『HIV・エイズの子供のためのアフリカ宗教指導者会議』ならびに、WCRP(世界宗教者平和会議)国際管理委員会がケニアの首都ナイロビで、アフリカ各国から約200人の宗教指導者を集めて開催された。日本からは、WCRP名誉会長の三宅龍雄金光教泉尾教会長の名代で、三宅善信同教会執行が出席した。
アフリカ各国代表と共に全体会議に臨む三宅善信執行
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民族紛争・食糧危機・貧困・疾病・環境破壊など「世界中のあらゆる問題が凝集されている大地」と言ってもよいアフリカにおいて、現在焦眉の課題のひとつがエイズ問題である。統計が発表されている昨年末の時点で、全世界に3,950万人いると推定されているエイズ患者のうち、実に4分の3に当たる2,810万人が、サハラ砂漠以南のアフリカに暮らしている。このことひとつをとってみても、それ自体、たいへんなことであるが、それ以外にも、エイズによって両親を亡くし、保護を受ける相手がいなくなった子供たちが大量に発生し、社会問題化している。このような現状に取り組むため、初めてのアフリカ宗教指導者会議がナイロビで開催された。
ナイロビは、18年前に、第4回WCRP世界大会が開催され、先代泉尾教会長の故三宅歳雄師がイニシアティブを執って数々のアフリカ救援プロジェクトが実施された場所である。その際、三宅歳雄師は5人の国際委員長の一人となり、また同時に、財務委員長に就任された。その際、「ただ会議を開くだけでは意味がない」と主張し、当時、飢餓や難民の問題に対応するため数々のプロジェクトが企画した。中でも、ケニアの西端のウガンダ国境に近いブンゴマという村に、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から依頼を受けて、同難民キャンプ収容されている人々のために、パイプラインおよび給水施設を寄贈されたりした泉尾教会にとっては、縁の深い土地である。
スピーチをする三宅善信師
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開会式は、アフリカらしい太鼓や民族歌謡による歓迎で幕を開けた。まず、アフリカの子供に関する救援活動を行っている5大NGOの協議機関であるHACI(アフリカの子供たちの希望へのイニシアティブ)の活動紹介ビデオが上映され、同協議会のP・ヨウリ執行理事から挨拶があった。続いて、HIV(エイズウイルスに感染しているが、まだエイズを発祥していない状態の人)・エイズ問題についての国連事務総長特別顧問のS・ルイス大使、W・ベンドレイWCRP国際事務総長、ケニア国厚生大臣M・モハメド氏らが、開会の挨拶を行った。本会議には、アフリカ各国のうち約30カ国から代表が参加した。開会式終了後、イスラム教・ヒンズー教・キリスト教からの代表が、それぞれ、この問題に対する神学的は応答(信仰的見地からの態度表明)を行った。
昼食休憩後は、十数代の小型バスに分乗して、ナイロビ市内各所で実際に活動が行われている「現場」を視察に訪れた。三宅善信執行が参加したのは、スラム街の一角で、とある未亡人が、スラムで置き去りにされた孤児(両親がエイズで死亡)たちを40人以上も集めて、自分の子供として育てている施設を訪問した。
孤児施設を訪問する三宅善信師
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大会3日目の午前中は、全体会議が行われ、昨日までに話し合われたことを受けて、『決議文』の修正やアクションプランの決定等が行われた。続いて行われた閉会式においても、子供たちの芝居やら歌などを採り入れたアフリカらしいおおらかで前向きな会議であった。大会を通じて、モデレータを務めた北欧ノルウェー国教会のG・シュテルセット・オスロ主教(同師は、ノーベル平和賞の選考委員でもある)とカトリックのアフリカ司教会議副議長のJ・オナイエケン大司教両師の卓越した指導力が目立ったのと同時に、宗教指導者だけでなく、国連機関や政府機関関係者も共に会議をもり立て、また、それぞれに抑制の効いた発言で、極めて出来の良い会議のひとつであった。
続いて、12日午後から、WCRP国際管理委員会が開催された。初日はまず、これまで、アフリカ五十数カ国のうち数カ国しかWCRP国内委員会がなく、あまりWCRPの活動が盛んでなかったアフリカ各国の宗教指導者たちと、WCRPの「顔」である管理委員会のメンバーとが、顔を合わせることにより、世界的なレベルの人々がアフリカの問題に関心を抱いていることを示すことができ、アフリカ各地にWCRPの国内委員会が設置されるきっかけとなった。
WCRP国際管理委員会の様子
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また、三宅歳雄師の後を受けて、1994年から財務委員長をしているS・エルメス氏からも、昨今の米国金融市場の低調により、運用資産が目減りしていることなどが指摘された。そんな中で、今回のアフリカでの会議のために、泉尾教会が人類共栄会を通して提供した10,000ドルが、いかにありがたかったかということが、あらためて、参加者の前で報告された。
同日午後、三宅善信師は、ナイロビ市内にある日本大使館を訪問し、細谷龍平公と会談する機会を得た。翌日は、金光教国際センターからの依頼で、「ケニア西部のキシイ(ナイロビからは数百キロ離れている)という地方都市に住む現地の人々の中で、金光教に対する関心が高まっているので、その人たちと合ってきてほしい」ということで、国内線の小型飛行機の都合のつくところまで行ったが、なお飛行場のある場所からキシイまでは数十キロの道矩があり、降雨で悪路となり、四輪駆動車でも巧く進むことができずに、直接出会うことができなかった(電話で二三度話し合った)。