婦人会創立七十九周年大会 記念講演

『LOVE AND PEACE 〜幸せになる平和をつくろう〜』
ゴスペル歌手
文屋範奈

文屋範奈氏

7月15日、創立七十九周年記念婦人大会が開催され、約1,200名の婦人会員が全国から参加した。大会では、ゴスペル歌手として国内外で活動する一方で、近畿大学非常勤講師、また、国際関係コメンテーターとしてラジオ・テレビ等で活躍中の文屋範奈氏を講師に迎え、『 Love and Peace 〜 幸せになる平和をつくろう』と題する記念講演を行った。文屋氏は、地球環境問題等を身近な例も取り上げながら、解りやすく説明し、話と話の合間には心に深く届くような歌を交えて講演を行った。本紙では、数回に分けて、文屋氏の記念講演を紹介する。

▼どうしたら幸せになれるのか?

文屋範奈です。本当に皆さん、本日はおめでとうございます。そしてこの驚くべき今日のお天気の良さ…(註:台風四号の接近で、朝方までは暴風雨)。どうぞ、目をちょっと外にやって緑を楽しんでください。本当にきれいですよね。親先生が、小鳥や蛙たちのために殺虫剤も撒かずに本当に苦労して守っておられる泉光園ですから、私たちは少々藪蚊に刺されても不平を言わずに、蚊と一緒に育っていきましょう。まあ「蚊に刺されるのも修行の内じゃないかな」と思います。今日はエコロジーについてもお話ししたいと思いますし、「皆さんが何故生まれてきたのか?」というような話もさせていただきたいと思います。今、脇手で音響設備等の準備を進めておりますが、気にしないで本題に入ってゆきたいと思います。

皆さんのお手元にテキスト『リアル・ユー(本当の自分)』があるかと思います。お持ちでない方もおられると思いますので、口頭で読み上げさせていただきたいと思います。皆さん、今日帰る時には、幸せになって帰りたいでしょう? 幸せになって笑って帰りたいですよね。「できれば残りの長い人生、笑って過ごしたいなあ。たとえ残りが短くても、笑って過ごしたいなあ」というのが人の心だと思います。もちろん、若いからといっても、何があるか判らないですよ…。反対に「もうすぐや、もうすぐや」と思っていても(本当にいつまで生きられるかは)判らないですからね。本当に神様に感謝しかないですよね。

幸せになるためのチケット…。人はどうしたら幸せになれるのか? また、幸せになれたとしたら何が良くなるのか? 何故良くなったのか? 「Do you want to be happy?(幸せになりたいですか?)Are you happy?(あなたは幸せですか?)」幸せになるには『リアル・ユー』ちょっと皆さんも一緒に言ってみましょうか。「リアル・ユー」になると幸せになるんです。皆さん、今いろんなものを着ていらっしゃいますよね? お祭りの装束を着けておられる先生もいらっしゃいますし、羽織袴姿の先生もおられます。皆さんもいろんな洋服を着ておられます。けれども、着ているのは服だけじゃないですよね? 「責任」という服を着ている方もおられます。例えば「私はお父さん(お母さん)」という衣装を着ておられる方もいます。

この人間社会を営む上での衣装を玉葱の皮を剥くようにどんどん脱いでいくとします。そうして「男である」、「女である」あるいは「親である」、「子である」といった、すべての衣装を脱ぎ捨てた時に、皆さんの真ん中にあるものは何ですか? それは「いのち」なんじゃないんですか? 一人ひとりにひとつずつあるいのち…。神様は、何故私たちにいのちを与えてくださったんでしょうか? 何をさせるために? あなたには、今日いのちがあります。「昨日は悪い子だったから、今日はいのちがない」そんなことはないんですね。

例えば、太陽にしてもそうですよね。太陽は分け隔てなく私たちに大きな光を放っています。「昨日、あなたは嘘を付きましたね? あなたは悪い子だったから、今日あなたの上に太陽は昇りません」そういうことがない。大きな方が上に居られるんだなあ。有り難いなあ。包まれている感じがします。許される感じがします。「考えてくださっているんだな」とも感じます。そういう私たちですよ。そういう私たちが、どうしたら「生きる喜び」を得られるのか? どうしたら私の役目が分かるか? それをひとつひとつ学んでいきたいと思います。どうやらマイクも準備できたようです。


▼ 人に伝えるのが私の使命

それでは「お前(文屋範奈)の役目はどないやねん?」と思われると思うんですが、私もいろんなものを着てます。いろんなものを背負ってます。まずひとつめは「ゴスペルシンガーである」ことが私の役目だと思っています。これは私のひとつの衣装です。もうひとつは、先ほどご紹介いただきましたように「大学の講師である」というのもあります。近畿大学で、喧嘩英語を教えています。「喧嘩英語…?」最近、『ビリーズ・ブートキャンプ(註:米国の軍隊式シゴキを取り入れたフィットネスプログラム)』とか流行ってますけど、皆さん知ってますか? 知らない人も多そうです…。ともかく、この「喧嘩英語」ですが、これは何も喧嘩をするための英語じゃないんですよ。

これは「相手と口喧嘩して勝つには、どうしたら良いか?」ということですが、それにはまず「相手の弱みを知っている」ということが肝心ですよね。例えば、ボクシングでも同じですよ。相手を叩いて殴って瞼(まぶた)から血が出たら、今度は目ばかり狙う。それが「喧嘩」です。でも、相手の弱みまで判るんだったら、逆に相手の良い所も判るはずですよね? 「あ、この人にもこんな良い所あるやん!」というのも見えてくるはずですよね? それぐらい相手のことが判る「コミュニケーション能力(=会話能力)を付けましょう!」というのが「喧嘩英語」なんです。すなわち「喧嘩ができるぐらいの英語力を付けよう」という訳です。


歌と講演で聴衆を魅了する文屋範奈先生

もうひとつは、国際関係コメンテーターです。親先生は世界中に行っておられます。そして、善信先生もそれ以上に飛び回っていらっしゃいます。先生たちのような人は本当に稀ですよ。皆さんは、行きたくても行けないところ、いっぱいありますよね? けれども、先生方が行ってくださいます。そして「今、世界でこんな大変なことが起きていますよ」と、そういうことを皆さんにお伝えする訳ですが、私もこの役目を授かっています。「解りにくい世の中のことを解りやすく皆さんにお話しする」ということです。
でもね、私の役目。それはどれも一緒なんですけれども、例えば大学。いくらこちらが教えても、相手の学生さんが「知りたい」と思ってくれなかったら、こういう感じ(机に肘をつく真似をして)で学んでくれません。そこで、私思うんですけど、そんな学生さんでも「あなたの役目は何ですか?」と尋ねたら、皆さんそれぞれ何となく答えは解ってはるような気がするんです。人生で自分の役目を果たすために何をしなければいけないか? ということを、ほとんどの人は解ってます。それに目を向けようとしないだけの話なんですよね。実践しようとしないだけなんです。大恩師親先生もおっしゃってましたね。「実践からですよ。祈るということは、実践です」この話、実に素晴らしいですね。実践です。

で、私も思うんです。「学生さん、実践しいや! あんたたち、自分がしたいこと解ってるんやろう?」と…。「私は先生ですけど、『皆に教えよう』とは思ってないよ。皆が実践できるように、励ますだけですよ」と言ってるんです。ですから私、学校へ行きますと「おはようございます。今日も頑張りましょう。今日は何も教えることはないです。皆さん、何を学ばなあかんか、自分で解ってると思います。私はそれを励まします」と言ってるんです。そう、私は励ましに行ってる。

コメンテーターの仕事も同じことです。「世界のことなんか知って、どないすんの? 個々人の努力や今日明日の取り組みぐらいで世界が変わることあるの?」と思う方もおられるかもしれません。けれども、例えばエコロジーだったら、「そうやな、じゃあ今日は電気消そか」とか「今日はクーラーなしで、扇風機でいってみよか」とか…。そうやって考えてみると、「今日できること」いっぱいありますよね? 「けど、クーラーなしやったらやっぱり暑いんちゃうか…」とか、いろいろ考えてしまいます。怖れの気持ちが表れてきます。

でも「大丈夫! これは良いことのためにやってるんや」と自分で自分を励ます。そして、「世界でこういうことが起きてますよ! 皆さんは恵まれてますよ!」と伝えてゆく…。1日中1カ所でおとなしく座っていることすらできない紛争地域もありますからね。来る日も来る日も、逃げまどう…。かつて日本にも、そういう時期がありましたよね。そんな話を皆さんからもお聞きしたいと思っています。そんな風に「今日明日、私のできることで、世界を変えよう!」ということ。これも、励ましです。


▼私はアホんだらです

そして、私の中で一番大切に思っていることは、もちろん「歌で皆さんを励ますこと」だと思っています。「歌で響きあいたいな」と思っています。今日は、日本語の歌、英語の歌、どれも「ゴスペル」と呼ばれる歌です。「ゴスペル」とは、神様の言葉ですが、それをメッセージするのが私の仕事です。その歌で皆さんを励ますことが私の仕事だと思っています。

まず1曲目は、たいへん有名な曲ですから、皆さんもよく知っておられると思います。この曲は、また後で詳しく話しますが、どういう意味かだけ先に言っておきます。「私はアホんだらです」という内容なんです。「私は何も解りません。上の方(神様)が教えてくれへんかったら、何も解りませんけれども、お祈りをすると、上の方の声を聞くことができるようになってきたよ。目が見えるようになってきたよ。物事が分かるようになってきたような気がするよ」そういう曲です。では、お聞き下さい。『Amazing Grace(アメイジング・グレイス)』作詞:ジョン・ニュートン

♪Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.
T'was grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed!
Through many dangers, toils and snares,
I have already come;
T'is grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my Shield and Portion be,
As long as life endures.
Yes, when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the veil,
A life of joy and peace.
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.
When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.♪

♪ 主の恵み、この素晴らしき響きよ
私のような愚か者を救ってくださった
一度は進むべき道を失ったけれど、神が導いてくださった
今こそその御姿がこの目で見える
私の心に畏(おそ)れることを教えたのはその恵み
そして恵みはまた私の畏れを解いてくれた
信じる心を抱いたその時に
現れた神の恵みの素晴らしきことよ
数多(あまた)の危機や罪、そして誘惑を
私たちは既に乗り越えてきた
私たちをここまで導いてくださったのは神の恵み
そして、主の愛は私たちを天国へと導いてくださる
主は私に約束された
主の御言葉は私の望みとなり
主は私の盾となり 私の一部となった
いのちの続く限り
そうだ この心と体が朽ち果て
そして限りあるいのちが止むとき
私はベールに包まれ
喜びと安らぎのいのちを手に入れるのだ
いつかは地球も雪のように消えるだろう
太陽も輝きを失うだろう
しかし私に呼びかけてくれた神は
常に私とともにいてくださるだろう
1万年の時を越えて
太陽のごとく輝き続けてきた
これからも神の栄光を謳(うた)い上げ続ける
歌いはじめた最初のその時のように ♪


▼自分は何をしなければならないか

この曲(『アメイジング・グレイス』)を聴くと「さぞかし立派な人が作った歌なんだろうな。毎日欠かさずお祈りを捧げて、毎日いろんな人に良いことをして…。そんな人なんやろな」と思いますが、それが違(ちゃ)いますねん。ゴスペルって、どんな風にできてきたかというと、アフリカ大陸から無理やり拉致されて連れて来られた黒人奴隷たちの心の叫びなんです。彼らは裸のまま鎖に繋がれて、船の底に40日間詰め込まれ、死ぬような思いをした訳ですが、運が良ければ、無事アメリカに辿(たど)り着ける。そうやなかったら、途中で海に沈む。そんな状態でアフリカから連れてこられた人たちです。じゃ、運良く辿り着けたアメリカは自由の国かというと、違(ちゃ)いますよ!

話すと長くなりますから、詳しいことは善信先生に聞いてください。学校の教科書では、「アメリカは自由の国」というように習いますが、彼らにとってはそうじゃなかったんです。「奴隷にさせられる国」だったんですよ。人間が「奴隷になる」とはどういうことかというと、「人権がなくなる」ということです。「人権がない状態って何?」というと、先ほど言った「リアル・ユー」です。自分がするべきこと、自分がしたいことをさせてもらえない。できない状態です。「あの人と結婚したい」と言うと、「それは身分違いです」とか、「ここに住みたいわ」と言うと、「あなたには住む資格がありません」あるいは「あそこのレストランに行って食事したいわ」と言うと、「あなたは白人じゃないから駄目です」そういう時代だったんですね…。そういう奴隷の歴史から生まれてきた彼らの苦しみや解放を願う祈りの曲がゴスペルなんです。そして、その中で最も有名な曲が今、歌った『アメイジング・グレイス』です。

実を言うと、この曲を作ったジョン・ニュートンという人は、奴隷を売り買いしていた奴隷商人なんです。彼はワルで不良やったんです。お母さんの言うことも聞かへんのですよ。今日は婦人大会ですから、きっと私の話を聴いておられる方の中にも、子供で苦労されてるお母さんがいっぱいおられると思いますけど…(会場笑い)。しかし、その後、彼がどうなったかという話は、お母さん方にとってグッド・ニュース(良い知らせ)ですよ。それで、ジョン・ニュートンは不良でどうしようもないから「奴隷船に詰め込んで、働かせろ」と言われたんですが、彼自身も若いエネルギーを持て余してましたから、奴隷船に乗って、奴隷に鞭打ちなんてことをしていたんですね。

そんなある日、彼は大西洋上で嵐に遭いました。「もう俺はこの嵐で死んでしまう。どうしよう、俺の人生終わりや!」と思った時に、お母さんが鞄に聖書を入れてくれてたことを思い出すんです。そして「ああ、お母さん。俺のことを想ってくれてたんや」と気付くんです。彼は必死に祈りました。「神様、ごめんなさい! もし、ここで死なずにこれからも生きていくことができるんやったら、神様のお役に立ちます!人の役に立つ人間になります!」すると、あらま不思議…。嵐がピタッと止みました。彼は思います。「ほんまもんの人生を歩もう。ほんまの自分(リアル・ユー)になろう」そして書いた反省文が『アメイジング・グレイス』の歌詞になったんです。「俺は阿呆(あほん)だらやった。アカンたれやった。でも、もう一回いのちを与えられたことで解ったよ。私が何をしなきゃいけないか…」そういう歌です。それが、ゴスペルなんです。

でもね、残念ながらバッド・ニュース(悪いしらせ)もあるんです。皆さんがそれぞれの役目を果たすためには、場所が必要。今、私が歌を歌うためにこのステージが必要なように、皆さんが生きていくための場所がないと、どれだけええもん持ってても出されへんのです。皆さんが住んでるところは何処ですか? 泉尾ですか? 大阪の出身ですか? 何処の出身であれ、人間は皆、繋がってるんです。7つの海も5つの大陸も、皆繋がってるんです。何処で? 「地球で」です。


▼エコロジーとは繁がりを実感すること

一番大切なことはエコロジーですよ。地球がなくなったら、人間、何処に住んで、どの宗教を信じて、何を食べてても、生きていかれへんのです。困ったもんですよ。皆、同じ空気吸ってますからね。先日の黄砂の時も、アレルギーが出て大変でしたよ。なぜ、中国大陸の奥地から何千キロも黄砂が飛んで来るんやろ? それは季節はずれの台風による風によって飛ばされてきたんです。では、なんでこんな台風が来たんやろ? それはエルニーニョ現象の影響。じゃ、そのエルニーニョは何処から来てるのか? 遙か地球の反対の南米です。先ほど私は親先生と「やっぱり地球がないと、毎日何やかんや言っててもしゃあない(しようがない)な」と話してました。皆さんの役目が無事果たされるためにも、地球がないとあかん。では、『緑の歌』をお聞きください。


『みどりの歌』 作詞作曲:文屋範奈
♪ みどりの風に吹かれて
桜の並木を通り抜ける
あなたがそばにいる喜び
深呼吸で確かめた

春の光で生まれる命
希望の薫りで大地を満たす
やがてセミが鳴き
夕立がそそぎ
森の蒼はオアシスに変わりゆく

みどり What a beautiful land
かけがえのない恵み
永遠に私たちをつつむ
すべての命のみなもと

ケヤキの並ぶ土の道
落ち葉を鳴らして散歩する
心の中に刻み込む
あなた無しでは生きられない

空高く風は澄みきって
黄金の谷はやさしくゆらぐ
森は目を閉じて
白い繭の中
命をたくわえ未来へとつづく ♪

緑の歌…。「もともと埋め立て地の工業地帯だった大正区の三軒家の角を曲がったところに、まさかこんなに緑に恵まれたところがあるなんて」と思うような鮮やかな緑ですよね。泉尾教会は美しい! 皆さん、窓の外を見てください。藪蚊にちょっとぐらい血を吸われたぐらいええやん。「あげたるやん。血ぐらい」の気持ちですね。これも修行。蚊に刺されるのも修行や。エコロジーの修行や。それだけ、緑は大切なものだと感じたいです。そして、この教会からできることを、ひとつひとつ始めていただければ、それが世界に繋がるんですよ。

私、鮭の切り身を見たらいつも思うんです。「世界って繋がってるなあ」って…。朝ご飯に鮭の切り身が出てくるでしょう? どんなに安い旅館に泊まっても、朝ご飯っちゅうたら鮭の切り身が出てきます。小さなピカッとしたやつ。もう「私のお膳に出されるまでに何回(前のお客が手を付けなかったので、それを再利用して厨房とここを)行って帰ってきたんやろう」(会場笑い)というようなやつ。そんなことばかり言ってるわけやないですけどね。

鮭の切り身を見たら、「これ、どっから来た鮭やろ?」と思うんですよ。ノルウェイって国、知ってますか? ノルウェイ。遠いところですよ。日本から飛行機で行ったら、どれくらいかかりますか善信先生? 10時間かかりますかね? 船で行ったらどれくらいかかるんでしょう。10日くらいですかね。なら、電車で行ったら? 行けるかいな! そんな遠いところから、私たちのために鮭を持って来てもらってるんですよ。感謝ですよね。皆さんに感謝。鮭に感謝…。海は繋がっていますよ。だから、こっちで汚したら、あっちでも汚れるんです。皆さん、これから朝ご飯の時に鮭を見たら、掌を合わさずにいられませんよ。有り難や…。

▼さとうきび畑の悲劇

さて、今日はせっかくですから、私のもうひとつの顔である「国際コメンテーター」らしいこともしたいと思います。そこで『さとうきび畑の悲劇』について、お話ししたいと思います。さとうきび畑は、いろんな人の涙を見てきました。さとうきび畑は長年にわたり、人々の苦しみを見つめながら一緒に歩んできたんです。先ほどの奴隷の話ですが、アメリカ南部の奴隷の黒人たちが、アフリカから無理やり連れて来られて、働かされていたのがさとうきび畑だったんです。だから、純白の砂糖の一粒一粒には、黒人奴隷の涙が込められているんですよ。甘い味がして、さらさらと白くてきれいなね。非常に無垢(むく)でピュアな感じがします。けれども、甘い砂糖にも苦い過去があったように、世界中には、このような酷い話が溢れているのです。

次にご紹介する曲ですが、日本も、アメリカ南部の黒人奴隷とはまったく別ですが、さとうきび畑の悲しみを経験していますよね。沖縄では、太平洋戦争でたくさんの人が亡くなりました。沖縄だけじゃなく、大阪でも東京でも、日本中で、たくさんの人が死にました。だから、私たち日本人が忘れてはならない歌だと思います。そういうさとうきび畑の悲しみもありました。私たちの涙を見てくれたさとうきび畑です。


それから、現代のさとうきび畑の悲劇…。ここが国際コメンテーターっぽいところやねんな。砂糖の値段や、いろんな農作物の国際価格が確実に上がってきてます。何故か? さとうきびから何が造れる? もちろん、まず、砂糖ですね。それ以外に何か造れますか? シロップとかも造れますが、最近ではバイオエタノールすなわちアルコールですね。燃料です。石油の国際価格が高値ではりついてしまったので、世界中で、ガソリンの代わりに何か燃料になるものはないかと探し回った末に、バイオエタノールに関心が集まったんですね。さとうきびも食べ物として捉えたら、まだ皆で分け合えるんですよ。私が食べる甘い角砂糖も、あなたが食べる甘い飴ちゃんも、食糧として、いろんなものに加工できるんですよ。でも、さとうきびをいったん燃料にしてしまったら、食べ物にはならないんです。人間の食べる物を奪って燃料にするんです。何のために? 豊かな人々の便利で快適な生活のためにです。ガソリンの代わりにバイオ燃料を燃やして、車を走らせて…。けれども、さとうきび畑で働いているような貧乏な人たちは、車になんか乗れないんです。そういう人たちの血と汗と涙を利用して、食べ物まで奪って、私たちは自動車に乗せてもらっているんです。

この間、ブラジルからうちの大学に留学してきている学生が「まだ、ブラジルには奴隷畑がある」と言っていました。焼き畑のさとうきび畑を視察しに行ったら、そこでジャングルから拉致されてきた何千人という先住民が、エタノールのために働かされていたと…。今でも奴隷がいるそうなんですよ。私たちの知らない所で、そんな酷いことが行われている。それも、現代の『さとうきび畑の悲劇』ですよね。しかも、苦しんでいるのは人間だけではないんです。動物や草木だって、エタノールのためにアマゾンの森林が伐採され、そして、そこにさとうきびを植える。それじゃあ、樹々はどうしたらいいんですか? 鳥はどの枝に止まればいいんですか? テナガザルはどの木の実を食べたらいいんですか? 私たちはどの空気を吸って生きているんですか? 大変ですよ。それでは…さとうきび畑の悲劇を歌った『さとうきび畑』を…。


曲:『さとうきび畑』 作詞作曲:寺島尚彦

♪ ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
むかし 海の向こうから いくさが やってきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
父の声を 探しながら たどる 畑の道
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない ♪


▼ 神様に感謝する

(会場拍手)有り難うございます。今日は、たっぷりとエコロジーのお話をすることができて嬉しいです。小さなことから気づいていきたいと思います。今日は、喜びについてお話ししました。『リアル・ユー』本当の自分自身を受け止めて、自分自身と一緒になって、まずは自分自身が自分自身であることを受け止めてください。嫌われもしなければ、本当の自分じゃないということです。

それから、皆さんは、なりたいものになれるし、やりたいことができますよ。さっきの奴隷の話を思い出しながら、自分の手足を見てください。鎖ついていますか? 手足にはついていませんよ。だけど、皆さんの心に鎖がかかってませんか? オリジナルな自分、自分にしかできないことを、神様はやらせようとしてます。大いなる方は、人皆それぞれ全然違う顔で生まれてくるようにされたのです。そう考えると、世の中素晴らしい! 他の人と比べない。他の人と比べてはいけません。皆、人と違うように創ってもらったんやから…。「それでいいな」と思いましょう。

それから、大人になると皆さん、自分に厳し過ぎるんです。ちっちゃい子やったら―例えば2歳ぐらいの子なら―「もう歩いた! 笑った!」と、「何かした」ちゅうだけで「あんた賢いなあ」って褒めてもらえた。ところが大人になると、たとえ何かしたとしても、一所懸命しただけでは、誰も褒めてくれへんのです。「どうしたらいいんやろう」そこで、凹(へこ)んでしまうんですね。そんな時、「あっ、自分で自分を褒めてみよか!」ということなんです。それで良いんですよ。「自分を褒める」とは、「神様に感謝する」ことです。「あっ、今日こんなことさしてもろた。良かった、満足やわ」褒めたら良いです。

最後に「幸せになる方法」そして「世界平和を作る方法」ですが、どうするか言うたら、ひとつのことをするだけです。これは、戦争をなくす方法でもあります。それは、感謝することです。皆さん、今日も何度も唱えましたね。「御神願有り難うございます」何回も何回も唱えましたね。皆さん、お唱えするだけで実践してますか? 「ドキッ」(会場笑い)「有り難いな、ああ良かったな。有り難う」と思うだけで、なかなか口に出して言わないでしょう? でも、言うただけで違うんですよ。そして「有り難いな」という気持ちが、奪い合うことをなくすんですよ。「有り難う、手を貸してくれて」あるいは「有り難う、助けてくれて」ということになるんです。そんな風に自分を作っていくと、自然に平和はできていきますよ。そんなもんと思います。だから、感謝する。
最後にもう1曲聴きたいでしょう? (会場、拍手)私の皆さんに対する感謝の気持ちを込めて…。本当に感謝しています。私の家はクリスチャンの家庭です。こんな私の歌を聴いてくださって有り難うございます。本日は、金光教様で一緒にお祭を拝ませていただいて、本当に感謝しています。本当に、今日お話ししてたように、「どの宗教を信じていても、住んでる地球は一緒やから仲良くせないかんねん」と、いつも思うんですよ。こんな私で良かったら、ぜひぜひ歌を聴いてください。

そして、もし良かったら、国際コメンテーターとしての発言も聞いてもらって、さらにもし良かったら、近畿大学に息子さん、娘さんを入れてやってください(会場笑い)。今日の思いを忘れないでくださいね。皆さん、このメンバーでここに集まるのは、今日1日しかないんですよ。そのことを忘れずにお願いします。体は離れていても魂は繋がってますよね。神様は見えないお方だけれども、いつも見守ってくださってる。そうですよね? 今は会えない三途の川の向こうの人も、心の中では通じるのです。感謝の気持ちを込めて、最後に『ワン・デイ』という歌を歌います。この曲、1番は日本語で、2番は英語なんです。どちらも同じ歌詞なのは何故か? 私が作った曲だからです。


曲:『ワン・デイ』 作詞作曲:Hanna Bunya

♪ 海を越えて 時を越えて
目覚めるとき 眠るときも
あなたがくれた その微笑み
風にのって 絶えることなく

One Day また出逢う日まで
One Day 向かい合う日まで
あなたは私の胸の中にいる
いつでも Yes, you are here
Right, in my heart

As I walk under the light
As I close my eyes at night
Wherever I may go
Any place Any time
Your smile stays in my heart
Precious memories will go on
I can hear you call my name
In the air eternally

One day I want to see you face to face
One day that day I want to be with you
Until that day May God bless us
Oh I will hold onto my heart
'Cause you are here Yes you are here
Right in my heart ♪

どうもありがとうございました。(会場拍手)

(連載おわり 文責編集部)


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