3月4日から13日の日程で、三宅光雄副教会長には、インド南部の大都市チェンナイで開催されたAYC(世界連邦運動アジア青年センター)創立20周年記念大会を主催するため、総勢13名の青年らを率いてインド各地を訪れた。
数派に分かれての出発であったが、本隊はシンガポールを経由して4日夜、インドのチェンナイ(旧名マドラス)に到着。翌5日には、AYCチェンナイ支部のプロジェクトのひとつであるストリートチルドレンのシェルター(註:路上生活の子供たちに宿泊と食事を与え、今後の立ち行きを援助する)のひとつを視察する。午後からは、三々五々到着する各国支部の代表者たちとの会合を断続的に行い、夕方には、各国支部の代表を招待しての晩餐会を持った。
浴衣姿で文化交流をした
泉尾教会からの参加者
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6日午前8:30から、最初のプログラムである「ピースマーチ(平和行進)」のスタート地点に集合した。参加者総数620名が、約2,5kmの道矩をバナー(横断幕)を掲げて行進した。この平和パレードには、チェンナイ市警察署長も参加し、地元テレビ局からの取材陣も多数参加し、想像以上の平和行進となった。今から、ちょうど20年前、この地で、当時82歳の高齢であった先代教会長三宅歳雄師が同じ道矩を行進し、そのことが今日のAYC活動の出発点となったが、参加者一同、その尊い遺志を追体験することができた。
バナーを掲げて平和行進する
泉尾教会からの参加者
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平和行進後、ホテルに戻って記者会見を行い、その様子は翌日の新聞各紙にも大きく取り上げられた。また、この日の夜はチャリティーの音楽会を主催し、500名を越す人々が集い、その全ての売上金は翌日、恵まれない子供たちの活動をされている3つの組織に贈呈された。
三宅光雄会長をはじめAYC執行部が
登壇した記念大会
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3月7日、いよいよAYC20周年記念大会がタミール州中央公会堂にて開会された。各国代表のAYCメンバーを中心に200余名が集ったが、残念なことに、予定されていたインド大統領の歓迎演説は、この直前に決まった総選挙に関する政治日程のため、首都デリーを離れることができず、代理によるいメッセージのみのご挨拶となった。今回大会のテーマ『人間の安全保障と平和と正義』に関係した各来賓から挨拶があった後、午後1:00の閉会直前、壇上の三宅光雄AYC会長に花束が贈られた。この日は三宅光雄師の満48歳の誕生日であることを全役員が覚えていて、その場は誕生を祝う場となった。
三宅光雄会長の誕生日を祝う
AYC参加者。会長の向かって
右隣のサリー姿の女性が
三宅会長の2人の娘さん
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午後からは現地の一般の方も加わり、教育開発セミナーが開かれ、夜には『いこいの夕べ』というコンサートが開催された。若い人たちが喜ぶ姿には新しい流れを感じた。そしてまた、このコンサートの最後に、三宅会長の誕生日を祝ってバースデイケーキが贈られ、青年メンバーとして参加していた三宅会長の長女(恵さん)と次女(薫さん)の手によって、英国式(?)にケーキを口に入れるセレモニーが行われ大いに盛り上がった。
州の中央公会堂で開催された
大会には多くの市民も参加した
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8日、昨年2月にコルカタ(旧カルカッタ)での役員会で新しく選出された執行理事(EC)による初めてのEC会議が午前十時より開催された。長年、指導的役割を果たした旧ECメンバーをすべて新メンバーと入れ替え、三宅会長と、それを補佐する事務総長のスクマール・ディビット(ハイデラバード)以外の9名はすべて新しい顔ぶれでの新出発となった。EC会議では、各国各支部からの1年間の報告が行われ、将来の展望と予算の報告などの後、新メンバー9名の今後の役割分掌が決められた。20年前に結成されたAYCは、現在では、有償会員2,000名を越す世界連邦運動(WFM)の中でも最も大きなそしても最も活動的な組織となり、国連経済社会理事会からも大きな期待を寄せられる組織となった。
民族衣装のサリー身にまとった泉
尾教会からの参加者
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この日の午後8:00、チェンナイを発ち、次の目的地であるハイデラバードに向う。空港には、インド泉光園の責任者で、20年前に泉尾教会で半年間修行をした、ジョン・エベネッツア師が一行を迎えた。翌9日、午前7:00に、専用の小型バスでホテルを発って片道5時間(400km)のバスでの移動で、昼過ぎに、『インド泉光園』が経営するムッチェラ村幼稚園・小学校に着く。ムッチェラ村はインドでも最も貧しい生活を送っている村のひとつである。この学校は開校して5年になるが、その前身である19年前に始まったインド泉光園の教育プログラムを足すと延べ5,000人の子供たちが教育を受けたことになる。当初は、生きるための人助けに初まり、現在では、医療・教育等でインド泉光園の働きは拡大拡充している。
インド泉光園を訪れた泉尾教会
からの参加者
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現在、幼・小に170名の子供が在籍しているが、今年と来年に相次いで開校する『イズオ小学校(インド泉光園より5kmの距離)』と『ミヤケ小学校(同7km)』を視察して、帰路に着いた。その2つの学校が完成すれば、合わせて、近隣25の村々より子供たちが就学の機会を得ることができるようになる。町から往復800kmの遠距離を移動して、夜に宿泊地であるハイデラバードへ戻った。
さらに3月10日から11日にかけては、AYC関係者がインド各地で行っている諸活動、「女性の自立」の問題、「ストリートチルドレン」の問題、「エイズや麻薬」などの問題を取り扱っている「現場」を訪問し、恵まれた日本の青年たちに、インドでの厳しい現状を実感させることができた。
12日には、コルカタで、有名なマザーテレサの『死を待つ人々の家』を訪問した。三宅会長自身は、生前マザー・テレサとは数度会談したことがあるが、これも、マザー・テレサの偉業を名前だけでしか知らない、日本の青年への教育のために実施され、今回のインドでの全てのプログラムを終了して、3月13日に帰国した。