創立84周年 青年大会 記念講演
『返す』
常盤台教会長
                          三宅道人

6月19日、創立八十四周年記念青年大会が開催され、常盤台教会長の三宅道人先生が『返す』という講題で記念講演を行われた。常盤台教会長先生は、3月11日の東日本大震災発生直後から、親先生のお祈りを受けられ、金光教首都圏フォーラムの先生方と共に、被災地で支援活動を実施されてきた。  


三宅道人先生

▼御神願を今こそ現せ

皆さん、本日は創立八十四周年の青年大会おめでとうございます。また、こういう晴れがましい日に、記念講演の講師にお招きいただいたことに、お礼を申し上げたいと思います。本日は、『返す』という講題で、お話をさせていただきたいと思います。

吉村会長さんや廣瀬副会長さんの感話からも、今回は「東日本大震災」に重きを置いて青年大会をされること、また、先ほどの緊急提言にもございましたように、まさに泉尾の青年会が熱く動いていることを、ひしひしと感じております。その中で、皆さんの本当に燃えたぎるような熱い思いを、私は受けさせていただいた上でお話をさせていただきたいと思います。

ご存知のように、3月11日に大きな地震が起こりました。そして、多くの人が亡くなり、未だに行方不明者の方が8,000名以上おられます。本当に痛ましいことだと思います。金光教全体としても、ご本部、そして私たち首都圏(関東)の教会が集まり、「被災地のために」と今も支援活動を続けております。大阪でも動きがございます。大阪から車で仙台まで行き、仙台で借りたアパートを拠点にしてずっと救援活動をされています。また「少年少女会連合本部」という金光教内の団体がございますが、そこも、連合本部のある金光町からマイクロバスを出して、最初は石巻にある球場にテントを張ってベースキャンプを作り、ユンボ(油圧(パワー)ショベル)などの重機を使って、復旧作業のボランティアをされています。使われなくなった産婦人科の病院を寝床にして活動を続けておられるということであります。最近の動きでは、私たち「首都圏フォーラム」の動きに賛同していただいた金光大阪高校や岡山の金光学園高校の先生方がボランティアとして被災地に入っていただいていますが、ゆくゆくは、夏休みなどを利用して、先生方だけでなく高校生が被災地でボランティア活動をするといった動きになりつつあります。

話の順番が逆になってしまいましたけれども、本日お招きいただいたお礼と共に、まずは、お礼を申し上げなければいけないことがもうひとつございます。それは、3月16日、大震災が発生してまだたった5日しか経っていない時に、泉尾教会の親先生がわざわざ東京の常盤台教会に足を運んでくださいました。そして、被災地に限りなく近い所(註:当時は、東北地方へ行く交通手段がなかった)でご祈念をし、また、常盤台の教会のお広前でもご祈念をしていただき、「祈り」と書かれた義捐金を持って来てくださいました。「泉尾教会の働きとして、常盤台教会の働きとして、これを使っていただきたい」と言って、私に託してくださいました。なんと有り難い…。勿体ない…。そう思わせていただき、しっかりと親先生の祈りを載せて支援活動をさせていただいた次第であります。この場において、もう一度、お礼を申し上げたいと思います。

震災が起こるちょうど1カ月前のことであります。つまり、2月11日。この日は、常盤台教会の「御神願祭」の日であります。「御神願祭」というのは泉尾教会で言いますところの「御布教記念祭」であります。常盤台に道が開かれたのが昭和三十八年の2月11日。その道開きに対して、お礼を申し上げるお祭であります。そこで、泉尾教会の親先生にお出ましを頂きましてご教話をいただきました。そのときのご教話がどういうご教話だったかといいますと、阪神淡路大震災のお話でした。どれだけの思いで阪神淡路大震災の復興支援に携われたかということをお話しいただきました。ご教話を聞かせていただきながら、私は「今年は阪神淡路大震災が起きてから何年経ったかな?」と思いつつ、メモをとっておりました。何故、親先生はあの時に阪神淡路大震災での泉尾教会の復興支援の動きと願いについてお話になったのか?私は、チャンスがあれば聞こうと思いつつも聞けずじまいでありました。

そして、1カ月後の3月11日であります。神様はなんというお計らいをされるのかと、びっくりいたしました。3月11日午後2時46分、私がお広前でご祈念をさせていただいている最中に地震が起こりました。すぐさま、携帯電話から泉尾教会の親先生にメールで「常盤台教会は、無事おかげを頂いております」とお知らせしました。大震災発生直後は電話やメールが一時に集中しますので、おそらくちょっと混雑でメールが遅れたのだろうと思うんですけれど、しばらく経ってからメールで「御神願を今こそ現せ」との返事が親先生から返ってきました。さて、どう現していったらいいのか? 常盤台の信者さんの中には、会社勤めで帰れなくなった人々(いわゆる帰宅困難者)がたくさん居られましたので、その対応に当たらせていただきながらも、その親先生のお言葉を繰り返し考えさせていただいておりました。

そして、3月16日であります。親先生が常盤台にお見えになる。「これだ!」と思ったんです。「御神願」とは、神様の願いですよね。御神願というのは、もうちょっと噛み砕いてゆけば、私たちがこのお道でおかげを頂いた元である教祖金光大神様、あるいは、大恩師親先生が、「今ここに居られたらどうされているだろうか?」ということを表すんです。その見本を見させていただいた。一般的に言えば、「東京へ来られてご祈念をしたからといって、何が変わるんだろうか?」と思われる方も居られるかもしれませんが、それは大きな違いであります。「祈る」ということの大きさというか、「祈る」ということの偉大さを、私は心底思わせていただきました。「すぐに動く」ということは、祈りの実践であります。「すぐに動ける」ということは、日頃の祈りがあってこその動きなんだと私は思います。

私はひとつ、泉尾教会の皆さんに、懺悔(ざんげ)をしないといけないと思います。といいますのは、泉尾教会のご大祭の直前であるにもかかわらず、私は親先生に「親先生、4月21日、22日に現地へ行きましょう! 現地に行かずして、私たちの祈りは成立しない!」と無理難題を押しつけました。私はどちらかというと、泉尾教会のご大祭のお日柄は、その時、頭の中からすっ飛んでいたかもしれない。それに対して、親先生は手帳をパッとご覧になって、「よし、この日なら行ける!」とすぐにお返事をくださいました。

そして4月25日のご大祭の直前に、私は親先生のお供をして、宮城県の気仙沼、石巻と行かせていただきました。教会長がご大祭の直近まで被災地に居るなんて、私の教会では考えられない。泉尾教会の親先生は、そんな考えられないことをされるんです。そんなお教会に、皆さんはご縁をいただいているんです。幸せだと思います。


▼人の喜ぶことをさせてもらってこい

そして、今度は泉尾の青年会にターゲットを向けました。会長の吉村さんとは、若い頃からの知り合いなんです。「先生、どうさせてもらったらいいですか?」と尋ねられた時に、私は親先生に申し上げた時と同じように「現地へ行ってください!」と懲りもせず言いました。この時も、それぞれに仕事を持っておられる青年会の皆さんが、容易ならないところを行ってくださった。

先ほどの廣瀬さんの感話を聞いていますと―まあ時間の関係から、スラスラと読まれましたけれど―実は、あの中にはとんでもない苦労があったんです。私はそのご苦労を聞かせていただいて、本当に教えてもらいました。青年会長さんは、被災地へ出発する前に、親先生から「人が喜ぶことをさせてもらってこい!」というお言葉を頂かれたそうです。そして、今、お話しされたことを、泉尾の青年会の皆さんが、被災地から帰られる道中に、その報告を電話で頂きました。


青年会員たちに熱弁を揮う三宅道人先生

ちょっと補足説明しますと、話に出てきた「形見の時計」というのは、震災前に亡くなられたおばあちゃんのもので、その家にお嫁に来られた時に、お姑さんから譲られた、奥さんにとっては唯一のおばあちゃんとの繋がりの品でした。その時計を奥さんはずっと探しておられるのですが、大阪へ帰る時間は刻々と迫ってくる。他にもしなきゃならないことはある。それに、「人の喜ぶことをさせてもらえ」と言われたけれど、本当に人様に喜んでいただけるようなことが自分にできておるんだろうか…? と、頭の中に「?」が浮かびながら、やっていたのだろうと思います。そして、その時計が見つかった時に、皆、泣いたという、皆、喜んだということでした。きっと「人が喜ぶことをさせてもらえ」、「人が喜ぶことをさせてもらえ」そう繰り返しながらボランティアを続けたんだろうと思います。泥を掻いて、汗をかいて、一生懸命されたと思います。
そして、最後の最後に神様は答えを見せてくださった…。その答えとは、「私が喜ぶ」ということです。私が喜ばすに、人様が喜ぶはずはないんです。そのことを親先生は「解ってこい」と言って、現地へ行かせられたんでしょうね。だから泣けた。つい前日まで、まったく見知らぬ人だったおばちゃんの義理のお母さんの形見を探して、それが見つかったからと泣ける…。それこそが、人を助ける現場であります。それこそが、私たちが求めている「人を助けて、わが身が助かる」ということだと思うんです。人様のために。人が喜ぶことのために泣く…。人様が喜んで、一緒に喜べる…。これが「助かり」ということなんです。「喜ぶ」という漢字をちょっと思い起こしてみてください。良い字ですよね。口という字が2つ入っているでしょう。ひとつじゃないんです。喜ぶということは、自分も喜び、相手もニコッと笑うから、喜びなんです。


▼天地の営みの中で

気仙沼教会長の同級生である千葉さんという方のお宅の泥掻きをお手伝いさせていただいたんですが、夜にはその気仙沼の奥原教会長先生とお話をする機会を設けていただきました。その気仙沼の教会長先生も、本当に頑張っておられる。震災直前に前立腺癌の手術をされており、本当だったら安静にしておかないといけない身なのに、一生懸命に働いておられる。奥原先生が、こういうことを私におっしゃいました。「もう、何をしていいんだか…」、「もし1人になったら、自分で首を吊ってしまうかもしれないほど不安だ…」。しかし、「もう駄目だ。この先、どうしたらいいんだ…」と、ご神前に座り、神様に手を合わせてお願いをさせてもらうと、不思議と自分の気持ちが展開していって「そうか、こんなことをさせてもらったらいいんだ!」とか「思えば、こんなこともさせてもらえたんだ!」と、勇気が湧いてくるとおっしゃるんです。これを伺った時に「これこそがお取次ぎの世界だな」と思いました。

教会のすぐ目の前が避難所なんですが、大勢の人たちが、炊き出しのご飯を食べていました。私も親先生も、被災者の皆さんと一緒にご飯を頂きました。そうすると、おっちゃん、おばちゃんたちが寄ってくる。他愛のない話から、だんだんと大変だったことや、津波が押し寄せてきた時のことをお話ししてくださる。私たちは「はぁー」と言って聞かせてもらう。それを気仙沼の教会長先生は青空取次と言っておられました。まさに、頭上に何もないところで、難儀な人、自分のいのちが助かったことへのお礼などを聞かせてもらっている。そんな働きが自然とできているんです。なんと有り難いことかと思います。

また、もうひとつの被災教会である石巻教会は2階建ての教会なんですが、1階内部が全部大津波に流されてしまいました。石巻教会の先生は、「私たちが住んでいる所に地震や津波が起きたのではない」と教えてくださいました。実際には地震も津波も起きているのに、どういうことなのか…? 先生は、「私たちは、地震も津波もお照らしもお湿りもあるこの天地に住まわせてもらっているということに気付きました。自分たちが住んでいる所に、突然地震や津波が襲いかかってきた訳ではない。むしろ、天地の営みの中に私たちは住まわせてもらっているんです」と、被災して流されたお広前で私たちに教えてくださった…。なんとすごい捉え方をされるのかと思います。

私は、これまでにも何度かそういう凄い場所に行かせていただきましたが、本当に目を覆いたくなるというか、言葉を失う…。言葉が出なくなる光景とはこのことだと、被災地に立った時にあらためて思いました。世界中に「グラウンド・ゼロ(爆心地)」といわれるところが沢山あります。おそらく地震に遭った被災地も、「グラウンド・ゼロ」だと思う。有名なところですと、広島、長崎、ニューヨークのワールドトレードセンタービルも「グラウンド・ゼロ」ですね。その「グラウンド・ゼロに立つ」ということ。これは、大切なことだと私は思うんです。ですから、この講演を依頼された時に、青年会の皆さんに「まずは現場に行ってください」と申し上げたんです。広島でも、長崎でも、ニューヨークでも、今回の東日本大震災の被災地でも、グラウンド・ゼロに立ち、何を思ったかというと、同じ気持ちでした。「何もできない。なんと、私は無力…」、どの地でもそう思いました。

しかし、「何もできない」ということは、「何もしない」とは違う。そこを、皆さんと分かち合いたいです。もしかしたら、今日発表された青年会の会長さんたち以外にも被災地へ行かれた方が居られるかもしれませんが、私はきっと同じ気持ちだと思う。どうして行ったらいいんだろう? まだ瓦礫の奥にたくさんのご遺体がある。瓦礫の処理はどうしたらいいんだろう? これからどうなっていく…? もう考えるだけで気が遠くなるというか、考えられない。けれども「何もしない」というのでは、ないと私は思うんですね。何かできるんです。その自分の役割というものを、しっかりと分からせてもらわないといけないですね。


▼できないのではなく、してない

私は、二十代、三十代と、親先生が常務理事をされておられる世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会という組織で御用をさせていただきました。青年の御用をさせていただき、国内では青年部会の幹事長というお役をさせていただきました。初めてお役を頂いた時に―なんと言いましょうか、安請け合いと言うんでしょうか―「はい」と受けてしまった。例に漏れず、私は初めて外国の会議に参加したんですけれども、その時に今度は国際青年委員という役員に選ばれ、これも「はい」と二つ返事で受けてしまった。そして、青年の会議が終わったあとに、お偉い先生方の会議が行われる。スタッフの方々からも「三宅先生、国際青年委員に選ばれて、大変ですね」と声をかけられる。私はそんな大変なことだと思わなかったので請け負ったんですけども、だんだん不安になってきました。

ちょうどその時の会議はイタリアであったのですが、ローマから北のベローナまで、専用機を日本委員会でチャーターしまして一緒に行かせていただきました。その時には、大恩師親先生もまだご存命であられまして、一緒の飛行機に乗らせていただきました。ローマの空港の待合室で、立正佼成会の開祖様である庭野日敬先生とお2人並んで座っておられました。私はちょっと不安になっていたので「親先生、庭野先生、こんな経緯で、国際青年委員をお受けしたので、よろしくお願いいたします。皆から『大変だね』と言われているんですけれども、私に国際青年委員というお役が務まりますでしょうか?」とお伺いしました。ちょうどお2人がお話をされている時に、後ろから声をかけたんですけれども、お2人とも振り向かれて、話を聞いてくださいました。

私の話を聞かれたお2人がお互いの目を見合わせて、庭野先生が一言、お声をかけてくださった。その時、私は心中、「大丈夫だよ」「神様がついておられる」「できるから、おやんなさい」という返事をちょっと期待していたんですが、即答で「君には務まらんな!」とおっしゃった。「ああ、聞かなきゃよかった…」と思いました。「あんたにはできんよ」と…。もう、いったいどうリアクションを取っていいんだか、判らなくなりました。庭野先生が「ねえ、三宅先生?」と言われると、「できんなあ…」と、大恩師親先生もおっしゃる。しかし、その後に続けて、こんなことを言われました。「私もできんのだよ。私は立正佼成会という団体の会長やWCRP日本委員会の理事長というお役目で、あなたのおじいさんの三宅歳雄先生もWCRPの国際委員長というお役目だけども、みんなできんのだよ。できないから、させてもらっているのだよ。できないという自分があって、させてもらってできるようになるために、神仏がお導きくださっているんだよ。頑張りなさいよ」と声をかけていただきました。有り難いと思いました。
できないけれども、神様は「どうぞ、あなたにおかげを頂いてください」と頼まれて、私たちは御用に使っていただいているんです。ですから、「できない」ということはないんです。「していない」んです。「できないから、させてもらっている。できないという自分があって、させてもらってできるようになるために、神仏がお導きくださっているんだよ。頑張りなさいよ」と、お2人から声をかけていただきました。有り難いと思いましたね。できないけれども、神様は「どうぞ、あなたにおかげを頂いてください」と言われて、頼まれて、私たちは御用に使っていただいているんです。ですから、「できない」ということはないんです。そのことを、私は今日皆さんに分かっていただきたい。


▼過去は変えられる

もうすぐ最終回ですが、『JIN―仁』というテレビドラマがありますよね。ご覧になっていますか? タイムスリップしたお医者さんの物語なんですが、その方の決め台詞(せりふ)に「神は超えられない試練は与えない」というのがあるんです。「ああ、いい言葉だな」と思う。「神は超えられない試練は与えない」。私も、師匠から同じようなことを教えていただいた。「海より大きな鯨はいない。山より大きな猪はいない。天地より大きな難儀はない」ちょっと似てるでしょう? この私たちが生かしていただいておる天地より、大きな難儀はないんです…。この天地は、私たちが拝ましていただいている天地金乃神様そのものであります。神様そのもの、神様より大きな難儀はないんです。解決できないことはない。解決できないとしたら、それは、「自分で解決しよう」としているからだと思います。そういう中で、私たちは生かされて生きておるのであります。

ここに掲げられている「御布教八十五年記念大祭まで217日…」、この217日をどう捉えますか? 「217日もあるのか」あるいは「217日しかないのか」それは、それぞれ皆さん次第です。あと500日から始まって217日…。「あの時からやっておけば良かったな…」そんなことを思ってませんか? 大丈夫です。過去は変えられます。そんなことを言ったら「常盤台の先生、嘘でしょう?未来は変えられるかもしれないけれど、過去は変えられない」とおっしゃる方も居られる。『JIN―仁』の話をした後に同じように言ったんですが、過去は変えられるんです。どう変えるのか…?

想像してみてください。五百日信行のスタートを切った時、どういう思いでしたか? どうされましたか? 何をされましたか? 「何もできなかった」、「何もしなかった」、「後悔している」いろいろあるでしょう。けれども、それは取り返しがつくんです。今、ここで変わればいいんです。まさに、一新です。今、新しく生まれ変わるんです。何に…? 新しい自分にです。どこから…? 天地の親神様から、新しいいのちを頂くんです。私は43歳ですから、43年間賜ってきたいのちがある。そして今日新しく生まれ変わるとしたら、それはゼロ歳ではない。43年間があった上に、新しい自分が生まれる。生かされている…、生きる喜び、それが土台にあるんです。

ですから、「新しく生まれ変わる」といっても、ゼロにはならない。その過去が新しい自分によって変わるんです。あの時「あー」と思った自分が居るからこそ、できるんです。今までをご破算にして生まれ変わろうとしたって、無理です。だから過去は変えられるんです。そういう喜びを土台にすることで、皆、勢を揃えて来年1月22日の「御布教八十五年記念大祭」へ向かう。「勢をそろえて信心する」ということは、そういうことです。「御礼」、「生きておる」、「いのちを頂いている」というものを土台にするんです。死んでる人はこの中に居ないでしょう? いのちを頂いているという喜びを土台にするということが、勢を揃えるんです。


▼ともかく被災地へ行ってください

それぞれ皆さんには、願いがいっぱいあるでしょう。病気のこと、経済のこと、人間関係のこと、家庭のこと、結婚のこと、恋愛のこと…。それは皆バラバラです。でも、いのちを頂いておるという、その喜びと御礼は、皆一緒です。それを土台にするんです。そして、それを土台にして、人を助けていくんです。あと217日、その心の貯金をするんです。ある人は、貯金と借り入れが逆転してるかもしれない。貯金が大分貯まっている人もいるかもしれない。ゼロの人もいるかもしれない。普通の計算ですと、チョン、チョン、チョンといくんですけれど、それは、あくまでも自分がやっている範囲の中だけのことです。それに比べて、神様の貯金の利息は凄いですよ。ものすごい利息がつく。私は43年間、しっかりと神様に頂いて、いのちを頂いて、生かせていただいておった。だからこそ、被災地へ行くのです。私は何を求めるのではない。何かが欲しいといった考えでは行っておりません。ただ、神様から頂いた尊いいのちというものの恩返しをするために、被災地へ行かせていただいて、一人でも多くの人が喜ぶ、一人でも難儀な人の傍に立たせていただく。そういう私が、神様と共に行かせていただいておるわけであります。泉尾教会の青年会の姿というのは、まさに、大恩師親先生、いま、ここに居られれば何をされるのか…? を問うことでしょう。皆さんも、親先生の後をついて行って、世のため、人のために何をすべきかというところを、現していくんです。

もちろん、考えることも必要です。私は、ボーイスカウトに居ましたが、こういうことを習いました。ボーイスカウトは「アクション・ファースト(行動第一)」次に、「エバリュエーション・セカンド(評価)」です。評価をすることは、行動の次にするんですね。そして第3に「エターナル・スピリッツ(永遠なるいのち)」。永遠なる行動、これが必要なんです。まずは行動、そして考え、そして、それが永遠なる働きとして行動や活動が成っていくというスカウト活動の精神を学びました。私たちは考えることも必要ですけれど、まずは行動…。リュックを背負って被災地へ行くことも行動ですけれど、何よりもまず祈ることです。私たちの頂いているいのちを、神様に恩返しするために、被災地に返すために、祈ることが何よりも大切だと思います。その祈りから行動が生まれてくるんです。祈りこそが大切…。

けれども、青年の方には申し上げたい。その祈りは、被災地に行って祈ってもらいたい。一度、被災地に足を踏み入れて、そして祈ってもらいたい。廣瀬さんは、被災地のニュースを見ると身を乗り出して、「マグロ船が片付いた」とおっしゃった。もう廣瀬さんにとって、それは被災地のマグロ船ではなく、僕の被災地、私の被災地になっているんです。昨日まで知らない人と喜び合える…。そんな感動が被災地にあります。そして、それは人が助かっている証(あかし)であります。どうぞ、少しでも大恩師親先生の祈りを私たちで現していきましょう。行動として実践していきましょう。私も何もできない、何もできておらん、足りない。にもかかわらず、高い所からこんなことを皆さんに押し付けがましく言ってるようですけれども、私も皆さんと共に汗を流したい。祈りを深めたい。祈りを強めたいと思います。私の今日の話を、しっかりと頂いていただきたいと思います。

言葉足らず、時間が足りず、言い足りないところが多かったかもしれませんが、何事も自分がしているのではない。神様と共に、大恩師親先生、先代親先生、そして親先生と共にさせていただいて、泉尾の青年会の皆さん、心して、人助けに行動を起こしていただきたいと思います。被災地でお待ちしております。一緒に汗を流しましょう。一緒に喜びの涙を流しましょう。一緒になって、「何もできない」という悩みを分かち合いましょう。もう百カ日が過ぎてしまいましたが、ちょうど今日が震災第101日目であります。被災してから101日が経った今日は父の日…。私たちが次の世代に残していけるような、そんな活動をさせていただきたいと思います。今日は有り難うございました。      

(文責編集部)


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