」…。そんな写真、ほとんどないのですよ。お一人お一人の笑顔の写真はある。笑顔であっても、あっちを向いたりこっちを向いたりしておられる写真はある。しかしお2人が同じ方向を見て笑顔の写真はそんなにないのですね。それに今回気付いたのですね。それでこの写真を6月頃でしたか選ばせてもらったのですね。そして業者にお任せして、今日ここであらためて見させてもらったのですね。今度は笑顔ですよ。私はこの笑顔の中身を、今度はしっかり頂かないといかん。このように思わせていただきました。
勝手な話ばかりさせていただきました。本当はここでお礼ばかり申し上げなければいけないところを、私の思いをお話しさせていただきました。本当に不十分ですが、三宅歳雄、三宅ツ子に祈られて願われて…。祈られた者として、これから少しでもお礼をさせてもらえる私。お礼というのは、実はこれも今日泉尾教会でお話しさせてもらったのですが、私が高校生の時に聞いたのです。大恩師親先生に「泉尾教会ってどんな教会ですか」とお尋ねしますと、「人が助かる教会。ただそれだけ」。逆に言うと、人が助からなければ泉尾教会ではないのです。その教会の御用の場に置かせてもらう者として、これからはあらためて、一からさせていただきますので、どうぞ先生方、ご指導ご鞭撻を頂けますようにお願い申し上げまして、今日のご挨拶とさせていただきます。
またこの後直ぐ、私が勝手なことを言ったのです。だからホテルも困り、教会の係りも困った(時間が足りなくなる)のですが、ご出席の先生方お一人お一人に「献花」をしていただきたいのです。お一人お一人いろいろなお思いで出席してくださいました。時間はかかりますが、お一人お一人に献花をしていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。有難うございました。