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柳本卓治 参議院憲法審査会長

ご来賓スピーチ(祝宴)

お祝いの言葉(敬称略)

参議院憲法審査会長
柳本卓治

ただ今ご紹介を賜りました、初代親先生、二代親先生、三代親先生にご指導を頂いております柳本卓治でございます。本日は、泉尾教会御布教九十周年おめでとうございます。光栄あるこのような立派な会の場で、挨拶の機会を賜ることなど夢にも思っておりませんでした。これほど身に余る光栄はございません。

先程来からのお話と重なりますが、90年とは大変な歴史でございます。昭和2年1月から徒手空拳で今日までこの泉尾の地で布教活動をされ、大きな大輪の花を咲かせ、人類共栄の輪を広げていただいていることに敬意を表する次第でございます。私にとって、初代の親先生は雲の上のような存在でございますが、二代目の龍雄先生、現教会長の光雄先生には、いろいろとご愛顧、ご指導を頂き、何かと気に懸けていただき、家族のような有り難いお導きを頂いております。教会のほうにも毎年ご挨拶にお伺いし、悩みを聞いていただき、ご指導を頂いております。

今まさに大寒の最中でございます。論語に「歳寒松柏(さいかんしょうはく)」という言葉がございますが、大寒の中においても松や柏(かしわ)の葉は常に美しい緑色を保っています。この泉尾教会は、私どもに普遍の心、苦しい時も信念を曲げない心へと導いてくださっていると考えています。今、世界は大きく変わろうとしています。どのような世界になってゆくにせよ、大変です。時代が瓦解するのか、立派な日本が世界を創っていくのか…。

今後とも、この泉尾の教えを広めて行き、歳寒松柏のような普遍の精神で、これからも私たちを導いていただきたいと思います。歳雄先生、龍雄先生…。光雄先生には奥様の孝子様、そして善信先生、修先生、そして立派なお嬢さん方が付いておられます。三宅先生は、私どもにとりましては本当に有り難い救いの神様でございます。泉尾教会のますますのご発展を心からお祈り申しあげ、お祝いの言葉とさせていただきます。


川端健之 立正佼成会理事長

ご来賓スピーチ(祝宴)


立正佼成会 理事長
川端健之

よろしくお願いいたします。立正佼成会の川端でございます。金光教泉尾教会御布教九十年記念大祭にお招きいただき、さらにはこの祝賀会でご挨拶の機会を賜りましたことに深く感謝申し上げます。本来ならば、会長の庭野日鑛がご挨拶を申し上げるべきところでございますが、残念ながら出席が叶わず、僭越ではございますが、一言ご挨拶申し述べさせていただきます。

初代教会長であられた三宅歳雄先生と、私ども立正佼成会の開祖庭野日敬は、深い宗教的信念に結ばれた盟友とも言える間柄でございました。庭野開祖は生前、歳雄先生につきまして次のように著書で述べております。「私よりも3つも年長の三宅歳雄先生が、難航する国際会議の席上、静かな激情と共に宗教者のあるべき姿を肺腑をえぐる言葉を以て語りかける光景は、洋の東西を問わず、宗教者の胸に鮮烈な印象を与えるものであった」。実は、私も若い頃に10年あまり庭野開祖の秘書を務めていたことがございまして、WCRPの国際会議の席上で発言される三宅歳雄先生のお姿を何度か拝見する機会をいただきました。その迫力たるや、今もはっきりと脳裏に焼き付いております。

平成26年の秋に、泉尾教会様から『三宅歳雄教話選集』という10冊ビッシリと詰まった大きなボックスが届きました。これは、大変な贈り物でございました。拝読して特に印象に残ったのが、昭和56年6月21日の青年大会の教話でございました。『泉尾青年の一人ひとりに、私は合掌しつつ頼みたい。「なんでも!」の祈りをもって雄々しく生きぬいてもらいたい。大願を打ち立てて、素晴らしい生き方をしてほしい。その道は決して甘いものではない。歯を食いしばって、辛抱することが要る…。なんでもの願いの実践者である泉青とは、たとえ世間の人が皆、「不可能」とするところでも、それを可能にしていくメンバーである。難儀のど真ん中で、神一心に祈り縋りつつ、一寸(ちょっと)のこともよい加減にせず、真正面から取り組んでいく勇み人の集まりである。説明や言葉の信心、頭の信心ではなく(あかし)の信心、行動の信心をしてください。目先のこと、自分だけの幸せだけでなく、他を祈り、他を助ける祈りを持つこと。そこから争いのない世界建設、人類の幸いのために奉仕することが、お互いの神様から頂いている使命である。天地金乃神が「頼む」と仰せられているところである。課せられている使命である。理屈を言うている時ではない。この身を張って世助けの証を示さねばならぬ時である。それが急がれている。泉尾青年は、一人ひとりが私の子である。かけがえのないわが祈り子である。諸君が奮起されることを頼む。私そのために喜んで諸君の踏み台にならせていただく。諸君のために、私のすべてがある…。私は今も、青年と共に歩む一求道者である。今なお、24歳の青年教会長である…。諸君、お一人お一人の傍に、この私がぴったりと寄り添っていることを判ってもらいたい…。あらゆる人に生きる力を、あらゆる人に生きがいを、生かされがいのある道を…。その祈りが永遠である。泉尾の信心は永遠の祈りを持っていただくことにある。「わが子に、わが孫に」と、受け継がれてゆき、「雄々しく堂々と生かされるように」との祈り…。この永生の道を求めていくことが、泉尾教会の信心である』。少し欲張って長く読ませていただきましたが、何処も省けないですね。泉尾教会の信徒の皆様、とりわけ泉尾青年を前にして胸の内を切々と語りかける三宅歳雄先生のお言葉のひとつひとつに、私のような門外漢でも心を揺さぶられるような思いがいたします。昭和2年の御布教開始以来、90年にわたる金光教泉尾教会の歩みを確かなものにしてこられた、二代教会長三宅龍雄先生、三代教会長三宅光雄先生、三宅善信総長先生、そして金光教泉尾教会の信徒の皆様に心からの敬意を表するものでございます。本日は誠におめでとうございます。有り難うございました。


井桁雄弘 大阪府佛教会会長

ご来賓スピーチ(祝宴)


大阪府佛教会 会長
井桁雄弘

ただ今ご紹介を頂きました大阪府佛教会の井桁でございます。高いところからではございますが、一言お祝いを申し上げたいと思います。本日は、金光教泉尾教会様のご布教九十周年、本当におめでとうございます。先程、泉尾教会で執り行われました荘厳なお式に参列させていただき、心洗われる思いがいたしました。本当に有り難うございます。

先程からいろんなお話がございましたが、歳雄先生が恩師のご命により、昭和2年という大変な時期に泉尾教会を立ち上げられ、72年間の長きにわたって布教され、そして二代目の龍雄先生もご尊父の遺志を継いで頑張ってこられました。昭和22年には、国境を越え、人種を超え、宗派の壁を超えて、世界の幸せを願って、国際宗教同志会をお創りになられました。現在は、光雄先生と善信先生が、力を合わせて先達の跡を継がれています。私たちはまだ10年足らずのお付き合いですが、いろんなご教導を頂いて本当に喜んでおります。私たちは大阪府佛教会ですが、大阪府宗教連盟での交流をきっかけに金光教さんの教えも頂いて「少し、心の幅が広がったな」と喜んでおります。

さて、世界はさらにいろんな形へと変わってまいります。つい昨日、ドナルド・トランプさんが第45代アメリカ合衆国大統領に就任されましたが、何やらトランプゲームになりそうな感じがいたします。良いカードが出れば良いですが、悪いカードが出れば大変なことになります。それでも私たちは清らかな気持ちで、世界がひとつにならなければならないと思います。

今年は酉年でございますが、金光教さんの大きな翼で、世界に羽ばたいていただいて、今年1年、光雄先生、善信先生のご教導を頂いて、皆が仲良く幸せに、そして世の中が平和で明るくなることを切に願い、粗辞ではございますが、お祝いの言葉に代えさせていただきます。本日は、本当におめでとうございました。


岡野正純 孝道教団統理

ご来賓スピーチ(祝宴)


孝道教団 統理
岡野正純

ご紹介いただきました、孝道教団の岡野と申します。本日は、泉尾教会の布教九十周年ということで、大変おめでとうございます。祝宴に先立ち、式典にも参加させていただきましたが、本当に素晴らしく、感銘を受けた次第でございます。

泉尾教会様と私は10年近いお付き合いでございまして、このような形でお祝いの言葉を述べさせていただくのは大変恐縮でございますけれども、ただ、光雄先生とは普段から非常に親しくさせていただいております。「宗教者有鄰(ゆうりん)会」という会がございまして、約4年前に光雄先生が発起人となられまして今もリーダーシップを取っていただいるのですが、9名の教団のリーダーの集まりでございます。本当に親しく、いろんな形でお付き合いをさせていただいておりまして、定期的にいろいろな会合の場を持ち、互いに学び合い、切磋琢磨する会でございます。

会の活動を通して、お互いのこともよく理解するようになりましたが、それと同時に、家族のことなど個人的なことに関してもお互いに深い部分で知り合うようになりました。光雄先生は本当に家族思いの方で、ご家族も愛情溢れ、互いに支え合う関係であると伺っております。特に、光雄先生は奥様と大変仲が良いらしく、どれぐらい仲が良いかは本日この場でちょっと申し上げられないことでございますが、それぐらい仲が良いそうです。世の中、夫婦が仲が良いということは当たり前のことではございません。光雄先生ご夫妻が色々な形でお互いを支え合い、思いやりを持って接する日々のご努力があるからこそ、あのように仲がよろしいのではないかなと思います。

また、今日は3人のお嬢様が大変活躍されていますけれども、ご両親とお嬢様たちも愛情溢れる関係がございまして、普段から拝見していまして素晴らしいと思っております。実は、光雄先生に「何故、そんなに素晴らしいご家族なんですか?」とお聞きしたことがありますが、光雄先生から、ご自身がご両親の深い愛情の下、3人のご子息が育ったとお聞きしております。そのような大変素晴らしいご家族の中で、3人のお嬢様方が今度の百周年に向けて中心的存在となり、泉尾教会を引っ張っていかれることだろうと思っております。最後になりましたが、皆様方のご健勝、そして泉尾教会のますますのご隆昌を祈念申し上げ、粗辞ではございますけれどもお祝いの言葉とさせていただきます。本日はおめでとうございました。


宍野史生 神道扶桑教管長

ご来賓スピーチ(祝宴)


神道扶桑教 管長
宍野史生

神道扶桑教の宍野でございます。こうやって皆様と一緒に周年をお祝いできるのは良いですね。本日はお呼びいただいて、本当に有り難うございます。共に楽しい時間を過ごす幸せを感じております。

私たち神道扶桑教は、金光教様と同じ教派神道でございます。そういう意味では金光教は兄貴分でございますから、今日私のお役目は「ちょっとは俺のことを褒めろよ」ということだと思っております。金光教さんは約160年の歴史があると聞いております。そして、この泉尾教会は90年…。私どもは明治6年頃から活動を始めたものですから、布教145年ぐらいになります。学術的に申し上げますと、金光教さん、今日もお見えになっている黒住教さん、天理教さんは「日本三大新宗教」と言われていますが、これほど年を重ねてくると、「フレッシュ」とか「将来を期待する」という言葉が似合わなくなってまいります。かといって、伝統的かとなると、それを達成する前の成熟過程にあると言えます。

ですので、私たちは長い教団史において、実は非常に難しい一時期を預かっているのだと思います。そこで三宅先輩が「皆、一度集まろうじゃないか。皆、それぞれに悩みもあるだろうけれど、お互いに話し合い、聞き合い、助け合って、将来必ず一緒に歩んでいこう」という発想の下、先程、孝道教団の岡野先生のお話にもありました「宗教者有鄰会」ができたのであります。まさに、この親分肌の三宅兄さんが皆に声をかけて、「俺らが引っ張ってやるから付いて来いよ」ということで、手を引かれながら現在に至っております。まさに論語の「有鄰」ですね。「徳は孤ならず 必ず鄰有り」この命名も三宅兄さんが付けてくださったということであります。

私どもは、この厳しい時代を未来に向けて漕いでいくというところに至って、これからも一生懸命力を合わせてやっていきたいと思います。本日お出ましの諸先生方、諸先輩方、どうか私ども若造にもひとつお導きを賜りまして、将来少しでも明るく情操豊かな日本となるようにお役を頂戴したいと思っております。金光教泉尾教会の皆様方、教会長を先頭に、洋々たる未来に向けて、ますます進まれることを心からお祈り申しあげ、一言お祝いとさせていただきます。ご一同様、おめでとうございました。


島薗 進 コルモス副会長

ご来賓スピーチ(祝宴)


コルモス 副会長
島薗 進

ただ今ご紹介に預かりました島薗でございます。泉尾教会様におかれましては、布教九十年本当におめでとうございます。「コルモス」というのは、「現代社会における宗教の役割研究会」という大変な歴史のある会でございますが、その副会長を承っております。私自身は宗教学を長い間学んでまいりまして、日本の宗教について考えながら、現代社会における宗教の役割を考えるということをやってきたものですから、コルモスという会の中でもお役を頂いているということでございます。

宗教学を学び始めた頃、最初に日本人の中から生まれてきた宗教を知りたいと思いまして、それがいろんな宗教と接点はあるけれど、信仰心を持たない自分にとって身近に感じられる宗教は何だろうということで、二十代の時に天理教と金光教の教祖の研究をさせていただきました。これが今でも自分の宗教観の基本を作っていると思っております。東大の指導教官であった柳川啓一先生などのお力によるものですが、金光教のご本部を伺いました。そして、金光教の教祖の生涯についてしっかり勉強したい。と同時に、「今、金光教がどのような活動をしているかを知りたい」ということで、ご本部から3カ所の教会を紹介していただき伺わせていただきました。これが1970年代ですから今から40年ぐらい前のことです。その時に、泉尾教会に伺わせていただきました。当時、私は26、7歳の青二才でございますが、その時三宅歳雄先生が実に丁寧に私を迎えてくださり、諄々というか、切々と「自分の信仰とはこういうものである。君はしっかり勉強するように」といったことをじっくりとお話しくださいました。それは私にとって大変な感激でございました。「この方は何か凄いものを持っているな」という風に思い、その後いろんな機会に三宅歳雄先生のことも勉強させていただきました。

金光教はいわゆる新宗教ということですが、小さな教団ではありますが、戦後の日本の宗教の歴史の中で大きな役割を果たしたのではないかと思っております。そのひとつは、教学研究所というところがあるのですが、そこでの教祖研究を私も習いながら自分の研究をしたのですが、非常に独自のある種の深さを持っていて、今でも素晴らしい内容があると思っております。自分の内面を見つめて教学を練っていくのは、高橋正雄というリーダーなどのところからでてきたのではないかと思っております。金光教はどちらかというと内向きであるというか、教えを振売りする(外へ出て行って宣伝する)というよりは、自分自身を見つめることを大事にする教えなのですが、昭和の激動期を通り抜け、やはり社会としっかり向き合い、言うべきことを言う方向も金光教の中から出てきました。三宅歳雄先生は、それを代表する方であったと思います。日本の新宗教の歴史の中では非常に意義あることであったのではないかと思っております。それはまた、宗教協力とも深く結びついておりました。先程のお話にもありましたが、WCRPというのは今、世界的にも重要な宗教協力の平和運動だと思いますが、その中で、実は日本が非常に大きな役割を果たしています。それは立正佼成会の庭野日敬師と三宅歳雄師の2人のお力ですね。本当に日本の宗教史の誇りでもあるし、今後の指針にもなるものであったのではないかと思っております。

布教九十年ということですが、日本の宗教史を振り返りますと、いわゆる天理教、金光教、黒住教は、早い段階の新宗教ですが、それも一応新宗教と言うとして、新宗教が爆発的に伸びたのが、だいたい1920年代から70年代と言われております。これが泉尾教会が発展した時期とぴったり重なります。ですので、三宅歳雄先生の生涯とは、日本の新宗教の大変な発展期と結びついていたのだと思います。その後、宗教集団が爆発的に発展するというようなことはあまりなくなってきました。むしろ、発展する宗教は危ない感じがするというか、そういう時代になってきたと思う訳ですが、それでは、これは宗教の後退期か…? 中には「寺院消滅」や「宗教消滅」という本が出ておりますが、私はそうではないと思っております。

つまり、宗教集団のメンバーがどんどん増えて、仲間が拡がっていくということではないけれども、しかし社会のほうは宗教に大きな期待をしている。つまり、心の中の空白と申しますか、そういうものを多くの人が自覚して、伝統的あるいは近代の宗教の中に指針を求めていると思います。私自身がそういう形で宗教と関わってまいりました。今、宗教者災害支援連絡会の代表もしておりますし、臨床宗教師会にも関わっておりますが、私がいろんな宗教に関わっている関係でそういうお役を頂いている訳ですけれども、これは社会、特に医療や人助けに関わる社会のさまざまな部門が、やはり宗教的なものが必要だと自覚しつつある。そういう時期ではないかと思っております。ですので、宗教にもますます未来があるし、その中で泉尾教会が切り拓いてきた道は今後も大きな光になるのではないかという風に思っております。龍雄先生にも本当にお世話になりました。光雄先生、善信先生にもいつもお世話になっております。これからも日本の宗教界、また人類社会のために―三宅歳雄先生はいつもそういう思いを持っておられたと思いますが―、そういう心意気でますますご活躍いただけますようお祈りを申しあげ、拙い挨拶ではございますが終わらせていただきます。どうも有り難うございます。


星野俊也 大阪大学教授

ご来賓スピーチ(祝宴)


大阪大学 教授
星野俊也

高いところから失礼いたします。まずは泉尾教会様、布教九十年の記念大祭おめでとうございます。そして、このような名誉ある場に陪席させていただき、大変嬉しく思っております。私は一研究者でございますので、宗教界の皆様のお席でお話をするなどもっての外なんですけれども、私は三宅善信総長といろいろな場面でご一緒させていただくことがございます。私の専門は、国際政治学、そして紛争と平和の問題や国際連合の役割、あるいはアメリカ外交などですが、例えば昨年7月にハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル先生が大阪に来られた時には、三宅先生と一緒にパネルディスカッションをさせていただいたのですが、翌年のアメリカ大統領選挙でどのような政権になるかも含めていろんな議論をさせていただきました。

今の世界で紛争や平和の問題を語る時、宗教の問題を外して議論することができない場面がたくさんございます。そうした中で、三宅先生が非常に的確なコメントをされたり、また私たちを啓発してくださるので、いつも尊敬しているのですが、それは90年の歴史があり、三宅歳雄先生から始まるこの系譜の中にストーリーがあるんだなと今日お話を聞いて思いました。先程もお話に出ている、世界宗教者平和会議、世界連邦運動、国際自由宗教連盟といった国連で協議機関を持つ非常に重要なNGOで大きな役割を果たされたということにも感銘を受けましたし、大阪大学はコスタリカにある国連平和大学とも提携しているのですが、そこにはなんと、トシオミヤケホールまであるんです。コスタリカは結構遠いところなんですが、そんなところまでしっかりと平和の伝道をされていることに、あらためて今日は納得した次第です。

今日は初めて金光教様の式典を拝見しましたが、神前拝詞の中に「世界真の平和のご神願成就せしめたまえ」という一節がありましたが、私たちの生活の中での安全というだけではなく、世界の平和、それも真の平和とおっしゃっているところに非常に感銘を受けました。私の専門である国際連合には憲章がございまして、当然そこには平和という言葉もございますし、その他にも正義、人権、そして尊厳を考えること、寛容性、連帯といった言葉がちりばめられているのですが、これは政治の文章でありながら、同時にあらゆる宗教に共通している大きな概念ではないかと思います。

その中でも大きな紛争が出ている。それぞれが「神」ということを語りながらそこで戦っている。そうなると、やはり宗教のリーダーの皆様の間での対話が重要になってくると思いますし、それを私たちがさらに受け止めなければならないですし、私自身も留学生と一緒になって考えております。そういう中でいつも三宅先生から教えを請うている訳なのですが、今日は本拠地に来させていただき、ここが世界真の平和を目指す原動力だったのだということが判りました。この九十周年を踏まえ、これからさらに百年、さらにその先へ向けて発展されることと思いますが、私も研究者の道ではございますが、今後もいろんな形で交流を深めさせていただければと思います。いずれにしましても、本日は布教九十周年、本当におめでとうございます。