1月25日(日)、会堂広前において、布教77年記念祭が約1,000人の参拝者を集めて仕えられた。布教記念祭は、先代教会長の三宅歳雄師が昭和2年(1927年)1月24日、弱冠24歳の若さで、この泉尾の地で人助けの布教活動を開始したことを記念して毎年行われている。
祭典中の満堂の広前
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祭典に先立ち、1時半から、三宅光雄副教会長による「前講」が行われた。午後2時、中正楽(雅楽の一種の吉備楽)に乗せて、三宅龍雄教会長祭主以下、二十数名の祭員が参向して着席、布教七十七年記念祭が始まった。
副祭主三宅光雄師の手によって、日本一の大きさを誇る神殿の扉が開かれ、神前には18台の三宝に乗せられた海川山野の神饌物が供えられた。続いて、聖歌『救い主降る』に乗せて、1999年秋、先代の後を承けて教会長を継承した三宅龍雄師が、三代目にあたる長男の三宅光雄師と共に神前に「献燈」を行ない、故三宅歳雄師の救済の業の継承の誓いを新たにした。
「献燈」を行う二代目三宅龍雄師と
三代目三宅光雄師
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「献燈」の後、祭主三宅龍雄師は、神前に祭詞(のりと)を奏上し、玉串を奉奠した。祭詞では、イラク戦争に明け暮れた厳しい国際情勢と、未曾有の経済不況期にもかかわらず、信奉者一同、無事おかげをいただいてきたことへのお礼と、今夏8月に迎える「先代恩師親先生五年祭」に向けて、泉尾教会がとなって取り組む決意であることを親神に奏上した。
その後、副祭主三宅光雄副教会長の先唱によって『先代恩師親先生報徳拝詞』が全員で唱えられ、先代教会長故三宅歳雄師の遺徳を偲んだ。さらに、信徒会各機関代表の玉串、各地方出社(でやしろ)代表者、参拝者総代の玉串奉奠行った。
祭典の途中に教話を行う三宅龍雄教会長
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続いて、祭主である三宅龍雄師が教話に立ち、「先代歳雄師が布教を開始した当時は、第一次世界大戦による特需景気が急速に後退し、関東大震災が発生、その後の世界恐慌によって日本経済が破綻し、軍国主義による亡国への道を突っ走っていたことと、バブル景気の崩壊、阪神淡路大震災、金融破綻による日本経済の失速が起こった現在の状態が類似していること」について触れ、「今こそ“暮らし向き安心”を約束する泉尾教会の信心の本領を発揮すべき時である」と述べた。さらに、「地球的レベルで問題化しているBSE問題や鳥インフルエンザ問題など、食の安全を巡る議論も、実は、生活のあり方に関わる信心問題である」と述べて、教話を締めくくった。