神社本庁 総長
石清水八幡宮 宮司
田中恆清
本日は、初代親先生三宅歳雄大人之命が、この泉尾の地で金光教泉尾教会の布教を始められてから90年という節目の年をお迎えになりました。昭和2年の1月とお聞きしております。その後、親先生は多くの信奉者の方に道を説き、今日に至るまで、次代を継がれた龍雄先生、そして平成18年から教会長をお務めの光雄先生と、親子孫三代にわたっての布教活動によって、このように多くの信奉者が一堂に会されて記念の大祭をされましたことを、まずもって心からお祝いを申し上げる次第でございます。
今日はご来賓諸大徳の方がたくさん居られる中で、最初に私に挨拶の機会を与えていただきまして、大変恐縮をいたしております。ご紹介にございましたように、私は全国に約8万の神社がございますが、これらの神社を包括しております神社本庁の代表役員である総長をしております。また、京都南部にございます石清水八幡宮の宮司をしております田中でございます。
光雄教会長様、そして善信総長様には、常に私どもと共に諸宗教対話と世界平和の実現のためにご尽力を頂いているところでございます。特に宗教間協力の対話促進の先頭に立ってご兄弟であたっておられますこと、敬服至極でございます。私も今、宗旨宗派を超えて結成された世界連邦日本宗教委員会の会長職をお預かりしておりますが、世界連邦運動にも、光雄先生、善信先生お二方で常に足を運んでいただき、1日も早い真の世界平和実現のために大変なご尽力をいただいております。
私ども世界連邦日本宗教委員会では、もう間もなく結成50年を迎えようとしておりますが、当初より世界平和を祈念し、さまざまな行事等を催させていただいております。年間諸行事の中で私どもが最も力を入れ、そして共に歩んでおりますのが、8月4日の比叡山における宗教サミットの世界平和の祈り、そして6日の広島の原爆犠牲者の慰霊祭式典、さらには同じく8月8日の夜に宗派を超えて行われる長崎の原爆犠牲者慰霊式典、そして8月15日には沖縄の平和祈念堂における諸宗教との祈りと平和の集いにも参画させていただいております。
12月7日には、皆様ご承知のように、パールハーバー(真珠湾)開戦の日(現地時間)でありますが、この日にも私どもは平和使節団を結成いたしまして、毎年続けてパールハーバーに慰霊の旅を続けております。日米双方の戦没者の御霊に対し、心から追悼の誠を捧げる運動を35年間続けてまいりました。ご存知のように日米開戦、すなわち真珠湾攻撃があってから75年という年を昨年12月に迎えました。それを記して私共も35回目の平和記念使節団を派遣し、彼の地で米国が主催する慰霊式典に参列し、私は皆様を代表して平和のための祈りとスピーチをさせていただきました。35年という長い年月がかかりましたが、ようやく双方の心の中に滞っていたわだかまりが解け、互いに和解と寛容の精神で、これからの世界を平和に導いていこうという合意ができたと私は思っております。
その最も大きな形のひとつが、昨年の12月27日、同じくパールハーバーで行われました日米政府合同の慰霊式典。オバマ大統領と安倍総理の平和への声明文(ステートメント)が発表されるあの歴史的な場に、私も世界連邦日本宗教委員会の会長として、外務省からお招きを受け参列してまいりました。パールハーバーは、今まである意味、怒りと戦争への思いの発露としての場でしたが、かつて敵と味方であった者が75年という長い歳月を経て、ようやく共に気遣い、共に世界平和を希求する場として、昨年の12月27日のステートメントを以て、あの場所は、まさに敵と味方はお互い和解することができるということ、共に世界平和のために力を合わすことができるという歴史的意義を含めたあの催しが行われた訳でございます。35年間にわたり続けてきたパールハーバーへの平和使節団。私どもが歩んだその道を、安倍総理が同じく慰霊の心を持ってそれぞれの犠牲者を悼まれ、そして心からの追悼を捧げられた。私どもの運動は間違っていなかった……。そのように確信した次第でございます。
本日ここにお集まりの皆様方には、三宅光雄教会長を中心として、初代親先生の御教えをこれからもこの世の中に実現するために、高い席からではございますが、ご精進されますことを私からもお願い申し上げ、今日お集まりの皆様方のさらなるご健勝ご多幸をお祈り申しあげ、一言、本日の記念大祭にあたっての私の言葉とさせていただきます。有り難うございました。
融通念佛宗 管長
総本山大念佛寺 法主
ただ今、ご紹介をいただきました大念佛寺の倍巖と申します。本日は、金光教泉尾教会様の御布教九十年記念大祭にお招きをいただきまして、大変有り難く光栄に存じております。金光教様の教えはずいぶん古く、安政六年に金光大神様が布教を始められ、おおよそ160年になるかと思います。
さて、この金光教泉尾教会様は、昭和2年に三宅歳雄大先生がこの地において布を始められました。「昭和2年」と申しましても、大正15年12月25日に大正天皇が崩くなられたため、実は昭和元年は、わずか1週間ほどでございます。ですので、昭和2年というのは、本当に昭和の始まりなんです。
当時、世の中は第1次世界大戦が終わり、「もう戦争は止めておこうやないか」と軍縮の時代に入っていました。ところが、日本では金融恐慌という大変な時代になっており、東京の渡辺銀行が潰れてしまったことから取り付け騒ぎが起こり、世の中は非常に混乱していました。そのような時に、三宅歳雄大先生が泉尾の地におきまして金光教泉尾教会を始められ、旧来の
歳雄先生の後を、二代目である龍雄先生が継がれましたが、龍雄先生は初代教会長を長きにわたって助けられ、初代教会長様が全国、全世界を駆け回ってご活躍されるのを陰から支えられました。現在は、三宅光雄先生が三代教会長として後を継がれ、また、教会長先生の弟である三宅善信先生が総長として大変ご活躍なさっておられます。私どもにもいろいろとご教導くださり有り難く思っております。
本日は、このような立派な大祭にお招きいただき、大勢の参拝者の前でご挨拶をさせていただきましたこと、大変光栄に思っております。泉尾教会様には、これからもますますご発展いただき、人々に安心を与え、世の中の平和のためにご活躍されますことを心より祈念し、ご挨拶に代えさせていただきます。有り難うございました。