7月21日(水)、立正佼成会京都普門館において、WCRP(世界宗教者平和会議)国際執行委員会とWCRP日本委員会常務理事会の合同会議が開催され、WCRPの国際名誉会長であり、日本委員会の常務理事でもある三宅龍雄泉尾教会が出席した。
世界大会準備委員会の様子
|
前日の20日、WCRP国際執行委員会(議長:ヨルダン王国ハッサン殿下)が、開催が遅れていた第8回WCRP世界大会を2006年に、京都で開催することに決定したのを受けて、実際に京都で開催することになると、ホスト委員会を形成することになるWCRP日本委員会の最高意思決定機関である常務理事会のメンバーと国際執行委員のメンバーとが一堂に会し、第8回世界大会を実施するための体制づくりを行った。
1970年に、京都の地でWCRPが産声を上げて以来、これまで、ルーベン(ベルギー)・プリンストン(米国)・ナイロビ(ケニア)・メルボルン(オーストラリア)・リバ・デ・ガルダ(イタリア)・アンマン(ヨルダン)と、世界大会を開催し、発展してきたWCRPが、その第8回目の世界大会が「発祥の地」京都で開催されることになったのである。
日本委員会常務理事とのワーキングランチで
発言する三宅龍雄教会長
|
いうまでもなく、1970年のWCRPの発足に当たっては、泉尾教会の先代教会長故三宅歳雄師が中心的働きをなし、当初の国際副委員長から財務委員長、ナイロビ会議以後は国際委員長、リバ・デ・ガルダ会議以後は国際名誉会長を歴任し、現教会長の三宅龍雄師も、1970年の京都会議の際には、運営部長を務めたのを皮切りに、リバ・デ・ガルダ会議で国際委員長に、アンマン会議以後は国際名誉会長を務めるなど、WCRP34年間の歴史は、まさに泉尾教会の歴史そのものとも言えるくらい、関係の深いものである。
したがって、今回結成された世界大会準備委員会(公用で欠席したハッサン殿下に代わって、副議長のL・シコウスキー主教が議長役を務める)でも、三宅龍雄師は、その第1回世界大会の実際を知る数少ない「生き証人」として、数々の意見を表明した。