■人言うべきことは言い、為すべきことは為す
庭野日鑛師 |
本日は、「御布教八十年記念大祭」を迎えられましたこと、誠におめでとうございます。ご指名により、一言祝辞を申し述べさせていただきます。
私どもの立正佼成会は、来年、七十周年を迎えようとしておるところであります。金光教泉尾教会は、私どもよりも11年前、すでに三宅歳雄先生によってご布教の第一歩が標され、人心の救済、平和な世界に向けた先進の役を務めてくださっていました。そしていま、80年という大きな節目を迎えられたことに、後進の者として、改めて深く敬意を表したいと存じます。
私事になりますが、私は私どもの教団が創立した年に生まれましたので、今年、いわゆる古希を迎えたことになります。一般的には、そろそろ隠居生活を考え始めるような年代といえますが、しかし、こうして諸宗教の先生方とご縁を頂いていますと、数え年で70歳などは、まだまだ若輩という気がしてなりません。歳雄先生は、96歳で帰幽される直前まで、ご布教なさっておられました。昨年、帰幽された龍雄先生も同様でございました。そうした先達の方々の生き方を通して、私自身、大きな力を与えられ、また新たな精進の糧とさせていただいているところであります。
金光教泉尾教会は、これまで国内外の諸宗教対話・協力に大きな貢献をなさってこられました。昨年8月、京都で36年ぶりに再びWCRPの世界大会が開かれましたが、歳雄先生は、WCRPの生みの親の1人でございました。国内外の会議などでは、常にはっきりと言うべきことは言い、為すべきことは為す。という姿勢を貫かれ、他の宗教者に大きな影響を与え続けられました。その姿勢を、龍雄先生が引き継がれ、現在では、光雄先生が継承しておられます。歳雄先生が、80年前、「人よ幸いであれ」と願い、ご布教を始められたその情熱と信念、行動力が、いまもしっかりと生き続けているのであります。
近年、国際的には紛争やテロが相次ぎ、国内でも自殺や殺人が日常化しております。神仏から授かった尊いいのちが、これほどまでに、ないがしろにされている状況は、現在を生きる宗教者として決して見過ごすことはできない問題であります。
そのような意味においても、金光教泉尾教会の三宅光雄先生をはじめ、信徒の皆様が、本日を機に、歳雄先生が布教の道を歩まれたご真意・ご精神を再確認されて、世のため、人のため、ますますご活躍あらんことを期待する次第であります。
「御布教八十年記念大祭」という、よろこび祝う・慶賀すべき良き日に、祝辞を述べる機会を与えられましたことに感謝いたします。皆さま、誠にありがとうございました。
■人類史的課題への挑戦に向かえる方
世界連邦運動協会 会長代行
ジェームス・クリスティ
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クリスティ博士
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三宅先生、本日ご参集の皆様。誠におめでとうございます。栄えある金光教泉尾教会の布教八十年記念大祭に際しまして、WFM(世界連邦運動協会)の会長代行(理事長)として、また、カナダ教会協議会の会長として、ひとことご祝辞を申し上げさせていただきたいと存じます。これもひとえに、私が三宅歳雄先生から格別のご厚誼を賜っていたからのことと感謝申し上げます。
非常にハッキリと覚えているのでありますが、15年ほど前に、当時WFMの名誉会長をされていたノルウェイのエドラール主教と私は、三宅歳雄先生を交えて、「宗教」と「平和」と「世界連邦主義」とのバランスの取り方の難しさについて議論したことがありました。その時、私は、お2人の偉大な先生方の議論の足許にも及ばないことを痛感いたしました。
三宅歳雄先生は、本日八十周年を迎えられるこの素晴らしい泉尾教会を築き上げられただけでなく、その世界連邦運動に与えられた影響の大きさと、WCRP(世界宗教者平和会議)の創設に貢献された業績の偉大さは、言葉で言い尽くすことができないほどであります。
キリスト教世界では、宗教と政治の複雑な問題については、「カエサル――つまり、カエサルはローマの皇帝のことですから、政治的な支配構造という意味です――カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」という有名なイエスの言葉を例に挙げて、巧妙に「棲み分け」を図るというか、政治的・社会的な問題(不正義)に対して宗教者が見て見ぬふりをしてしまう傾向がありました。しかし、三宅歳雄先生は、この宗教者の弱点にもズバリと踏み込んで、「現代世界において、宗教者こそカエサルになってしまっている。これではいかん!」と力説されました。
三宅歳雄先生の業績は、かの有名な神学者ハンス・キュンク博士の言葉、「宗教間の平和なくして、国家間の平和なし」をいみじくも実証されているということです。さらに言わせていただければ、金光教泉尾教会がこれまで行ってこられた世界平和達成への努力と、国際正義実現への絶え間ざる貢献こそが、まさにキュンク博士の主張の具現化に他なりません。
さらに、世界的な宗教学者のカレン・アームストロング博士が最近刊行された著作『偉大なる転換点:宗教的伝統のはじまり』によると、人類文明の曙の時代、つまり今から3000年ほど前に遡りますが、世界の各地にほぼ同時的に、釈迦やソクラテスやイエスや孔子といった精神的・宗教的思想家が現れて、それ以前の何事も暴力で解決を図るという時代から、今日に繋がる精神的進歩を見たのであります。それはあたかも、ドイツの哲学者であるカール・ヤスパースが『Axial
Age(軸の時代)』と呼んだ人類の精神文明飛躍の時代でありましたが、今こそ、その再来が求められております。
私は、金光教泉尾教会と今は亡き三宅歳雄先生の後継者である三宅光雄先生こそが、この人類史的課題への挑戦に向かえる方だと確信しております。私の記憶が確かならば、私がはじめて三宅歳雄先生にお目にかかったのは、1987年にフィラデルフィアのペンシルバニア大学で開催された世界連邦運動協会の第20回世界大会の時のことです。アメリカの著名な反戦ジャーナリストのノーマン・カズンズ氏と共に、あるいはカズンズ氏を上まわる勢いで、三宅歳雄先生が人々に平和を訴えておられた様子が、私の目に焼き付いています。
私は、三宅歳雄先生をおいて、キュンク博士の理念を実際に体現された人間を知りません。キュンク博士はその著作の最後の部分に、ラテン語で3つの希望を提示しました。すなわち、「諸教会間の一致を望み、諸宗教間の平和を望み、諸国家間の協調を望む」ということです。
私は、三宅歳雄先生のご功績と先生の遺産とも言えるこの素晴らしい教会の皆様が、これらの人類史的希望を実現させていく礎となられることを祈りたいと思います。ご清聴、有り難うございました。