7月13日、創立七十五周年記念婦人大会が、木邊美子近畿宗教婦人連盟総裁をはじめとする来賓を迎えて、『生かされて生きる喜び〈いま、ここから〉』のテーマで開催され、長年の歴史と伝統を踏まえて、現代に生きる信仰女性のあり方を問うた。また、記念講演では、歌手で俳優の美輪明宏氏が『「ほほえみ」と共に生きる』という講題で、長年にわたる芸能生活を通じて体得した独特の人生観を親しみやすい口調で講演された。本サイトでは、本講演の内容を数回に分けて紹介する。
熱弁を揮う講師の美輪明宏先生
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●正負の法則とは
皆様こんにちは。私がただいまご紹介にあずかりました白鳥麗子でございます(会場笑い)。本日は大勢の方がお集まりですが、劇場じゃございませんし、平場で傾斜がついていないので、会場の真ん中から後ろのほうはよくご覧になれない方もたくさんいらっしゃって、あまり背伸びしてご覧になられますと、途中で気分が悪くなったりなさる方もいらっしゃるかと思います。ですから、どうぞご無理なさらないようになさってくださいませ。さて、本日は、梅雨時のきつい雨が降る中を金光教泉尾教会の婦人大会にお集まりいただきまして、本当に有難うございました。
今日、私がお話しさせていただきますのは……。私、本を何冊か書いております。それが、この本の売れない時代に、おかげさまで、出す本、出す本がベストセラーになっておりまして、お若い方からお齢(とし)を召した方まで読んで下さっています。私の『紫の履歴書』(水書坊刊)という自叙伝は、もう34年も前に刊行したものですが、それがロングセラーで、今でも若い人たちに読まれ、大きな書店ですと、ほとんど(美輪明宏の)特設コーナーを作って置いてくださっています。それから、一昨年に出しました『人生ノート』(パルコ出版刊)という本がございます。これは、政治・経済・教育・子育て・結婚・恋愛、どういうふうな生き方をやっていっても、結論は「発想の転換」が必要だというお話です。考え方や角度を変えてみる。そうすると、政治・経済・子育て・結婚、個人的な自分の生き方、恋愛など、いろんなものに対してとっても楽になるということで、「参考書があればいい」と思って出した本が『人生ノート』でございまして、おかげ様で、1昨年刊行したばかりでしたが、50万部になろうとしています。それも、大した宣伝などしなかったのですが、口コミで広がっていっているそうです。
それから、去年出版しました『ああ正負の法則』(パルコ出版刊)という本は――これは「地球の法則」でして――これを知っていれば、徒(いたずら)に慌てたり、落ち込んだり、悩んだり、苦しんだりしなくて済む。その「正負の法則」とは、すなわち、正と負、プラスとマイナス、陰と陽、この2つのものでこの地球は成り立っているわけですね。人間は正だけを望みます。器量よく生まれて、健康で、勉強もよくできて、学校の成績もよく、好きな人と結ばれて、好きなことをやって生涯が送れて、子供が産まれて、一家全員健康で、そして、おじいちゃんおばあちゃんになっても、孫にも恵まれ、仕事も上手くゆき、経済的に恵まれる。それは、理想ですけれども、これは「地球の法則」に反するわけですね。この地球は、半分悪いことがあって、半分良いことがあって、それでバランスがとれているのですが、バランスが崩れて、人間は良いことばっかりを望みますが、それが手に入りますと、地球にいられなくなる。つまり「死を迎える」ということなんですね。
ですから、上手にその負の部分を自分で承知して、抱え込んでいるということがひとつの秘訣でございますね。全部、良いことばかりとなりますと、これはもう「天国の法則」ですからね。天国に行っちゃうわけです。地球からはずれます。そして、悪いことばかり起こりましたら、これも「地球の法則」ではありませんので、魔界に戻ります。魔界っていうのは本当にあるんです。
本当は、あんまりそういう言葉は使いたくないんですけれども、超能力というのか、霊能力というのか、いろんなものが見えたり、聞こえたり、いろんなことが判ったりするんですね。大阪出身の女流作家の佐藤愛子さんが『こんなふうに死にたい』(新潮社刊)という本の中に、私のそういうことを詳しく書いてくださっています。他に、多くの作家の方がいろんな不思議な現象について語ってくださっていますが、そのことは、おいおいお話ししていきましょう。去年、あっという間に13万部売れた『ああ正負の法則』に書いてあるとおりです。
それから、『愛の話。幸福の話』(集英社刊)という本にも書きましたが、みんな「幸福になりたい」と思っています。結婚式の時によく言います。でも、「幸福っていうのはいったい何なのか?」誰も分析したことを言わないんですね。幸福というのは、充足感、満ち足りた思い、「もう、これ以上、何にも要らない幸せ」というのが幸福なんですね。幸福っていうのは何でできているかというと、泡でできているのです。「ああ、幸せ。なんていいお湯加減なのかしら……」そして、五分後には忘れています。幸福とはそんなものなのです。そして、例えば、疲れ果ててお布団に手足を伸ばして、「ああ、寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く。ああ、幸せだ」と思っても、その五分後には深い眠りに落ちているんですね。そういうものなのです。ですから、幸福というものは、メーテルリンクの『青い鳥』にありますように、あっという間のことなんですね。これも「幸福になりましょう」ということについて、「いったん手に入れたら、形になって手元に残るものだ」という錯覚を起こしているんです。
●どうしたら幸せになれるか
では、どうすれば幸せになれるだろうか、というと、いつでもどこでも、幸せになれる方法がひとつあるんですね。それは、感謝をすることです、感謝することを何か見つければ、いつでも幸せになれる。ところが、人間というのは、不平不満を数えることは一生懸命やるくせに、感謝することは何も探すことはしないんですね。本当はいっぱいあるのに……。そこら辺のことを書いたのが『愛の話。幸福の話』です。
しかし、この愛というものも、「愛してる。愛してる」と簡単に言いますが、それでは「恋愛というのは? 恋と愛はどう違うのか?」というと、「恋愛は、なぜ恋が先にきて、愛が後にくるのか?」これも、分析していないのですね。
恋は自分本意、自分勝手に相手を好きになること。自分の欲望を満足させるために相手が必要。これが恋ですね。逆に、自分の気持ちとか自分の立場とか自分の幸せはどうでもよろしい。ともかく相手を幸せにするのはどうすればいいのか? 自分が不幸であっても構わない。ともかく、この人を幸せにするためにはどんなことだってやってのけよう。相手本位に地球が回っているのが愛なんですね。初めは恋から入って、愛まで到達できればしめたもの。それが、なかなか愛まで行かなくて恋で終わってしまうことが多いですね。恋愛についていろいろ書いているのが『愛の話。幸福の話』です。これもおかげさまで13万部になろうとしています。
そして、ついこの間、瀬戸内寂聴さんと対談した本を出しました。『ぴんぽんぱん ふたり話』(集英社刊)という本ですけれど、これは、瀬戸内さんが住職に就いた天台寺という岩手県のお寺へ行きましてね。その前に「このお寺には木彫りの観音様が2つ祀ってあるでしょ」と言うと、「はい、あります」と言われるので、「その他に祀らなければならないものがひとつあります。天井眉で貴族のような男の人で30代から40代の人で、心当たりはありませんか?」というと、これがあったんですよ! この6年間、学術調査が入っていて、その学術調査の結果、長慶天皇(註=後醍醐天皇の孫。衰退した南朝の第3代天皇であるが、14世紀に、全国各地を転戦した人物で、その実在すら疑われていたが、1926年(大正15年)になって、やっと「長慶天皇」として認められ、皇統譜に加えられた人物)がここで亡くなられたという首塚があって、「どうせそんなの村人のでっちあげだ」と思っていたら、それが出てきたんですよ。
その方に瀬戸内さんは前世で繋がりがあって、そこへ入ってから、そこをメインにしていろんなことがあって、「いい意味で大変なことが起こりますよ。貴重で良いことが起こります」と瀬戸内さんに言ったら、本当に良いことが起こりました。その本に書いていますけれど、ブームが起きて『源氏物語』が大ヒットして、240万部も出て、それからの瀬戸内さんの忙しさ、ブームになる方ってたいへんですね。それにまつわる細かい不思議なことがございましてね。それから、2人とも共通の友人、川端康成さんですとか、三島由紀夫さんですとか、遠藤周作さんですとかいろんな秀才たちとの交流の裏話やなんかを書いたもの、これが『ぴんぽんぱん ふたり話』という本です。これも、おかげさまで、出した途端に6万部出ました。
●マスコミが日本をダメにした
本が売れない時代に、こんなに出す本、出す本がベストセラーになって、読者カードやなんかでも「50代でリストラに遭った主人が自殺しようと思ったんだけど、それを読んで自殺するのを思い留まった」とか、「家出してた不良の子供が帰ってきました」とか、いろんな話があります。今はマスコミは、悪い刺激的なニュースばっかり流して、どうやって視聴率を上げるか、ビルを建てるか。金、金、金で、みんなを脅かして、不安材料を掻き立てれば、みんな慌てて、視聴率も上がるし、週刊誌も買うというふうに、非常に品性下劣になっています。この日本の中で、一番衿を正さなければならないのは、マスコミ自身なんですね。みんな歌舞伎町文化になっちゃって、物欲と性欲と食欲とこの3本立てになっちゃって、この頃の婦人雑誌や、若い人の雑誌、男の人の週刊誌、みんな下品です。スポーツ紙なんて見てご覧なさい。もう、人前で開けられないですよ。女の人が大股開きでね、「アヘアヘ。濡れた欲情」とかいろんなこと書いているんですね(会場笑い)。それをね、公の場所で売っているわけですよ。子供が見ているところで開けられません。
泉尾教会の神前で講演した美輪明宏先生
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とにかく、日本がそういうふうになってしまった。ですから、親も信じられない。マスコミも評論家も信じられない。たいていの評論家は、どこかの業界の紐付きだってこと、みんなお客さんのほうで判っちゃった。で、評論家も信じられない。そして、マスコミも学者も学校の先生も信じられない。だったら、何が信じられるのだろう? みなさんがそういうものを探っているのですね。ですから、私がお芝居やコンサートのお仕事もそうですけれども、このようなスピーチのお仕事で、こうやって全国を回らせていただくと、どこでも会場(定員)の2倍から3倍のお申し込みがあるんです。ということは、私の日頃の言動をテレビで聞いていて「ひょっとしたら、この人は本当のことを喋(しゃべ)るかもしれない」ということを皆さん探している時代なんですね。
毎年、大阪でもお芝居をやらせていただいていますし、コンサートも定期的に開かせていただいておりますが、このようなおしゃべりのほうは、まだ大阪では3、4回しかしたことがないんですね。本日、婦人大会にご参集の皆さんの中で、私のコンサートや芝居をご覧になったことがない方もたくさんおられるかと思いますが、私の話もコンサートやお芝居と同じくらいに、つまりメッセージだと思っていただけたらと思います。
●この世は錯覚でできている
まず、お話ししたいのは、この世の中は何でできているかということです。実は、この世は「錯覚」でできています。人間というものは錯覚をおかす。なぜそうなるかというと、「常識」を基準にしているからなんですね。「常識で言ったら、こうですよ」とか、「常識から外れているわよ」とか、言いますが、それにはまず「常識はみんな正しい」という前提が必要です。ところが、今の世界は、この常識が狂っているんですね。初めから「常識」という物差しが狂っている。でも、真理と常識は違うわけです。真理というのは、もう人類の始まる前から永久に変わらないものが真理なのですね。だから、真理のほうを基準にすればいいのに、人間は常識のほうを基準にしている。
判り易い例を言いますと、もうすぐ8月15日がやってきますね。終戦記念日。1945年(昭和20年)に、それまで、封建主義が正しくて、民主主義はダメ、資本主義もダメ、社会主義もダメ。封建的超国家主義が正解。軍隊なんかでも、ひとつ階級が上の人に、たとえごろつきで間違ったことを言われても、ひとつ階級が上だから「ご無理ごもっとも」と言わなくちゃならない。ともかく、階級がひとつでも上の人が何か言ったら、「黒いものでも白でございます」と言わなくちゃならない。それが美徳とされていた。
そして、社会主義や自由主義のことを言っていた大杉栄(註=明治から大正期にかけて活躍した無政府主義者)だとか、幸徳秋水(註=天皇暗殺を計画したとされる社会主義者)とかは皆、嬲(なぶ)り殺しにされましたね。「何も考えちゃいけない」というものが常識だったんですね、戦前は。
ところが、一夜明けて1945年の8月15日になって、日本が戦争に負けました。すると、千数百年続いた封建主義が見事にぶっ壊れて、それまで悪徳とされていた民主主義、資本主義、自由主義が「正しいこと」になっちゃったんですね。そして60年近く経つのに、まだそれが着こなせないで、みんなギクシャクとしていますが、みんなよくここまで来れたと思いますね。
そうやって、一夜明ければひっくり返ってしまうのが、常識なんです。もうちょっと解り易くいいますとね、「この人偉い人よ」、「どうして?」、「どっかの会社の社長夫人なの」といった類の話がいくらでもありますね。弁護士さん、学校の先生、裁判官なの、政治家だから、偉いのよ。「あらそう、そんなのみんな肩書きでしょ? 人格となんの関係があるの。この世の中で一番偉いのは、心がけの美しい、魂が偉い人が一番偉いのよ。みんな同じ仕事をしてる商売人だしね。肩書きなんて何の役にも立たないのよ。仕事の種類を表す記号にすぎないでしょ」と言ったら、大学の学長さんが「おれを商売人なんかといっしょにしないでくれ」と言うんです。ですから、そういうふうな人格だから「あなたは、ものは知っていても、人格的には勉強が何もできていない。だから、尊敬ができないのですよ。今まで何を勉強してきたのですか?」と言いました。
頭(こうべ)を垂れる。秋の稲穂も実るほど垂れる。ものが解ってくると、自然と謙虚になるはずです。それを傲慢になるなんて、「馬鹿だからなるんですよ」って言ったら、学長さんが「何を失礼なことを」と言うから、「だってそうでしょ。八百屋さんは野菜を仕入れてそれを売って商売している。学者とか裁判官とか、学校の先生とかそういう人は、知識を仕入れてそれを売って商売しているのよ。商売人じゃない。どこが違うのよ」と言ったら、ぐうの音も出なくなるのですね。
そういうことだから、差別が生まれるのですね。つまり、容姿、年齢、性別、国籍、肩書き、着ているもの、持っているもので、みんな判断する。「あの人立派なお屋敷に住んでいる」「どういう肩書きの人だから」「若いから」とかね。みんな年齢を隠してね(会場笑い)。「若ければ若いほどいい」と思い込んじゃっている。恋愛する時だって、すぐに「年齢(とし)はいくつ?」と聞きますでしょ。年齢と恋愛とは関係ないですよ。そんなに若いのが偉いんだったら、赤ん坊が一番偉いんですよ(会場笑い)。ともかく、年齢、性別、国籍、肩書き、こういったものは、自分で変えようっても変えられないんですね。この自分で努力しても変えられないもので差別を受けるのは理不尽です。だけど、心は変えられる。よく「あの人は悪い人だ」とか、「良い人だ」と言いますが、良い人になればいいんですから。そしたら、年齢、性別、国籍そういうもので差別はなくなりますね。そうすると、「あいつ、爺(じじい)のくせに」とか「若造のくせに」とか「朝鮮人のくせに」とか、そういう差別はなくなります。そして、「金持ちのくせに」、「貧乏人のくせに」これもなくなります。「男のくせに」、「女のくせに」これもなくなります。
すべての差別がなくなって、心の差別だけになるんです。「悪い人」と言われて差別されるんだったら、「良い人」になればいいんです。それは簡単にできます。自分のためにもなります。つまり「錯覚を正す」というのですね。錯覚を侵しているこの世の中の根底をよく見るということです。もっと解りやすく言いますと、例えば、「男は強い。女は弱い」と言いますね。私は二十四歳になるこの年齢まで(会場笑い)ね、強い男と弱い女は見たことがないんですよ。
何がおかしいんです? だって今、2003年でしょ? 私は、1935年(昭和10年)生まれだから、2003から1935引いたら24でしょ(会場笑い)? 年齢なんてどうでもいいんですよ。ただの数字ですからね(会場笑い)。
●女は生理的にも精神的にも強くできている
そして、とにかく、今までに弱い女性は見たことがないですよ。女は生理的にも、精神的にも強すぎるから、神様は腕力を取り上げちゃったのです。男は生理的にも、精神的にもあまり弱すぎるから腕力を授けたんですね、ところが、その腕力まで手に入れている女の人が増えてきました(会場笑い)。これでは史上最強の動物です。ゴキブリより強いんです。だってそうでしょ? 中小企業の社長さんでも、女の社長さんは、全国で組合ができるくらいいっぱいいます。
ところが、倒産しても首吊って死ぬのは男の社長さんだけです(会場笑い)。倒産したからって、首吊って死んだっていう女社長は聞いたことがありません。借金取りが来ても、「無い袖は振れないわよ」、「殺せば?」と、開き直っておしまい。女の人はね、風邪ひいて熱出しても、仕事はします。生理なんてのは、軽い人もいれば酷い人もいます。軽い人はともかく、生理の酷い人はもう地面から鉄の爪が出てきて、骨盤から恥骨のとこで締めつけられるみたいで、頭はズキズキするし、気分はイライラするし……。なぜこんなこと分かるんでしょうね(会場笑い)? 私はね、霊能者だから分かるんです。でも、家事もするんですよ。子育てもしますよ。男なんて、風邪ひとつひいてごらんなさい。死ぬような騒ぎですよ。それに、血を見たらひっくり返ります。女で血を見てひっくり返ってたんじゃ、女が務まらないんですよ。
ですから、海に潜ってアワビとってくるのは女の海女(あま)さんだけですよ。男は(長時間息を止めることは)生理的に持ちませんからね。たまの日曜日に子守りなんてさせてご覧なさい。男の人は神経質だから、子供の後をついて回りますよ。「あっち行ったら危ない。こっち来たら危ない。えっ、転んだ? 血出した? 救急箱!」と、えらい騒ぎになります。毎日子守をやらせたらノイローゼになります。ところが、女の人は平気です。子守りしながらでも、テレビ視てます。煎餅(せんべい)かじってます。「こら、バタバタしないの。うるさいわね。ほら、泣かないの。えっ、転んだ? いらっしゃい。血出したの? レロレロレロ。『痛いの、痛いの、飛んでけ!』はい、治った(会場笑い)」この無神経さ、愚鈍さ、だから、女は子供を育てられるんですよ。現実そのものですからね。
美輪明宏氏の講演で満堂になった泉尾教会の会堂 |
つまり、女の人の図太さというのは必要悪なんですよ。冷蔵庫から、賞味期限切れの食品が出てきた時に、「なんだ、賞味期限が切れてるじゃないか。(女房の管理能力が)だらしがないな」と言って、男の人は捨てちゃいます。ところが、女の人は「あら、期限切れちゃった。でも、もったいないな。死にはしないでしょ」と言って、食べちゃいます(会場笑い)。そうなんですよ。ですから、家庭を守ることができたんです。
特に、戦時中なんてのはね、「産めよ殖やせよ。地に満ちよ」と言われて、どんどん子供を産んだものでしたが、今みたいに「子育てに自信がない」からといって、一人や二人の子供の世話でノイローゼになって死ぬような馬鹿はいませんでしたよ。とにかくね、弾除け(兵隊)の人数が欲しかったんです、軍がね……。だから、どんどんどんどん「産めよ。殖やせよ」で残ってるのは、女と年寄り子供しかいないのに……。しかも、家事はね、火吹きだけで火を熾(おこ)して、いったん火が熾ったら、決して火から離れられない。とはいっても、赤ちゃん負ぶって、水は井戸水、そして、洗濯は手で洗ってる。それだけのことを毎日やって、それで、女手ひとつで六人も十人も育てたんですよ。でも、せっかく大きく育ったと思ったら、兵隊に持って行かれて殺されたんです。したがって、「殺す」ために「産め。産め。産め」と言ったのが国の政策だったんですよ。
●男は劣等感を力にしている
ともかく、女は強いんです。「でも、しかし……」という切り札を持っているんですよ。そして、負けそうになると、それをパッと出すんです。水戸黄門の印篭みたいにね。男の人にはその印篭がないんです。男は、劣等感の塊の洋服を着ているんです。女には劣等感ありません。たまにかすめるだけですよ。男はね、お風呂屋さんなんかに行くと、「あいつの持ち物でっかいな」と、すぐ白旗上げて降参するんですよ(会場笑い)。背が高い男が来ます。「あいつ背がでっかいな。俺は背が小さくて駄目だ」「あいついい男だな。俺不細工だから駄目だ」と、すぐ下を向いちゃう。男は内向するんです。それが劣等感になって、人の足を引っ張る。ですから、男の世界は「一歩外に出ると、七人の敵がいる」と昔から言われていたのは、男同士の劣等感からくる足の引っ張り合い、嫉妬、つまりこういうものなのです。
われわれの業界でもそうです。実は、プロデューサーも照明係さんもカメラマンも脚本家も、いい男は大嫌いなんです。ですから、背が高くてスラっとしたファッションモデルなんかが出て来たら、必ずライトを当ててやりません(会場笑い)。嫌な役しか当てません。すぐ殺される役だとか、ストーカーの役だとか。そういう役しか当てません。ですから、日本の芸能界にはいい男は一切、育たないんです。彼らが好きなのは、西田敏行であり、竹中直人であり、武田鉄矢が大好きなんです(会場笑い)。
木村拓哉があそこまで行けたのは、背が低いからですね。彼は足が短いからなんです。あれで、あと20センチ足が長かったら、とっくに葬られていますよ(会場笑い)。男たちが大好きなのは、力道山だったり、三船敏郎だとか、高倉健だとか、「俺は、男だ!」と言う人には弱いんです。そういう人には協力します。ですから、昔から言われているのは本当でね。「色男、金と力は無かりけり」みんなが協力してくれないから成功しないんです。日本の企業で、いわゆる会社の社長さん、会長さん、こういう地位になった人は全部不細工です。いい男はまずなれません。ですから、みなさんのお嬢さんでね、とにかくいい男と結婚したという人は、将来絶望的だってことです(会場笑い)。それが「正負の法則」なんです。何かを得れば、必ず何かを失うんです。
男の人の精神構造はそういうふうになってます。一方、女の人には劣等感がないっていうのは、一方的に負けないからです。向こうからおっぱいの大きい人が来ても、「羨(うらや)ましいわ。あんな胸してたらね、私なら世界征服できたのに。私なんか洗濯板に干し葡萄だわ。羨ましい。でも、あの人頭悪そう(会場笑い)」それで、ちゃら(相殺)にするんです。決して一方的に負けないんです。向こうから格好の良い背の高い人が来たとします。「あの人すごいわ。ブランドだらけ。靴はシャネル、着ているものはエルメス、凄いわね。みんなブランド。私なんか全部無印よ。でも、あの人きっと売春でもして稼(かせ)いでいるのよ(会場笑い)」向こうから見たところ非の打ちどころのない女が来ます。趣味もいいし、美しいし。「負けたわ。あんな欠点のどこにもない女っているのね。でも、あの人根性は悪そう(会場笑い)」見えるところが完全に負けとなったら、見えないところで欠点を探そうとします。それが女です。とにかくね、「女が弱い」というのは嘘なんです。
それを知ってさえいれば、所帯を持ってから「夫は全く意気地なしで、女々しくて、だらしがなくて、甲斐性がなくて」と言わなくて済むんですよ。意気地がなくて、だらしがないのが男なんですから(会場笑い)。そうです。女性度の高ければ高い人ほど、強(したた)かです。もう、一見保護してあげなければならないような人ほど、強かで、ふてぶてしいです。逆に、和田アキコさんのような男っぽい人はすぐ泣きます。そういうふうになってます。それを知っていれば、男の人もね「なんて女はふてぶてしいんだ。子供ひとり産んだら、うちの女房はすっかり変わっちゃった」なんて思わずに済みます。変わったんじゃなくて、もともと強いんです。生理的にそういうふうになってます。それを知っているとね、誰かに寄りかかろうとか、面倒見てもらおうとかいうのは、間違いだっていることがよく解るんですね。そして、そういう錯覚の正し方をしていけばいいのです。
●結婚生活に幻想を抱いてはいけない
それから、結婚でもそうですよ。「美輪さんいつまで一人でいるのよ。かわいそうにね。早く結婚しちゃいなさい」結婚して幸せになった人が何人いますか(会場笑い)?一人でいれば十分幸せだったのに、結婚したために不幸になった人いっぱいいるじゃないですか! 中には、間違って幸せになった人がいますよ。その人は、神様に感謝しなければいけません。
なぜならば、夫婦というのは、それぞれが育った家の環境、親の性質、教養、知性、全部違うんです。酒飲んじゃあお膳ひっくり返す親。無教養、無知、そういう家で生まれ育った子供。また、インテリで教養があって、一流大学出てんだけど、冷たい親。とにかく、お母さんはパチンコばかりやってる。お母さんが大変な教育ママで、もちろん、うるさいことばかり言ってる。また、そういう見栄ばっかり張ってる。ブランドだらけの奥さん。こういったいろんな人に育てられて、ご飯の炊き方も軟らかめ、硬め、おしんこ(漬物)の漬け方も関西と関東、また北海道と沖縄とでは全部違いますよ。何もかも違う人間がね、今日からひとつ屋根の下に暮らすことになりました。ご飯の炊き方、漬物の漬け方ひとつから、もう言い合いになりますからね。どっちかが歩み寄らなければいけない。歩み寄る努力が必要です。
しかし、いくら努力しても、とにかく歩み寄れないというところもありますからね。それは、初めは恋愛結婚で、お互いに惚(ほ)れてるから譲れますよ。抱きたいし抱かれたいと思っているから遠慮がある。ところが、セックスだって、毎日してれば飽きてきちゃう訳ですよ。毎日だったセックスが、一週間にいっぺんになり、1カ月にいっぺん、半年にいっぺん、一年にいっぺんになって、終いには何にもなくなって、お互いに仏様みたいになって、ふっと気がついたら、お互いに望む下宿人同士みたいになるんですよね。そうなんです。
ですから、つまり、ウエディングドレスや文金高島田を着て、「ああ結婚!」と感動しても、あれは単なる仮装大会なんですよ。今の言葉でいえば、コスプレ。一日で終わるんですよ。結婚式って言うのは……。その結婚祭と結婚生活とを、錯覚起こして一緒に考えている人が多いんですよ。「祭りが済んで日が暮れた」ところからが結婚生活の始まりなんですよ。で、そうなると、努力と忍耐と諦め以外の何者でもないんですよ。ですからね、「結婚するの」と言った時に、「良かったわね。薔薇色ね」と応えますが、あれは陰謀なんです。自分も、うっかり結婚してみたら、意外と大変だったんで、「いいわ。こうなったら一人でも多く犠牲者を増やしてやろう(会場笑い)」と言うことで、「結婚しなさい。結婚しなさい」って、あれは悪魔のささやきです。今度、結婚すると言う人がいたらね、本当にその人のためを思うんだったら、「あら、大変なことをしでかしたのね。大丈夫?」って言ってあげたほうが、その人のためになるんですよ。
●良い人間になろうとせよ
終戦まではね、結婚式って言うのは――恋愛結婚は不道徳とされてましたからね――家と家との結婚式でした。「親の決めた結婚が正しい」とされてましたからね。もし、「恋愛結婚だ」なんて言ったら、「あの人恋愛結婚だって! まあなんてふしだらな。親の顔が見たい」って言われたものなんですよ。まあそれは、女の働く場所が少なかった。女の職種が少なかったということがありますから、結婚にしがみついていかなきゃ食べていけなかったということもありますけれども、それだけじゃなくって、結婚生活の本当の正体を教えてたんですね。それは何かって言ったら、つまり舅姑の下(しも)の世話をするのは嫁の務め。夫の浮気、これは男の甲斐性。子供を産む時、死ぬような思いをするよ。もっと辛いのは子育てだよ。子供だって生きものだからね。自分勝手にいろんなことはするし、言うことは聞かないし、わが子であっても「殺してやりたい」と思うことはあるんだよ。そして、夜泣きはするし、夜中でも授乳時間を守らなきゃいけない。そして、もし、夫が病気で倒れたりしたら、「おまえが働いて家を支えなさい」と言われ、自分が齢をとったら、「老いては子に従え」ということで、孫の名前ひとつ呼ばせてもらえない。「それが結婚なんだよ」と。結婚の本当の正体を教えてたんですね。
ですから、戦前は、結婚に対して、馬鹿みたいな、「幸せ幸せ」って、薔薇色みたいな、過大な期待は持ってなかったんです。だから、夫が倒れた、病気になった。借金、子育て、子供が苛(いじ)められた。舅姑の問題、親戚の問題……と次から次へと問題が出てきます。その時に、驚きも慌てもしない。「あっ、言われていたのはこのことか。これが結婚だな」ということで、それが結婚だって知っているから、驚きも慌てもしない。そういうふうにしてたから、旨く行っていたんですね。誰も錯覚を起こしていなかったんですよ。
しかし、今はもう、本当に結婚産業に躍らされて、錯覚ばっかりです。そして、結婚式の時もね、「良い旦那さんになって下さい。良い奥さんになって下さい」ってよく言いますよね。私は結婚式のスピーチを頼まれたら、よく言うんです。「そんなもんになる必要はない。良い旦那、良い奥さんになろうとすると無理がいく。それより、良い人間同士でいるようにして下さい」そうしたら旨くいきます。これが基本なんですね。職場でも、良い上司であろう、良い同僚であろう、良い部下であろうとするよりも、そんな肩書きとかね、記号はどうでもよくって、「良い人間同士で一緒に働きましょう」ってしてると、旨く行くんです。
ですから、良い母親であろう、良い父親であろうとすると、背伸びをすることになる。ところが、「良い人間同士で、この家で一緒に生活していきましょうね」ってすると、旨く行くんですよね。ですから、夫とか妻とか舅とか姑とかは記号に過ぎないから、それに囚われないことです。そんな言葉は辞めちまったほうがいいんです。そんな言葉にとにかく囚われるから、あの橋田寿賀子さんの馬鹿なホームドラマみたいに、「嫁姑だ。鬼嫁だ」と言われるんです。人間単位にすれば、記号に振り回されません。そうすると、みな旨く行きます。だって、「夫」という言葉だってね、場合によって変わるんですよ。子供の前では「父親」なんですよ。お母さんの前では「息子」ですよ。妻の前では「夫」です。電車の中では「痴漢」になるんですよ(会場笑い)。そうです。一人の人間ということは変わらないんですよ。何処でも変わらない。人間単位でものを見るようにする。
●信仰と宗教は違う
それをもっと細分化しますとね、単なる人間じゃないんです私たちは……。エネルギー体なんです。私の家は、いかにも日本人らしいごちゃ混ぜの宗教なんですけれどもね。私の生まれた実家は、浄土真宗で「南無阿弥陀仏」ですね。私が行っていた教会はプロテスタントなんですよ。そして、学校はカトリックで、そして、私の養子先、母方を私が継いで丸山姓になったんですけれども、そこは曹洞宗なんですよ。ところが、そこにいろいろ影響を及ぼしていた祖母のお父さんですね。曾父母は神主だったんですよ。そうです。ですから、「高天原(たかまがはら)に神留(かむず)まります。皇親神漏伎神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)の命以(みことも)ちて……」とやってたかと思うと、「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」って……。
で、父方の祖父は「南無妙法蓮華経」だったんですね。それで、いろんな不思議なことがあって、法華経に変えなきゃいけなくなって、法華経に変えたんですけれどね。で、結果わかったことは、「信仰と宗教は違う」ということなんですよ。信仰と言うのは、宗教とは字が違いますね。「宗を教える」というのは宗教です。信仰というのは、「信じ仰ぐ」と書きます。神仏とは、なぜ「信じ仰ぐ」すなわち、信仰するのかと言うと、全人格的なもの、尊敬できる人格、つまり、清くて正しくて、強くて厳しくて、優しくて慈悲に溢れてて、といったようない良いところを全部集めたのが神様仏様なんですよね。
ところが、そういう神仏の全人格的な力にお縋(すが)りしちゃって、「無事息災、家内安全、身体健康」と、いろいろ頼みます。拝みます。だけど、それだけじゃなくて、自分自身をも神仏のお仲間としてね、自分自身をも冷たく冷静に、抜本的に値踏みして、偏差値をつけて、そして、「あっ、この人間は信じ合えるだけの、貴ぶだけの値打ちのある人間だな」というふうに、自分を高めていく作業……。それは、日常生活の中で、憎んだり憎まれたり、落ち込んでみたり、畜生と思ってみたり、それは「こんなことじゃいけない」と思って反省して、また軌道修正して。それでまた、落ち込んでみたり、それで「こんなことではいけない」と思って、反省してまたやり直してみたり。
それの中からもう、だんだんだんだん、いかなる事故、災難、トラブル、いろんなことが起きても微動だにしない。首から上は、冷たくて冷静。心は温かくて、情熱に燃えてる。このバランス、これが理想的な人間なんですね。頭が冷たくて、心が温かい。これをずーっと、いかなる場合でもそのバランスを保てるようになったら、もう生まれ変わる必要はありません。ということで、あの世で別のエネルギー体になるということですね。私たちは、なぜ地球に生まれてきたか?
つまり、自分自身を信じ、仰ぎ、貴ぶだけの人間に高めていくために、修行するために生まれてきているんですね。
ですから、その神様と人間――神様が参考になる方ですね――それに近づこうとして、自分をそこまで高めていくことが必要です。そこで、神様と人間の間に入って、「そういうやり方もありますよ。こういう拝み方もありますよ。こういう方法もありまっせ。仏具売ってまっせ……」これが宗教なんです。ですから、宗教は問屋さんですね。問屋さんですから企業です。人々の信仰心のお手伝いをするわけですからね。
●99パーセントの偽物と1パーセントの本物
その企業の中でも、優良企業もあれば、インチキ企業もあります。それを見分けることですね。で、それを見分けるのは、簡単です。教祖とか周りの人を見ればいいんです。そういう人は、だいたい気品があります。インチキ企業のところは、下品です、本当に……。麻原彰晃を見てご覧なさい。全身、菌の固まりみたいでしょ。なんであんなの拝む気になるんです? そうでしょ。一方、先ほど、控えの間で教会長様に紹介していただきましたけれども、本当に穏やかで、ほわーとした、福々した、本当に優しい気品のある方だと……。「あっ、こういう方は本物だな」と思った訳ですね。
そうなんです。占い師だってそうですよ。もう、「有名だから」といってね、本物だと思わないで下さい。「本を出してる」から、「テレビに出てる」からって、まずインチキが99パーセント。超能力者、占い師、この手の類は99パーセントが偽者です。私は、北海道から沖縄まで全部行くんですよ。道場破りに……。そしたら、みんな私の勝ちです。
でも、たまに1パーセントの本物がいます。その1パーセントの本物は、まず、お金のことは言いません。「あなたが良くなって下されば、それで結構です。それが私の報酬です。もし、(報酬を)下さるんであれば、私も生活していますので、無理のないように。お気持ちだけで結構ですよ」と言うのが本物ですよ。「1件につき30万円よこせ」だとか、2つ聞こうとすると、「30万ぽっちで2つ聞こうとするなんて不逞了見(ふていりょうけん)だ!」なんて、女だてらに脅かす占い師がいるとか……。自称超能力者がいるとか……。
だいたいそういったところは、後ろで、黒服のやくざのお兄ちゃんたちが取り仕切っているから、それが目安になります。素人さんじゃない人がいっぱいいますよ。ですから、この間も、長女が年老いたお父さんを殺した事件があったでしょ。保険金掛けちゃって。女占い師と組んで、やくざと一緒にお父さん殺しちゃったじゃないですか。ですから、ああいう手合いがいっぱいいますよ。ですから、女占い師、男占い師、超能力者、そういう類の者はまず偽者だと思って間違いありません。本物の人は、まず少ないんですね。1パーセントはいることはいますけれども……。それよりも、自分を救うのは自分しかいないんです。
そうです。宗教は「自ら助けるものを助ける」自分が、神であり、仏であり、自分を教える先生は自分。教わる生徒も自分。自分を育てる親も自分なら、育てられる子供も自分なんです。そういうことをするために、私たちは地球に修行に来ている。この地球が、「心の道場」なんです。宇宙の超ど真ん中、つまりプラスとマイナス、正と負の真ん中に置かれているのがこの地球なんですね。
●多く生まれ変わっている人ほど他人に優しい
私たちの精神は、ガス状になって宇宙に散らばっているわけです。夜空を見ますとね、星雲が一杯ありますね。それと同じように、人間の精神はエネルギー体になって、ガス状になっているのです。純度の高いものは、つまり神であり、如来であり、仏であり――宗派によって呼び方が違いますけれども――神とか仏とかその中でも段階があります。全部グループを作っているわけですが、ともかくエネルギー体です。そして、そこから私たちみたいに開発途上のエネルギー体、すなわち「魂」と言われているものが、この地球上に生まれてくるのです。
そのために、肉体が必要なのです。肉体があるからこそ、いろいろな苦しみが生じるわけですね。不細工に生まれてくる。病気を持って生まれてくる。男になる。女になる。美しく生まれる。醜く生まれる。日本人、朝鮮人、ユダヤ人、黒人、白人、あらゆる人種に生まれ変わって、そしてあらゆるパターンの人生を全部経験します。学校でも、国語の時間の次は数学、その次は生物というふうに、人間もいろいろに生まれ変わります。そうすると経験が生まれてきます。
自分がAコースを了(おえ)て、Bコースに進んでいる人生を生きている時に、今、現在Aコースを生きている人を見たら、「私もああいう人生を送ったけれども、さぞかし辛いだろうなあ。私もあの時は辛かったからなあ」という慈悲の心が生まれてきます。思いやりが生まれてきます。ですから、他人のため、「さぞかし辛いでしょう」と、思いやりがあって、涙を流すことができる人は、生まれ変わりの回数が多い人なんです。ところが、「なんであんなことくらいで泣くの? 何が悲しいの? バカじゃないの?」と思う人は、子供みたいに人の心の痛みが解らない。その苦しみが解らない人は、生まれ変わりの回数の少ない人なんですね。ですから、そういう人を見た時には、嫌な奴だと思わないで、「ああ、気の毒に。あの人は生まれ変わりの回数が少ないから、前世はきっと灰皿かなんかだったんかしら」(会場笑い)と思っておけばいいのです。灰皿なんてことはないけれど、そういうことですね。人を見た時に、さっき言いましたね。年齢・性別・国籍、そういう外見上のもので見ないで、見えないものを見なさい。それは心です。この人はどれくらい生まれ変わって来て、どれだけの魂のグレードを持っているのだろうか? そればっかりで見てればいいのです。そうするといろんなものが見えてきます。
●「霊子」について
つまり、霊魂というものは――霊魂なんて言い方をするから、不思議なもののような気がしますが――未発見の素粒子だろうと思っております。つまり、物理学の世界では、電子・陽子・中性子といった素粒子がありますよね。それらの中には、未発見の素粒子がまだ一杯あります。そこで、私はこれに「霊子」というふうに名前をつけてますけれどもね。例えば「原子」というものは肉眼では見えません。見えないくらい小さいものだけど、それは何十万の人を一時に殺すだけのエネルギーを持ってます。ですから、「霊子」だって、大変なエネルギーを持っているのです。それを一般には念力とかいうふうな言い方をしたりもするわけですね。
男女の性行為の際に、女性の膣の中にそのエネルギー体の霊子が入り込んで、そして蛋白質、カルシウムで外側を囲ませて、十月十日(とつきとおか)で出てくる。それが「生命の誕生」です。そして「死」というのは、生命の外側の蛋白質、カルシウムがもとのバラバラの元素に戻る。そして、中の「霊子」といわれるエネルギー体がむき出しになる状態で、元々の状態になるんですね。生まれる前の状態になる。それが「死」と呼ばれるわけです。それは、また、自分の純度に応じて、「霊界」と言われているその宇宙のエネルギー体のところへと戻っていくわけです。それで、グレードが高くなっていれば、また別の、もう一段上のほうに行く。そういう状態になっています。疑っている人も何人かいらっしゃるようですけれども、一度、死んでみれば判ります(会場笑い)。その時、私たち(の精神)は、そういう状態になっています。だから、私たちはこの世でいろいろな思いをします。
今、この世にいる人の中には、霊界から来ている人もいます。天界から来ている人もいます。天界から来ている人たちというのは、だいたい人がいいです。ですから出世しません。「お先にどうぞ。どうぞどうぞ、私は後でいいですから」と、どうぞばかり言っているから、出世はしません。いつも貧乏している。ところが、魔界から来ている連中というのは、深い欲の塊で、エネルギーが全然違いますからね。だいたいこの世で出世したり、ものすごい大金持ちになったり、権力の座に就いたり、何か大きなことをするわけですね。ものすごいエネルギーを持っていますからね。「お先にどうぞ」じゃなくて、「俺が先だ! 私が先だ!」というふうにやっていますから……。皆さんのまわりで、そういう人を見たら、「あっ、魔界人だなあ」と思って、だいたい間違いありません。
しかし、魔界人でも、天界人の影響を受けて、だんだん精製されて良い人になっていって、最後に天界に入る場合もあります。その逆に、たとえ天界人でも、この世で快楽、つまりセックスだとかお金だとかいろいろな欲――貪欲、物欲、性欲、こういったものは魔界のものですから――に釣られていって、始めは天界人でも最後には魔界に堕ちてしまう場合もあります。ブラックホールとかホワイトホールとかいうのは、最近科学的に随分問題になってまして、やっと発見されたわけですけれども、それと同じように、マイナスのエネルギー体(悪)とプラスのエネルギー体(善)の両方が、この地球にあり、その合計は、ちょうど同じ量です。ですから、それを頭に入れておいてください。
私たちは、その「お先にどうぞ」という修行をすることを「菩薩行」と言いますね。ですから、私たちは全部、一人ひとり皆菩薩なんです。男でもない、女でもない。なんとか何子さんでもない。ただのエネルギー体のまあるい光の玉です。その中には、ダイヤモンドのように光り輝く玉もあれば、パチンコ玉のように鈍い光の玉もあったり、真っ黒けのような玉もある。だけど、玉は玉です。みんな菩薩ですからね。お互いに、明日から、「小林さん」とか「鈴木さん」とか呼んではいけませんよ。「鈴木菩薩」「小林菩薩」と言うんですよ。家へ帰ったら、「とうちゃん菩薩」、「かあちゃん菩薩」(会場笑い)皆菩薩だと思っていれば、間違いありません。そういうふうな菩薩行をするために、皆さんは「自分は菩薩である」あるいは、「自分は神であり、仏である」というふうに意識していただきたいと思います。
●天上天下唯我独尊の意味
話は変わりますが、自殺未遂ばかりするお嬢さんがいるんですよ。そのお嬢さんをお母さん代わりの人が、私のところへ連れて来られたので、「どうしてそんなことするの?」と尋ねたら、「私にあの父の遺伝子が受け継がれていると思ったら、許せない」と言うのです。お父さんは刑務所を出たり、入ったりしている人でね。お母さんもまた、好き勝手に次々に男を作って、家を出たり入ったりして、パチンコばかりしている。「そんなろくでもない両親の血が自分の中に入っていると思ったら、自分自身の存在が汚らわしい。だから、自分を抹殺したい」と言うので、私は「でもね、あなた何か勘違いしているんじゃない? あなたの体を作っている60兆という細胞はね、お父さんとお母さんの2人からだけのものじゃないのよ。お父さんとお母さんはどうしようもない人かもしれないけど、おじいちゃん、おばあちゃんはどうなの?」と尋ねたら、「まあ、普通の人です」と答えたので、「おじいちゃん、おばあちゃんが各々2人ずついて、4人でしょ。その人たちは普通の人かもしれない。その上に、曾祖父(ひいおじい)ちゃん、曾祖母(ひいおばあ)ちゃんがいるでしょう。それって4人ずつ八人いるのよ」と言ってやりましたら、「え、そんなにいるんです?」と驚くので、「そうよ。その曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんの上に、玄祖父(ひいひいおじい)ちゃんと玄祖母(ひいひいおばあ)ちゃんが8人ずつの合計16人いるのよ。それを表にして数えていってごらんなさい。四代、五代、六代となったら、何十人、何百人という人の遺伝子、思い、性質、そういうものが全部、あなたの体の中にひとつにまとまって、60兆という細胞ができているのよ」と言いました。「じゃ、父はゴミみたいですね?」「そうよ、あなたのお父さんはゴミなのよ!」「あ、ゴミですか」それで、ふっと判ったんですね。
「でも、美輪さんは良い人の遺伝子ばかりもらって、きれいだし、才能もあるし、いろいろおできになるし、私なんかと違う」と言うので、「人間は皆、条件は同じなのよ。そうでしょう。ただ、あなたと私どこが違うかと言ったら、それを意識しているか、いないか。気付くか、気付かないかだけなのよね。人間はどの人も全部、何百人、何千人、何万人という人の思いの集合体なのよ。そうやって表にして数えてごらんなさい。条件は全部同じだけど、私は自分の中にも、何十人、何百人、何千人という人間がいて、その中には、人格者もいれば、天才もいる。馬鹿もいるし、変質者もいれば、本当に愛すべき人間もいるでしょう。ありとあらゆる人たちがいて、それが全部どの人間の中にもあって、私は自分の中の悪い人間の部分を全部切っていく。良い人間の部分だけを探して、それを育てて行くように、努力する。増幅させるかしないか、それだけの違いよ。同じ人間で、同じ資質を持っている。それに気が付いたんだから、努力すればいいでしょう」と言ってあげましたら、そこいらのフーテンのヤンキーやっていたおねえちゃんだったんですけれども、ヤンキーをやめて、オートバイもやめて、そして、真面目に勉強して、今ではパリへ行ってデザイナーの勉強をしています。
要は、気付くか、気が付かないかだけなんですね。お釈迦様はオギャーと生まれてすぐに、のこのこ歩き出して、『天上天下唯我独尊』とおっしゃったと伝えられていますが、その言葉の意味として、「この世界で私だけがただ一人尊い」とおっしゃったというのは嘘なんですね。『天上天下唯我独尊』の本当の意味は、「この世界で、私はたったひとつしかない存在です。だから、尊いのです」という意味です。それは、私ばかりではありません。あなた方皆さん、全部そうなんです。「あなたの存在は、この地球でこの世界でこの宇宙で、たったひとつしかない貴重な存在ですよ。それに気付きなさい。代わりはないんです。どんな宝物よりも素晴らしいじゃないですか」ということです。この宇宙で、私はたったひとつしかない存在だと気付いたら、本当に貴重品だと思って、自分を大事に扱わなければいけないということなんですね。さっき申しましたけれども、その自分がいつでも幸せになれるというのは、そういうことに気が付くことなんですね。
●弱者のための歌を
私は三島由紀夫さんと2人でコンサートをやりまして、その収益金を基金として、重度身体障害者の施設に持っていったんですね。自叙伝にも書いてありますように、私は「男でもない、女でもない」日本で最初のビジュアル系というファッションで世の中へ出ました。最初の頃はもう国賊扱いでした。けれども、一応、有名になったんです。有名にはなったんだけれども、ふっと気が付いたら、日本には弱者の人たちの歌がないんですね。流行歌なんかばかり。『君よ、スミレよ、溜息(ためいき)よ』外国にはそういう歌がたくさんあって、なんで日本にはないの……。つまり、貧しい日雇い労働者の母親と息子が苛められたり、愛情の交流、母親が子を思い、子が母親を思うのは、貧富の差なんてないではないか。それを励ますような歌がどうしてない? のということで、『ヨイトマケの唄』というのを作ったんですね。
それから、従軍慰安婦の人たち……。私、長崎で育ちましたが、戦後、長崎に引き揚げて来た従軍慰安婦の人たちとたくさんお友だちになりました。セックスの処理係として、戦場の第一線に女をゾロゾロ連れて歩いたのは日本の軍人だけなんですよ。世界の恥でした。それも、敵が攻めて来たら、銃を渡されて軍人と同じように第一線で戦って……。ところが、そこで「戦死」しても、彼女らの遺骨は野晒(のざら)し、雨晒し、もちろん靖国神社にも祀ってもらえていないし、要するに放ったらかしなんですね。従軍慰安婦もそうでした。「どうして、そういう人たちの歌がないの?」ということで、従軍慰安婦の歌を作ったり、飢えと寒さに死んだ密航者の子供たちの歌を作ったりしました。
当然、その歌の趣旨に合うように、メイクアップもしないし、宝石も要らないということで、素顔にワイシャツ一枚で歌うようになったとたんに仕事が来なくなって、そして大貧乏しましてね。父もあり、義理の母や兄弟たちを全部学校へ上げなければならない。私が親代わりになって一家八人食べさせなければならない。それ以外にも、問題のある不良の子供さんたちも何人か預かっていた。その子供たちも矯正しなければならない。食べさせなければならない。着させなければならない。借金だらけ。仕事は干されちゃって来ない。私の人生の中で、経済的には一番最悪の状態だったんですね。
●感謝することを探せば幸せになれる
その時に、重度身体障害者の施設に寄付を持って行ったんですよ。両手・両足がなくて達磨(だるま)さんみたいな子、いきなり肩から手だけがニョロッと生えてきてぶら下がっている子、目も口も不自由な子、そういう子供がいっぱいいるんです。そこへ、私が行って、人様にお金上げられるような身分じゃないのに……。自分の頭の蝿(はえ)も払えないで、他人の頭の蝿を払って歩いてたら、「私はなんて馬鹿なんだろう」って、自己嫌悪になっていたんです。
そしたら、いきなりその子供たちが一斉に振り向いたのです。ボランティアの人たちが「あれは奇跡でしたよ」と言ってたんですけれど。一斉に振り向いて心の声でしゃべり出したんです。つまり、人間というものは、使わないと退化するんですよね。尻尾と同じです。人間には尾てい骨があります。大昔には、尻尾があったんだけど、使わないから、なくなってしまい、かつて尻尾があったという痕跡として、尾てい骨だけが残っているのです。しかし、今でも時々、尾てい骨に尻尾のある人が「先祖帰り」で産まれてきますけれど、ほとんどの人は尾てい骨があるだけです。
それと同じように、言葉が発達する前は、人間は何でしゃべっていたかというと、思い、エネルギー、テレパシーで意思疎通していたんですね。だから、その能力がたまたま残っている人がいて――それを私たちは、一般に「超能力者」と呼んでいますけれど――そういう超能力のある人たちが、一斉に心の声でしゃべりだしたんです。「あんた(美輪)の悩みなんて、悩みの内には入んないよ。あたしを見てごらん。そこのトイレだって、自分で行けないんですよ。きれいな靴を買ってきても、私たちは履く足がないんですよ。『ああ、きれいなセーターが売っている』と思って買って来ても、私たちは袖を通す腕がないんですよ。もっと羨(うらや)ましいのは、あなたは歌うことができるでしょう。しゃべることができるでしょう。自分の愛する家族、親や子供や孫や恋人、そういう人に『おまえのこと好きだよ。愛してるよ』と伝えられるでしょう。自分の声で……。私たちは一生その思いを伝えることができないんですよ。その声を聞くこともできない。片思いでもいいから、自分の好きな人の顔を見たい。お父さんの顔、お母さんの顔、わが子の顔、ボーイフレンド、ガールフレンドの顔を一目でいいから見たいと思っても、一生見ることができないんですよ。人間というのは、不平不満ばっかり数えることは山ほどするくせに、すべて数えてごらんなさい。感謝することも山ほどあるのよ。どうしてそっちを数えないの?」という心の声が聞こえてきました。
頭をガーンと殴られたような気がしましてね。「ああ、この人たちは、私たちを窘(たしな)めるために、あの世から遣わされた菩薩様なんだ」と……。だから、健常者の私たちは、感謝の意味でこの人たちの面倒をみて差し上げるのは、当たり前だと思ったんですね。ですから、そうやって感謝することを探せば、人間はいつでも幸せになれるんです。「ああ、私はなんて幸せなんだろう」って思いさえすればいつでもどこでも幸せになれるんですね。道を歩いていても、夜中でも、仕事場でも、どこでも幸せになれる。腎臓結石の人は自分でおしっこもできない。尿意も催さない。「ああ、おしっこが出てくれればいい」と思っている人にとっては、おしっこが出た途端、パーッと涙が出て、「おお、おしっこが出た! こんなに嬉しいことはない」と思うでしょうし、便秘で一週間、ウンコがお腹に溜まっちゃって、苦しくて苦しくて、浣腸しても出ない。頭痛はするし、動くのも嫌になり、絶望的になっちゃっている人が、ウンチが出ただけで涙が出るほど嬉しいものなんです。「あなたたちは、なんでもなくそんなことをやってるでしょう?」そういうことを言われましてね。ああ、なるほどそういうものなのかと思ったわけです。
そうすると、傲慢(ごうまん)にならなくて済むし、常に感謝することもできますね。人を羨ましがったり、妬(ねた)んだりすることもなくなるわけです。それが、『正負の法則』なんですね。何かを得れば、必ず何かを失うんです。例えば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町、世に言う「絶世の美女」です。女の人はみんな羨ましがりますよね。ところが、それだけの大美女に生まれてきたせいで、彼女たちはみな、それだけツケを払わなければならなかったんです。この3人ともロクな人生を送っていませんよ。
クレオパトラは愛するわが子たち3人を残したまま胸を毒蛇に咬ませて自殺するわけです。楊貴妃は家来に絞め殺されて変死するんですよ。小野小町は晩年は行方不明で野垂れ死に(註=いわゆる「卒塔婆小町」)です。あまり美人に生まれつくと、ロクなことないんです。ですからね、まあ、「どうにか見られなくもないかな」程度の、ちょうど皆さんくらい(会場笑い)のほうが、一生無事に終われると……。良かったですね。ありがたいと思いませんか? とにかくそういうことなんですよ。
●税金を払うために稼いでいる?
それから、マスコミもいけませんね。これも、人を妬ませ、僻(ひが)ませ、脅かす、というようなことばかりやってます。よく長者番組をやるじゃないですか。「誰それは何億稼いだ」と。あれもね、みんなを妬ませ、僻ませるためにやっている。つまり情報操作しているだけなんです。ところが、実際に手元に残ったお金(税引き後)については一切書きませんよね。たいてい、推定いくら。芸能批評家なんて、全部インチキでハイエナですからね。
日本には累進税法というのがあります。終戦後に、「新たな財閥を作らない」ということで、稼げば稼ぐほど、とにかく税金で持っていかれるようにしたんです。相続税なんかでも、三代相続したら財産がゼロになるようにできているのです。黒柳徹子さんとか山田邦子がテレビでも言っていましたでしょう。『徹子の部屋』に出演した時に、番組が始まって5分経ったら、黒柳さんが「私のギャラはここまでよ」って言うんですよ。「それから先は、税金だ」って……(会場笑い)。それから、3、4日前に(明石家)さんまちゃんのテレビに一緒に出ていたら、「俺のギャラ(出演料)は4月までだ。5月から先は全部税金だ」と、そう言っているんです。しかも、テレビで発表される税額は所得税だけなんです。ところが、それ以外に、固定資産税から、特別区民税、都民税……、からなんだかんだと、信じられないくらいいろんな税が付くんですよ。それを全部個人で正直に申告していると、1億円稼いでも、黙っていても、7,700万は税金で持っていかれるようにできているんですよ。
だから、かつて、巨人を辞めた落合選手がヤクルトに行かないで、日本ハムに移ったのは、ヤクルトが2億しか出さない。それでは税金が払えない。昨年、巨人で貰っていた年俸の税金分2億7,000万円を払わなければいけない。それで、仕方なく日ハムに移ったんです。そういうことは一切書きませんからね。そうでなければ、ものすごい億万長者になった人が借金で苦しむことなんて起こらないんですよ。
渡辺謙さんの離婚騒動だって借金が原因でしょう? 加山雄三さんが今でも借金で苦しんでいるでしょう? 最近だと、松原のぶえさんの借金問題。「税金の滞納でどうのこうの」って言っているでしょう。そしたら、知ったかぶりした芸能評論家が「ワン・ステージで400万日銭稼いで、それを年間200回やったら軽く8億稼ぐでしょう。2億円の借金くらい楽なもんでしょう」ってバカ言っているんですよ。日立て400万の出演料の中には、照明さん、それからミキサーの技術の人たち、マネージャー、付き人、バンドマン、あらゆる人たちのギャラと交通費と宿泊費と全部含まれているのですよ。ところが、本人だけに400万入るような言い方をしていますよ。ですから、テレビであんなこというのは全部インチキです。だから、皆さん、テレビで言っていることをまともに取らないでください。そしたら、羨ましがらなくて済むんですよ。
例えばね、これも『正負の法則』に当てはまりますが、分不相応なあの大きなお屋敷を建てた人は、必ず5年以内に、それと同じくらいの不幸がやってきます。これはデータを何年も取ってきたんですね。ですから、「家を建てたばかりなのになんで……?」といったようなことが起こります。だいたい身内に死人が出ますね。癌になるとか、病気になるとか、長患いの病人が出るとか、事業に失敗するとか、離婚するとか、何かが出てくるんです。正と負のバランスを取るために……。
ですから、昔の人は、家を建てた時には、負を前払いするんです。それが、施餓鬼(せがき)供養とか、近所の人を集めて5円玉を入れたのし袋をパーっと配ってみたり、ご馳走を行きずりの人に食べさせたり、紅白のお餅を配ったり、とかいうことをしますでしょう。つまり、施しをする。前もって「負」を作っておくんです。そうすると、全部後からまとまって、負がバーンと来ても、驚き慌てて嘆き悲しむ必要もないんです。昔の人はいろんなことを知っていたんです。
ですから、それを頭に入れておいてください。大きなお家を建てている人がいても羨ましがらないでください。「お父さん、甲斐性がないわね。うちも早くあんな家建ててちょうだいな」なんて、羨ましがる必要なんてないんです。「お父さん、すごい家だったのよ。今に何か起こるわよ」(会場笑い)そういうことです。ですから、昔ながらのように物事をきちっとやっていれば大丈夫です。昔の人は本質を知っていたんです。
●日本には文化が無くなってしまった
時間もなくなってきましたけれど、話したいことは、山ほどあったんですが、最近、子殺し、親殺し、それから、ゆきずりの殺人、といった大事件が多いですが、三島由紀夫さんと30数年前に、「今に日本は恐ろしい国になるよ。残忍な事件が次から次へと起きて狂いだすよ」って、言っていたのが、すべてそのとおりになりました。これは、衣食住すべてに文化が無くなったからです。文化のせいなんです。人が生きていくのに文化が無くなったから、みんな惚(ぼけ)老人になり、いき甲斐がなくなって、ボーッとしてしまったのです。
古今東西の素晴らしい本を読んで、読むだけじゃなくて自分でも詩を書いてみる。俳句を作る。和歌も作る。ともかく、昔の人がやっていたことを日本人がやらなくなったんですよ。本も読まなくなった。まして、40過ぎると、人生諦めちゃって、本を書くどころか読みもしない。俳句も和歌も作らない。ただ寝て、朝起きて、ご飯食べて、テレビを視て、ちょっと働きに出て、また帰りに一杯寄って、家に帰ってきて、テレビを視て、お風呂に入って、思い出したようにお義理のセックスでもして、それから、またテレビを視て、寝て、ただ生きているだけという日常生活です。これを私は「人糞製造機」って呼んでいるんです(会場笑い)。
人間がただ生きているだけなら動物と同じです。昔の人たちは、年齢(とし)をとろうが、何をしようが、古今東西の良い本を読んで、すばらしい音楽を聴いて、聞くだけじゃなくて――お琴だとか、三味線だとか、尺八だとか、ピアノとかなんでもいいんですよ――ちょっと嗜(たしな)んでみて、お花も活ける。絵も飾る。自分でも絵を描いてみる。ダンスも踊ってみる――ダンスといっても日本舞踊もあるし、社交ダンスもあるし、フォークダンスもあるし、盆踊りもあるし――いろんなものがある。そういう文化がふんだんにあったんですよ。ところが、今はただ生きているだけになっちゃったんですよ。ですから、みんなが惚けてくる。そして、今度は犯罪が増えてくるんです。
衣食住すべてがコンクリート打ちっ放しの家。これが一番危ないんです。コンクリートの打ちっ放し。これはね、1991年に実験済みなんです。この間、愛媛大学でもやっていましたね。そういう環境下でパソコンやらしていたんです。そしたら、みるみるストレスが溜まってくるんです。ところが、その部屋に植木の鉢を四つ置いたんです。そしたら、その人の脳からアルファ波が出てきて、ストレスがなくなったんです。つまり、コンクリート打ちっ放しの建物とか、そういう無機質な利便性・機能性・経済効率だけを考えた三本立ての住まい作り、これは恐ろしいことです。犯罪が起きます。病気になります。いろんなことがある。
●最近の日本には文化の香りがない
つまり、人間には、一見無駄と思えるそういう食とかものの美意識、ロマンティシズム、叙情的なもの、優しさ、胸がキュンとするようなメランコリックなもの、実は、これが人間にとって大変必要なものであるということが、最近、科学的にやっと解ったんですね。ですから、そういうものを取り戻す時代になってきた訳です。
それなのに、日本の男の人には文化がないんです。テレビといえば、ニュース番組とスポーツ番組と夜中のエッチ番組しか視ません(会場笑い)。その点、女の人は、いろんな番組を全部視ているんです。それから、男の人は、図書館も美術館も行きません。演劇も行きません。音楽会も行きません。彼らは飲み屋さんに行くだけ。ゴルフ場に行くだけ。そういう文化のない人たちが「文化」を取り仕切っているポジションにいるから、実感とのギャップが出るから、世の中不景気なんです。国民は、ひととおりの物はたいてい持っているんです。だから、それよりもグレードの高い美しいもの、ほっとするもの、優しいもの、そういうものが欲しい。
それから、街で流れたり、テレビに流れてる音楽もコマーシャルも、時にはスイッチを切ってください。消音にしてください。あの音は恐ろしい力を持っています。近頃話題の電磁波の悪影響じゃないけれど、悪い音が人間の脳波を狂わせるということ、細胞に変調をきたすということが、やっと判ってきたんですね。悪い音を聞き続けると、癌にもなる。だから、逆に、ある種の病気では、以前は切除手術していた結石なんかも、そこへドーンと強い音をぶつけるんです。そうすると、体内にあるままで結石はバラバラになるんですよ。そういうふうに、音は恐ろしい力を持っています。ですから、ハードロックだとか、ヘビメタだとかは聴かないようにしてください。美容院でも、ブティックでも、テレビでも、最近の音楽ばかりかかっていますね、トークのおしゃべりの番組でもかかっていますね。それを一切、消しちゃってください。そうでないと、本当に脳がやられます。
最近の長崎の殺人事件(註=12歳の少年が四歳の幼児を悪戯(いたずら)した後に、ビルの屋上から突き落として殺害した事件)の子も、ゲームセンターに入り浸りだったわけでしょ。その前の神戸の事件の酒鬼薔薇(さかきばら)という少年も、事件を起こす前の日まで、パソコンやったり、でなければゲームセンターに行ったりしていたそうです。皆さん、ゲームセンターの音聞いたことあります?「ダカダガダーン!」。子供たちはあんなところに毎日いるんですよ。耐えられないでしょ? 歌だってそうですよ。音楽も全部そういう音楽ばかり聴いているんですよ。(顔を歪めて)「おえのけんじょはてんじまった♪」なんて言っているか解りますか? 「俺の彼女は逝ってしまった」と言っているのですよ。走っていって口をつねってやりたいです(会場笑い)。そういうふうだから暴走族も走り回るんですよ。
これがね、「夕焼けこやけの赤とんぼ♪」という音楽なら走れませんよ(拍手)。ですから、女の人たちはそうですよ。家で仕事していても、子供の見ている前でカラオケの機械入れて「ええん、ええん、ええん、ええん♪」と歌ったら、「このオバはん生かしておいては世の中のためにならない。金属バットで殺さなならん」と、子供に思われても仕方がありません。本当は良い歌がいっぱいあるんですよ。私のレコードにも、明治・大正・昭和初期の叙情歌をいっぱい入れてますよ。ところが、本当にこれを聴いていると、私は生まれた時にこんなに優しい気持ちを持っていたんだなって……。「菜の花畑に入り日薄れ……♪」(拍手)そうすると、柔らかい春が入ってくる。歌と音楽ひとつでね。家の中の雰囲気をガラッと変えることができるんです。
●色にも力がある
それから、照明も暗い照明は止めてくださいよ。こちらの善信先生もおっしゃっているように、アメリカとは、とにかくもう縁を切ったほうがいいんだけれど……。唯一アメリカの良い所はね、顔のそばに電気スタンド置いているんですよ。マグロだってステーキだって、赤く見えるんですよ。
それを蛍光灯で見てご覧なさい。フランケンシュタインみたいですよ。紫色。お互いの顔見てごらんなさい。二十歳過ぎるとね、どうしても、たるみ、シワが出てきますよ。そこへ天井からの蛍光灯って悲惨ですよ。もう霊安室みたいなものですよ。陸(おか)へ上がってきた溺死体みたいですよ(会場笑い)。それで、そういうもの食べてみてごらんなさい。食べているような気がしませんよ。それより昼光色でね。ちゃんと補助のライトを置いておいて、インスタントものでもいいから、ちゃんと清水焼だとか、いろんなお茶碗に移して、安物の割り箸も止めて塗りのお箸にして、そして洋食だったら、フランス語の曲かけたら、ちゃんとフランス風に見えるんですよ。
お父さんだって、蛍光灯の下で、女房が汚いもの着ちゃって、こんな頭してるから、心中する前の別れの杯みたいになるんですよ(会場笑い)。ところが、家でも奥さんがこざっぱりして、きちっとした身なりをして、器やなんかにも凝ってね、音楽も、CDでもレコードでも何でもいいんですよ。そうすると、「夏の夕涼みも……♪」お互いに一流の料亭に行って食事している気分になります。ですから、音って大切です。悪い音楽を遠ざけてください。子供をそういう音楽の環境下に置かないようにしてください。
今度は、色についてです。色もなるべくなら、黒とグレーは止めてください。最近の馬鹿なデザイナーたちが黒ずくめって言っていますけれども、黒を着るときには、必ず真っ白いシャツを着るとか、白い襟をあしらうとか、他の色を差し色して、アクセサリーをあしらうとかしてください。私はちょっとあしらい過ぎだけど(会場笑い)。すると、プラスとマイナスがちょうど中和されますからね。とにかく、私は「あの黒が流行り出したら、今にえらいことになるよ。日本の世の中……」って言っていたんですね。バブルがはじけて、不景気になっちゃった。だから、黒ずくめの人、ドブネズミ色の人、暗い色のものをいつも着ている人は、まず人に好かれません。運が向いてきません。男にも女にももてません。仕事もうまくいきません。孤独です。
ですから、できるだけ、黒っぽいものをお召しにならないでください。人が見ても、感じ悪いです。「ああ、あの人の前世は雑巾だったんだろうな」(会場笑い)と思われますからね。なるべく、明るいベージュだとかにしてください。皆さん、黒いお花見たことあります? グレーのお花見たことあります? ないですよね。黒は葬式の時、グレーは一周忌の時に着る喪服なんですよ。だから、グレーや黒は、もし使うとしたら、他の色と混ぜてください。なるべく、明るい色のもの。ベージュだとか、赤とかね。
赤は、昔から生命の色なんです。エネルギーの色なんです。ですから、冠婚葬祭の、おめでたい時は、赤と白と金色を使うんです。60歳になって、生命力が弱ってきます。ですから、「還暦」といって、赤い帽子に赤いちゃんちゃんこを着せて、赤い布団に寝かせる。これは皆、生命力を補ったんです。ですから、昔の籠かきをはじめとする肉体労働者の褌(ふんどし)は赤い褌でした。それから、お女郎さんなど身を売って商売している女の人は、みんな赤い腰巻きでした。これって理由があったんです。ですから、「自分のエネルギーが弱ってきたな」と思ったら、皆さん真っ赤なものを着てください。それから、金色は、お金が貯まります。私が頭(髪)を黄色くしているのは、お金が欲しいからなんです(会場笑い)。皆さんもやってみてください。別に、前世がトウモロコシだったわけじゃないんです。
ですから、色にはそれぞれ波動があり、力があります。それを研究することですね。それを頭に入れてくださいね。なるべく明るい家に住んで、明るいものを着ていてくださいね。あとは微笑むことです。お商売がうまくいっていない人は、たいてい無表情です。同じ言葉を発しても、無表情なのと微笑みながら言うのとでは、言葉の意味が違ってきます。無表情に「いらっしゃいませ」これを直訳しますと、「何しに来たの?」です。感じ悪いです。その時に、ちょっと小首をかしげて、「いらっしゃいませ」って言い、たとえ何も買ってもらえなくても、「ありがとうございました。また、どうぞ」とやるとね、「今度来たら、ハンカチの一枚くらい買おうかな」という気持ちになるんです。
●良いお母さんに見える方法
家庭だってそうですよ。朝、父ちゃん送り出す時にね、昨晩塗った高いクリームだからって顔も洗わないで、天ぷらが油つぼから出てきたような油だらけ(会場笑い)。眉毛は(何も描かずに)行方不明のまんま。それで、うらめしそうな顔して「(酷い声で)行ってらっしゃい」これを直訳すると「二度と帰って来ないでよ」(会場笑い)と言っているのと同じことです。また、父ちゃんが帰って来た時も「(酷い声で)おかえんなさい」これを直訳すると「なぜ、帰ってきたの!」(会場笑い)だから、本当に父ちゃん帰ってこなくなるんだけど……。朝、起きた時に、顔をきちっと洗って、頭も、最近流行のシャギーなんてみすぼらしい(シャビー)髪型にしないで、きちっとまとめて、眉毛くらいサービスで描いて、エプロンもね、フリフリのエプロンよりも割烹着がいいです。男の人も子供たちも割烹着が好きなんです。
そうするとね、不思議なことにどんな悪いお母さんでも、良いお母さんに見えるんです。ただし、汚れたのはダメですよ。真っ白な割烹着姿で小首をかしげて、「(可愛い声で)行ってらっしゃい。気をつけてね」とやると、お父ちゃんも「家族のために頑張ろう」と思うし、「お帰りなさい。疲れたでしょう」とやると、「家庭はいいな」と思うんですよ。家庭の中は微笑みだけでうまくいくのですよ。人間誰でも疲れることだってありますよ。そういう時は、目は笑ってなくていいんですよ。目の横の筋肉を横にするだけでいいんですよ(会場笑い)。そうすると、「ああ、この人は笑おうと努力しているんだなあ」と、努力ぐらい買ってくれるんですよ。
よく、家庭の中でもひとりだけ浮き上がっている人がいるでしょ。仕事でも、いろんなサークルでも、面倒見てもらえない人、孤独な人。それらの人々は皆、嫌われる魅力に溢れているんですよ。だいたい暗いものを着ていますよ。そして、目は三白眼、口はへ文字(会場笑い)。(そのような表情をしながら)「バカじゃないの。何笑っているの?」こういう人の前世は、ほとんどが恐ろしいことにうんこです(会場笑い)。だから、汚いから誰も傍には寄りたくないのです。寄って来るのは銀蝿くらい。そういう話をしても、何もお笑いにならない人もいらっしゃるのよ。
ですからね、今の皆さんのように、すーっと微笑んでいるといいんですよ。そうするとね、気が良くなるんですよ。すごくいい気が出ているんですよ。よく、私に「良い気を頂戴、頂戴」とおっしゃる人がいます。そんな時、私は、「いつも貰おうとばかりしないで、たまにはあげようと思わないの?」と思ってしまいます。「良い気を人にあげよう。あげよう」と思うと、井戸から次から次から、水が出てくるのよね。どんな人でも……。ところが「貰おう。貰おう」とする人は、たとえいくら貰っても、やがては無くなるのですから、またどこか行って貰わないといけない。永久に貰い乞食ですよ。それよりも、「人にあげましょう。あげましょう」と言っていると、だんだんとパワーが出てきます。そういうことなんです。本日もこちらの一階で私の本を売ってくださっているので、どうぞお読みくださいませ。この間も、美智子皇后様がお読みくださいまして、電話を頂いたそうですけれども……。いろんなことがお役に立つと思います。
●何かある度に鏡を見ると良い
いずれにせよ、何も心配することはございません。この世の中……。なぜならば、人間の再生能力は、凄いものを持っています。マスコミは日本の国が潰(つぶ)れてしまうようなこと言っていますよ。でも、日本は、長崎も広島も原爆に遭いました。そして、この間の神戸の大震災でも、すぐに復興しましたよ。お年齢(とし)を召した方、お若い方、皆さんそれなりに生きてきたでしょう。いろんなことあったでしょ。生まれてこのかた……。はしかにもなったでしょ。糞詰りにもなったでしょ。小学校行っても勉強もしなかったでしょ。初恋にも破れたでしょ。いじめにも遭ったでしょ。せっかく結婚できたと思ったら、ろくでもない相手だったでしょ(会場笑い)。お金の苦労、悩み。こんなものは、人間生きている限り、次から次へと一生追(つ)いて来るんですよ。死ぬまで……。でも、今までいろんなことがあったけれども、それらを踏み越えて来たからこそ、今、存在していらっしゃるでしょ。デンとして、図々しく(会場笑い)。その図々しさがあれば、ものはついでです。ちゃんと生きていける証拠です。
ですから、良い方法を教えます。これから、何かある度に鏡を見ることです。鏡を見て、自分を映すんです。そして、生まれてこの方、一番辛かったことを全部思い出すんです。「ああ、あの時、本当に、死のうかと思ったほど辛かったな」そう思ってふっと自分の姿を見ると、「でも、生きてきたじゃない。あれを乗り越えてきたということは、私に力があったから乗り越えてきたんじゃない。ここ(鏡に映った自分)に証拠が残っているんですもの」顔見ちゃいけませんよ。また、死にたくなりますからね(会場笑い)。姿全体を映すんです。
そうするとね、そこには紛れもなく、生命力に溢れて生き抜いてきた自分の姿が映っているはずです。こんな世の中で、なんの才能もなくても、大金持ちにならなくてもいいんですよ。金持っていてもどうせ死ぬんですから、バカですよ。あんな3千億も4千億も貯め込んで、大金持ちになったおばあさんがいましたね。あの歳ですもの、2億もあれば一生楽して死ねるのにね。1升ますには1升しか入らないんですよ。それ以上は、みんな骨折り損のくたびれもうけ。何やっているか、分からないんですよ。政治家や財界の連中は……。そんな権力なんかばかり追求しているから、みんな人相が悪くなる。見てご覧なさい。何やっているのか分からなくなる。欲に目がくらんで。やがて「明日死ぬ」となったらね、一生悔いを残すんですよ。
だから、毎日毎日、自分が充実して、誰にも後ろ指さされないように生きる。こんな世の中、ただ生きるだけで十分、立派なものです。ですから、皆さん今まで生きて来られたんですから、これからも生きて行けるという証拠です。何も心配なさることはございません。
私も、また、大阪でお芝居やりますんで、今度は劇場でお目にかかりたいと思います。それから、あまり視聴率が良かったので、NHKで『わたしはあきらめない』の3回目の再放送を、この8月2日の夜中の10時にやりますが、ぜひご覧くださいませ。では、皆さんどうぞお元気で。また、お目にかかりたいと思います。有難うございました。
(連載おわり 文責編集部)