▼△ 男子壮年信徒大会記念講演 △▼


暮らし向きの安心を求めて

参議院議員
谷川秀善


2月25日、男子壮年信徒大会が開催され、大阪・地方の熱心な求道会員約500名が参加し、参議院議員の谷川秀善氏から『暮らし向きの安心を求めて』と題して、記念講演をいただいた。本誌では、その内容を数回に分けて掲載する。


◆なぜ坊さんが政治家になったか

 どうも皆さん、本日は金光教泉尾教会の男子壮年信徒大会にお招きをいただきまして、お話をさせていただきます機会を頂戴いたしましたことを、まずもって心より感謝をいたしておるところでございます。

ただ今、ご紹介をいただきましたように、私は元もとはお寺の息子でございまして、浄土真宗本願寺派といういわゆる門徒――世間では門徒と言われておりますが――のお寺に生まれましたが、縁がございまして大阪府庁に奉職をいたしました。私が奉職いたしました当時は、大阪府の知事で、ご存知の方がおられると思いますが――皆様お若いですからあまりご存知でないかもしれませんが――赤間文蔵という知事がおりましたが、その人の秘書をやった関係で、赤間さんが参議院に転出されまして、その後任として左藤義詮さんという――これもお坊さんの知事さんでございますが――知事と代わられました。その赤間さんが法務大臣に就任された時に、秘書官として東京へまいりまして、いろいろと国政の勉強をさせていただいた関係がございました。 

 それから、これもまたひとつのご縁だと思いますが、私が大阪府の副知事をさせていただいておった時に……。今も自由民主党の調子が悪う(逆風)ございますが、その当時も調子が悪うございましてですね。細川(護煕)さんという方が総理大臣になりまして、自由民主党がはじめて――ちょっと途中でもありましたが――野党に転落をいたしました。その細川政権の時に――、あまり長続きはしませんでしたが――(自民党が)野党に転落いたしました時に、大変な逆風でして、自由民主党本部から「大阪で参議院選挙をやるのは大変厳しい」と……。だから「誰が出ても勝つのは容易でない」と……。

 こんな状況がございまして、今、えらい叩かれている森総理大臣が、当時、自由民主党の幹事長をいたしておりました。すると、中山太郎さんという国会議員がおりますが――頭の禿げた漫画によく似ているあの人が――自民党大阪府連会長をしておりましてですね。その2人が私のところへお越しになって、「なんとか大阪のために頑張ってくれへんか」と、こういうお話がございました。

 私、副知事になったばかりでございましてね。最初にご紹介いただいたように、尼崎という所に自坊があるわけでございますが、檀家の皆様方からも、「あんたいつまで寺を放っといて、何やっているんだ」ということで、「そろそろ寺へ帰ってこい」と言われておりましたので、なんべんも断わったのですけれど、ねばり切られまして、「それでは、大阪府で、いろいろ長年にわたりご厄介になりましたから、私のようなものでもお役に立てれば、考えさせていただきましょうう」と申し上げたのです。

 実はその前に、私は肚(はら)をくくっておりましてね。副知事辞めさせてもらって寺へ帰ろうと思っていたのですよ。長年ご無沙汰していますし、檀家の人にも申し訳ないし、「そろそろこの辺で、もう一遍お寺の住職に戻りたい」というふうに思っておりましたのですが、こういう話があったもんですから、私は「細川さんというのは偉そうなことを言っているけれど、あまり大したことない」(会場笑)と思っておりましたから、「これで細川さんに日本の国を任してしまったらえらいことになる」と……。そういう意味では、「自由民主党にもう一遍復活をしていただいて、日本の国のためにしっかりとした政策をやっていただければ」と……。「それのお助けができれば」ということで、副知事を辞めさせていただいて、参議院に立候補することを決意させていただいたわけです。 

 それでも関係者の皆さんは、「参議院選挙は来年やから、あんた副知事やりながら顔を売っておいて、選挙が近づいてきたら副知事を辞めて立候補したらよろしいがな」と、こう言われたものですが、私はそういうことはしたくない。やはり、肚を決めた上はですね、しっかり辞めて、「一介の浪人になって、選挙運動をしたい」ということで、その選挙が始まる1年半くらい前に副知事を辞めさせていただいた。


◆大震災で気付かされた宗教者の役割

 そして、その間、いろいろと大阪府下を回らせていただいていたら、その時に大震災に遭遇したんです。ちょうど、阪神淡路大震災の年に選挙があったわけです。私はその1年前に大阪府庁を辞めさせていただいて、選挙運動に入っていた。あの阪神淡路大震災の時、その前の晩に私は有馬におりましてね。それで、会合が九時頃に終わったもんですから、まぁ皆が「泊まる」とこう言ってたんです。けれど、私はお寺が尼崎で、わりに近いもんですから、私だけ「それじゃ帰らせてもらう」と言って尼崎へ帰ったんです。

 そうすると、あくる朝ですわ。こらえらいことですがな。はじめ何が起こったか判らなかったんです。ドーンと動いたわけですね。私はなんの音か?と思いましたよ。そうすると、ドーンと音がしてですね。ハッと気が付いたらですよね。室内の物が倒れてきた。それでもまだ何が起こったか判らない。なんのことか判らん。それからですわ、揺れ出したのは……。そらえらい揺れるから、これは地震や! と思いましたけれども、地震や! と思って気が付いた時には、もう身動きならなくなっていました。もう、物はどっとどっと落ちてくるわ。室内は真っ暗ですしね。こらうっかり動いたらえらいことになるいうことで、明るくなるまでじっとしてないかんと思いました。

 そやけどね、私はあの時ほんまに、家内ちゅうのは有り難いものやなあと思いましたよ。ドーンといった時にグラグラッときたのか判りません。その瞬間に、私の上にバッと乗ってきた。えらい時に乗ってくるなぁ(会場笑)と思いましたよ。本当に……。本当は庇(かば)ってくれたんですな。本当に有り難い。それで私は「下敷き」になってますからね、余計に何が何やら解らない。後になって家内に「済まんなんだなあ」と、はじめて礼を言いました。そんなら、家内はどう言ってくれたか?「あんたは今年選挙せないかん。今なんぞのことがあったらえらいこっちゃ」こう言っていただきました。本当に「家内というのは有り難いなあ」としみじみ思いました。

 私たちは2階で寝ていたのですが、明るくなってきたから、そろそろこれなんとかのけ(どけ)て出ていかないかんと思って、ふっと窓の外を見たら、これがまた、えらい眺めが違うんですわ。何もあらへんのです。今までいろいろ建ってましたから、視界がどんどん遮さえぎられてゆきました。ところがその日の朝は、もう何もないから、よう見えるわけです。「これはえらい地震やな」と思って、「なんとか下(1階)へ降りないかん」ということで、下へ降りて行きましたら、えらいことですわね。もう私のところの山門も釣鐘堂も、皆ペチャンコですわ。きれいさっぱりペッチャンコ。本堂は壊れかかっている。

 そういう状況で近所のほうを見ますと、近所のほうも皆ガタガタですわね。ガタガタ。あの地震は不思議ですわな。「筋」でダッと倒れているんです。すぐ隣はたいした建物でないのにちゃんと建っている。そやからね、「活断層が通っている」とあとで皆専門家が言ってましたが、やっぱりそのとおりですね。通りひとつ違ってたら、こっち側はなんともないのに、道ひとつ向こう側はメチャクチャになっているという状況です。

 それで、「これはえらいこっちゃ!」と思うて、その――先程も控えで親先生とお話をしていたのですけれど、親先生とも旧知の――私の叔父(註=豊原大潤浄土真宗本願寺派元総長のこと)が西宮におりまして、どうも「西宮が大変だ」と聞いたものですから、「どうなっているのか?」と思って一遍見に行ってこないかんと思いまして、武庫川まで行くのにえらい時間がかかりましたけれど、武庫川を越して西宮へ着きましたら、叔父が住んでいたお寺はペッチャンコ。それで「ここに叔父と従兄の奥さんと子供が埋まっているのだ」と……。えらいこっちゃということで、皆さんで掘ってくれたんですけれど、なかなか見つからん。やっと掘り当てた時には、三人は完全に亡くなっておりまして、これを本堂の方で安置させていただいたというような経験をいたしました。

 それで、なんとかボランティアしなければいかんということで、初めの間はね、皆、殺気だっていますからね。「水がない」とか、「食物がない」とか、「まだ燃えている」とかいう状況でありましたが、2、3日して、ちょっと落ち着いてきますと、亡くなられた方の遺体をどうするのかということになりました。神戸だけじゃとてもじゃないが、そんな数の遺体を火葬する施設がないということで、大阪のいろんな焼き場にもお願いして、運ぶことになりました。

 当初はそれで良かった。ところが、次から次へと弔いもせずに、そのまま(ゴミでも焼却するように)どんどんどんどん焼くとは何事かと……。せめてお坊さんなり宗教家がその焼き場に居て……まぁ亡くなられた方の宗派もいろいろあるでしょうけども、この際そんなことは言ってられないので……「最後のお経なり、弔いなりをなんとかしてくれよ」と……。物を焼くみたいに次から次へと遺体をどんどん焼かれたのでは、家族としてはたまらんということでですね、仏教会の方々に頼んで、火葬場での読経のボランティアっていうのをはじめてやらせていただきました。各宗派のお坊さんに来ていただいて、金光教やキリスト教の方々にも来ていただいて、手分けして、「せめてそういうことでもできれば宗教家としてお役に立てる」と……。そして、家族の方がせめて「少しでも悲しみが和らぐのなら」ということでやらしていただいた経験があります。


◆ホームレス問題の現状

 本当に、今一番大事なのは、物質的にはこれだけ恵まれてきました。たった戦後60年足らずで、その廃墟の中からここまで復活してきた。世界中見渡してみても、経済的には本当に恵まれてまいりました。バブルまではずっと右肩上がりで、本当に調子が良かった。バブルが弾けて十年が経ちますけれども、それでもですね――そりゃ「大阪はホームレスが一番多い」と言われていますけれども、全国で2万人もホームレスがいてると言われていますが、そのうち12000人は大阪に居ると言われてるんですよ。それでもね……なんとか食べてはいけてる訳でしょう。

 僕はホームレス対策の議員連盟の会長をしているんですけれどもね、横浜やら東京、特に横浜が問題です。大阪がこれをなんとかしよう(註=公的ケアを考えたら)としだしたら、とんでもない話でっせ。「大阪に行ったら(行政が)手厚く面倒みてくれるさかいに無料で新幹線の切符を渡す」というんですよ。横浜市役所の人が(会場笑)。それで私は、やっぱり全国的な問題やから、せめて東京と横浜と名古屋と大阪は足並み揃えて、ホームレスの方々に対する対策は一緒にやろうやということで、今やってるんですけど、まだちょっと向こう(関東)が遅れているもんですから、どんどんこっち(大阪)に来はるんですわ。それでまぁ、皆さん新聞やテレビを見てもらったら判ると思うんですけど、長居公園のやつ(註=大阪市が設置したホームレスの方を一時収容する施設)は、なんとかちょっと横に一時住んでもらうところを作って……。そうしないとね、中には好きでホームレスになっている人もいるかも解らんけれど、ほとんどが好きでホームレスになっておられないと言ってる訳ですよ。だから、一日も早くそういう施設を作って、まず、一年間もホームレスしてはったら病気ですわ……。まず、健康診断をしてあげて、その上で「働きたい」という人には、職をお世話する。そりゃそうでしょう。皆さん方、住所不定では雇ってくれる所も限られてくる訳ですから……。だから、住所を新しいその施設にして、そこから当分は仕事に行こうということでですね、やっとちょっと軌道に乗り出しているんですけれどもね。

 こんな不景気でしょう。そうすると、普通のサラリーマンが、朝カバン持ったまま「行って来ます」と行って、その実ホームレスや……。「もうクビ切られた」って、皆さん方はなかなか切り出しにくいでしょう。「クビになったんや」と言ったって、奥さんも居れば子供も居るのに、「急に会社が倒産になってクビになった」って言ったってね。まだ倒産したんだったら家族に言えるけれども、自分だけリストラに遭った場合は(「クビになった」と)言いにくいと言うんですよ。

 それで、はじめの間はどうするかというと、環状線に乗りはる訳や(会場笑)。朝「会社行ってきます」と言うて環状線に乗りはる訳です。そしたら、環状線っていうのは終点がありませんわな。一日中乗っていれる訳です。グルグル、グルグル回ってるんやからね。そうして、夕方になったら家に帰ると……。これがだいたいのパターン。それでひと月はいけるんです。ところが、ひと月経ったら月給持って帰らないといけないでしょう。働いてることになっているんだから……。そこでクビになったということが家族に判るんです。それで、責められるの嫌だから、カバン持ったままホームレスになるんです。言い訳するのは悲しいしね。奥さんに怒られるし、子供にもまた文句言われる。そういう方もたくさん居られる。

 それはいろいろ、千差万別。だからやっぱり、しっかりとホームレス対策を立ててやらないとあかんと思って、私はやっている訳です。何も「オリンピックのため(註=この時期、2008年のオリンピック開催候補都市を視察するためにIOC委員が大阪を訪れていた)にやっているんやない」と言っているんです。やっぱり、一日も早くちゃんとした職に就いていただけるようにしないと、本当にホームレスというあり方が定着してしまう可能性があるでしょう。慣れてきたら「それでいいわ」ということになってくるんでね。労働意欲のある間にちゃんとやらしていただきたいというふうに思っているんです。


◆少年犯罪と「差」をつける教育

それから、皆さん。この頃いろんな犯罪が起こりますね。16、17、18歳と昔やったら考えられへんかったような犯罪が起こる。それで「少年法を改正しないとあかん」ということになって、そこで先日、少年法を改正した訳です。だけど私は、法律を変えたって、犯罪は無くならないと思っているんです。それで、今度は教育改革をスローガンにせなあかんと……。だけど、良く考えてみたら、「なぜそうなった?」かということをまず考えないといけない訳でしょう。なるべくしてなった訳ですよ……。戦後50数年。

 私は、この最大の原因は、偏差値教育にあったと思っています。偏差値教育というのはですね、差を付けるという訳ですよね。世の中っていうのは、もちろん何も皆が平等っていう訳ではないと私は思っています。皆が平等っていう訳ではないですけれども、これにあえて差を付ける。これを50年やってきた訳でしょう。

 だから、私はいつも思っているんですが、あるお家に行ったら、お孫さんが帰ってきはって、お母さんに「おかあちゃん、今日、ター坊ちゃん学校休んでんねん」そない言ったんです。そんならその母親はどう言ったと思いますか。「あぁそうか。ええチャンスや」(会場笑)追い抜くええチャンスと、こういう訳ですね。私たちが子供の時分にはどない言われたか?「ター坊、風邪で休んだ」って言ったら、「そりゃえらいこっちゃな。ちょっと行って今日学校で先生にどない教えてもろたのか、宿題やらみな教えたり」と言ったもんと違いますか?皆が助け合って行きましょううと……。それが今は違うんですね。同級生は皆ライバル。良い中学へ行かなあかん。良い大学へ行かなあかん。良い会社へ行かなあかん。皆ライバル、皆競争相手。それでは本当に人を思いやる心が育ちますか?育つはずないでしょう。皆かき分け押し退け、全部を競争相手にして、「わが子だけ良ければいい」と……。人の子はどうでも良いという教育をやってきたんでしょう。

 それで、今度は学校では何をやっているかと……。小学校でも中学校でも、運動会で順番を付けたらあかんという訳や。片一方では、そんなことをやってる訳でしょう?それでどうしてるかというと、「よーいドン」と走るでしょう。50メートルなら50メートル、100メートルなら100メートル走ったら、おのずから差が出てきますよね。速い子もいれば遅い子もいるんです。それでどうするかといったらね。ゴールの10メートル前で、皆並べ。待ってんねん遅い子を……。ゴールには皆手をつないで走りましょう。片やそんなことをやっているかと思ったら、片やわが子だけ学力がついたら良い。そんなことで、「人の痛みが解る」、「皆で仲良くしましょう」、そんな教育しとらんでしょう。その答えが出てきたんや。そりゃ、皆さん経験あるでしょう。あの子は「勉強はできんけど、走らしたら一番や」とか、「勉強はできんけど、絵を描かせたらクラス1や」とか、「勉強はできんけど、歌を歌ったらめちゃめちゃうまい」とか……。それぞれに何かの特技が皆さんある訳でしょう。能力がそれぞれに……。それでね、運動会になったら誰がはりきるかといったら、ガキ大将みたいな子が、「ここぞ!」とばかり一所懸命に走る訳でしょう。それが良いんじゃないですか。それが本当の意味の平等や。それを、全員並んで同時にゴールやなんてバカなことを考える奴がいる。今教育の現場でやってるのは全部、悪平等。やっぱり、それぞれ人間にはそれぞれに応じた能力がある。それを全部皆ひとつの基準(偏差値)で評価してしまおうというのはね、しょせん無理な話なんですよね。しかし、教育現場でそれをやってこなかった。その結果が、今、14歳、15歳、16歳の子供が、昔だったら考えられないような凶悪犯罪を引き起こすようになった訳でしょう。



◆子供は親の背を見て育つ

 それで、なんでこんなことになったんや?と、世間の人はもとより、学者や評論家までが言うんですが、そんなもの「蒔まかぬ種は生えん」(原因を)蒔いたから皆(結果が)生えてきたのに決まっている。だから、昔からよく言いますね。「子供は親の背を見て大きくなる」そのとおりなんです。だから、(原因を)蒔いたのは親なんです。だから、今、本当に、これから「21世紀はこころの時代や」と――やっと気がついたのか気がついてないのか判りませんが――そんなことを言っておりますが、まず、自分が実行しなければ駄目ですよね。私はそう思っています。

 だから、私はお寺に生まれさせていただいたから、子供の頃からお経を覚えさせられて、今日までやってまいりました。そうすると、この金光教も同じ。親が信心をして、その姿を見て子供が大きくなる訳です。「親を大事にせよ」となんぼ口で言ったって、自分が親を大事にしてなきゃ、(子供が)親(自分)を大事にしますか?そうでしょう、あなた。(自分が)親を粗末にしている姿を(自分の)子供が見てたら、子供になんぼ「親孝行してくれよ」と言うたって、親孝行してくれませんよ。ちゃんと自分がそれをやっておれば、子供は見よう見真似で覚える訳やないですかね。

 だから、よく言うでしょう。自分の子がええ子になったら「あれはワシに似ている」悪い子になったら「おまえ(家内)に似とんねん」(会場笑)と……。こういうのんと違いますか?そんなもん誰に似るというわけはない。子供というもんは、夫婦に似るはずなんや。似なきゃおかしいがな。子供が他人に似てたらえらいこっちゃ(会場笑)。それこそ、そういう意味ですな。こころを大事にするということは、理屈で教えられるということではないんですよ。教えるんじゃなくって、見習ってもらう姿を自分が示すということなんですよ。なんぼ教えたってあきません。口でなんぼ言うてもあきません。やっぱり実体験として、自分が自ら実行をするということでなければなんにもならん。

 これからの政治もそうやと思うんです。だいたい、政治が「なんでこんなふうにひどくなってしもたんやろ?」と、みんなそう言ってます。最大の原因は、私はやっぱり、親の跡を子供が継いでいるからやと思いますよ。政治家なんて世襲制でもなんでもない。違いますか?一代限りのものや。ところが実際には、親の跡を子供が継いでおる。その跡を孫が継いでおる。だんだんと政治家に厳しさ(自覚)がなくなってくるわね。そんなこと(世襲)では厳しさがある訳がない。昔から「政治をやり出したら身しん上しょう(財産)を潰つぶす」と、よく言われたものね。それやったら、なんで(政治家の地位を自分の)子に譲るの?自分一代で財産失ってしもたらね、子供なんて喜んで継ぎますか?そうやないでしょう。逆に、政治家が財産増やしているから、それが惜しゅうなって子供に継がすのやないですか?それ(議員の世襲)をやっている限り、日本の政治は良くなりませんよ。


◆KSD疑惑と外交機密費詐取事件

 日本の政治はそういう意味で、やっぱりしっかりとしたビジョンを示さないと……。というふうに私は思っておるわけです。この年が明けてから大変ですわな。皆さん、テレビ見てたら腹が立つでしょう。私でも腹が立ってくんねんから

 (会場笑)。同じ自民党の国会議員に腹立ってるね。そうでしょ。KSD(中小企業経営者福祉事業団)疑惑……。これはとんでもない事件です。これも参議院やからね。余計、私は「とんでもない」と思うとる。あの小山君(註=逮捕された小山孝雄容疑者のこと)というのは、私と一緒に当選した同期です、平成7年にね。彼は、今度ややこしくなっている村上さん(註=この講演の数日後に逮捕される前自民党参議院議員会長の村上正邦容疑者のこと)の秘書をしていた人です。だから、自民党内で言うたんです。「こんな大きな問題は、小山一人が仕組んだんと違う。もっと親分おる」と言っていたら、案の定、親分がぬーっとあぶり出しみたいに出てきた。これは明日午前10時から、辞めてもらう(議員辞職)ための本会議を開きます。辞めていただくだけでなく、やっぱりしっかりと原因を明らかにしてもらわないとね。

 その次にとんでもないのは、あの外務省の機密費詐取事件。皆さん、聞いてたら、もう何が何やらさっぱり解らないでしょう。だいたい一介の外務省の役人がですよ、競馬馬サラブレッドを15頭も持っているというんでしょう。そのことだけでもおかしいでしょう。それに事欠いて、馬に妾めかけの名前をつけておるというでしょう。冗談やないですよ、これも。しかも、馬は置き物と違うから、もの食べますねん。生きとんねんから……。コップやったらコップひとつ、いくら高い物買うたってね。これをあと維持するのに金はかからへんわ。しかし、馬は生きとるからね、毎日餌を食べる。それも税金やそうでしょう。税金ちょろまかした金で、そっちへ持っていっておる。そんなバカなことがありますか?

 それで、河野さん(註=河野洋平外務大臣)に聞いたら「さっぱり判らん」て……。「なんちゅうことを言うとんねん」と皆さん思うでしょ。皆(外務省ぐるみで)ぐる違うかと思いますよ、こんなもの……。行方不明になった金が、判っているだけで、6億も7億もあるというのでしょう。違いますか?それで、(外務省が)内部調査して判明したのは、たった5、600万や。そんなら、たとえば5億としなはれな。あとの4億なんぼは誰が使ったんや?ということになるのに決まったるわな。こんなのは嘘に決まってる。

 だから、これもやっぱり糾ただすべきものは糾さないと……。皆さん方は今、税金の確定申告の時期ですね。「アホらしいて税金納められるか」というのは当たり前ですよ。私はいろんなことをはっきり申し上げますから、東京(自民党本部)へ行ったら怒られとるんです。東京へ行ったら、自民党の国会議員でありながら、ズバズバズバズバものを言うと……。

 「ちょっと口にテープでも貼ろうか」と(党本部の執行部から)言われてるんです。けれども、そのことの起こりは、私は「森(当時の幹事長)さんから『なんとか議員になってくれ』と頼まれたから議員になったんや」と言うてるわけですよ。何も俺が「なりたい、なりたい」言うて議員になったのと違う。だから「俺のことが嫌いやったら、いつでも辞めたる」と、そう言うてるわけですよ。

 その最初の現われが、昨年の大阪府知事選挙。ちょうど1年経ちます。あの時、皆さん方に大変ご迷惑おかけしましたが、私は少なくとも「大阪府の知事は大阪で選びたい。大阪のことをよう解っている人になってもらいたい」ということでですね、候補者選びを頑張ってきたんです。皆さん方もテレビしょっちゅう見ていたらわかると思いますがね。それで、最終的には「(大阪府連会長の)中馬(中馬弘毅衆議院議員)さんで行こう」となってたんや。ところが、やっぱり中馬という名前はあかんね、途中で落馬しよるから(会場笑)。私は「勝てる」と思って頑張ったけどね。

 その時、幹事長は森さんで、幹事長代理が野中(広務)さんや。(党本部で)この2人と大喧嘩している真っ最中に新聞記者が入ってきてやね。「谷川さん、なんぼ喧嘩したかてあかん。中馬さんは今、官邸へ行ってね、小渕(首相)さんに『もう知事に立候補しません』て言ってます」こんなバカなことがあるか!と……。「自分がやる」と言うから、私ら(註=自民党大阪府連)が、「それなら中馬候補でガンバロー」と言うてんのに、(中馬さんが)途中で落馬してしもうたんやね。

そうこうしている時に、党本部がパッと持ってきたのが、今の知事(太田房江)さんやね。私は何も、太田さんがええとか悪いとか言うてんのと違うねん。「大阪の知事候補は大阪で選びます。それから党本部で(連立与党と)調整して下さい」と、こう言うてるのやないですか。それを俺(註=元大阪府副知事)よりまだ下位の役人を「勝手に持ってこられたらたまったもんやない」と私が言うてですね、しかも大阪のこと何も知らん通産官僚の太田さんを連れてこられたので、「それでは困る」と言うてたらやね、野中前幹事長と公明党との話し合いでバーンと通ってしまったでしょ。

そこで、「これでは困る」ということで、府会議員や市会議員の皆さんと相談をして、平岡龍人さんという清風学園の副校長さんが出るということになりました。さぁそれからがえらいことですがな。私は、いじめというのは、小学校や中学校にあると思うていた。まして、国会議員にはないやろと思うてた。ところが、自民党本部はいじめの元凶みたいなものや。本部から毎日毎日電話してきて、「早いこと平岡降ろせ!」と……。「そやないと、おのれ殺してやるぞ」と、こんなこと言うねんで。それが野中や(会場笑)。「東京へ出て来てみろ、おのれ命あると思うな!」むちゃくちゃでっせ。ヤクザでもそんなこと言いまへんで。

それから今度は、私自身の参議院議員選の公認問題がありました。普段は現職から優先して公認することになってます。それを私だけパッとはずしますねん、第一次公認から……。そんなことやってるくらいですから、自民党本部も腐ってるわな。大阪府連も(谷川秀善の公認要請を)満場一致で上げてんのにね。それで、「そんなことやったら俺もう出んわ」と言うたら、幹事長してた森さんが、「君すまんけどなぁ、鈴木(宗男)総務局長に(府知事選の時は党本部の言うことを聞かずに済みませんでしたと)ちょっと謝ってくれへんか」と言われたので、私は「謝らん」と言いました。謝ったら、なんとか大阪から(独自候補の)知事を出そうということで頑張ってくれた人に私は申し訳ない。「謝らん。悪いことをした覚えはありません。だいたいやね、下から上がってきたことを党本部は認めるべきものであって、党務が上から押さえてゆくんやったら、地方分権でもなきゃなんでもない」と言うたら、私の公認を半年延ばしよった。

それから半年経って、やっと「自由民主党公認」を頂きました。けれども、今度はその公認が邪魔している。逆に今ね。大阪の人が皆言う。「秀善さん、あんた自民党公認やなかったら通るけど、自民党公認やったら落ちるでぇ」(会場笑)。やっとれませんでぇ、これはほんまに。そやけど、私は、少なくとも「今の民主党やら共産党やらに日本の国を任す訳にはいきません」というふうに思っている訳です。しかし、自民党もしっかりと、本当に解党的な脱皮をして、本当に新しいビジョンを示して、(森)総理大臣には当然代わってもらわなければ、21世紀の日本の国はないというふうに私は思っております(会場拍手)。

本当に、皆さん方がテレビを視てたら、そらもう嫌になるはずですわ。私はいつも申し上げているんですが、KSDの問題、外交機密費問題。これはまだね、「役所が悪いことをしている」とかいった言い訳ができた。そやけど、今度のえひめ丸のアメリカ海軍原潜との衝突沈没事件(への対応)についてはですね、これは森さんは言い訳できない。だから私は、これはやっぱり、しっかりと責任を取ってもらう(辞めてもらう)べきであると……。そうでしょう。だいたいやね、この頃テレビのチャンネルをひねるでしょ。そしたら、森さんのゴルフの姿ばっかりや。いつ撮った写真か知らんけどね。これでもかこれでもかと茶の間へどんどんとあの姿が毎度入るわけでしょ。あれじゃ、どんどん選挙の票が逃げる。
そんな緊急事態にもかかわらず、森総理は今(註=2月25日現在)でもアメリカに行かない。そんなことですから、森政権になってから、景気は悪くなる一方で……。そんなこと言うてたら、大阪なんかはもうあきあきしてますよ。景気は今、最低ですよ。日本の平均失業率は、だいたい4.7%ですが、大阪は5.7%くらい行っています。皆さん方の中には、今年か来年、高校・大学を卒業するお子さんをお持ちの方いらっしゃいますね。ほとんど就職決まってないでしょう。だいたい大卒で50%、高卒で25%、だから大卒の2人に1人は職がないんです。高等学校にいたっては4人に3人は職に溢あふれているんです。

こういう状況の中で、どうするのかということになるんです。しかも、職は大阪にないので、東京まで行かないかん
と……。こういうふうになってるのだから、しっかりとそういう点もよく考えて、大阪がへたっているんですよ。大阪がへたるということは日本の国がへたるということだったんですよ。昔は、経済の大阪と言われていた。政治は東京と言っていたんです。これをなんとかするには自民党が再生することです。民主党は何を言うてるか解らん。今、予算委員会してますが、予算委員会というのは国の予算を仕上げないか
ん。それが、やっていることといえば、KSDと外交機密費とえひめ丸、それ以外のことは何もしていない。これでは日本国はどうなるのかと私は思っております。


◆こころを取り戻す教育を


一番大事なことは、「こころを取り戻す」ということだと思います。こころを取り戻さないかん。戦後日本の教育の中で、偏差値教育もいかんかったが、一番いかんのは宗教教育をしなかったことです。道徳教育、宗教教育をしなかった。これが最大の欠点であります。何も特定の宗教の教育をする必要はありません。「人間が生きる上にとって、宗教が大事だ」ということを、この60年教えてこなかった。皆さんは縁あって金光教をご信心されている。私は縁があって浄土真宗を信じる。これはこれでいいんです。その宗教教育を学校では教えなかった。タブーとしてきた。いっさい公立学校では教えなかった。

しかし、人間は物だけで生きているのではないんです。こころを持って生きているんです。そのこころが大事だということを教えてこなかった。これは宗教を教えなかったということでしょう。その答えが今出てきているでしょう。だから、訳の解らないオウムとかいうのが出てきたんでしょう。これをカルトというんです。「鰯の頭も信心から」と言われるくらいだから、本当の宗教と、宗教でないカルトとの区別が、日本人にはつかなくなった。今、日本の国が危うくなった最大の原因がそこにある。だから、「信じる者こそ救われる」といいますが、今どきは、変なものを信じたら、救われないどころか、殺されるわけですよ。

政治と宗教を切り離すことはいい。否、必要なことです。しかし、宗教教育をするということは別であります。ところが誰が見ても紙の裏表みたいな政党があるでしょう。片や宗教団体、片や政党。それと自由民主党は、残念ながら政権を組んでいるということです。これではうまいこといくはずがない。だから「しっかりと政治と宗教を切り離しなさい」と言っているのですが、実際は分けられてないでしょう。裏と表、まるっきり一緒じゃないですか。裏は何某学会、表は公明党といっているではないですか。これでは非常に困る。彼らは「政教を分離している」と言っていますが、実際には何も分離されてない。

私は、やっぱり宗教を持つということは、非常に大事なことと思います。この教育をしっかりと小学校、中学校で教えないかん。しかも、家庭で教えないかん。なんとなく今は、教育といえば学校がやるように思っているわけですよ。そんなものは間違っている。教育をやる原点は家庭ですよ。オギャーと生まれた時に、最初に会うのはご両親ですよ。第一番目の先生ですよ。その家庭教育を放ったらかしてしまって、「教育は学校の責任や」といっている国民なんて世界中どこにもないですよ。日本の国だけですよ。

だから、昔から知育・徳育・体育、これを三育と言います。知と徳と体。ところが、下の大事な育がなくなってしまった。育とは、育てるということ。今やっていることは、知・徳・体であって、そこに一番大事な育がなくなってしまった。日本語というのはうまくできていますね。ところが、その日本語がまともにしゃべれる人が少なくなってきている。もうコンピュータやITやいうことになってくると、だんだん日本語が分からなくなってきてるでしょう。「読み書き算盤」と昔は言うたけれど、もう漢字が書けなくなってきている。これが日本の社会と文化を破壊しかかっている。漢字というのはうまいことできている。女へんに良いと書いて娘でしょう。これが嫁に行ったら家がつくでしょう。これで嫁や。女が古くなったら姑さんやという。それで女に波がうってきたら婆という。このように漢字というのは、分かりやすくなっている。元もとが象形文字やから。

ところが、そんな仕方で、誰も教えないものだから、字の意味を覚えない。コンピュータやワープロで音だけで簡単に漢字が出てくる。これが困ったことだと私は思う。もう一度原点に立ち返って、国語教育をやり直さないかん。やり直さないと日本人の心がなくなってしまう。そうすると日本語をしゃべれなくなる。しゃべれなくなると、書けなくなる。近頃の若者の字を見てみると、なんかダンゴみたいな字であり、しかも間違いだらけです。だから、いくらワープロ教えたって、原点の字を間違えたら、音で出てくるから間違った字ばかり打っている。そうしたら、日本文化が滅びていくと私は思います。

いずれにしても、「こころの時代」というならば、こころをしっかりと持っていく社会を作らないかん。その社会を作る原点は家庭であります。だからまず、親が「自分の子供を可愛い」と思うならば、しっかりと家庭教育をやっていかない限り、なかなか日本の将来は見えて来ない。と、私は常々思っています。いずれにしても、21世紀はこころの時代、まさしくその通りになると思います。

お互いに信心を頂きながら、長生きをさしてもらうということが一番大事です。昔はよう言いましたでしょう。「親孝行したい時には親はなし、墓に布ふ団とんもかけられず」と言いました。あの時代は、人生わずか50年でありました。今は違います。人生80年代、90年代に入ってまいりました。そうすると、どうなると思いますか?「親孝行したくないのに親がおり、養老院もままならず(会場笑)」という時代になってまいりました。そのために、今日の日本の国の発展の礎を作っていただいたお年寄りに安心して生活していただきましょうということで、介護保険というのが去年から施行されました。

この介護保険制度というのをしっかりと皆さんで育てていただいて、親の問題は子供さんやお孫さんだけに任せておけないという時代が来ていますから、皆で介護保険を支えていこうと私は思っています。これからは、子供はけしからん。じいさん、ばあさんもけしからん。と言わずに、「子供嘆くな来た道じゃもの。年寄り笑うな行く道じゃもの。来た道、行く道、海山あれど、共に支えて行くばかり」この共に支えて行くというのが、信心の姿であり、ご信心のこころであると私は思っています。皆さん方も共に支えて、共に助けていこうというこころを持ち続けていただいて、信仰に励んでいただいたらと思っております。(おわり)

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