7月15日、泉尾婦人会創立72周年記念婦人大会(参加者1500名)が開催され、『子供の能力は無限』の講題で、学校法人清風学園専務理事の平岡龍人氏が記念講演を行った。平岡氏は、同氏の父、故平岡宕峯師が創設した清風学園の教壇に立ち、青少年の教育の現場で実践されただけでなく、大阪青年会議所の理事長等を歴任、地元大阪の発展のためにも寄与され、先の大阪府知事選挙にも立候補されるなど、その言動が注目を集めている。
◆選挙戦で見た政治の腐り
ただ今、ご紹介にあずかりました平岡でございます。本日は、伝統ある婦人大会にお招きいただき、こうして話をさせていただく機会を頂戴いたし、本当にありがとうございます。
先年、お亡くなりになられました先代の親先生と私の亡父が非常に懇意にさせていただいておりまして、話が合うのか、お二人がお会いになられましたら、いつも長い話をされていたのが印象に残っております。現在の親先生、親奥様、若先生たちも、私共の理事長(平岡英信氏)ととても懇意にして下さって、私もこの教会が自分の教会のように感じております。今日は、日頃、私が思っていることをお話させていただきますので、何かの参考にしていただければと思います。
また、2月に大阪府知事選挙に出馬いたしました際には、残念な結果に終わりましたが、皆様には温かい励ましを頂きまして本当にありがとうございました。この場をお借りいたしまして、御礼申し上げます。
実は、経済企画庁の長官をされております堺屋太一先生に「ぜひ(知事選に)出てみてはどうか?」と言われまして、選挙に出ることになったのですが、結果的には自民党の本部と大阪府連が分裂するというようなことがありまして、不安もあったわけですが腹を括くくって出馬いたしました。
その時、「どうも大阪がおかしいな」と思っていました。戦後50年経って、どんどん大阪の経済が地盤沈下しているんです。それどころか人口すら減り始めている。総務庁の統計によると、十数年後には、東京、神奈川、埼玉、千葉に次いで大阪府の人口が第5番目になるというのです。どう考えてもおかしいと思いまして、選挙に出ることを決意したのです。実際、選挙戦の3週間、大阪府内を回ってみまして、私は愕然(がくぜん)としました。
大阪がいかんとか、いいとかいうことではなくて、現在の政治というものは、一番大事なものが抜けているんです。新聞とかテレビで『ゼネコン政治』という言葉をよく聞きます。皆さん、この意味を解りますか?私は、正直なところ解っていませんでした。選挙をやってみて、初めて解ったので
す。
たとえば55年前に阪神淡路大震災がありましたね。6432名の方がお亡くなりになったんです。25万戸の家が全半壊したんです。本当に大災害でした。こんな地震が大阪を直撃したら更に大きな災害になりますから、万が一そういうことが起こっても、より被害が小さくなるように政治を行なっていかなければなりません。
政治は何のために行なっているかというと、実に簡単なことですが、国民の生命と財産を守るためです。そのために教育も福祉、経済政策も外交も防衛もするのです。あれだけの大震災が起こり、あれだけの人が亡くなり、あれだけの家が倒壊したのですから、同じことが起こらないようにしなければならないのです。しかし、今の政治は何もしてません。ショックでした。
まず、私は府会議員・市会議員の先生方に付いて各地を回ったんです。そこで判ったことは、まず、消防自動車の入れないところが大阪府内各地にたくさんあるんです。道路は山の中から田んぼの中まで整備されていますが、一番大事なわれわれの生活環境のところは、ほとんど変っていないんです。
もし、大阪で阪神淡路大震災クラスの地震が起こったら、6000人どころではありません。何万人という人が亡くなるでしょう。25万戸どころではありません。数十万戸という家々が全半壊するのは目に見えています。しかし、何ら対策を取らないのです。なぜでしょう?それは、実際に人々が住んでいるところの道路を拡張したりするには、地域社会から不満が出たり、いろいろと不都合があるから(道路整備を)しないのです。文句の出ない山の中とか水田の中にどんどん、どんどん立派な道路を造るのです。
たしかに、「(これこれの地区が)危険である」と言えば、その場所の地価は下がるでしょう。しかし、そこを整備さえすれば、地価はまた上がります。ところが、今の政治家は、そういううるさいことは一切しないのです。
平岡先生の講演に熱心に耳を傾ける婦人会員たち
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◆豊かな社会とおかしな社会
私共は私立学校を経営しております。学校も地方に行くと、ものすごく立派な学校がたくさんできています。体育館はすばらしい。グランドは広々と整備されている。そういうところが実は一番、中途退学者や登校拒否生徒が多いのです。私のところの学校も、四天王寺高校も灘高校も、都心の狭いところにあるんです。しかし、これらの学校はソフトがいいのです。子供たちをどうやって伸ばしたらよいのかというソフトをたくさん持っています。
しかし、そういうことを全然せずに建物ばかり建てたりするから、子供たちが今、学校で大反乱を起こしているのです。当たり前です。子供を、人間を大事にすることを横に置いて、建物ばかり建てているのですから……。高齢化社会を迎えて老人ホームなどをたくさん建てていますが、こちらも、おそらく建物重視のことばかりやっているに違いありません。
政治というのは人々が安心して暮らしていられなければ、政治にならないのです。しかし、うるさいことはしないで、文句の出ないことばかり拾っている。選挙に出てみてこういうことを実感したのです。選挙が始まると、皆さん一生懸命やって下さいました。涙が出てきました。皆さんのご苦労なさる姿を見ていると、その時は「もしこの選挙に通っても、二度と選挙には出ないでおこう」と思いました。
しかし、後半になるとだんだん腹が立ってきました。「こんなことで大阪はいいのか」という大きな疑問が湧いてきたのです。私である必要はないかもしれません。皆さんの中でも、もっと国民が安心できるような政治のために「よし、やってやろう」という方がおられましたら、挑戦していただきたいと思いました。
今、各地で大きな問題がたくさん起こっています。考えてみますと、私たちは55年前、戦争に負けました。それも、徹底的にやられました。皆さん、覚えてらっしゃいますか?大阪はほとんどが火の海になりました。私は当時5歳でしたがハッキリと覚えています。家という家、工場という工場は全部焼かれました。なんにも無しになってしまったのです。その中から、まさに不死鳥のように日本人は日本再生に立ち上がったのです。しゃにむに豊かな社会を目指して、現在の日本ができたのです。
私たちは儒教の教えから「衣食足りて礼節を知る」と教えられてきました。豊かになったら、より倫理の良い社会になるはずだったんです。しかし、実際はとんでもない社会になってしまいました。豊かな社会とともに、次々に問題が起こってきました。
60年代に高度成長があり、1970年の万国博覧会があったころに、学生運動が起こりました。世の中の変化に対して、感性の強い学生が抗議をしたのです。さらに、70年代になってその運動が高校に拡がってゆきました。高校・中学が荒れ始めました。そして、80年代になって家庭の崩壊ということが各地で起こりました。テレビでは不倫ドラマが非常に多かったんです。当時、私の家に外国人の先生が住んでいました。その先生が「日本人はおかしいよ。日本のテレビ、あれはなんですか?こんなひどい番組を流しているのは日本だけですよ」と言ったのです。
そして、90年代になって学校教育の中で個人的な問題が深刻化します。登校拒否、家庭内暴力。2000年代に入って、今、何が問題になっていますか?殺人です。毎日、どこかで殺人事件が起こっています。今まで考えられなかったような事件です。母親が自分の子供を殺して保険金を詐取する。地獄ですね……。子供が親を殺す。親が子供を殺す。明らかにおかしな社会です。そして、このおかしな社会は豊かな社会とともに実現してきたのです。
先だってある国際会議がありまして、そこで「日本の教育がおかしい」という討論会があったんです。スイスの方が「スイスではこういうことは起こらない。日本は異常である」というお話をされました。その場では返事はしませんでしたが、手紙を書いて送ったんです。ちょっと長くなりますが引用させていただきたいと思います。実は、今日は女房も来ているのですが、私が文章を読みますと「あんた、文章の読み方がへたや」といつも怒られるん(会場笑い)ですが、皆さんにはご容赦いただきたいと思います。
◆重要な社会の規範
最初に清風学園のことをいろいろと書きまして、その後このようなことを書きました。戦争に敗れた日本人は、アメリカ社会をモデルにした豊かな社会を実現するという規範・規則・方向・目標の中で働いてきました。ところが、それが実現した現在では、多くの日本人にとって信じるべき目標、信じるべき規範が判らなくなっているのです。何を目標にして何を信じればいいのか判らない。これが日本の家庭や教育の混乱を生んでいる最大の原因であると私は思います。
では、なぜ信じるべき規範が判らなくなってしまったのでしょう。普通はどんな社会においても集団を拘束する規則があります。ひとつは法律です。もうひとつは伝統や習慣に基づいた規範です。たとえば「親を大切に」、「先生を尊敬しなさい」、「遅刻はいかん」といったものです。これは法律とは言いません。生活の規範です。この規範は宗教に根差したものが中心になります。その国の民族の考え方とか宗教が大きく色濃く反映されます。
ところが第二次世界大戦の敗戦によって、日本ではこの規範の根拠となる宗教が大きく変質してしまったのです。宗教とは何か?宗教は人間が生きていく上で何が正しいかを示しています。「人を殺してはいけない」、「人の物を盗ってはいけない」、等いろいろあります。
しかも、それはどんな時代でもどんな社会でも通じるものです。豊かになろうが、貧しかろうが、戦争があろうが、地震があろうが、そんなことは関係ないのです。どんな時代、どんな社会、どんな場所になっても通ずるものです。そのためには自分のことだけではなくて隣人の幸せを願う、あるいは社会に対して善いことをする、仏教でいう利他行です。利他行をすることを求めています。これはキリスト教やこの金光教もそうですね。イスラム教も仏教も全部そうです。
「世の中に対して善いことをしなさい」、「他人に親切にしなさい」ということを説いています。ところが、私たちは今どんな宗教規範を持っているでしょうか。例えば「福は内、鬼は外」、これ、考えてみたらひどい話ですね。自分さえ良ければ良いのです。福は自分のところへ来て、鬼は外に出て行けというのですから……。また、「家内安全」と拝みますね。これも自分さえ良かったら良いのです。「除災招福」皆そうです。
私たちは戦後、利他行という概念を失ってきたのです。しゃにむにこの貧しく焼け出された日本を豊かな社会にしようと頑張って、自利行だけになったのです。自分のことさえしておけばよい、自分さえ良かったらそれで良いということが、日本人の考え方の基本になったのです。これはキリスト教でも仏教でもイスラム教でも世界で宗教を信じている人に最も嫌がられることです。
◆アメリカ社会を手本として
先だってアメリカの大統領補佐官が私のところへ来られて――仲が良いので来られたのです――おっしゃってましたが、自分の給料の10%は教会に寄付していると言うのです。これは宗教を信じている社会の原則です。自分の良いことを他人にする。先程言いました外国人の先生は、土曜日は必ずボランティアで難民のところへ行って英語を教えていたのです。何か自分の持っている良いもので世の中に対して貢献していく。これが宗教の持っている正しい方向です。
私たちは正月になったらただ神社にお参りします。お彼岸になったらお寺に行きます。たくさんの宗教の本が出ていますが、一番基本のところは抜けているのです。変質しているのです。自分のことしか考えなくなってきているのです。これがまず一番大きな問題です。海外とのことで日本はいろいろな問題を起こしていますが、この自利行、自分を中心にするという考え方に一番大きな問題があるというように思います。
日本の伝統文化というものは仏教や神道あるいは儒教の影響で作られました。戦前では、それが教育勅語という形で国民に示されていたのです。親に対する孝行、先祖に対する崇拝、先生を大切にする。勤勉、努力、全部そうです。そういうものが国民に示された規範になっていたのです。ところが、戦争に負けてそれが徹底的にやられてしまったのです。先ほど言った通りです。あの震災の時の長田区の火事が各地で起こったのです。本当に徹底的にです。そのため「戦争はもうこりごり」となったというわけです。
実際、世界でも例がないような憲法第9条ができまして、「戦争をしない」ということを宣言したのです。実に世界でただひとつです。それは戦争がいかにひどいか、国民にどれほど大きな影響を与えるかということを、われわれが実感したからです。その後米軍が日本を占領しました。確かに占領政策の関係で天皇制は残りましたが、私たちの文化はこの豊かな社会とともに、実に次から次へと伝統や習慣が潰されていったのです。私たちを支えてきた精神風土はどんどん変わっていったということです。
アメリカ文化はわれわれにとっては素晴らしいものでした。チョコレートが出てくる、チューインガムが出てくる、ジープも素晴らしく、何もかも素晴らしいものだった。日本を無条件に、このアメリカのような社会にしたいという目標で皆がんばったわけです。実際、このアメリカは、アメリカの文化というものは、それまでの社会よりははるかに自由ではるかに個人の努力を伸ばすものだったのです。実際、戦後の日本の成功はこのアメリカ式を踏襲していくことで大成功したわけです。
しかしながら、そのアメリカ社会というのをよく見てみたら判りますが、大統領が就任する時にバイブルに手を置いて宣誓します。先程、善信先生がおっしゃいましたが、そのアメリカの大統領の就任式の後で教会の牧師が議会へ来て説教をする。それくらいキリスト教文化にきっちり根ざしているのがアメリカの文化です。自由を容認し、個人の努力開発を求めている。あのアメリカ文化は実はヨーロッパの旧来の文化を否定したピューリタンが創った国なんです。宗教の原則をしっかりと持って、アメリカ文化というものが広まっていったのです。
競争も何もかも自由であるというアメリカで、その自由が暴走しないように、いろんな問題が起こらないように、きっちりと宗教の精神に根ざしているわけです。われわれはそのことには関心ありませんでしたね。アメリカの自由ばかり真似てきたのです。その結果、アメリカのキリスト教の精神はどこに定着したか。クリスマスにどんちゃん騒ぎすること。最近は結婚式は教会が圧倒的に多いですね。娘さんを連れたお父さんがバージンロードを歩くというのが格好良いものですからみんなやります。神社やお寺でする人は激減しているわけです。しかし本来は宗教に基づいて教会でするということは、「こういう人生を歩みます」と神と契約をするということです。日本人はそんなことには関係なく、豊かになることだけ、表面的なアメリカの文化模倣だけについていったわけです。
◆戦後の精神的世界の変遷
そして戦後、戦前の宗教とか考え方を否定された後の空虚な精神的世界に入りこんだのが社会主義の思想です。社会主義は経済学であると言っていますが、本当はマルクスを教祖とする宗教です。経典は資本論です。各宗派がありまして、レーニンなどの宗祖がたくさんいるのです。そういう人たちの宗教が日本に定着しているのです。その一ファンになったのが学校の先生です。
小学校から大学までの先生たちです。そしてマスコミ関係者も全部信者になっていったのです。そんな信者たちがですね、「旧来の宗教はもう古い。旧来の宗教は非科学的だ」と否定するのです。そしてわれわれは宗教を考えることなく自利行一本に来たのです。
そして、オウムなどのカルト宗教が出てきました。ああいうものに簡単に引っかかるのはなぜか? 戦後50年、「宗教とは何か?」と真剣に考えてこなかったからだと私は思います。そのことが次々と問題になってきたんです。豊かな社会を目指す時は皆が努力しましたが、豊かな社会になって、日本人は何を信じたら良いのか判らなくなりました。そして、勉強ができるということがひとつの規範になりました。お父さんお母さんは「勉強ができるということは良いことだ」と思いました。そのために、塾にも行き家庭教師を付け、「大学にさえ通れば良いんだ」と勉強してきたのです。
しかし、大学に通ったら次に何をしたらいいんですか? やはり何もないのです。私たちは戦後、教育・受験勉強ということを一生懸命してきましたが、私たちは「社会に対して何をすれば良いか」を習ってこなかったんです。そのために、今、私たちが何をすれば良いのか、何をすれば正しいのか判らない社会になっているんです。個人が次々に自分だけの価値観で動き始めているのです。
1975年に、ソ連がはじめてスプートニクという人工衛星を飛ばしました。その時われわれは何と言いましたか? 「宇宙時代が来る」と言ったんです。しかし実際は、宇宙時代ではなくて人工衛星を使った情報化社会が来たのです。情報化社会とは、今までと全然違うとんでもない社会だったんです。それまで、情報を独占していた組織が次々と崩壊し始めたのです。例えば、最初に崩壊したのは社会主義の国々でした。社会主義の国は国家が情報を独占していましたが、これが崩壊したのです。
日本もいろいろな意味で官僚組織などが情報を握っていますが、それが今、おかしくなって次々と問題を起こしてきているのです。これまでと違って、個人が自分で判断できる方向へ進み始めたのです。そうなればなるほど、個人が何を考え、どんな行動をするかということが一番大事なことになってきます。
宗教を信じる皆さん、金光教を信じる皆さんは本当に幸せな方々です。自分は何をしたら良いのか、何をしてはいけないのかを知っているからです。しかし、今の社会はそれが判らない社会になってきているのです。各地でいろんな問題になって出てきています。警察の中でも官僚の中でも産業界でも起こってきています。そして、教育の場でも起こっています。学校で、家庭で起こっている。子供の周りで起こっているのです。私は「この規範のない社会に問題があるのだ」と(スイスの教育家から頂いた)手紙の返事に書いて送ったのです。そして最後に、私とこの学校では、どういうことを教えているかということに触れておきました。
◆安心・信頼・尊敬の清風魂
私の学校では「君たちは社会に出た時に、社会の全ての人に安心され、信頼され、尊敬される人になれ」と教えています。「つまらないことをして人から安心されないのはいけないんだ。信頼されないといかん。尊敬されないといかん」と言っています。うちの学校のおもしろいところは、それに続きがあるところです。どうしたら、安心され、信頼され、尊敬されるかというと、「長生きをしろ」と言うのです。健康で長生きしなかったら皆不安だと言うのです。そして「経済的に安定しろ」というのです。何も「大金持になれ」というのではない。必ず予算を立てて生活をして、安定しろというのです。いつも「借金をため込んでいる」というのでは誰も安心も信頼もしてくれない。
そして、なおかつ「世の中に対しては善いことをしろ」と言うのです。言うのは簡単ですが、なかなかできない。実は口で言うほど続かないのです。一時的にはできても続きません。そこで、「自分のためになることが、世の中のためにもなること。世の中のためになることが自分のためにもなることを、しなさい」と教えます。それならば続けられる。そういう考えに基づいて、核心をついて「徹底的に努力しろ」と教えているのです。清風の生徒には「困った時には、自分のやっていることが安心できるか、信頼できるか、尊敬できるか考えてみろ」と言っています。
自分のためだけになっているのではなくて、世の中のためになっているかどうか考えてみれば間違いないですから……。私は先代親先生はじめ、現会長先生、奥さまや金光教の教えていることの核心は同じだと思っています。皆さんが考えておられていることを間違いなく信じて実行していったら、この混乱した世の中と違う世の中ができると思います。皆さんの教えが皆さんだけでなく、家族、知り合いに広がっていって、この毎日殺人事件の起こるような社会から、なんとか安心できる社会になってほしいなということを願っています。
もう時間がなくなってしまいましたので、話をはしょりますが、私は高等学校・中学校で、もう30年間教師をやってきました。みなさんもご存知のように、30年前の清風高校といえば、ろくな生徒が来ていませんでした。オール1の生徒ばかりでした。「体さえあれば来てくれたらいい(会場笑い)」という学校だったのに、今では、国公立大学に年間400人くらい受かりますね。関関同立(註=関西地区の有名私立大学)の合格者をトータルしますと、1000人を超えますね。かなり優秀な生徒が来ています。清風だけでです。(兄弟校の)清風南海からも年間400人くらいが大学受験に通りますから、合わせてみると、毎年、国公立大学に毎年800人から900人。関関同立に1500人くらい合格します。これが10年20年経つと膨大な人数になります。清風・清風南海のOBが各地で活躍しているのを実感します。
この前の府知事選挙に出た時「龍人先生が出てるから、からこう(からかっ)たれ」と卒業生たちが皆来てくれるんです。各地で応援してくれるのですから、教え子というのは嬉しいなと思いました。その時、「安心・信頼・尊敬やってるか?」と言ったら、「清風魂ですね。やってますよ」という答えが返ってきて、非常に嬉しい思いをしました。大阪で最低の評判だった清風が、評価の高い学校になってきたのは、やはり人間を大事にする教育の原則を持っていたからだと思います。
◆家庭での教育
この原則は、学校だけでなく家庭でも同じことです。子育てをするときに原則を持つことはとても大事です。して善いこと、悪いこと、をできるだけ早い時期に教え込む。特に、3歳までが大切です。「三つ子の魂百まで」と申しますが、3歳までは、まだ自我が確立されてきませんから、その間に、して善いことと悪いことをきっちり教えることが大事なんです。ところが、この時期は「かわいらしいから」と、つい甘やかしてしまいます。先日も、娘の2歳になる子供が来まして、かわいらしいものですから、ついつい甘やかしたら、娘に怒られました。「お父さん、そんなに甘やかしてもらったら困ります」と言われました。
3歳までにキッチリと教えること、して善いこと悪いことの原則を教えることが大事なんです。もちろん3歳児以上でも同じです。ただ3歳を超えてくると、自我が芽生えてくるから時間がかかるんです。子供も理屈を言いますし、なかなか親の言うことを聞かない。だから、こっちも根気強くやらないといけません。
躾(しつけ)というのは根気です。粘り強さです。お母さんは根気強く、諦(あきら)めてはいけないのです。今、小学校に行っているくらいの子供さんのおられる方がいらっしゃると思います。算数や国語の10分間テストというのがあって、やっておられるでしょう。子供にやらせると答えを間違えます。間違えるともう一度やらせる。また間違える。またやらせる......。もう大概、根切れて「あんた、まだ解らんの。これはこうこうしたらできるでしょう」とお母さんが教えてしまった瞬間に、お母さんに学力がつくのです(会場笑い)。子供は自分で気付かない限り、絶対に学力はつかないのです。だから子供に根気強くさせようと思ったら、親がいかに根気強く付き合ってやるかが重要なんです。
そして、子供は褒(ほ)めてやらなければなりません。おだてるのとは違います。ここを間違ってはいけません。善いことと悪いこととにはっきりとけじめをつけた時、褒めてやったらいいのです。子供が褒めてほしい時と「ああ、おだてられているな」と思う時は違うのです。この原則をきっちりと教えることと、根気強く付き合うこと、いかにチャンスを見て褒めてやるか。これらが大事なんです。
特に、今、共稼ぎの人が増えています。お父さんもお母さんも働いている方が多いんです。それでは、どうすれば良いのか? 例えば、毎日メモを書き置きしておく、あるいは電話にメッセージを録音しておいてやる。または子供の帰ってくる時間に電話をしてやる。何でも良いのです。お母さんとのコミュニケーションのできることを必ずやっておく。コミュニケーションの取り方が、子供が親の言うことを聞く条件を整備するのです。なんでもないことですが、そういうことをきちっとやって、原則を教えていくことが大事なんです。
◆父親の出番
中学生になると、母親の判断する範囲から遠ざかって更に広い分野に子供たちが動き出す時があるのですが、その時こそ父親の出番です。その家の原則をはっきり示すのが父親です。原則というのはどういうことですか? それは、お父さんはどんな時に本気で怒るかということです。お父さんは毎日、外で働いています。帰ってくるのも遅いです。だからといって「子育てはうるさい(面倒くさい)から、お前に任せた」ではあかんのです。原則だけは示しておかなければならないのです。
では、どんな時に父親は本気で怒るのか? それは、子供と一番接点の多い母親を子供がないがしろにした時、なかんずく母親に手を上げた時です。それから、危険なことをした時。他人に迷惑を掛けた時。信用のおけないことをした時。そうした時には、本気で怒らなければならない。「これはしたらあかんな。これをしたらおやじが怒るやろな」ということを教えてやらなければならない。これが父親の存在感です。父親の存在感というのは、ただ家に居ることではないのです。「おやじの原則」を子供に伝えるということです。このことをしっかりやっておかないといかん。
今日は、婦人大会ですからお母さん方がたくさんおられますので、お母さんに言っておきますが、お父さんを褒めておかないかんのです。子供に「あんた、お父さんみたいになったらあかんよ(会場笑い)」なんて言っていたら、子供がお母さんの言うことを聞かなくて、お父さんが「コラッ!」と怒っても聞かないようになる。たとえそういうお父さんであっても、そんなことを言ってはいかんのです(会場笑い)。
「お父さんは素晴らしい。毎日、夜遅くまで働いてくれている」本当は何をしているか判らなくても(会場笑い)、お父さんは偉いのでなかったらいかんのです。
ある時、そう言いましたら、会場から手が挙がりまして、「実は主人を亡くしているのですが、どうしたらよいのでしょうか?」とおっしゃる。「それは神様ですよ」と答えました。伊勢神宮で『赤福』という名物のお餅が売られていますね。そこの浜田社長のお母さんという方が偉い人なんです。ご主人を戦争で亡くしておられるのですが、子供がヤンチャをした時にどうしたかというと、仏壇の前に座らせて「お父さんに謝りなさい」と言ったんです。どうですか、これは?
子供はいつかお母さんを越えていきます。必ず越えていくのです。言うことを聞かなくなる。その時こそ、父親の出番です。父親が居なかったらどうしたらよいのか? その時は、神様であり、仏様であり、ご先祖様です。その前へ子供を連れて行って「あなたは何をしているんですか」ということを言ってやらなければならない。お父さんの出番、ご先祖様の出番、宗教家の出番、まさに信仰心の出番がここにあるのです。このことを知って初めて自立した素晴らしい大人になれるのです。
勉強ができるというのも大事ですね。しかし、勉強というのは、自分を優秀な人間にするひとつの手段でしかないのです。頭の良い人間に共通点があるのですが、それは集中力と持続力があり、判断力があることです。判断力というのは時間と経験を伴います。しかし、集中力と持続力はいつでもつけられるものです。
たとえば、学校で勉強するのも集中力と持続力です。運動するのもそうですね。音楽をするのもそうです。皆さんがよくされる勢祈念もそうですね。考えてみれば、集中力と持続力をつける手段は無限にあるのです。「子供の能力が無限である」というのは「集中力と持続力をつける手段が無限にある」ということです。勉強に向いていない子供もいるのです。その子に合った手段をみつけてやれば、無限に能力を伸ばすことができるのです。
各個人には、それぞれに与えられた素晴らしい能力があるということです。それを見つけてやって伸ばしてやる。そして、少なくとも社会の全てから信頼され、安心され、尊敬される......。そんな人間になるよう、ひとつ皆さん取り組んでいただきたいと思います。時間が来ましたので、これで終わらせていただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。
(おわり)