ハンガリーのブダペストで開催された第31回IARF(国際自由宗教連盟:本部オックスフォード)世界大会に、7月27日から8月4日までの日程で、泉尾教会から三宅光雄副教会長以下6名の代表団が参加した。
開会式で加盟各宗教の代表として登壇する三宅光雄師
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IARFは、1900年にボストンで設立された世界最古の国際的宗教対話団体であり、国連経済社会理事会公認のNGOに認定されている機関である。その第31回目の世界大会が、東欧圏で初めて開催された。
大会会場となったブダペスト経済科学大学は、対岸には王宮の丘を見上げるドナウ川河畔に建つハンガリー有数の大学で、社会主義時代には、その名も「カール・マルクス大学」と呼ばれた名門校である。
開会式で各宗教を代表して「祈り」を行う三宅光雄師
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開会式は、28日(日)の夕方、同大学のメインホールで始まった。地元宗教界からの歓迎の挨拶とE.v.ヘルワイネン会長の開会の挨拶に続いて、IARF加盟教団の内から世界の6つの宗教の代表のひとつとして、登壇していた三宅光雄副教会長が装束を身につけて「金光教の祈り」を行った。
29日(月)には、大会期間中を通して行われる「各宗教別の祈り」のひとつとして、メインホールにて実施された「神道の祈り」で、神社神道を代表した椿大神社(山本行隆宮司)による祈り(祭主は落合哲二師)と教派神道を代表した金光教泉尾教会による祈り(祭主は三宅善信師)が行われ、特に、善信師は全文英語による祈りを行って各国からの参加者の理解を集めた。
「金光教の祈り」を英語で行う三宅善信師
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30日(火)には、今大会の目玉のひとつである、単なる「会議のための会議」ではなく、各地域ごとに行動計画に移すためのワークショップの準備段階としての6つのテーマ別のレクチャーが各会場で実施された。なかでも、『IT(情報通信技術)と宗教的自由』と題するワークショップでは、三宅善信師が講師となって、人類史を情報メディアの発展史と捉え、そのことが宗教に与えた影響について、コンピュータで制作した画像を用いて全編、英語で論じ、大いに注目を集めた。
31日(水)は、前日の各レクチャーを受けて、6つのワークショップが開催され、各会場毎に大いに議論が盛り上がった。というのも、同じ話を聞いても、各参加者の国情や社会制度が異なれば、当然、想起する問題も異なるのであり、欧米の人々に一般的に見られる「自分たちの基準がグローバルスタンダードであるべきである」という態度が大いに批判されることとなった。また、この日の夜は、米国のUUA(ユニテリアン・ユニバーサリスト協会)会長の招待による晩餐会が行われ、泉尾教会からは、三宅光雄・善信の両師が出席した。
「ITと宗教的自由」について講義する三宅善信師
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8月1日(木)の朝には、悲しい知らせが全参加者の間を駆けめぐった。IARFの前会長で、33年間にわたってこの運動を推進してきた山本行隆椿大神社宮司が、80歳の誕生日のこの日、日本で逝去されたとの知らせが届いたのである。急遽、神道式の追悼祭を行うということになり、椿大神社からの参加者(山本行隆恭権宮司ら)は、危篤の報に接して、既に帰国してしまっていたので、IARF日本チャプター事務局長で清洲日吉神社の三輪隆裕宮司が祭主となって、追悼祭が仕えられた。この追悼祭では、三宅善信師が典儀(司会進行役)を務め、三宅光雄副教会長や酒井教雄前立正佼成会理事長らが、関係教団を代表して玉串を奉奠した。また、大会閉会日の前夜に当たるこの日の夜は、参加者全員で、船を借り切ってドナウ川での夕食会が催された。
8月2日(金)は、大会最終日であるが、これまでの大会では、比較的簡単な通過儀礼的な色合いが強かった「会員総会(各加盟教団毎に割り当てられた投票権に基づいて議決行為を行う法的な会議)」が大いに紛糾することになった。これまで、IARFの中心的位置を占めてきた北米のユニテリアン関係の代議員たちが、現執行部の方針に対して反旗を翻したのである。それは、特に、これまの慣例を破って「再任」しようとしたヘルワイネン会長と、結果的には、宗教的自由の確保どころか、権力による宗教弾圧に手を貸すことになりかねない「VCC(実践的行動規範)」の制定を画策したA・クラーク事務総長へ向けられた。総会は多いに紛糾し、執行部提案の原案は、次回大会(2006年)までの任期4年の新国際評議員の人選と、それまでの活動計画の2案のみの採択となり、他の原案はすべて否決されるという前代未聞の展開となった。
大会参加者による集合写真
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しかしながら、泉尾教会からは、1969年のボストン大会で、当時の三宅歳雄教会長(故人)が選出されて以来、一貫して(1990〜2002年は、三宅龍雄教会長)選出されてきた国際評議員に、このたび三宅善信執行が選出され、引き続き、移行期のIARFの運営に責任をもつことになった。