男子壮年信徒大会記念講演
「人生―邂逅し、開眼し、瞑目す」
花園大学副学長 西村恵信
二月二十一日、平成十一年度の男子壮年信徒大会が、「不況の克服―ここからの勇み」のテーマのもと開催され、各地から大勢の求道会員が経済不況の中の信心の精励を目指して参加した。記念講演は、花園大学副学長の西村恵信先生が、「人生―邂逅し、開眼し、瞑目す」の講題で行った。本誌では、同講演を数回に分けて掲載する。
◆二歳で寺に貰われて
皆さん初めてお目にかかります。西村恵信と申します。東海道線でいいますと、滋賀県の安土の次の近江八幡に能登川というところがございますが、私はそこの田んぼの中の禅寺へ二つの時に貰われて坊さんになりました。私の兄弟は十人おりまして、私は十番目の息子でございます。兄弟は皆、世俗の世界でがんばっておりますが、私は深い仏縁を頂きまして坊さんになりました。
皆さんは本当に自分心でお選びになってこの信仰の道にお入りになっている人が多いと思いますが、私の場合は自己決定したわけでなくて、寺の和尚と私の親とが話をして寺へ連れて来られたのであります。気がついてみたら禅寺の子僧であったというわけで、古い仏教には古いだけにぜい肉が付いておりまして、問題がいろいろあります。皆さんのようなピチピチとした信仰がありませんし、早い話が、お寺に鐘や太鼓をたたいて人を集めても、十人くらいのおじいさんとおばあさんが並んでおりますが、それも皆寝ていますわ(会場笑い)。もう情けないというか......。
今日は、壮年の信徒大会だとかいうので寄させて頂きましたが、「壮年よりも青年女子部だったらよいのになぁ」と思って来ましたら(会場笑い)後ろのほうに女性陣がしっかりおられますので、なるべく向うを向いて壮年を無視して話をさせていだきますが、大学の授業も九〇分ですし、どこへ講演に行きましても大体一時間三〇分くらいで、調子に乗ると二時間くらい話しますが、今日は「四十五分間でせよ」ということですから、うまくいくか、広げた風呂敷を片づける時間があるかどうか判りません。
今もあちらの部屋で申したのですが、私二十六歳の時に、なんとまあ「アメリカへキリスト教の勉強に来ないか」と言われたのです。あの頃(一九六〇年)は、韓国や沖縄すら行くのが難しい時代でしたし、自家用車も誰も持っていませんでしたし、こともあろうに「旅費さえ出すんだったらその他は只にしてやる」というので、アメリカの大西洋岸のペンシルバニアというところへ一年ですが行きました。あの時、私は月給七千円ですのに片道十五万円かかったのです。ただもう本当に帰りの旅費がなくて、行ってから一年間は、暇あるごとにあらゆるアルバイトをして、一時間一ドル(三六〇円)もらいまして、帰りの船賃を作ったものです。十五日もかかってアメリカへ行って、また十五日かかって帰ってきました。
あれから、オリンピックから万博とかいろいろな行事が行なわれ、あちこちに高速道路が出来まして、日本が急速にお金持ちになりましたね。本当にこの小さな国は、敗戦によって全国の六大都市が皆んな焼けちゃって、体で言えば満身創痍だったのですが、それが今日のように、アメリカはまあ第一かも知れませんが、日本は世界で第二位ですか、総生産(GDP)。しかもまあ、着ているもの乗っている車など見ますとそりぁもう比べものにならないくらいお金持ちになりましたですね。二十年ぶりくらいでやってくる外国のお客さんなどに言わせますとどうですか、「二回目の日本は?」と言いますと、まず背が高くなったのでびっくりしますね。「背が高くなった。それから身なりがよろしい」とそういうことを皆さんおっしゃる。
◆忙しすぎるのがいかん
私は昭和八年生まれですが、もう貧しかったですね。それがまあこのようになった。それは大変ありがたいことですね。皆一生懸命働いたからこない(このように)なったんです。いわばビジネス(business=商売)ということはビジネス(busy‐ness=忙しさ)ですね。忙しいということになりますね。忙しなかったら商売にならないわけです。ところが、「忙」しいという漢字は、「心偏に亡びる」という字ですね。つまり心がなくなるということです。心が豊かであるということは暇でないといかん。学校のことをスクールというでしょう。学者のことをスカラーとかいいますが、それはギリシャ語のスコーレという言葉からきた英語で、スコーレとは暇ということだそうです。暇があって始めて学問というものができますね。
古代インドにもすばらしい哲学が出来ましたけども、インドの思想の元になります哲学の本をウパニシャッドといいます。ウパニシャッドというのは「側そばに座る」という意味だそうですね。先生を中心にして皆んなが円座を組んで、日がな一日何も言わずにジーと側に座っていると、先生が一日一ぺんくらいですね、雨の降る日は「天気が悪いのう」というたら「そうやなあ」とかみしめるわけですね。誰でも分っておることですけど「犬が西向きゃ尾は東か?」と尋ねられたら「そうですね」と聞かせてもらう。
ウパニシャッドという哲学は、ともかく側に座る。先生の側に座る。そして、いろいろと勉強しようと思ってね、ノート持って来るんじゃないんですよ。ジーと座って、今でもインドへ行きますと、そういう風景をあちこちで見ますが、戸口へ出て来て木の箱のところへ老人が三〜四人座って黙って空をながめています。ああいうふうな中から、すばらしい人間の知恵というものがポロンポロンと出てくる。
ところが、私たちは忙しくて忙しくて、家は建てないかんし、自動車は買わないかんし、着物は買わないかん。しかも隣の家に負けんくらいちょっとでも大きな家を建てる。自動車も大きなのにするそうじゃないですか。テレビでもなんでもお隣さんよりも大きく。
月給はどうじゃ。「お父ちゃん、隣りのおっちゃんもっと高いで」(会場笑い)と言う言う。「あんた甲斐性なしやで」といわれてね、「私(奥さん)も働きに行かんと食えん」と言ってね、もっと始末したらお父さんの給料だけでいいのに、贅沢したいもんだから、お母ちゃんもパートに出て行ってしまう。家に鍵かけてしまって、子供が帰ってきても入れないということですね。
子供の歌に、「ただいま。ただいま」と言ったけど、お母ちゃんの返事がない。どうしたことだろうと思って部屋に行くと、お母ちゃんが向方を向いてお仕事していました。僕は「お母ちゃん」と言ってそばへ言って肩に手をあてますと、お母ちゃんが「お帰り」と言ってくれた。僕は安心してカバンをおろしました。隅田川の土手で学校の帰りに花を取ってきて「お母ちゃんこんなきれいな花が隅田川に咲いていたよ」と言っても、お母さんは「ちょっと忙しいからあとにしてね」という返事が帰ってくる悲しい歌も並んで出してありました。けれど、そないにして子供が訴えて声をかけているのに、後の子供の顔も見てやらないほどなぜ忙しいんでしょうね。
いや、なぜって、お金儲けのためですよ。ところがそれは結構ですけど、この繁栄の日本で皆さんの人相の悪くなったこと。きれいな自動車でも、ちょっと擦れちがった時に自動車の中からこわいおっちゃんが出てきます。靴ピカピカ光らした人が......。日本は恐しい国になってしまいました。
京都へ滋賀県から毎日通っているのですが、電車の中でもバスの中でも高校生くらいの女の子が集団で乗っていますとこわいですわ。この間も四十五、六歳のおじさんが、女の子たちが傍若無人にあんまりやかましくしているもんですから、「おいおいちょっと君ら静かにしてくれんか」と言った。その女の子四人が「わハハハハー」と笑うんですよ。その中の一人のやんちゃそうな子が「おいちょっと君ら静かにしてくれんか。わハハハハー」というのです。恐しいですね。大人をおちょくっとるんですね。
そういう時代がきたのですが、その責任はその子等を育てた親にありますね。その方がこわいです。その子供を育ててきた教育そのものが悪い。落ち着いて家庭の中で子供を育てる暇がないほどやっきになってお金を儲けたのですね。
◆三利主義が国を滅ぼす
最近の日本人の価値観を表わす「三利主義」という言葉があります。一つめは「便利」やったらどんなことでもする。便利やから、グルグル周る必要がない。と瀬戸内海に三つも橋を架ける。琵琶湖に二つも橋を架けたりする。ドイツに行きましたら、ライン川に一本も橋は架かっていません。ライン川のほとりに古いお城や教会なんかが点在していますわね。そんなとこへ橋を架けてはせっかくのドイツの景観がこわれるということで、あの長いライン川に今でも不便を承知で連絡船がやっている。ヨーロッパの町を歩きますと、夜は暗いです。人もあんまり歩いていません。昼や夜や判らんのは日本です。向うの人は古いものを大事に大事にしています。向うの家庭に呼ばれて行きますと「このスプーンは三代前から大事に使っているものです。このお盆は四代前からです」と言ってね、大事に食器一つでもスプーン一つでも何代も使っているのに、日本では消費するのが美徳のように......。それで、便利するためには金がなくてはいけませんね。金さえあればなんでも出来ます。今は金を持っている人が強くて発言力があってこの国をリードする。
いくら人間が立派でも、金がなければ何んにもできん。まあ例外はありますけどね。金光教泉尾教会親先生の三宅歳雄先生のお徳でどうですか。この立派なご神殿に私びっくりしました。私泉尾教会へは始めて寄させていただきました。
アメリカ行ってキリスト教を勉強していたというめずらしい坊さんだというので、ちょうどその頃から、世界の諸宗教が話し合いをするという会が盛んになりまして、うまいことその中に私も入れてもらいまして、私の人生が五倍も十倍も膨れちゃったんです。その頃−−今から三十五、六年前のことですが−−京都の修学院のところにありますクリスチャンアカデミーハウスというところで、宗教者同志が話し合う会があって、隣りにお座りになったのがここの親先生でした。
まだお若かったと思います。九十六歳から三十六引いたら六十でしょう。私六十五ですねん。もっとあの方、貫禄があったんですけど、私はさっぱりですね。とにかく、「今日の会議の費用は全部この三宅先生がお出しになる」ということを聞きまして、「立派な人やなあ。お金持ってるんやろなあ」(会場笑い)と思いました。本当そう思ったんですよ。ちょっとやそっとのことじゃそういうことはできませんね。
あの親先生のお徳がこうして多くの人を集め、こんな立派な教会を創り上げたんだということは、人間というのはなんと可能性に満ちた存在でしょうね。久しくお目にかかりませんでしたが、先程玉串のご奉奠でお出ましになった時に、私は三十年ぶりぐらいで、お姿を拝ませていただきまして、なお九十六歳でお元気とは......。天が先生を引きとらないんですね。「もうちょっと用事がある」ということで......。私らが死にたくないのは、まだし残した用事がいっぱいあるから死にたくないんだそうですよ。
二番目は営利=金もうけですね。これは、いうまでもありません。三番目の利は権利。この頃は権利主張の多い時代。オレもオレも皆権利の鎧を着けて......。権利とは、最終的には、自分のエゴイズムを権利という鎧で固めることですから、権利というものが一つでも増えるとギクシャクするのはあたりまえですね。日本国憲法を見ても、権利という言葉が義務という言葉より三つ、四つ多いということを昔聞きましたけど、西洋人が長年かかって勝ち取った権利という考えを、私たちは何の苦労もなしに権利を主張し、当然それとセットになっているはずの義務という観念がはなはだ少ない。権利主張ばかりしてますね。悲しい悲しい貧困な精神の国になりましたね。
私もしばしば西洋世界に行きますけど、向うに行って日本に帰って来ると、まことに精神の貧困な......。タバコを吸っていてもねえ、喫煙所以外は吸ったらいかんのです。それに平気で禁煙の所でやっていますね。そして、ずっと並んでいても、電車が入るととたんに列が崩れちゃうんですね。そして、横でタバコ吸っているやつが、ホームにタバコを捨てて、電車へ一番に乗りますよ。こんな国どこにありますか?これは、やっぱり日本人の「誰も知っている人がなければ何でもする」というね......。どういうことになってるんでしょう。
昔、ウエリントンという教育学者が「道徳なき教育は知性ある悪魔を創る」と......。悪魔にも頭の良いのと悪いのがいるらしくて、頭の良い悪魔はしょうがないんですね。悪知恵がはたらいて、まさに日本人は非常に恥かしい。私も含めて知恵ある悪魔になりましたような気がします。
◆世界中に迷惑をかけて
今、国際化というでしょう。国際化という言葉を聞いたら皆さんどう思われます。「国際化の時代や。旅行もできる」皆、英語を勉強したり韓国語、中国語を勉強して、出ていかなあかんで......。出て行って何をするかといったら、やっぱり日本の国のために働く。単身赴任して、どこかあちこち行って、向うの人の安い給料で働いて作られた物に、最終的にはMADE
IN JAPANというレッテル貼って、高いお金で売る。日本製の物は二重取りしてますわ。まぁ観光ではずいぶんお金を落してきますけれどね。
しかし、何か今は、「ジャパニーズはオーバープレセンス(出しゃばりすぎ)」といって顰ひん蹙しゅくを買っているんです。偉そうに、日本は繁栄したといいましても、アラブの人が怒って石油を売ってくれなかったらね、ペルシャ湾を「ジャパニーズシップ通るな」と言われたら、明日から名神高速は自動車が走れなくなります。ガソリンがないんです。日本にはないんです。よその国へ行ってごらんなさい。皆、これぐらいの馬みたいな恰好したのが(注=石油掘削機)がガチャンコ・ガチャンコと石油を掘っていますよ。日本のどこにそんな所がありますか、石炭もありませんから、ボタ山(炭坑)は閉めるばっかりですわ。
ゴルフ場開発なんかで木を切るでしょう。そうしますと、木は炭酸ガスを吸って酸素を出してましたね。私ら人間は酸素を吸って炭酸ガスを出す。酸素を出す木を切ってですよ。惜しげもなくビューンとやると、樹齢何百年の木がズドーンと、これで終わりですよ。何百年の歴史のある木がですよ。チェーンソーを使えば十秒でビューン、バサッと倒れます。こういうことをやっているでしょう。そうすると酸素の量が少なくなりますわな。その上、地下に眠っている石炭や石油を掘り出して、これに火を点ける(燃料にする)と炭酸ガスが出ます。酸素をくれる木を切って、何億年もかかって蓄積された化石燃料を掘り起こして燃やし、地球上、炭酸ガスだらけですわ。やっていることが土台えらいことです。
それでも、これから孫・曾孫ずっと困るのに、ダイオキシンの問題で今やかましく言われていますが、海も汚れて困るのに、それでも空気は汚染する。川は汚染する。瀬戸内海でも漁船が困ると言います。ビニール袋がスクリューに引っかかって......。平気で捨てるんですね。それをどう思っているか?「まぁまぁ私ら目をつぶる(死ぬ)までは大丈夫やろう」と......。曾孫の代になったら、こんな大きなやつ(奇形)ができますよ。人間がタレ流した鉛を食べた魚がおりますな。その魚を食べたら鉛が人体に入ります。そうすると、その鉛が全然溶けませんから、次の世代に奇形として出てきますね。おサルさんなんかは世代の回転が早いから、ずいぶん奇形のサルが多いそうですね。まぁ人間は三十年に一回とそのサイクルが割りに長い方だから、悪い結果が出にくいんですけれども、それでも、序々に起こりつつある。
*人生は深い縁
時間がきますから、いつものようには行きません。私は何が言いたいか。これですね、「人生―解逅し、開眼し、瞑目す」これは、壮年の方は、昔、亀井勝一郎という人がいたのをご存じですか?―キリスト教の信者ですが、評論家の亀井勝一郎―私は高校時代にその亀井勝一郎先生の本を読んでいたら、こう書いていた。上の二つ(邂逅し、開眼し)は、なんとなく解るのですが、最後の「瞑目す」という言葉の意味が解らなかった。「瞑目す」ということは、「お陀仏して目をつぶる(死ぬ)」ということかなぁと子供ながらに思いましたね。
皆さんこれをどういう風に思われるか?人生深く考えてみると、邂逅はめぐり合うことです。「人生は出会いだ」と。これは人と出会うこともありましょうがね、まぁいろんな事と出会いますね。毎日毎日新しい事に出会う。経験深いお年寄りの方はそういう出会いを重ねてこられていますけど......。「出会い」と言ったら「縁」という言葉になりますかね。
皆、縁ですよ。例えば、私たちは常に、次の瞬間一杯可能性がある中で、一つだけ選んでいるんです。ちょっと難しいですね。例えばこっちに歩きますね。歩くんだけど、本当は歩かなくてもいいんですよ。こっちに行ってもいいし、座ってもいい。いろんなことができる可能性があるのにですね、こっちへ歩いたんです。頭に手を上げてもそうですね。上げなくてもよかったんです。組んでも良かったんですね。その中で頭を上げるという、たくさんできる中で一つを選んでそうしている訳です。それしかないのと違いますね。だから、そういう風に考えますと、毎日毎日が様々な可能性の中の一つを選びながら生きているんだなぁということです。
赤ん坊として、生まれくる時もすごい縁ですよ。学校ができる(成績がよい)とかできんとか、私は背が高いとか低いとか言いますけどね、何たって、何億というお父さんの吐き出された物(精子)があるんですって、お母さんの卵子は一つでしょう。ドバッと行って一等賞を取った人ばっかりですよ。この中に、「わしは二番や」という人は一人もいない。えらいもんですね。皆、一番を取ったんですよ。突入したんです。すごいじゃないですか。それも非常に偶然なことじゃないですか。たまたまぼやっと生きているんじゃなさそうですね。東大を何百と集めた非常な難関を突破(受精)して、人生やっとあるんです。
そして、生まれてみると、おっぱい吸いながら上を見たら、ふくよかなお母さんのあごが見えますね。隣のおばさんの乳吸ってるんじゃないですね。たくさんいるお母さんの中で、私のお母さんは一人ですよ。これはうれしいですね。本願寺に暁烏敏という学問のできるすぐれたお坊さんがいましたが、目の見えない方で、その人が「一億の人に一億の母あれど、実母に勝る母あらめやも」と言っているんです。お母さんのいない人は一人もいません。そのお母さんのお胎なかに宿って産まれてきた。その関係、このご縁というものは何ものにも変えられない。そういう出会いのしみじみとした不思議な縁というものを、もっと大事にしないと......。ぼーっといるだけですね。
例えば、皆さんここに来ておられますが、今日は来なくても良かった。家にいても良かった。テレビを見てても良かった。孫を公園に連れて行っても良かった。酒を飲んでも、パチンコに行っても良かったのに、ここに来ておられるのは、偶然でここに来てるんですって、そんなことはありません。例えそうであっても、ここに来るということは、他の可能性を全部排除して、こうしておられるんですから、例え、眠くて居眠りしておられても、それはこれしかない。今そこに座っているということは、今あなたが選んだのです。他の可能性が全部捨てられている。他の可能性を全部捨ててこうしているということです。
学生にも言うんですけども、「たくさん学校があるのに、この花園大学へ君がそれを選んだということは、たいへんな縁ですよ」と......。こちらはこちらで、「たくさん受けてくれた中で、君に入ってもらったっていうことも、選んだ者と選ばれた者の今日は初めての出会いですね」と言うんです。
夫婦でもそうですね。たくさん女の人がいるのに、「何でかな?」と女房の顔をしげしげと見直してみると、「やっぱりこの人かなぁ」と......。「五十にして天命を知る」って、四十ぐらいの時は、変えようかなと思ったけれど、五十ぐらいになって諦めた。諦めて見直してみたら、深い縁を感じる。いいもんですなぁ。中年オヤジは割に浮気しよるんですね。けれどね、女性の方に言うときます。浮気許してあげて下さいよ。中年男は何で浮気するかと言うとね、女房があんまり子供の方ばっかり向くからですね。もっと結婚した時のように、お父さんの顔もよく見てあげてほしんですね。だから淋しくなってくる。おやじはスポイルされてね。
ところが、子供がだんだん大きくなって羽ばたいて来ると、もう一回夫婦はしっかり見付め合う時が来ますよ。それ、今やってるんですよ私......。やっぱり自分の女房はいいわ(会場笑い)。苦労を共にしてね、昔のアルバム開くと、若かったんです。昔から今みたいな顔はしてなかったんですけど、昔はね、髪も長かったし、ぽちゃーっとしてますわ。今来たての(長男の)嫁より、うちの女房の方がよっぽどいいですよ(会場笑い)。とにかく人生というのは深い縁だと思いますね。
*経験を積んで視野を拡げる
それから、ごめんなさい話が飛んでしまいましたが、国際化ですね。「国際化の時代が来た」といっても、日本は結局、国際化といいながら「日本さえ良かったらいいねんや」と......。経済的に相手の国を絞り取って、戦争こそしていないけれど、お金の札束で世界一の国になっているということ。一種の国家主義だと思います。根性が曲がっていますよね。
ところが、聞いてみましたら、本当にインターナショナリゼーションという英語はどういう意味かというと、ヨーロッパみたいにいろいろな言葉の違う民族の人が踵きびすを接して一ヶ所に集まっている場合は、これまでのようにドイツとフランスが喧嘩しているようなことでは困る。現代という時代は、ロシアのチェルノブイリで原発の空炊きしたら、その「死の灰」がノルウェーやデンマークの方へ飛んでくる時代です。湾岸戦争をしたらオーストラリアからミサイルを撃つような時代ですからね。皆が仲良くしなければいかん。それが「ヨーロッパの家」という観念になったのです。「ハウス・オブ・ヨーロッパ=ヨーロッパの家」同じ屋根の下で、ヨーロッパは仲良く一軒の家の中のようにしましょう。法律もなるべく国際法というものを作って、どの国にも適用し、仲良くしましょう。これが国際化ですって......。
それが、だんだんヨーロッパ共同体という発想になって、この頃は「ユーロ」という統一通貨でお金まで一緒にしたでしょう。始めは反対したんです。長い間、使って来たフランやマルク。そんなものを誰でも引き出しの中にマルクとかフランが一杯入っている(箪笥貯金)んですよ。それをもう、「おばちゃん、それ(箪笥貯金)を持ってもあけへん。もう換えなあけへんで......」今ユーロに換金したら隠した資産はバレますよ。それで皆反対しましたけれど、最終的には、ヨーロッパ全体どこへ行っても同じお金を使えるようにしましょう。こういうのが国際化ですって。
日本の国際化は、どこかの会社のちょっと英語を知っている方が派遣員として、なんとかへ行ったら金もうけになると、そういう国際化は今や世界の舞台から放り出されますね。
とにかく元に戻りまして、人生は歩いていますといろいろ経験しますね。「なるほどな」ということを経験する。その都度、眼を開き視野を拡げる。視野を拡げるということは、眼で視たり耳で聴いたりすることによって、外国人と話をしたりすることで視野が拡がりますね。それが結局、眼を開いてみるから、いろいろなことが入ってくるわけで、経験できるわけです。
だから、もっとびっくりしたように眼を開けること。眼が開いたことを開眼げんといいます。ありとあらゆる経験で開眼します。それがいいわけです。眼を開いてよく視て、現実をよく視て歩んでいく。やっぱり眼をよく開いて世界の知識を身につける。よく眼を開いて歴史をよく知る。よく眼を開いて旅行して、様々な世界を見て歩く。よく眼を開いて札束を勘定する(会場笑い)。眼を開かなあきませんね。つまり、私たちは眼に見える世界の中でどういうふうに豊かな生活を送ろうかということに躍起となっている。
私思うんですけれども、日本人は、眼に見えるものなら信用する。「いい洋服着ているね。どこに売っていたの?堯島屋?そごう?」と言って、眼に見えるものなら信頼し、関心を持ちますが、あんまりやり過ぎましたので、眼に見えないものが見えなくなってしまった。非常に即物的ですね。なんか取引しても、先にお金を出さないと......。政治家に何か頼んでも、持っていくものが先(笑い)。「後からお礼」より「持っていくものが先」です。
恋愛でも、男女が一メートルほど離れてですね、「ぼくは君を愛している」なんて、昔のお侍さんみたいなことを言っていたら全然もてない。すべからく歩み寄って抱きっこせんとね。はっきりと態度で示したら信用するねんけれど、昔のようにラブレターを書いて、そっとカバンの中に入れるようなそんな迫り方ではダメなんです。
*見えないものを大切にする
教育でも、眼に見える物的な教育をしていると思うんですよ。例えば、一〇〇メートルを何秒で走ろう。記録を更新しよう。水泳をしよう。体を大きくしてことをおおいに進めるわけでしょう。それから、歴史を覚えましょう。知識の量を増やしましょう。そうでないと高校や大学へ行かれないから知識を教えますね。語学も教えましょう。歴史も地理もやりましょうね。「水」は「H2O」と言わないと高校には通らない。だけど、H2Oといっても、実際「酸素ひとつと水素二つ集まったものが水や」と、そんなことを言われてもカスカスの知識じゃないですか。
水といったら、やっぱりそうですね。長く日照りが続いた後の夕立は天の恵みだ。あるいは、大洪水になって水が押し寄せて来て、堤防が決壊して私の家の床下までついた時には、水は恐ろしいもんですよ。あるいは、二日酔いの明くる日の水はうまいね。この水飲むために夕べ酒を飲んだのか(会場笑い)と思うほど美味しいですね。一人ひとり、水というものはね、恋愛している時は相合い傘で歩いたことないですか?「結婚式に雨が降ったら嫌やなぁ。今日は雨より天気の方が良かったのに」と思う水でも、いろいろその時、その状況で違うわけでしょう。それを「水はH2Oやないといかん」そんなアホなことを書いておる訳ですね。
「氷が溶けたら何になりますか?」と言ったら、これはこの間、国会の予算委員会で東京の議員が言われた。教育は大事ですよ。「氷が溶けたら何になるか?」と先生が尋ねたら皆「水になる」と言った。ところが一人の女の子が、「氷が溶けたら春になる」と言うんですね。それもいいじゃないですか。いいと思いますね。何かね、眼に見えるものの話ばかりしている学校で、小学校で算数の時間に「二人いるところへ、三つリンゴをもらったらどう分けますか?」「一つと半分。そうそう、それを一・五というの。一つと半分ですね」そこへある子が「ハイ」と言うから、「あれ?あなたは違うの?」と聞くと「違います。私は二人いる時、三つもらったら喜びます」と応えたので「何で?」と尋ねると「いつでも一つはお仏壇に供えならんから、一つは仏さんに供えます」て言ったんですって。先生びっくりしたって。
そら教えられたな。本当に算数でね。「三つもらったら必ず半分に分けて一・五取らな気が済まん」というさもしいこの考え方、間違っておったわ。何とこの女の子は、眼に見えないことがちゃんと入っていてね。きっと、こういう子は人生上困っても、誰かさんが―もう一人見えない人が―ちゃんとリンゴを供えたお返しとして守ってくれはるね。カツカツで一・五で生きた奴は、誰も助けませんぞ。
<続編>
その話はラジオで聴きました。ちょうど地蔵盆だったので、団地へ行ってこの話をしたんですね。そしたら、一番前に座っていたぼんち(子供)がね、「一つ地蔵さんに供える」と言って、地蔵さんの前に供えていたんです。その発想がピンときたんですね。私、嬉しかったですよ。何もラジオ聴かんでも、「うちの門前の団地にもそんな子がいるんやなぁ。やっぱり家の育て方やなぁ」と思ってたんです。もう一人の子はね、「ご近所へあげる」と言いました。この子のお母さん、物を貰もらったらいっつもご近所へ持っていってるらしい。三つしか貰われへんリンゴの一つをご近所へ持って行く。かわいいじゃないですか。
これも、親のやっていることを、子供は教えたようにはしない。見たようにするということです。教えても反対ばかりしますわ。子供は親の言うことはきかんけれど、親そっくりになるから怖いですね。そしたらね、もう一人の子がね「ハイハイ」と言うから、「なんやまたご近所か」と思ったんですよ。すると、その子が「ミキサーにかけたらいい」と言ったんですよ。「ミキサーにかけたら何人分でも分けられる」って、恐るべき子供がおるな。隣にはお地蔵さんに一つ供えたらいい。並んでいるこっちの方の子はミキサーにかけたらいいと言う。この合理主義はどうですか。なるほどミキサーにかけたら、何人分でもキチッと分けられる。そういう一歩も譲らん平等主義、理屈主義です、これは......。ギスギスしていますね。こんな子が大きくなったら、こりゃかなわん。何かこう見えているもの、量の拡大ばかり目指すようになります。
*長生きしすぎると
この頃、長生きしようと頑張ってますね。バカなことはじめたものです。どうせ長生きしても、そうたいしたことはないんだけれど......。この頃の人生は老後が長いですね。どうせ人生はこう行って(上昇して)こう行き(下降)ます。どうせ上がりっぱなしの人はいません。ところがね、こう行ってね、降りて来てからズーッとこう(なかなか落ちない)なんですよ。死にそこないというやつ。この降りて来ているスタートも早いんです。なぜかと言うと、まだピチピチしているのに定年退職で肩を叩かれるのですね。早いことおじいちゃんになるでしょう。ところが、終りがなかなかお迎えがないので、ズーッと長いのですわ。「老後」が長すぎですわ。
それで今、老人問題を書いた本を読みますと、高齢前期を英語で「ヤングオールド」後半は「オールドオールド」(会場笑い)。ヤングオールド―昔でも若年寄というのおったですね―しかし、六十歳くらいで、会社で「辞めてくれ」と言われて、なんでも知ってるベテランが電話で「もうかりまっか?どないです。頼みまっさいな。分かってますがな。今晩飲みましょう」というようなことで、何十万という商売が出来るでしょう。そのキャリアを持ったせっかくの良い人を、「あなたの後がつかえているから辞めなさい」と言うんですよ。辞めさせられた人は悶もだえますで......。失業保険、退職金を貰って、母ちゃん連れて世界旅行してると、そのうちにお母ちゃんが、「あなた残しておかないと全部使ったらダメよ」と言うねん。悲しい。そこの老人前期のヤングオールドというのはなかなか生き方難しいですよ。
いかに生きるか?その時の幸せは四つ合わせたしあわせなんですって―皆さん、今日、柏手かしわで四つ打たれたから、あとで聞こうと思っているのですけれど―皺しわがあると幸せで節ふしがあると不幸せと言ってましたがね。老人前期の時、まだ赤いシャツ着て自動車の運転出来るしね。ゴルフバッグもかつげるし、お母ちゃんもまたまだ格好いいし、その老人前期の六十から七十五くらいまでが一番......。私が言ってる訳じゃないですよ。コンサルタントが言うのですよ。一番お金がなかったら困りますよ。まだ元気やのに会社から放り出された時、お金、健康、友達、趣味の四つ揃うと幸せですって。皆さん、どうですか?揃っていますか?友達と付き合うと金がいるから、また、これが逆説的ですけどね。
あまり長い話はできません。そして、この高齢後期、困ったものですね。長いですよ。必ずなるのがアルツハイマー(痴呆)か寝たきり。どっちか行く。身体には薬があるから大いに注射打って鍛えてありますが、頭に注射打ってないから、こっち(頭)の方が先にさよならしますね。ついて行けないんです。かないませんわ。たいがい、こっち(身体)が長持ちしすぎるから、こっち(頭)がつてい行けんのでパアになるんですわ。それだから、夜中に風呂敷包持って出て行かななりません。悲しいじゃないですか、息子の嫁にお世話になってシシババ取らせておきながら、嫁がせた自分の娘の名前を呼んで「ありがとねさっちゃん。やっぱりあんたは私の子や。うちの嫁なんて何にもしてくれへん」人生の一番最後に嫌われることを、憎いことを心ならずも言わんならんようなこと、情けないじゃないですか。そうなるんですよ皆さん。あんまり長生きするとですよ。
私はもう七十五で死のうと思っているんですよ。七十五じゃダメやなあ、やっぱり八十五で死のうと思っています(会場笑い)。それでもね、たった七二〇〇日ですよ。二十年しかないのに、こんなもん泉尾まで来て話なんかしてられませんよ(会場笑い)。この貴重な一日を......。小さい時からの巨体をこんな足の裏で運んで来ましたでしょう。膝ボンのあたり油が切れて、車だったらタイヤを入れ換えたらいいですが、こっちは入れ換えがききませんから、そら足が持ちませんわな。だから寝たきりになる。頑張って起きててもちょっと気を緩めると、もう起きられんようになる。
そうするとまた、人の世話になる。どうやら、この頃の人生は、必ず人のお世話にならないと死ねませんわ。そうと決まったら、今のうちから仲良くしておくことですわ。嫁を怒ってはいけませんわ。そんなもん後でひどい仕打ちを受けますよ(会場笑い)。私これでも若い嫁もおりますし、九人も孫がいます。私、若い嫁に「たいがいワシもアルツハイマーでボケるから、今から言うとくけど、どんな女の人の名前を言おうと、それは皆、貴方に言ってるんだから分かってるか」と言ったら「分かりました」。もうこれで何を言ってもよろしいねん(会場笑い)。そういうふうに手回しようやりなさい。その場に及ぶまでにね。
ちゃんとね、「リビング・ウィル」といって「生前の遺言」というのがあるんです。皆さんご存じ?「生前の遺言」それを東京都何々区へ差し出しておくと、証明もらっておくと、それさえ出したら、つまりもうもたんのやったら延命処置や、この辺に「マカロニ療法(生命維持のためのチューブをいっぱいつけている状態)」というんですけどね、マカロニ状態にするのを「やめてくれ」言うんです。ただし、「痛いのだけはちゃんと消すようにモルヒネ打ってくれ」と最初から言うとくんです。そしてお医者さんが来たら見せるんです。そして痛くない薬だけして、スゥッとお隠れ(死ぬ)になる。まあ、手回しよう、そうしときましょう。
*瞑目するということは
私は、この「暝目す」というのは、目をつぶること、つまり、お陀仏(死ぬ)することと思っていましたが、違いますなあ。「日本人は目に見えるものを信頼し、目に見えないものを忘れてしまっている」と私は言ったんでが、本当にそう思いませんか?神様・仏様のこともそうですが、人の誠意さえも形に現せないと「何や、せっかくボタ餅持って行ったのに何のお返しもないのか」ということになりますね。ところが、私この頃、判ってきたんです。
私は先程、申し上げたように二歳でお寺に貰もらわれて行きまして、ずっと義母に育てられてきました。厳しい子供のない義母は、大阪天下茶屋の丸紅の別家へ若い時は奉公したちゅうんですから、生涯着物着て帯び叩きながら生きたお寺の奥さんですわ。教育ママの一番最右翼、本当に私は「ここへお座りなさい」と、立ったまま怒られたことは一度もない。必ず「お座りなさい」と目の前に座らせといて、延々三十分、一時間とおしかりを受けた母ですからね。私、五年生まで寝小便をたれていましたからね。一晩に九回起きるんですね。一晩に九回起きるというと母は大変ですね。大変だけど起こさんと濡らされるから、向こうも勘定があって起こすわけですよ。起こされる方も大変ですよ。シーシーとやりたいのにね。それでよく叱られた。
それはね、親子というものは血を分けているとそうでもないんですが、貰った子がおしっこたれると腹立つらしいんですね。だから私が嫁をもらう時に、もしも私の子がおしっこしたら、私の家内が義母と同じようにせっかんしたら困るから、どっかの喫茶店で「君、僕らの子供がおしっこたれたらどうする」と聞いたら「そんなもん、あなたの子供ですもの怒りませんわ」と言うから結婚したんです(会場笑い)。それで期待してたんです。三人子供ができたんです。でも、誰一人おしっこせんのですわ。するの私だけですわ。ものすごい疎外感がありました(会場笑い)。ある冬の日に、ひょっと向こうを見たら長女がパジャマ着て泣いてるんですわ。見たらしてるんです。まあ、愛いとしいて「この子だけが私の子」と思いましたわ。そして行ったら家内が茶釜で湯を沸かしてましたので「たれたで、たれたで」と言うたら、「用意してましたんや」と言って、温いのをちゃんと換えてくれました。
そんなんで、PTA行ってもね、「うちの子はできるんや」いうて、前へシャシャリ出てきて「ケンちゃん早よ答えなさい」と言うてるあのオバはん大嫌いなんです。もう、ヤモリみたいに後の壁にくっついて「うちの子に当たりませんように」と思っている母の母らしい姿。その母が一昨年の元旦の夕方に数え九十九で死にました。ここの親先生は満で九十六、数えで九十七歳。私の母は九十九の元旦で亡くなりました。そしたら、私は母に無精に申し訳なくなりました。何であんなバカなこと言ったんやろう、何でつっぱったんやろうと思って、血を分けていなかっただけに無性に「大変申し訳ないことをした」と思いました。
よく考えてみれば、私が偉そうにこの壇の上に立っているのも母のおかげです。人生の岐路に「こうしなさい、ああしなさい」と激励し、「家のことは構わんからアメリカへ行ってきなさい」大学へ声がかかった時も「大学の学生の寮監にお呼びがかかったら行きなさい」何でもかんでも母が全部やった。私が夜中に電話をしていると、たいがい外国からの電話は夜中にかかる。どこからともなく起きてきて、自分が脱いだ着物をゴボッと私に掛けてくれるんです。臭うて、生暖こうて、「もうそんなんかけてくれんでもうるさいて。寝たらどうや」言うても、私がいくら遅く帰ってきても「夕べ何時に帰ってきた」と、ちゃんと知ってたんです。うちの女房の方は風船作って寝てますわ(会場笑い)。ほんで嬶かかあという字は女ヘンに鼻と書くやてね。
それで、お婆さんは、ちゃんとかけてくれて嫌だった。ところが今にしてみると、夜中に震えながら電話かけてても誰も掛けてくれません。今にして母を亡くして母が仏壇に入ってから、私は本当に心を込めてお経を読んでますわ。近頃の日本人はね、見るものが関心あったり、見えるものの世界しか知らないというのは、見えないものが見えなくなった。見えないものを見る方法があります。それは、目をつむることです。居眠りと違いますよ。目をつむる。目をつむったら、こんなケチな目で見える世界を越えて何でも見えます。お位牌の前でお経を読んでいると、いかにも位牌に読んでいるようですが、目をつむると位牌が象徴している背後に母の人生がずうっと見えてきます。これが瞑目ということだろう。私たちは自分でどう生きるか、体を鍛えて知識を身につけて、沢山ご飯をいただいて、ぜいたくばかりしていますね。
最後に、たぶん時間がきていると思いますが、私たちは健康とか、生きている人生とか希望とか、そういうものを生き甲斐と感じて生きてます。けども、目をつむってよく考えてみますと、人生よりも、産まれてくるまで、死んでから後の世界がうんと長いですよ。人生は短いけどね。その前がずっとあったんです。たとえば罪。私がどっかで万引きしたら罪になりますね。こんな罪はハプニングとしての罪で、してもよかったし、しなくてもよかった中で罪を犯した。こんなもの裁判にかけられて監獄行って出てきたら帳消し。恋愛でも、どっかの廊下で偶然出会って恋愛した。この恋愛はひょっとして起こらなかった。起こらなかった恋愛が起こった。こういう形で私たちは恋愛したり罪を感じたりしてますか?本当は人類が始まった大昔から恋愛はあったんですよ。罪もあった。これからもあるんです。恋する燃えるような気持ちになるということはあるんです。そのようなものが私たちの足の下には脈々とした愛とか、罪とか、悪とか、生とか、死とか、病いとかがあるんですよ。ただ私たちはその大きな流れに気付かずに人生を通るだけなんです。
だから恋愛も体験せんでもよろしい。ぜんぜん悪いことせんでもよろしいよ。でも、あなたの足の下には人間が逃れることのできない愛とか、罪とか、悪とか一杯あるんですよ。死ぬとか病気するとか年寄るとかあるんですよ。目を背けたくなるような悪いことが一杯あるのに、その上にぽちゃんと泡みたいに浮いてる人生ですね。あるのに私たちは気が付かないだけでしょう。もう、あなたたちの中には、年寄ること、病むこと、死ぬこと、皆、インプットされてます。それをアクセスして呼び出すのがいつか、の問題だけです。
だから、私は、どんな子供でも、病気して入院してたり、早く死んだりする子は、そういう真実な人間として避けられない真実を実現してくれた先輩ですよ。健康なのが当たり前と違いますよ。病気して死ぬのが当たり前ですよ。だから、有り難いというんです。有ることが難しいんです。「健康ですね」いうたら有り難うございます。それは病気になるのが本来なのに、やっとこうやって元気でいるということが滅多にないので有り難いというのです。「お若く見えますね」というのは年いったら皺クチャになるのにまだ艶々しているのは滅多にないから、有り難うございますというんです。「あんた皺クチャですね」というたら当たり前のことなのに、「何言わはります」というて怒りますやろ。真実いうのは私たちが目で見ているのと違います。私達にとって生きていることより、死ぬことの方が真実です。先程、言いましたように、生まれて来ることは極めて偶然ですが、死ぬことは必然的で避けられないことです。これが真実であって、その他の何ものでもない。そのように思えば生きている稀少性、元気でいる稀少価値というものがもっともっと見えてくるはずです。見えてくるためには目をつぶら
なあかんという話をしにきたんですが、もう止めなさいということですので止めます。
おわり