熱弁を揮われる講師の高畑敬一氏 |
2月22日、男子壮年信徒大会が開催され、『多世代の共生とシニアのボランティア』という講題で、ニッポン・アクティブライフ・クラブ(NALC)会長の高畑敬一氏が記念講演を行った。高畑氏は、長年、松下電器産業労働組合の委員長を務められた後、松下幸之助翁から乞われて、同社の常務取締役に就任されるなど、労使双方の立場を越えて企業社会の発展に寄与されると共に、退職された後は、一市民の立場からボランティア組織を立ち上げ、「各個人の奉仕実績の時間預託制度」という考え方を導入し、この分野にも大きな実績を上げられた。本サイトでは、数回に分けて、高畑敬一氏の記念講演を紹介してゆく。
▼六十からの人生がその人の値打ちを決める
西田哲学の門下生で日本の実践教育の大家でもあらせられた森信三という方がいらっしゃいました。森先生は、特に小中学校の先生方に対して、例えば、「道にゴミが落ちていたら、それを自ら拾って示す先生でなければならない」とか、あるいは「人を教えるためには、自身が腰骨の座った人間にならなければならない」とか、いろんな良い言葉を遺していらっしゃって、私は直接お会いしたことはなかったのですけれども、いろいろお書きになった本を読んで、たいへん尊敬している訳であります。
この森信三先生の言葉で、もうひとつ私が大事にしているものは、人生60年から80年へとだんだん寿命が伸びていくわけですけれども、そうすると、一般的には定年後20年くらい生きていかなければならないのですが――碁で言ったら終局ですよね。競馬で言ったら第四コーナーですかね――「人間にとって一番大事なのは終局の人生だ」と……。「60からの人生が、その人の真価(真の値打ち)を決めるんだ。だから、現役時代の生活よりも2倍から3倍の緊張感を持っていただかなければならない。そうしないと、『いい人生だったな』と思って死ぬことはできないんだ」と、おっしゃっておりまして、私たいへん感銘いたしました。ちょうど今から12、3年、その前は松下電器産業の役員をやっていましたが、もうまもなく定年を迎えるという時に、この先生の言葉を噛みしめながら「自分の最後の人生をどう生きていけば良いか」ということを真剣に考えました。
もともと私は、先ほど司会の方がご紹介下さいましたように、松下電器産業の役員を10年務める前は、20年間ほど松下電器の労働組合の中央執行委員をやっておりまして、いわば、組合員のために、あるいは社会の皆さんのために、自分の家族や自分の時間を多少犠牲にしてでも尽くそうという気持ちを持ちつつ、そういうリーダーをしておりましたから、この時代は「自分の人生の中で一番生きがいがあったなあ」と思っておりましたが、「人に尽くすというのは一番いい人生ではないか」と、それをもう少し極めるということをやるべきかと……。それで、一番いいのはボランティアかと思いました。
そこで、「ボランティア」という概念をいろいろ調べてみますと、日本にはもともとなかった言葉でございまして、特に、アメリカでボランティアが盛んですが、日本ではどうもボランティアというのは、一部の金持ちや余裕のある人が時々、恵まれない人や困った人に哀れみをかけて恵んでやるというふうに取りざたされていると……。しかし、アメリカでは、宗教的背景の違いもありますけれども、アメリカの場合、建国以来の歴史から成り立っているのではないかと思いますが、行政のやることは少なくって、住民同士がボランティアで助け合ってかなりの部分をカバーしているということが判りまして、しかも、それは個人個人が施し的にボランティアをしているんじゃなしに、アメリカ人はボランティア団体をたくさん作って、そのボランティア団体をひとつか二つか、場合によっては3つ以上を梯(はしご)していましてね。今日あるボランティアに行ったら明日は別のボランティアというように、複数のボランティア団体に入って、だいたい平均的に週2日か3日くらいボランティア活動をやっている。もちろん、仕事のある人は土日の休みにやるわけです。
▼週5日するボランティアを目指して
特に、私たちのように定年になった方は毎日が暇ですから、こういう方々が週5日くらいボランティアをおやりになっている。平均すれば、大人の人口の半分は週2日か3日ボランティアをやっていらっしゃるということを知りまして、そういうボランティア団体が、全米で何十万とあるということが判ってきて……。日本の場合は、ボランティア団体はあることはあるんですけれども、年に1回か2回募金をするとかですね、あるいは老人ホームに行って慰問してくるとか、障害者の施設に行って働いてくるとか……。これはこれで、それなりに社会的価値はあるんですけれども……。まあ「一過性型」のボランティアだなと思いました。
先ほど言いましたように、自分の人生にとって、その最後の段階に入って、本当に人様のために尽くして、社会のために尽くして、自分が喜びを感じて生きがいを感じるということになると、やはりアメリカのように週2日か3日、場合によっては4日とやらなければならないかなと思いました。自分自身のために尽くす時間は週2日くらいはあっていいですが、後は全部、人様のために尽くすぐらいの気持ちでやらんといかん。そうすると、「日本でも、アメリカのようなボランティア組織を作ったらどうだろう?」とこんなふうに考えたんですね。
大勢の壮年信徒が高畑敬一氏の
講演に耳を傾けた |
それで、周囲を見回してみますと、どうも定年後、暇を持て余している人がたくさんいらっしゃる。もちろん、海外旅行に行ったり、自分の趣味を持って、いろいろと楽しくやっている人もいらっしゃるんですが、大多数の人が定年後、生きがいを失って、そして家の中に閉じこもってしまうということがたくさんあって、むしろ、奥さん方のほうが活発に地域活動をされていらっしゃって、亭主は「粗大ゴミ」だとか「濡れ落ち葉」とか、妙な言葉で、からかわれているといった人が定年退職後非常に多いと聞きます。
そういう人たちに呼びかけて、「ボランティア組織を全国各地に作っていこう。そして、それらをまとめて行こう」と考えまして、かつて私が勤めていた松下電器関係者だけでなしに、それ以外にも、1部・2部に上場なさっている大企業の労働組合の役員の皆さんと割りと昵懇(じっこん)にしておりましたが、その関係は経営側の取締役になっても維持しておりましたので、そういう組合関係の方々であるとか、会社の管理職の方や役員の方々に相談いたしましたところ、「それは非常に良い考えだ。賛成だ。実は私もそういうことをやりたいと思っていたので、やろう」ということになりまして、先ほどご紹介下さいました「ニッポン・アクティブライフ・クラブ」というボランティア団体を立ち上げたわけです。
ニッポンというのは「全国展開する」ということでニッポンと冠し、アクティブライフというのは「活発に活動できる。人生を前向きに活発に生きていく」そういう年寄りになろう。それで社会貢献しよう。そんな団体ということで、『ニッポン・アクティブライフ・クラブ』と名付けました。ニッポンの「N」と、アクティブの「A」と、ライフの「L」と、クラブの「C」を取りまして「NALC(ナルク)」と簡略に呼んでます。NALCというのは、最近マスコミにも報道されている略称でございます。そんな団体を作りました。ちょうど阪神大震災が起きる前の年(1994年)の春でございました。
▼まず高齢者介護の問題から
ところが、この団体を立ち上げた頃は、日本ではまだボランティアというのは、ほんの一部の人たちが「施し」として行っている状態だったので、「日本ではボランティア団体は流行(はや)らないぜ」とか、いろいろなことを言われました。それ以上に、「ボランティアってどんなことをするのか? 何をするんだろう?」ということが問題になりまして、私は当時、日本の社会で一番大きな問題になっていたお年寄りの介護をやろうとしたんですね。今のように『介護保険』制度なんてなくてね。法律でやっと各自治体が『ゴールドプラン(高齢者10カ年計画)』を作らねばならなくなりまして、作り始めている年でありました。しかし、介護の実態は「高齢者が高齢者を介護する老々介護」なんて言われまして、その介護自体が大変しんどくなってきている、ということが日本の社会の大問題だったので、これを取り上げてボランティアをしようということになりました。
ところが、「ボランティアの組織を作ろう」と賛成してくれた私の友人たちの中でも、「男がそんな介護なんてできるだろうか」とか、「そんなおむつ替えをするボランティアなんて誰も集まってこない。もっと明るいボランティアをやれ」と言われました。例えば、「インドに行って井戸を掘るとか、アフリカに行って木を植えるとか、そんなボランティアがいいんじゃないか」と……。しかし、私は日本で一番困ってらっしゃる問題を取りあげるというのが一番やりがいがあるし、また、喜んでいただけるのではないかと思いまして、そこで、家内と一緒に、枚方市がやっておりますホームヘルパー3級の資格を取ることにしました。
約3カ月間、1週間に2日ほど行くのですが、合計50時間勉強しなきゃなりません。そのうち半分はお年寄りの介護の実習ですね。それをやりまして、ホームヘルパー3級を取ったのですが、実際自分でやってみて、決して男でできないことはない。ただ、やはり女性がやったほうがいいというのもあることが判りました。例えば、おむつ替えなんかは、一般的に、男のほうが先に亡くなっている場合が多いですからね。残されるお年寄りは女性のほうが多いわけです。だから、介護を受けているのはおばあちゃんが多い。いくらお年寄りであっても、男にはおむつを替えてもらいたくない(会場笑い)。やっぱり女性のほうがいい。というニーズがあります。しかし、例えば、お風呂に入れてあげるとか、寝たきりまではいっていませんが、横にポータブルトイレがあって、ベッドからそこへ移してあげるとか、これなんかは男のほうが力がありますから、むしろ女性よりも男がうんとやったほうが良いわけです。
という訳で、「介護は女性と男性とが一緒にやるほうが良い。男だけでは無理だ」ということになりまして、「女性の参加を促さんとあかん」ということになりました。考えてみたら、一番大事な女性を忘れていたんですね。自分の女房ですわ。松下電器にお世話になって以来、40余年、仕事、仕事、仕事でね、家庭のことはもちろん、PTAだとか地域の町内会のこととかを全部家内に任せておいて、専ら会社人間でしたから、その実は家内のほうを忘れておったのですね。よく言われている「定年離婚」なんていう言葉がありますが、定年を期に突然離婚を言い渡されることもあります。
家内はそっち(夫より近所の友達づきあい)のほうが大事だと……。ボランティア組織は、地域で創っていくものですが、男は昼間は会社に行っていますが、住んでいる地域はみんなバラバラですから、振り返ってみれば、自分の住んでいる地域で友達がいない。ところが、家内は何人か持っている。そこで家内と一緒にこの団体を創って、家内に友達を何人か連れてきてもらう。その時に、その旦那さんも連れて来ていただければですね、地域組織もできるし、だいたい男女比半々ぐらいの介護のボランティア組織ができるんじゃないかと思いました。
そこで、夫婦で入会すると、年会費は1人分しか貰わないという規則を作りまして、夫婦単位で入会するシステムにしたんですが、これが大成功でしたね。地域でいろんな友達を持っているのはやっぱり女性でしたし、どちらか言うと、「こんなボランティアをやろう」と、気持ちは有っても、なかなか前へ出られないのが男性でして。たいていは会社人間でしたから……。それを奥さんに上手に操縦してもらおうというだけで、会員もだんだん増えてきて、今では、全国に90の支部ができまして、会員も17,000名という規模になってまいりました。
▼時間預託という考え方を導入
先ほど申しましたように、NALCは、アメリカ型の「毎日誰かがボランティアをしている」という組織をめざし、その会は365日運営されていて、支部には必ず事務所を置くということにしました。本部にももちろん事務局を置かなければいけませんけれども……。最初、本部事務所を設置する時に、自分の退職金をいくらか出しました。それから、会員が集まってきて、会費収入でなんとか運営ができるようになるまでは、家賃も自分で賄ってやっていたんですけれども、各拠点、各支部でそういうことをしていくにしても、とてもすべての事務所を家賃を払って借りれませんので、役員になってもらう人の家を事務所に提供してもらって、そこでまず活動を始めることにして、活動が活発になってきて会員が増えてくれば、その町の中にささやかな事務所を借りるということで始めた訳です。
もうひとつ問題になったのは、女性と一緒にやることによって、男性が介護もし易くなりましたが、先ほども申しましたように、ボランティア活動を気まぐれにやるんじゃなしに、また、ポツリポツリとやるんじゃなしに、自分の人生のひとつの生き方として、継続してボランティアをやる訳ですから、なんとしても楽しく、しかも健康にやっていくようにしなきゃならん。それには「もうひとつシステムが必要やな」と思っていたところ、フロリダ州マイアミで、各自がボランティアした時間を1時間1点というポイント制で貯めて、そして、自分が将来、人様のお世話にならなければならないような状態になった時に、自分のためにそれを引き出して、代わりに助けてもらうという、相互に助け合うボランティアの交換システムというのがあるというのを知りまして、これを採り入れることにいたしました。
もともとボランティアというのは、「進んで人様に尽くす」ということで、「代償は求めない」というのがボランティアの精神なんですけれども、それくらいは神様に許してもらえるんじゃないかということで、もし貯めた時間を使わないで死んでいければ、それほど幸せな死に方はない。ところが、万一自分が介護を受けるとか、何か不幸な目に遭った時には、会員に助けていただける。そういうのがあれば、人様に気楽に頼むことができるのではないかと思いました。自分がボランティアをすることはできるんですけれども、自分から人に「助けてくれ」とか「無料でやってくれ」となかなか言えないのが日本人の習性ですから、「時間を預託する」ことをシステムのひとつの柱として導入して、ボランティアを広げていった訳でございます。
NALCでは、個人でやっているボランティア活動は年間ベースで全部記録しています。「助け合い」の時間と公的なものへの「一方的な奉仕」の2つのパターンがあるのですが、例えば、公園で掃除をするとか、駅前で掃除をするとか、あるいは、ごみを拾いながらハイキングするとか、こういうことをずっと続けてる。そういうものまで記録してるんですね。それら全部が各支部から本部へ毎月報告が来るようになっていまして、これの統計を取っているんですが、年間時間ベースでの「助け合い」のほうは、昨年度で10万時間。一方通行で町や人のために奉仕していくほうは、年間15万時間を超えていまして、今年はさらにそれが増える予定になっています。
このシステムを進めながら、皆さん非常に仲良く、明るく、助け合いながらやっていただくのが私たちの仕事でして……。実は、4年前に日本に初めて『介護保険』という制度が導入されました。一番最初に「介護保険」という考え方を採用したのは、北欧のデンマークかスウェーデンだったと思いますが、本格的に広まってきたのはドイツのそれでして、ドイツの介護保険制度ができて、間もなく日本にも導入された訳です。
「介護保険」というのは画期的な制度でして、今まで、高齢者のいる家族が泣かされていた。家族が非常に苦しい思いをしてやっておった介護が、「社会全体が介護をする」というシステムになった訳でありまして、まだまだ足りないところはありますけれども、私はこれは日本にとっては画期的なすばらしいシステムだと思います。
ただ、これには負担も増えます。どんどんお年寄りも増えますしね。したがって、この保険料の負担が去年値上げになりましたけれども、厚生労働省の試算では、毎年どんどん増えていきますので、10年後には保険料を3倍に値上げしないといけない。そういうデータも出てるんです、このまま行けば……。そういうことがございますが、しかし、これはみんなで作っていく制度ですから、今後どういうふうな負担を皆で分担していくかということを相談しながら、保険料を決めていかなければいけないと思っています。
▼介護保険との棲み分け
私共NALCは「介護保険の業者」にはならずに、保険で足りないところを、あるいは、お年寄りが「要介護」という状態に陥らないように、元気なお年寄りになろうとか、事後予防するお役に立てればと思っています。例えば、寝たきりまでは行ってませんけれども、車椅子を使わないとなかなか出かけられないという人たちが、たくさん特別養護老人ホームに入っています。そういう方々に車椅子に乗っていただいて、例えば百貨店に行っていただいて、ウィンドウショッピングをしていただくとか……。その方は、毎日毎日いつもベッドな訳ですから、実際に買わなくても、街中へ出て百貨店のウィンドウを観ただけでも、社会に復帰した気持ちになれるという訳ですね。
このような出費は介護保険では認められません。あるいは、間もなく桜の花が満開になりますけれども、そういう方々を私たちは花見に連れていってあげるんです。お花見なんかも家族はなかなかできないだけにですね、本当に喜んでいただける。これも介護保険では出ない訳なんです。人間としてもっと自立し、人間として尊厳を持ってお年寄りが存在できるようにするような介護というのは、公的制度ではなかなかできてないので、私たちが「無料でさせていただいている」という訳で、「介護の予防」とか「介護の枠外」を担当しているわけです。しかし、だいぶ楽になりましたからね。メインの介護というのは保険のシステムでなんとかなるようになりました。
そこで、私たちが新しく取り上げたのは、「子育て支援3世代」の問題です。じいちゃんばあちゃん世代、子供の世代、孫の世代がありますが、今、この教育問題が非常に言われています。私たちは、自分の子供をしっかり育てたかどうかはまだ疑問なところはありますけれども、しかし、今、孫の世代に何かもっと伝えていくということが、さらに大切な問題になっています。日本の良い所とか、日本社会の良かったところとか、文化とか伝統とか、それがどうも子供に伝わっていない。核家族世代からですね。まあ、自分の子供はどうかは別にしても、社会的に見て……。
しかも、例えば「共働き」をするという場合に、放課後、親が家に帰ってくるまでの間、子供を学校が預かるというシステム(学童保育)がありますけれど、これが十分機能しておりません。勉強勉強、あるいは勉強どころかゲームだけに填(はま)り込んでいる子供など、いろんな子供が今問題になっています。それを、毎週土曜日の学校がお休みになりましたけれども、せめて隔土曜日くらいは、もっと人間としての豊かな心を持てるような社会教育みたいなものをしたらどうでしょうか?
今、私たちは(註=高畑氏が暮らしている)枚方で、そういう子供たちを土曜日に集めまして、竹細工を教えているのですね。ナイフを持ったことのない子供たちばかりです。その子供と一緒にナイフで竹トンボを作る。水鉄砲を作る。ブンブン廻しを作る。こういうのをやりますと、もう子供たちは目を輝かせて喜んでくれます。あるいは、おもちゃドクターがいましてね。「おもちゃの修理をする」という人なのですけれども、しかし、ドクターですから、白いお医者さんに似たものを着て、傷んだおもちゃを診察して、そして治してあげる。それは非常に人気がありますね。しかも、子供たちに「ものを大事にする」あるいは「リサイクルする」ということを教える。そして、それは当然、今の環境保護にも繋(つな)がってくるわけで、そんなことなどもやり始めているわけであります。
この間、大阪阿倍野区の36歳のお父さんから、私どもの本部に電話がかかってきて、「ホームページを見た。実は今、困っているのだ。家内が長期入院して、2歳の男の子、4歳の男の子、6歳の女の子と3人の子供がいる。2歳の男の子は保育所へ行っている。自分の出勤時に朝は送っているのだけど、保育所は5時まで。4歳の男の子は幼稚園、これは3時に終わってしまう。6歳の女の子は学童保育へ……」学童保育とは、さっき申しましたように、放課後そういう共稼ぎとか母子家庭のいわゆる「鍵っ子」になる子供を預かっているのです。しかし、5時じゃ早過ぎるのですね。お父さんが帰ってくるのは6時半ですから……。「この3人の子供たちのことが心配になるので、迎えに行って、私が帰るまでなんとか預かってくれませんか?」と……。
さらに、自分はとても料理が下手だし、また料理を作る暇もないので、土日は自分でやるけれども、月曜から金曜まで食事を作ってくれませんか?」と電話があったので、「大変そうだなあ。やってあげよう」と約4、5人でチームを作りまして、食事を作る人、子供を迎えに行く人、私もその中に入りまして、3時に4歳の男の子、いったん家に帰って来て2歳の男の子を連れて帰る。ちょうど隣に小学校がありますので、二人の男の子を自転車の後ろと前に乗せて、6歳の女の子は一緒に並びながら自転車を押して帰って来て、1時間ほど3人の子供と家の中で遊ぶわけです。
2月22日、男子壮年信徒大会が開催され、『多世代の共生とシニアのボランティア』という講題で、ニッポン・アクティブライフ・クラブ(NALC)会長の高畑敬一氏が記念講演を行った。高畑氏は、長年、松下電器産業労働組合の委員長を務められた後、松下幸之助翁から乞われて、同社の常務取締役に就任されるなど、労使双方の立場を越えて企業社会の発展に寄与されると共に、退職された後は、一市民の立場からボランティア組織を立ち上げ、「各個人の奉仕実績の時間預託制度」という考え方を導入し、この分野にも大きな実績を上げられた。本誌では、3回に分けて、高畑敬一氏の記念講演を紹介してきた。
(迎えに行った子供たちが)すぐに懐(なつ)いてくれましてね。子供の知らない遊びをいろいろやると、もう喜んでくれまして、2回、3回目になると、顔を見ただけで「おっちゃん」と言って飛んでくるのですね。「おじいちゃん」と言われるより「おっちゃん」と言われるのは嬉しいです。その上、お父さんが私の顔を見て拝んでくれる。「NALCの皆さんに助けてもらわなかったら、私たちは子供と一緒に心中していたでしょう。それほど大変だったのです」とのことでした。
こちらは、拝まれるほどのことをしたとは思っていない。むしろ、自分の孫ほどの年恰好の子供たちと遊べて嬉しいなあと思いました。自分の孫とは一緒に住んでもらえないから(会場笑い)、子供と毎日遊べるのは、これほど楽しいことはない。「こちらはむしろ、楽しみを与えてもらったんですよ」と申し上げておったんです。この世の中には、そういう人たちがたくさんいらっしゃるのです。
昔は、日本中どこでも隣近所がそれをやっていたんですが、だんだん経済的な生活水準が高くなっていくのと同時に、人間の心も変わって来て、お隣同士がプライバシーを大事にするあまり、「ご近所で助け合いをしない」ということになってしまいました。これが日本の大きな問題ではないかと思っております。
本日の講題にも『多世代間の共生』と書いてありますね。このケースは典型的な例です。私共NALCは、こういうボランティアを、自分は何も見返り(金銭的報酬)をもらわずに、点数だけ頂いて記録するだけですから、気楽なものです。しかも、週に2、3日、多い人は週に5日もやっているという、そういう本格的なボランティアをやらせてもらっているんです。これは、自分自身の健康、自分自身の生きがいや喜びのためにやらせてもらっているので、「やってあげている」のではなしに、「やらせてもらっている。自分のためにやっている」というくらいに思っています。
▼充実した年金制度がボランティア活動を支える
しかし、それらのことができるのも、年金をきちっと貰えているからです。現在、日本のお年寄りの65パーセントは年金で暮らしている。幸い「現役」時代に会社で働いておられた人で、標準年数の厚生年金の掛金を払った人の年金受け取り額というのは、スウェーデンと並んで日本は世界でトップクラスです。有難いですね。老夫婦2人が贅沢(ぜいたく)さえしなければ生活していける年金です。
この年金があるからこそ、ボランティア活動が安心してできるのであります。最近、政府は「子供の数が少なくなってきたから、年金の給付率を引き下げる」と言っていますし、会社の経営者の皆さんは、「会社の経営が苦しいから、保険料の企業負担率は一切上げられない」とか言っておられるようですが、おそらく松下幸之助さんが生きてはったら、「あんなことを言う経営者は経営者として失格だ」とか「自分ところの従業員が年齢(とし)をとって定年退職した後、安心して暮らしていけるようなことを考えない経営者はダメだ」と多分おっしゃると思うんです。
しかし、近頃はそんな経営者ばっかりですね。政治家もその程度ですね。そして、若い人と年寄りとの世代間対立感情を煽(あお)ってね。「今の若者は、一生懸命年金納めても、自分たちが貰う頃には、今の年寄りと支給額を比べたら、かなり少なくなりますよ」と無用な計算をして、わざわざ世代間の対立を煽っている。むしろ世代間を協調させていかなければならないのに……。これからの社会は、子供の数が少なくて年寄りの数が多くなるから、年寄りはどうなってもいいのか……。余った年寄りは姨捨山(うばすてやま)にでも棄てたらいいのか……。
そんなことではないでしょう。昔は、公的な社会福祉という考え方がなかったから、親の面倒を「現役」世代の子供が見てきました。私の世代は皆そうです。私は昭和4年生まれの74歳ですけど、私の世代は皆、自分の親を養ってきた。私の母親は96歳。まだ一人で頑張っておりますが、私が全額仕送りしてきちっとしてます。だいたい皆そうですね。
でも、今は「公的年金制度」ということで、厚生年金や、介護保険と税金で、社会がお年寄りの面倒をみている。厚生年金や老齢年金というのは、社会でお金を出し合って、お年寄りをちゃんと見ていこうということです。ならば、お年寄りのために、厚生年金の保険料率を、若い人たちがたとえ苦しくても、できるだけ上げていくということは当然のことではないでしょうか? 何故そういうふうに若い人たちを説得しないのか? マスコミも政治家も経営者も皆、間違っていると思います。
しかしそうは言っても、できるだけ若い人たちの負担にならないように、私たち高齢者が、先ほど申しましたように、ただ海外旅行をしたり、趣味や娯楽といって遊んでばかりの年寄りになったり、病気にばかりなって薬を何十種類も飲んで医者に通ってばかりいる(註=高齢者の医療費はほとんど全額が公的負担だから)そういう年寄りにはできるだけならないようにしましょう。一番大事なことは、まず経済的にも精神的にも自立する「子供の世話にはならない」ということ。「社会のお荷物にはなりませんよ。できるだけ、自分は自分の人生を最後まで自分でちゃんとやって行く」と、こういう決心をし、そういう生活を考えていくことが大事ですね。
そのためには、「年金(の給付額)を下げてもらいたくない」ということですが、一番大事なことはまず、「病気にならない」ということです。お年寄りがどんどん病気になれば、健康保険(の制度)が持たない。日本は年寄りの数が多いから、できるだけ健康保険の医療費を使わないような元気な年寄りになるということ。そのために、自分でシッカリと健康管理をし、1日1万歩くらいは歩くような、そういう努力をする。定期検診にもできるだけ行く。自分自身しっかり健康管理をし、なるべく病気にならないように、そして介護保険を使わなくてもいいような年寄りになっていく。ということが、まず一番大事でしょうね。だから「健康保険料率は上げなくていい。介護保険料率も上げなくていい。ワシらは頑張っているよ」と、そういう態度を見せるということが大切です。
▼世のお役に立つ高齢者をめざすNALC
しかも、日野原重明さん――92歳の高齢にもかかわらず、いまだに「現役のお医者さん」(註=聖路加国際病院院長)という非常に立派な方ですが、その日野原さんの『生き方上手』という本がよく売れているそうです――が言われているように、「ただ健康で長生きしている年寄りというだけではなく、いかに世の中に尽くすか?」そういう生き方をする年寄りでないといけないんじゃないでしょうか?
あの方は、ご自身でも実践されているのですが、私共がやっているようなボランティアをやって、これまでの「なんでも市役所(福祉は行政)任せ」というあり方を少なくして、できるだけ役所がやらんでもいいように、自分でやれることをやる。若い者は会社に行って働かなあかんのやから、少なくとも75歳くらいになるまでは――昔の平均寿命に換算したら、(55歳が)定年前くらいの年齢に相当するのですから――せめてそのくらいまでは、しっかり「社会のために無償で働く」ということが大事ではないかと思います。
現役世代の人たちに、「安心して会社で働いてください。後のことは任せてほしい。子供たちをちゃんと教育するから」と、子供を預かってやる。元気な高齢者になって、弱った年寄りをちゃんと面倒見る。介護保険もあるけどね。まあ安心してらっしゃい。別にお役所が税金を使って、人を雇って老人福祉政策をやらんでも、ちゃんと自分たちで親の面倒を見ます。そういうふうにして、市民社会の「正しい高齢者」というか、そういう生き方を示せば、若い人も「年寄りがあれだけやっているのだったら、オレたち若い者も、苦しくても年金の保険料率は上げないといかんなあ」ということになると思います。
世代間を超えて、皆でそういう努力をして、誰でも死ぬまでは「生きる権利」があるのだから、皆で生きて行く。皆で分かち合って行く、そういう社会を創っていくようにすべきであります。また、先に姿を見せる(規範を示す)ことがシニア(高齢者)の生き方ではないか。そんなふうに考えて、私共はNALCの会員の皆さんと一生懸命にやっているのです。
幸い、NALCは今年で10周年を迎えることができ、5月15日に東京の日比谷公会堂で記念行事をすることにしていますが、そのためには、今申しましたようなことを文書にして大いに社会に喧伝したいと思っています。しかし、文書で示すより行動で示すことが大事だということで、4月14日に、(大阪に本部がありますから)大阪からスタートいたしまして東京まで1カ月間かけて歩いていくことにしました。
それも、ただ歩くだけでなく、ビニール袋を持って、空き缶やゴミを拾いながら歩く。今、一緒に歩いてくださる人が続々と現れてきていますが、皆様も、別に丸々一カ月でなくても、たとえ一日でも半日でも1キロメートルでも一緒に歩いて下さい。そして、1キロメートル歩いたら10円出して下さい。このお金が集まったら、世界の恵まれない子供たちに寄付をします。ということで元気な年寄りになること、社会に貢献する年寄りになること、少しでも歩きながらお金を出して世界の子供たちに貢献しようといたしています。
まあこんなことで、シニアのあるべき見本を示して歩くことにしています。まあどうぞ皆さんも、もし参加いただければ、新聞も配っていますし、問い合わせて下されば、いつ、どのあたりを通過していて、また、終点がどこかを既にきちんとスケジュールが決まっていますので、ご参加いただければ本望です。それに、本日お集まりの泉尾教会の皆さんと、これからもご一緒にいろんなボランティア活動ができれば、これまた社会的に大きな意義があるのではないかと思っている次第でございます。
本日は、伝統ある泉尾教会の壮年信徒大会にお招きいただきまして、本当に有難うございました。事前に頂いた泉尾教会についてのいろんな冊子を読んでまいりましたが、皆様もどうやら私たちとあまり変わらないお考えで、信心をなさり実行なさっているようで、「何か通じるところがあるなあ」と、そんな気持ちで今日はお話をさせていただきました。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
(連載終わり 文責編集部)