6月22日、『人われ共に助かりの道を歩もう』をテーマに創立87周年記念青年大会が開催され、テラ・ルネッサンス創設者の鬼丸昌也氏が、『こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した』という講題で記念講演を行った。本サイトでは、数回に分けて本講演の内容を紹介する。
鬼丸 昌也氏
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▼ちょっとだけ関心を広げてみる
皆さん、こんにちは。ご紹介いただきましたNPO法人テラ・ルネッサンスの理事をしております鬼丸昌也と申します。本日は、青年の方と心が青年の方(会場笑い)にたくさんお集まりいただきましてありがとうございます。少しだけ自己紹介をさせていただきますと、鬼丸と言う苗字は福岡に多いんですね。私も福岡県の出身で、京都の立命館大学で勉強しました。大学4年生の時に、この「テラ・ルネッサンス」という団体を1人で立ち上げました。現在は有給職員、つまり給与を払っている日本人職員が8名おります。アフリカのウガンダとコンゴ、東南アジアのカンボジアの3つの国に事務所を構えて計40名……。内外合わせて約50名のスタッフで、「すべてのいのちが安心して生活できる社会の実現」という目的を据えて、いくつかの事業を展開させていただいております。
本日は、45分間という限られた短い時間内での講演ですので、私たちの多岐にわたる活動の中で、最も重要な「子ども兵」の問題と、それから、2011年の3月11日といえば、もちろん皆さん覚えてらっしゃいますよね。東日本大震災ですけれども、私どもテラ・ルネッサンスは岩手県の大槌町という小さい町で被災をされた女性の方を対象にした、いくつかの支援事業をさせていただいておりますが、その話を少しさせていただければと思っております。
お話をさせていただく前にお願いがあるんですけれども、皆さん、隣の席の方を見ていただきたい。今ここで、お互いに隣の方を見て、微妙な笑いが起きてるのは、皆さん方の日頃の人間関係によるものだと思うんですけど…。皆さん。今、隣の方を見ていただいて、自分の顔と同じ顔の人が居たって方いらっしゃいましたか?(と、会場を見回して尋ねる)当然、いらっしゃらないですよね。そりゃそうですよね。皆さんおひとりおひとりお顔が違うはずです。おひとりおひとりお顔が違うということは、ものごとの考え方や受け止め方も違うということだと思います。僕は違ってていいと思うんです。だってここにいらっしゃるこんなたくさんの方々が、私1人の話を聞いて、皆、同じ受け止め方や考え方しかできないとするならば、そちらのほうがちょっと気持ち悪い集団になってしまいますよね。いろんな考え方があるからいいんだと思います。会社も組織もどんな集団もチームも、それぞれの構成員がいろんな考え方や役割を果たすから強くなれる。今、FIFAワールドカップやってますけどね、もし、試合をしている11人全員が攻める側で、守る選手が1人もいなかったら直ぐに負けちゃいますよね。なので、今日は是非、おひとりおひとりの考え方を大事にしながらお話を聞いていただきたいと思うんです。
その上でお願いがあるんですけれども、一人ひとり考え方が違うからこそ、一人ひとりに、しっかりと考えていただきたいんです。例えば、子ども兵のこと…。例えば、被災地のこと…。「今の自分だったら何ができるのだろうか?」と、今の家庭の中で、今の会社の中で、今のご自身だからこそできることを是非に考えながら、私の話を聞いていただきたいんです。人間はそんなに強くありません。世界中で起きていること、この国で起きていること、家庭や社会で起きていることの全部を、自分のことと受け止めてしまったら、この小さな心や体はパンクしてしまうかもしれません。だから、僕ら忘れちゃうんですよね。問題を見ようとしなくなるんですよね。
そこで、今日、ここにお集まりの方は既にもうご存知のように、この社会には、家庭の中には、自分の人生においても解決したほうがいいことはたくさんあるはずです。だから、限られた時間でいいんです。区切られた時間でいいんです。その間だけ、自分の心や関心のキャパシティーを広げていく訓練が必要なんだと思います。24時間365日世界のことを考えてたらちょっとしんどいですもんね。でも、本日のこの講演の45分の間だけは、ちょっと関心を広げてみる…。それを少しずつ毎日繰り広げることによって、心のキャパシティーは広がって行くのです。そんな風に僕たちは教わってまいりましたので、今日は、是非そういうふうに考える機会にしていただければいいな、と思います。
▼レッテルを貼らない
私たちの活動しているひとつの国が(パワーポイントの画面を指して)このアフリカ大陸の真ん中辺りのウガンダという国になります。皆さんの中で、実際にウガンダに行かれたことのある方はおられますか?(と会場を見回して尋ねる)あっ、いらっしゃいますね…。海外旅行が盛んになった今でも、なかなかウガンダまで行かれるという方はおられないものなのですが、さすがに泉尾教会の青年会ですね…。いつごろ行かれましたか?(と会場で挙手した青年会員に対して質問し、「2年前に」という返答に対して)2年前に、ウガンダのどこらへんに行かれましたか? お仕事ですか?(と会場の回答者に尋ねて…)通常の講演会では、ウガンダなんか行ったことのある人はほとんどいないので、少々作り話をしてもバレないのですが、話がやりずらくなってしまいましたね…(会場笑い)。
ウガンダは、この地図では赤色で示されている国になります。最近は、行きやすくなりまして、日本から中東のアラブ首長国連邦のドバイもしくはカタールのドーハ経由で、アフリカのほとんどの国は1回の乗り継ぎで行けます。アフリカへ行こうと思えば、いちいちヨーロッパ経由でしか行けなかった以前と比べたら、本当にアフリカへは行き易くなりました。ウガンダまで飛行機でたったの18時間で行けますので、是非みなさんにも一度、ウガンダへお越しいただきたいなと思います。
ウガンダはアフリカ大陸のど真ん中の国ですから、海はありません。日本の本州より少し大きいぐらいの面積の小国で、赤道の真下にあります。「皆さん、赤道直下の国ウガンダの1年間の平均気温ってどれぐらいだと思いますか?」 今、私と目が合いましたね。前の方に座ると当たるんですよ……(会場を見回して)30度ぐらいと思われる方は? それじゃ、40度ぐらいと思われる方は? さすがに50度と思われる方はいらっしゃらないようですね。それでも2、3人はおられますか……。一番多いのは30度ぐらいという意見ですね。皆さん謙虚ですね。この前、新潟県庁で講演したら、「53度!」と答えた副知事がいましたからね。もし、年間の平均気温が53度だったら、人間は皆死んでしまいます(会場笑い)。
赤道の直下の国のウガンダの1年間の平均気温はどれぐらいか? その答えを申し上げますと、22度です。実は、ウガンダの南部は海抜1,200メートルぐらいの高さがあるため、涼しいんです。また、ここにはビクトリア湖という大きな湖があります。これはアフリカ最大の湖なんですが、ここから涼しい風が吹いてきたりもします。この話から何を申し上げたいかといいますと、「レッテルを貼らないでいただきたい」ということなんです。例えば、われわれは「赤道直下」と聞きますと、非常に暑い地域というイメージがあります。また「アフリカ」と聞きますと、貧しいイメージがありますよね。
例えば、私たちが活動している国のひとつであるカンボジアは、ある一定の年齢の方からすれば、内戦、危険、貧しいイメージがあるかもしれません。しかし、カンボジアにしてもウガンダにしても、都市部には、たくさんの高層ビルやホテルが建ち並び、もの凄く発展しています。カンボジアの首都はプノンペンですが、旅行で行かれた方も多いと思います。今年、プノンペンにはイオンのショッピングモールができますし、僕らの友人たちもたくさん出店します。また、みずほ銀行、三井住友銀行、三菱東京UFJ銀行は、すべてプノンペンにある支店を再開しています。何故でしょうか? それは、投資や融資の案件が多いからです。理由は簡単で、「儲かる」からです。
都市部はどんどん発達していく一方、農村部は貧しくなっていく…。その様子を見て僕らは「アフリカは貧しいんだ」、「カンボジアは貧しいんだ」と思ってしまうんです。こうして、どの国にも様々な面があるにもかかわらず、国単位で色付けをしてしまうと、大事なものが見えなくなります。「この地域の人たちはこうだ」、「この部署の人たちはこうだ」、「この人はこうだ」といったんレッテルを貼ってしまうと、まず、どこの誰にどんな問題があるかが見えなくなります。そして更に見えなくなることは、抱えている問題を解決したいと当事者が願っていることや、その人が本来持っている問題を解決する能力や問題に立ち向かう意欲が見えなくなるんです。
レッテルを貼ってしまうと、次に起こることは「これがあなたたちにとって良いことだろう」、「これがこの国にとって良いことだろう」といった善意の押しつけです。しかし、知恵のない善意は最も人を傷付けます。善意を実現するには知恵が要るんです。では、「知恵」とは何でしょうか? 僕たちは、それを「相手を正しく見る力」、「その問題を正しく見ること」だと教わってきました。目の前にいる人や目の前にある問題を正しく見る力を付けることが、人に関わる仕事をしていく上では大事なのだと、この13年間いろんな人から教わってきました。
だから、ウガンダも正しく見てみます。緑が豊かです。気候も温暖です。農業に適しています。都市部の発展も著しいです。しかし、それはウガンダの南部の話です。このような地図をご覧になった方もいらっしゃると思います。日本の外務省のホームページには、国ごとにこういった地図が紹介されています。「海外安全情報」といって、それぞれの国がどのくらい危険かを、現在は四段階ぐらいで表しています。そして、これがウガンダの安全情報です。
▼子ども兵の問題
僕らが初めてウガンダに行ったのは2004年です。2004年当時、日本の外務省はウガンダの安全をこのように色分けしていました。4段階で表している中で一番危険なのが赤色で、これを「退避勧告」と言います。「退避勧告」とは、「日本政府が責任を取れないから、日本人は行かないでください」という意味ですが、当時、ウガンダはそんな地域でした。今で言うとイラクやシリアといった感じでしょうか。
余談ですが、この中で海外旅行に行かれたことがある方はどれぐらいいらっしゃいますか? 所得調査じゃないので、後で寄付金を求めたりしませんから、ご安心ください(会場笑い)。海外旅行や海外出張へ行かれた経験がある方は、「海外旅行傷害保険」をかけられたことがあると思います。空港に到着してからも加入できますし、今はクレジットカードに自動付帯されていたりします。ハワイやグアムに10日間程度行く場合は、5、6千円ぐらいじゃないでしょうか。
ところが、僕らが2004年に目指したのは、豊かな都市が発展してゆく南部ではなく、退避勧告地域であるウガンダ北部でした。ウガンダ北部に僕らは10日間滞在しましたが、この10日間のためにかけた海外旅行傷害保険の名前が「戦争特約」です。そもそも名前からして物騒です。皆さん、この保険料っていくらぐらいになったと思われますか? 実は、1人あたりの保険料は10日間で約16万円でした。16万円支払わないと保険として成立しない…。ウガンダ北部はそんな地域でした。
理由は簡単です。このウガンダ北部で23年間戦闘が続いてきたためです。ウガンダ南部を基盤とする政府軍と、ウガンダ北部の「神の抵抗軍」と名乗る武装勢力の対立ですが、このグループが23年間内戦を続けてきたんです。そして、「神の抵抗軍」は、この23年の間にたくさんの子どもたちを誘拐して兵士にしました。いろんなデータがありますが、「神の抵抗軍」が誘拐した子どもの数は、少なくとも36,000人、多く見積もるとユニセフの統計で66,000人と言われています。僕はこの子ども兵の問題に取り組みたいと思っていたんですが、日本には子ども兵の情報があまりありませんでした。それ故に現場へ子ども兵のことを調べに行きました。
私たちテラ・ルネッサンスは、もともとは僕がカンボジアに行って地雷の被害の悲惨さを見た時に「何かできることがないかな?」と考えたことが活動の出発点です。しかし、私は5人兄妹の長男で、大学はバイトで学費を払いながら行っていましたから、お金もなければ人脈もない。そして未だに最悪なんですが、こんな仕事をしていて英語が全く喋れません。けれども、できないことを潰していくと、できることにスポットライトが当たるんです。「僕は、伝えることだったらできる」と…。そして、カンボジアに1週間滞在して日本に帰国した後、友だちを10人集めて、こういった形で報告会をしたことからテラ・ルネッサンスが始まりました。
カンボジアには何度も行きました。何人もの地雷の被害者に出会い、話を聞きました。あのカンボジアの長い内戦中に子ども兵だった人にもたくさん出会いましたが、子ども兵の時に体に障害を負い、心にトラウマを抱えます。これは戦争が終わって彼らが大人になってもなお、その障害に未だ苦しめられ、その時に受けた心のトラウマに苦しめられています。つまり、子ども兵という問題は、当事者にしてみれば解放された時点で終わる問題ではなく、時間を超えて、その人自身や家族にも影響しつづける問題なんです。
今、お勤めをされている方も多いと思います。どのお仕事でもそうだと思いますが、問題は現場にありますよね。問題を解決するヒントも現場にありますよね。われわれが取り組んでいる社会課題もそうなんです。苦しんでいる人の所へ行くことが大切なんです。皆さんも、悩みがある人を「教会へ行こう!」と誘って、一緒について来てあげるじゃないですか。「ここに来たら良い話が聞けるよ」、「ここに来ればお取次ぎしていただけるよ」と…。そのために、苦しみや悲しみを抱えた人の所へ自ら足を運ぶんですよね。そうすることによって、苦しみや悲しみから救われていく。僕は、社会課題も一緒だと思うんです。そんな思いを胸に、ウガンダへ行きました。
僕はウガンダで8人の元子ども兵に出会います。下は12歳、上は28歳。今日はお話する時間が限られているので、その中の1人を紹介させていただきます。この青年は、12歳の時に「神の抵抗軍」という武装勢力に誘拐されます。兵士にされるために誘拐されるんですが、彼だけではありません。他国でも子ども兵が確認されています。彼らは軍隊で銃の扱い方や軍隊のルールを学んだ後、たいがい自分の生まれ育った村に連れて行かれます。正確に申しますと、生まれ育った村を襲いに行かされるんです。理由は簡単で、脱走を防ぐためです。何しろ自分の村を襲い残虐な行為をさせられるのですから、彼らは必ずこう思うんです。「僕は、二度ともうこの家には、この村には帰ることができない。お父さんもお母さんもオジさんもオバさんも、僕がやったことを知っている」と…。
▼人間には承認欲求がある
皆さんの中には、お子さんをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、子どもは親に認められたいものです。部下や従業員を抱えておられる方もいらっしゃると思いますが、部下や従業員は上司や先輩に認められたいものです。「褒められたい」のではなく「そこに居ていいよ。君が必要だよ」と認められたい。受け入れられたい。そういった承認欲求が私たち人間には本能として備わっています。
それは子ども兵だって同じことです。同じ人間ですからね。ただ、彼と私の間にひとつだけ違うものがあります。それは、彼の周りにいる大人は全て残虐な「神の抵抗軍」の兵士だということです。大人の兵士たちが子ども兵の存在を認める基準は2つしかありません。ひとつは他の子ども兵より多く物を盗んでくることです。もうひとつは、他の子ども兵より多く人を傷付けることです。だから、子ども兵は大人より優秀な殺人マシーンになり易いんです。それをすれば大人が認めてくれる訳ですからね…。
彼も他の子ども兵同様、自分の生まれ育った村に襲いに行かされました。そこには自分の生まれ育った家があり、お母さんがいました。大人の兵士は12歳の彼に向かってこう命令をするんです。「その女を殺せ!」と…。彼は「嫌だ!」と抵抗します。自分のお母さんですからね。すると大人の兵士は彼を銃の反対側でボコボコに殴り、今度は「お前がその女をどんなに大切にしているかが良く分かった。ならば、その女の腕を切れ。そうしなければ、お前もその女も殺す」と言いました。仕方がないですよね。おそらく皆さんも同じことをされるはずです。そして、自分のいのちとお母さんのいのちを守らなければいけません。だから、彼はお母さんの右手首を押さえて、渡された鉈を持って何度も何度も斬りつけてました。そして、切断し終わります。
僕らが出会う2週間前に、彼はようやくその母親と再会することができたと言っていました。そして、その時のことを僕らにこう言いました。「僕はね、お母さんが僕のことをどう思っているか、凄く心配だったんだ。でもお母さんは僕の話を聞いてくれたんだ。『あんた大変だったね。苦しかったね。辛かったね』と、自分でやってきたことや、させられてきたことを、最後まで全部聞いてくれたんだ。それは凄く嬉しかったんだ」。けれどもその後、彼はもう一言付け加えました。「でも僕には分かるんだ。もうお母さんが前のように愛してくれることはないことを…。以前のように僕を無条件で受け入れてくれることはないことを…。僕にはそれがよく分かるんだ」と…。当時、16歳だった彼は、私たちにそのように語ってくれました。
では何故、このような子ども兵が存在するのでしょうか? 何故、子ども兵が増えるんでしょうか? これには様々な理由がありますが、僕らは3つあると考えました。ひとつは子どもが素直で洗脳したとおりに動くことです。麻薬やアルコールを使って洗脳する場合もあります。2つ目は、武器が小さく軽くなったことです。ちなみにウガンダの「神の抵抗軍」で戦わされている一番小さい子どもたちは何歳ぐらいからだと思いますか? これもいろんな統計があるんですが、ある統計から引っ張り出してくると、五歳からだそうです。旧ソ連製の自動小銃AK-47カラシニコフならば、多少の反動はあるものの、5歳児でも持って撃つことができるからです。今日、是非覚えておいていただきたいことは、こういった貧しい国の紛争で使われる武器のほとんどが、いわゆる貧しい国で作られたものではないという事実です。武器の取引を悪いことだとは言いません。しかし、アメリカ、中国、ロシア、フランス、イギリス、そしてドイツといった、いわゆる豊かな国で作られた武器が、不法に貧しい国へじゃんじゃん流れ込んできていることは、やはり看過すべきではないと思うのです。武器が流れ込んでくるからこそ、あの男の子も武器を取って戦うことができるようになってしまった。
▼われわれも加害者になっている
実は、今日一番お話ししたいことは、3つ目の話なんです。それは「僕らの生活と子ども兵が増えることには関係がある」という事実です。子ども兵がいる国や、子ども兵がいた国を世界地図の中で赤く染めてみました。いろんな国がありますが、例えば、ネパール、ミャンマー、南米もそうです。今日お話しするのは、今私たちテラ・ルネッサンスが一番支援に力を入れている国です。
それは、アフリカのど真ん中にあるコンゴ民主共和国です。昔はザイールと呼ばれていました。余談ですが、コンゴといえば鈴木宗男さんという政治家がいらっしゃいますが、彼の秘書にジョン・ムルアカという巨漢の空手で有名なコンゴ人(註:2005年に日本国籍を取得。現在、千葉科学大学教授、総務省参与)の方が居て微妙に有名だった時期があります。そのコンゴのお話をさせていただきます。
コンゴ民主共和国は、アフリカで2番目に大きい国で、かれこれ20年以上内戦が続いています。20年以上の戦闘で亡くなった人の数を申し上げますと、540万人に上ります。これは、第2次世界大戦終結後、最も多くの人が亡くなった紛争です。そして、一番戦争が激しかった時期が14年前の2000年。いわゆる「コンゴ内戦」ですが、「内戦」とは「内側の戦争」と書きますよね。しかし、2000年頃はコンゴ周辺の19の国がいろんな理由を付けてコンゴに軍隊を派遣する訳です。そして、豊かな国や政府や企業がそういった19の国を通じて武器やお金をどんどん流し込んでいくんです。まるで焚き火にどんどん薪や燃料をくべ続けるようなものです。火は長く激しく燃えさかっていきます。このコンゴでそんなにも激しい戦闘が続いている。そして、大変言いにくいんですが、この国は世界で一番女性が傷付けられる国になりました。そして、今も1万人の子どもたちが、このコンゴの東側のジャングルで、今のこの瞬間も戦っています。それはコンゴの人たちが野蛮だからでしょうか? そうではないですよね。
コンゴには昔、コンゴ王国といって、とても素晴らしい大きな国がありました。とても豊かで争いもほとんどありませんでした。白人たちに支配された(註:1885年から1960年までベルギーの植民地)後、ようやく独立を果たすのですが、今度は様々な戦争に巻き込まれる。そして、今もその戦闘は続いている。何故、この国でこんなにも激しい戦闘が続いているのか。それにはいろんな理由がありますが、今日皆さんと一緒に考えたい理由は、皆さんの目の前にあります。例えば、このプロジェクター。例えば、私も使っているパソコン。例えば、皆さんもお持ちのスマホや携帯電話。ニュースでご存知だと思いますが、そういった電子機器に使われるレアメタルは、もともと採れる量が少なく、採れる地域が偏っているため値段が乱高下しやすい傾向にあります。その他にも、金やダイヤやプラチナといった、いわゆる貴金属を巡って、この国では未だに激しい戦闘が続いています。
テラ・ルネッサンスは3年前から日本のNGOで唯一、コンゴの東側で2,000人の元子ども兵と紛争で傷ついた女性たちの職業訓練や農業技術の指導といった社会復帰のお手伝いをさせていただいています。2,000人は12の村に分かれて暮らしているのですが、3年前にそのうちのいくつかの村が武装勢力に襲撃されました。コンゴで52人が虐殺されたため、私どもの職業訓練センターが避難所になり、職業訓練そのものをある一定期間ストップしなければいけませんでした。なんでその幾つかの村は襲われなければいけなかったのでしょうか? その村の近くに、金鉱石と電流を綺麗に整えるコンデンサーという部品に良く使われますタンタル、そしてレアメタルが採れる鉱山があったんです。その利権を巡る戦闘に巻き込まれ、子どもや食料を奪うために、それらの村が襲われました。僕が初めてコンゴに行ったのは2007年のことです。
また、今年の8月に打ち合わせに行かなければいけませんが、最初に行った時は、やっぱり怖かったですね。現在、ウガンダ北部は落ち着いているので、皆さんをツアーでお連れすることができますが、コンゴ東部に皆さんをお連れして一緒に日本に戻ってくる自信はあまりありません。それぐらい今でも緊張します。日本から私たちテラ・ルネッサンスのコンゴの施設に行くまで3日かかります。その内1日はジャングルの中をランドクルーザーで10時間ぐらいかけて移動するような感じです。雨季のジャングルって大変なんです。ジャングルには、たくさん雨が降りますから、車が一杯通ると、地面がぬかるんで轍(わだち)ができるんです。そして、その轍が深さ20センチから30センチにもなるんです。ですから、タイヤが取られるとそれを掘り起こして前に進まなければなりません。それを何回も繰り返して繰り返して、やっと私たちの職業訓練センターに辿り着きます。
そうやってコンゴのジャングルの中を移動している時、ふとこんな想いが心の中を過ぎったんです。「この国では20年以上戦闘が続いている。540万人が亡くなり、1万人の子どもたちが戦い、かつ世界で一番貧しい国になった。そしてその国の戦闘の一番の原因となっているのが、この国で採掘される資源を巡るものなんだ」と…。では、このコンゴで採れる資源を、いったい誰が使ってるんだろうと考えたんです。そして、すぐに気付くんです。「私たち先進国の人間なんだ!」と…。きちんと申しあげます。それは、僕なんです。
そのことに気付いた時、僕はとってもショックでした。簡単に申し上げれば、支援している子ども兵や支援している女性たちの足を踏みにじりながら支援しているようなものですからね…。自分の生活の中に子ども兵を生み出すような原因が含まれているかもしれない。自分の心の内側に戦争や世界の様々な問題を起こすような原因が含まれてるかもしれない。そんな自分が支援をしているなんて「偽善だな」と思いました。自分のやっていることの意味や価値が解らなくなってしまいました。
なので考えるしかありませんでした。「何のために僕はこれをするんだろう?」と。「誰のために、僕はこの仕事をするんだろう?」と。いつも僕は尊敬する経営者の皆さんからこう教わっていたんです。「あんたは何のためにその仕事をするんだ。いったい誰のためにその仕事をするんだ。たった1回きりしかないいのちを使って単に時間を浪費する作業で終わらせたいのか? たった1回きりのいのちを使ってでも大切な誰かのために何かを残す。証しを残す仕事をしたいのか? 君はいったいどっちなんだ」と…。何のために、誰のために、という問いかけは、作業を仕事に変えてくれます。頭では解っていたと思います。けれども、腹では分かってなかったと思うんです。だって腹で分かるということは、行いができている状態ですもんね。自分と向き合わなければ、腹で分かったとは言えないと思うんです。ですので、この時は自分と向き合わざるえませんでした。考え続けている内に、ふとこんなことを思うようになります。
▼グローバルに活躍できる人材とは
どの国から来たか判らない資源を使った製品を無意味に買い換えてしまうこと、新しい商品を買うことを悪いとは申し上げません。企業には設備投資が必要です。でも、何処から来たかに関心を持つことはできるはずです。今日はお子さんやお孫さんがいらっしゃる方がいたら、お願いがあるんです。もし、お子さんやお孫さんが「何かを欲しい」と言った時に、一言だけこう声をかけてほしいんです。「それ、本当に今欲しい?」子どもも考える力はありますから、きちんと理由を伝えてきたら、もう一言、声をかけてほしいんです。「じゃあ、誰がそれを作るのに関わってくれたのか。一緒に考えてみよう」と…。本当にグローバルに活躍できる人材とは英語を喋れる、英語を上手く使える人だけではありません。
本当にグローバルで活躍することができる人は、自分の着ている物や自分の使っている物や自分を支えてくれる物が、何処から来て誰が関わってくれたかに思いを馳せることができる人です。自分が誰のためにここに立っているのか、自分が誰のおかげで、どんな人たちのおかげで生活ができているのかに思いを馳せることができる人。それが真のグローバル人材だと僕は思います。だって能力の不足は思いやりでカバーできますが、思いやりの不足は能力ではカバーできません。だから皆さん、こうやって教会に来られるんですよね。思いやりを養うために、思いやりを深くするために、そして能力を向上すれば、たくさんの人に手を差し伸べることができるようになる…。
余談が過ぎました。私、実は去年結婚したんですが、結婚をするとお金がなくなるということに初めて気が付いて大変なところです(会場笑い)。まあ、もともとあまりお金がないので関係ないんですけども…。一生懸命稼いだお金を、自分では「戦争反対」と言いながら、預けた金融機関が軍事産業に投資をしている。こんなことはよくあります。特に日本では多い。だから地方の方にはいつもお願いをしています。地元の信用金庫や信用組合を、是非大事にしていただきたいんです。だって信金や信組は法律による一定の縛りで、預金を地域に還元しなければならないからです。
善い悪いではないんです。自分が関心を持てば、それを調べて選ぶ力があると言うことです。例えば、心の内側に人を蔑んだり問題から眼を背けるような、そんな争いを起こす種が含まれているとするならば、僕はこう考えたんです。「僕らが変われば良い」って…。だって、僕らの中に、私たちの生活の中に、子ども兵や戦争や世界の問題を起こすような原因が少しずつ含まれているとするならば、私たちのささやかな行動は、この世界に必ず変化をもたらすことになる。原因を変えれば、時間はかかったとしても結果は必ず変わってくるはずだからです。だから、私は死ぬまでこう申しあげます。「私たちは微力ではありますが、決して無力ではありません。微力と無力はまるで違う。こうして生きてる限り、学んだり、働いたり、こうやってここにいる限り、私たちは誰かのために尽くすことができる。自分の内側に世界の様々な問題の原因がささやかに含まれているという自覚をしている限り、私たちからその希望が消えることはありません。僕はそれを「当時者性」、「当事者意識」と呼んでいます。
▼何ごとも当事者意識をもって
そんな視点で世界を見回すと、面白いことに気付くんです。ある時期、イギリスの若者たちが新聞広告を買ったのです。それはこういう新聞広告でした。ダイヤのネックレスをしている女性の写真があるんですが、そのダイヤから血が滴ってるんです。そして、その新聞広告はこう謳っています。「あなたは心から愛する人に、その血塗られた紛争の原因になっているダイヤを欲しいと言えますか? あげたいと思いますか?」皆さんの中で映画『ブラッド・ダイヤモンド』をご覧になった方はいらっしゃいますか?(会場を見廻して)何人かいらっしゃいますね。レオナルド・ディカプリオが主演の映画ですが、良かったらTSUTAYAやGEOへ行ってみてください。『ブラッド・ダイヤモンド』という映画は、実在する2つの国がモデルになっています。長い戦争があり、たくさんの子ども兵が使われました。そして、その2つの国の戦争の理由は100パーセント、ダイヤモンドでした。その新聞広告を見た若者たちが考え、立ち上がりました。宝石商に行き「そのダイヤはどこで採れたの? どこで加工されたの? それを証明しないと、俺たちは買わないよ」と…。そうして、まだ不完全ですが、ダイヤがどこで採れて、どこで加工されたかを証明しないと取引できない「キンバリープロセス」ができあがり、現在、53カ国がこの取り組みに参加しています。
日本でもこんなことがありました。福島県の会津若松で講演をした時に、ある外国の携帯電話会社の子会社が、コンゴの武装勢力と裏取引をしてレアメタルを安く輸入し、部品にして収めているということが、僕らみたいなNGOに批判されたんです。それを聞いた福島県のある三十代のお母さんが凄いショックを受けて考えたんですね。「自分の携帯電話はどうなんだろう?」と…。そこで、彼女は日本で携帯電話を作っているメーカー全てに葉書を書き始めました。「私は福島県に住む主婦です。息子が2人いますが、先日、子ども兵の話を聞き、とてもショックでした。私にも息子がいるからです。携帯電話に使われるレアメタルがコンゴの戦争を激しくしていると聞きました。私の使っている携帯電話にはどんなレアメタルが含まれているのでしょうか? 私には分かりません。仕事にも、PTA活動にも、携帯電話が必要です。だからお願いがあります。あなたの会社で作っている携帯電話に、コンゴで取れるレアメタルを使わないでください」そんなお願いの葉書を書き続けたんです。
結論から申し上げると、98%の会社から回答がありました。一番素晴らしかったのは大阪のパナソニックとシャープです。この2つの会社は、もの凄く一生懸命、全社を挙げて調べてくれました。そして判ったことがあります。携帯電話の電流を綺麗にする部品(積層セラミックチップコンデンサ)は、実はほとんど1社の独占状態で、群馬県に工場があるんですが、その会社にある時期を境にCSR(企業の社会的責任)を重視する納品先から一斉に問い合わせの手紙や電話がやってくるんですね。福島のお母さんから葉書を受け取った携帯電話機器メーカーからです。大変ですが、彼らも一生懸命調べました。
すると、その携帯電話のコンデンサに使うレアメタルはコンゴでたくさん取れ、質が一番良いのですが、戦争しているため、その影響でレアメタルの輸入がストップし、日本に入って来なくなる可能性がありました。そうなると、決められた量をメーカーに納めることができません。そういったリスクがあるので、結果として、戦争をしていないカナダやオーストラリアからレアメタルを輸入していることが、その時はじめて判りました。これはメディアも知らなかったんです。政治家も官僚も、恥ずかしながら僕たちNGOもそんな事実を知らなかった。1人のお母さんが、世界の出来事を自分のこととして受け止めて、自分でできることを繰り返しくり返し続けることによって、問題が明らかになった瞬間でした。明らかになった問題は、解決へ向けてへの資源を集め始めます。そんなことを僕たちはたくさんの先人や先輩たちから教わりました。
▼絶望感が人を無力にする
ですので、ウガンダで僕たちは2つのことを始めようと思いました。1つはウガンダやコンゴそしてブルンジといった子ども兵がいる国で、子ども兵の社会復帰の支援をしっかりさせていただこう。そして、その支援の実績を使って、本日も有り難い機会を頂きましたが、こうやって子ども兵の問題、子ども兵の問題の背景にある私たちの生活との関係性、私たちが変化すれば世界が変えられるということをしっかりお伝えしようと決めたんです。
皆さんに耳を傾けていただくためにも、支援の実績が必要でした。何故なら、人は「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」で判断するからです。ですから、丁寧に丁寧に支援を始めていきました。この6年間でウガンダでは149名の元子ども兵士の社会復帰のお手伝いをさせていただきました。仕事のやり方、文字の読み書き、計算の仕方、商売のやり方を教えて、金利を10%にして、元手となる少額の資金を貸し出して皆に商売をして自分で稼いでもらいます。結論から申しますと、149名支援した当初は、彼らは月200円の収入だったんですが、僕らの学校や施設を卒業した人で商売をした人の平均月収は、だいたい7,000円〜8,000円になりました。貯金が平均13,000円あります。ウガンダで7,000円・8,000円がどのくらいの価値かというと、国家公務員の給与が約7,000円〜8,000円ぐらいですから、それぐらい稼げるようになったということです。
私たちテラ・ルネッサンスは、働いてもらうことに執着をしますが、それには理由があります。私たちが支援対象にしている方の中には、元少女兵がたくさんいます。女の子の兵士がいるんですね。彼女たちは、ウガンダの神の抵抗軍の中で戦わされると同時に、いろいろ酷い目に遭うわけです。子供を生んで帰って来たり、子供を妊娠してようやく村に帰ってくる。あるいは脱走して来たりして、ようやく村の家族の元に帰ってきます。すると家族や地域の人に「お前なんか、帰って来なくてよかったのに!」と言われるんです。「そのお腹の中の子供は、神の抵抗軍の兵士の子供だろう?」とか、「お前が連れて帰ってきた子供の父親がいる神の抵抗軍は俺の息子を誘拐して行ったんだ」とか、「俺の親父を殺した」とか、「お前は悪魔の子を連れて帰って来たんだ」と蔑まれ、憎まれ、差別や偏見の対象になるのです。
何故、子ども兵の問題解決が難しいのかと言われますが、それは彼ら彼女たちが、被害者だけなく、加害者の側面も持ち合わせているからです。ただ、ウガンダの場合は、元子ども兵は全員恩赦手帳を持っています。つまり、彼らは基本的に犯罪者の扱いになっているんです。最初は、恩赦手帳を渡されて生活をしています。いろんな差別や偏見を受けて、心にトラウマを抱えています。地域社会から断絶をされると、人は生きにくくなります。そんな元少女兵に対して、僕らの施設ではカウンセリングも行っています。心のケアもしています。
けれども、それだけだと不十分なんです。カウンセリングを受けて、心のケアを受けて、心が少し軽くなって自分の家に帰る。自分の家に帰ると、愛する子供がひもじくて泣いている。お子さんをお持ちの方だったら、きっと想像していただけるんじゃないかと思いますが、泣いてる子供に対して自分が何もできない時、人は無力感を感じるだけです。「無力感」この言葉を言い換えて申しあげます。これは「絶望」です。「絶望」は望みを絶つと書きます。あらゆる望みが絶たれてしまった場合、もしくは自分が最も望みを託していることに何も貢献ができない場合、人は自らの力で立ち上がることが難しくなります。
しかし、逆説的に聞こえるかもしれませんが、これはひっくり返せば、どんなに小さくても良い。どんなにささやかでも良いんです。自分の内側に希望を灯すことができれば、人は自らの力で立ち上がることができる。私たちテラ・ルネッサンスは希望を2つに分けて考えます。ひとつは「役割」です。地域や社会や人生における、その人の役割を自覚してもらうこと。そして2つ目は、その役割に応じた出番を提供すること。役割と出番を自ら見つけ、自ら確認することができた人は、自らの力で立ち上がることができるようになります。
▼アフリカでの経験を東北の被災地でも…
それに気付いてもらうには、働いてもらうことが一番良かったんです。皆さんのお給料もそうですが、お店をやってる方は売上金って数えられますよね? その日一日の売上げを数える度に、元少女兵や少年兵士たちはこう思うんです。「今日も私は誰かに必要とされ、誰かのために役に立つことができた」と…。働くことは人間性を回復する上で最良で最大の手段だったんです。そんなことを、私たちはあのウガンダの元子ども兵たちからたくさん教わってきました。
そういう考えを教わったからこそ、僕らは岩手でも復興支援を続けることができるようになりました。もう時間がないので、サッとご紹介すると、今、岩手県の大槌町という、あの日人口の1割が亡くなった町で、高齢の女性の方を対象にして、刺し子(刺繍の一種)という技術で布巾やコースターやTシャツ─私の名刺入もそうなんですが─といった物を作っていただき、今までに180名のお婆ちゃんたちに約2,100万円の賃金をお支払いしてきました。お婆ちゃんたちは言います。「何もすることがないと、あの日のことを思い出す。けれども縫っている間は忘れることができる。オマケに自分の力で稼げるようになる」と…。僕の大好きなお婆ちゃんで小川さんという方が居ます。このお婆ちゃんは、縫うのがとにかく早いんです。ちょっと雑なんですけど、ガシガシ縫って行きます。凄いんですね。本当にガシガシ縫うんです。最高月額9万円稼ぎました。トータルで60万円稼ぎました。夜なべもしています。
理由は簡単です。彼女はたった1人の妹さんをあの日に亡くされました。小川さんは妹さんと2人で焼鳥屋をやっておられたので、彼女は70歳のある日、「焼鳥屋を再建するんだ」そして「これこそが、妹への最大の供養になるんだ」と決心します。自分の決めた目標だから頑張れるんです。彼女は一生懸命縫い続け、商品を買った人も応援してくれました。そして、2011年12月17日、妹さんとやっていた「七福」という焼鳥屋をついに再建することができました。僕も先日、行ってきましたが、沢山の人がお店に来ていました。小川さんは、被災した同じ町内の女性をパートとして雇用していました。大企業でもなく行政でもない、たった一人のお婆ちゃんが、この町で最も必要な雇用を増やすことができた訳です。だから僕は、このお婆ちゃんたちやウガンダの元子ども兵士たちから、本当に大切なことを学んできました。何かやりたい時に、年齢など関係ないんですね。何か始める時に、性別も国籍も関係ないんです。本当に自分がそれをやりたいか、やりたくないか…。
2011年3月11日。おそらく皆さん、いろんなことを考えられたと思います。僕はあの日、一日中ずっと悩んでいました。私たちテラ・ルネッサンスが被災地支援をすべきか否か…。理由は簡単です。災害現場での支援の経験はありませんし、お金の問題もあります。災害現場の支援には、お金も人手も必要です。テラ・ルネッサンスが被災地支援をして、果たして団体を維持できるかが凄く心配でした。僕は経営者ですし、職員に給与も払っています。場合によったら、私たちの組織そのものがなくなってしまうんじゃないか…。そんなことをずっと考えながら、3月11日は悶々としていました。
その時に、トシャ・マギーというウガンダで一番最初に雇用した職員が電話をかけてきました。このトシャという女性は、隣国のブルンジで、7歳で家族を全員焼き殺されています。そこから、たった一人で這い上がってきた女性です。そんな彼女だからこそ、心に深い傷を負った子ども兵士たちも彼女だったら心を開くんです。そして、僕らのプログラムが成功したウガンダでも津波の衝撃的な映像を見れたようで、トシャは「沢山の人が傷付いてる。あんな心優しい、私たちに支援をしてくれている日本の人たちが、あんな目に遭っているなんて信じられない」と電話で僕に語りました。そして、ウガンダ人の職員とあのビジネスで成功して頑張っている元子ども兵士たちで、今、日本の人たちのために何ができるのかを話し合い、募金をしようということになったそうです。彼らは半日かけて皆でお金を出し合いました。集まった金額を日本円に換算して申し上げますと、5万円でした。ウガンダの国家公務員の月給が7〜8千円ですから、5万円がどれくらいの価値になるかお解りいただけると思います。
その彼女が僕に対して電話越しに言うんです。「そのお金で被災者に毛布を買ってあげて。寒いでしょう。辛いでしょう」そして、最後にこう言われたんです。「じゃあ、貴方たちは何をするんだ」と…。「同じ日本に住んでいる貴方は、いったい何をするんだ」。その時に、恥ずかしながら僕の中にあった「やるか、やらないか」という迷いは、ようやく無くなりました。ただ、たったひとつ残りました。「どのように支援を行うか」です。大きな団体ではないので、大規模な支援はできません。ですから、支援者の皆さんとお約束をしたのは「10年は被災地の皆さんと関わり続ける」ということです。現在、3年経ちました。あと、7年残っています。正直言って「言わなきゃ良かったな」と思うことはたくさんありますが、約束は約束です。トシャたちとの、大槌の皆さんとの約束です。約束は果たすためにあります。また、約束は果たすべきものです。こうやって支援を続ける中で、私たちや、私自身が、沢山のことを学んできました。
泉尾教会の青年の皆さんは、これから社会や世界の中で大きく羽ばたいて行かれると思います。いえ、既に羽ばたいてらっしゃると思います。それは多分、神様の願いだからだと思います。神様は、この世界で自ら行うことはできないかもしれません。けれども、だからこそ私たち人間が居るんです。皆さんがいらっしゃるんです。皆さんのお一人お一人の心の中は、きっと神様の思いで満たされていると思います。そして、この世界は皆さんを待ってらっしゃる。皆さんじゃなきゃ救えない人が、この世界には沢山おられます。僕はそう信じています。そんな思いで、今日はお話をさせていただきました。少し時間をオーバーしてしまいましたが、これでお話を終わらせていただきます。皆さんどうも有難うございました。
(連載おわり 文責編集部)