9月3日から10日まで、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会・開発環境委員会の東チモール視察団が、同委員長を勤める三宅光雄金光教泉尾教会副教会長を団長に同地を訪れ、日本大使館を表敬訪問、国連PKF(平和維持部隊)を視察、また東チモールの南部に位置するスワイ市の人々に、WCRP日本委員会の平和開発基金並びに金光教泉尾教会等からの公共トイレ造りによる村開発についての基金を手渡し、感謝された。また、東チモールの独立の引き金となった同島での虐殺事件のあった教会を訪問し、殉教者追悼ミサに列席した。
「共同トイレ」を造っている
ハスアイン村の住民から歓迎を受ける
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日本からの直行便がないため、バリ島経由で四日、WCRP代表団一行は、東チモールの首都ディリ国際空港に降り立ったが、在東チモール旭英昭臨時大使が到着便のタラップの下まで、WCRP代表団一行7名を迎えた。インドネシアでは、この1カ月間に、2度もテロによる爆破があっただけに、昨年、インドネシアから独立を果たしたばかりの東チモールではどのようなことが起こるのかと予感させるものであった。
最初に、在東チモール日本国大使館を表敬訪問し、旭英昭臨時大使から東チモールの現状についてのレクチャー(現在日本人は、自衛隊員522名を含む600名ほどが東チモールに居り、その内NGO関係者は各地に40名ほど)を受けた。引き続いて、大使館まで出迎えてくれた自衛隊の車両に先導されて、国連のPKFに昨年より参加している自衛隊のタシトールキャンプを訪問した。キャンプでは、今回の派遣の責任者である田邊揮司良一等陸佐が歓迎の挨拶を受け、担当隊員に昨年からの自衛隊の東チモールでの活動のレクチャーを受けた。
自衛隊の担当官から東チモールでのPKF活動に実態について解説を受けるWCRP代表団の一行
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翌5日朝、三宅団長と旭臨時大使の両名が、首都ディリから、プロジェクトの行われているスワイに向かうこととなった。東チモールは長野県ほどの小さな国だが、山岳地帯の細くて舗装もほとんどされていない道を走り、北部のディリ市から南部のスワイ市まで向かうのに、7時間半もかかった。もちろん3台とも日本製の四WD車である。その間、三宅団長は旭臨時大使とイスラム諸国家の情勢を中心に意見交換を十分に行い、午後4時にスワイ市に到着した。
スワイでは、昨年の4月よりこの地にて、布教活動並びに人道支援をしている山田経三神父(元WCRP日本委員会の平和研究所員、開発・環境委員)の出迎えを受けた。山田師は、イエズス会の神父であり、上智大学教授でもあったが、「東チモールの地での布教に今後の一生を捧げたい」と、単身この地に渡たり、農村開発に献身する数少ない日本人である。
1999年9月6日、それまで世界の誰もが知らなかったこの小さなスワイ市を、世界中の多くの人々に知らしめす事件がおこった。それは数百名の人々が虐殺されるという、悲惨な事件である。その直前に実施された選挙の結果にて、東チモールの人々の長年の夢であったインドネシアからの独立が宣言されたことに対して、インドネシアの国軍の一部の
人々に先導された民兵が、スワイの地を始めとする東チモールの暫定国境線あたりで、大虐殺をしたのである。
虐殺事件があったスワイ市の教会で、
祈りと挨拶を行う三宅師
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この地でも、アベマリア教会に逃げ込んだ二百人のキリスト教徒と、信者を守ろうと民兵の前に立ちはだかったインドネシア人のデワント神父たちが惨殺された。その日が、4年目の記念日に、殉教者慰霊祭にWCRPを代表して来賓として参列し、マニュエル主任司祭の依頼を受け、世界の宗教者の代表として、三宅師が祈りとスピーチをした。その後、六百人の信者と共に、祈りの行進をして、慰霊の碑での祈りも共に捧げた。
この日はまた、山田神父が進めている「共同トイレ造りによる村造りプロジェクト」の視察に、ハスアイン村(註:328人 57世帯に対して、30個所の共同トイレ)やアイディララテン村を訪れた。WCRP日本委員会の平和開発基金並びに金光教泉尾教会等からの公共トイレ造りによる村開発についての基金を手渡し、村民からは大歓迎を受けた。
山田神父(向かって左)に「共同トイレ造り基金」を贈呈する三宅副教会長。向こう正面は旭代理大使
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さらに、国連PKFの西地区司令部を表敬訪問した。責任者のバンクラフト大佐(豪州軍)以下各国の司令官の出迎えを受けて、昼食を共にした。西地区には、オーストラリア・シンガポール・タイ・フィジー・アイルランド・ニュージーランドの6カ国が駐屯しておりWCRP代表団の訪問直前にアイルランド・ニュージーランドの2カ国は撤退。日本も規模を縮小して、給水所の維持管理のみ行っているが、東チモールでは、現地住民から各国の平和維持軍の駐留が歓迎されているが、現在、日本が行おうとしているイラク派遣は、国会で論戦が繰り広げられた「戦闘地域・非戦闘地域」の区域分けの問題以前に、外国軍の駐留が現地住民から歓迎されていないという大きな問題がある。
各国の駐留部隊司令官から歓迎を受ける
三宅団長と旭臨時大使
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翌7日の日曜礼拝を終えて、丸一日掛けて南部のスワイ市から首都ディリ市まで戻り、さらに一日掛けて、バリ島経緯で帰国した。