7月15日、創立88周年記念婦人大会が『よろこび 祈り ひびきあい』をテーマに開催され、全国から大勢の婦人会員が参加した。記念講演は、オペラ歌手(関西二期会)の高原千秋氏を講師に迎え、『ばりとん亭千秋の歌人生』と題するお話を伺った。
本サイトでは、数回に分けて、高原氏の記念講演を紹介する
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ばりとん亭千秋氏
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▼サラリーマンからオペラ歌手へ
皆さんこんにちは。ばりとん亭千秋と申します。本日の講題には『ばりとん亭千秋の歌人生』と、大層なことが書かれていますけれども、歌手になる前、私はごく一般的なサラリーマンでした。若い頃にコーラスをやっておりましたが、きっと皆様の中にもコーラスをされている方がいらっしゃると思います。楽しいですよね。30歳になった時に結婚して、子供もできて、会社の中でそれなりの小さい立場を与えられ、「仕事せい。仕事せい」と言われるものですから、コーラスを辞めてしまいました。そしてそのまま50歳までやってなかったんです。45、6歳の時に、東京へ単身赴任していたんですが、この齢になるとだいたい自分が会社でどの辺まで行けるかが見えてまいります。「こら、アカンわ…」と思い、30歳までやっていたコーラスを再び始めました。コーラスを再開してしばらくした頃、「大阪へ帰ってくるように」と転勤の話がありました。こちらへ帰ってきてからまた合唱団へ入り、歌を歌っていました。55、6歳の頃に「もう給料も上がらへんし、会社も辞めてしまえ!」と早期退職を思い立ちました。妻が大学で働いていましたので、妻に頼ろうと(会場笑い)―その大学での仕事も今年いっぱいで辞めるそうですが―。そして私は合唱を楽しむことにしました。
私はオペラの合唱をしているのですが、オペラの合唱はお芝居の端役でございます。そんな中、オペラの端役にもかかわらず、ピンで歌っている方がいらっしゃいました。聞いていますと「アレやったらワシもいけるんちがうか?」という厚かましい気持ちが湧いてまいりました。そこで、「どうせやったら」と、オーディションを受けてみました。通常は、音楽大学あるいは大学院を出まして、さらに2年間勉強します。宝塚歌劇と同じように予科、本科へと進みます。この間、1年間で50万円、2年間で合計100万円の授業料を支払うんです。とにかくお金がかかりますので、通常オペラをやっている方々はお金持ちのお坊ちゃま、お嬢ちゃまです。私は貧乏人の小倅(こせがれ)で、当時も貧乏なサラリーマンでしたから、大したお金もありませんが、いきなりオーディションを受けるという方法がございました。細かい話は省きますが、特別に関西二期会のオーディションを受けさせていただき、オペラの世界に入った訳でございます。
オペラってどんな音楽かご存知ですか? 「長い」、「難しい」、「面白くない」の三拍子が揃っているのがオペラなんですね。中には吉本新喜劇そのままと言いたくなるような面白いものもあるんですが、基本的には「面白くない」という感想を漏らすお客様がほとんどです。皆さんの中にも「義理で知り合いのオペラを観に行ってあげた」という経験がございますでしょう? 「これは面白くないな」と思った私は、カンツォーネというイタリア民謡を歌い始めました。私は今年71歳ですが、カンツォーネだったら私の世代の方もよくご存知なんです。そこで、誰でも知っている『サンタ・ルチア』や『オー・ソレ・ミオ』を歌うようになりました。ところが今度は「曲は知っているけど、何を歌っているかはサッパリ解らんわ」というような声をたくさん頂きました。それやったら面白おかしく、大阪のオバチャンにも解りやすいような大阪弁で、上方落語風に曲を紹介したら喜ばれるんちがうかな…、と始めたのが、私の「お笑いカンツォーネ」なんです。そこまできますと、名前も「高原千秋」では面白くありません。女性の高い声がソプラノ、低い声がアルト。男性の高い声がテノール、低い声がバス。この高い声と低い声の真ん中がバリトンと言いますが、これを取って「バリトン亭千秋」という芸名で売り出した訳でございます。
えらいもんで、朝日新聞や読売新聞などが「面白い」と記事を書いてくださり、ラジオ番組にもいっぱい呼んでいただきました。今はパーティなどでコンサートをさせていただくのが、私の生業でございます。毎年春には帝国ホテル横のレストランで、お食事を楽しんでいただきながら私のコンサートを聴いていただくという企画もやっております。有名な歌手の方々ですとチケットも2、3万円しますが、私のコンサートのチケットは、たった6,000円でございます。6,000円で4,500円のお料理が食べられる(会場笑い)という超安いコンサートを続けております。皆様のお手元に私の名刺を配布してございますが、こちらにメールアドレスが書かれていますので、今日のコンサートを聴いて「面白かったな」と思われたら、是非メールを送ってください。必ずご返信いたします。
▼サンタ・ルチアは船で夕涼みする歌
私はこんな歌人生を歩んできた訳ですが、私がお話だけをしていても楽しくありませんし、せっかくですから先程申し上げたカンツォーネをいっぱい聴いていただこうと思っております。3時15分まで45分間お時間を頂戴しておりますが、私はお喋りを始めますと「ストップ!」と言われるまで話がドンドン伸びていくので、歌う曲がドンドン減っていってしまいます。私の普段のコンサートは2時間から2時間半ぐらいありますが今日は時間に限りがございますので、なるべくそういうことのないようにしたいと思います。すみませんが10分前になったら「あと10分やで!」と私に合図をしてくださいますか…? そうしましたら、それから2曲歌ってお終いということにしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
まずは、『サンタ・ルチア』という曲を歌わせていただきます。大阪の方は「サンタ・ルチア」ではなく「サンタル・チア」と仰いますが、正しくは「サンタ・ルチア」でございます。今日は金光教のお教会でお話しさせていただいているのですが、なんせもともとがイタリアの話ですから、神父さんなどカトリック教会のお話がたくさん出てまりいますが、この曲も日本語に直訳すれば「聖なるルチア様」でございます。この曲をご存知の方、手を挙げてみてください…。(会場を見わたして)知らない方が結構居られるようですが、おそらく聴かれたら皆さんご存知の曲だと思いますが、多分「私、手を挙げるのは恥ずかしいわ」という方が多いんでしょうね。けれども、この曲は何を歌っているのか、曲のストーリーをご存知の方はいらっしゃいますか? 手が挙がらないけれども、もしかしたら中にはご存知の方も居られるかもしれませんが、まずは『サンタ・ルチア』を歌わせていただいて、後ほどこの曲のストーリーを説明させていただきます。
「スル・マーレ・ルチアー・ラストロ・ダル・ジェントー。プラチーダエ・ロンダー・プロスペルト・イル・ヴェント。ヴェニテ・アッラジレー・ブラケッタ・ミーア。サンター・ルチアー・サンター・ルチアー♪」
自らの右脚を挙げて、イタリアの地理を再現する高原氏
この曲の最後に「サンター・ルチア!」と申しましたが、実は前半の歌詞と最後のこの「サンター・ルチーア!」は、ほとんど関係ないんです。アメリカの方が何やかんや喋って最後に「オー、マイ・ガッ!」と仰るでしょう? 「サンター・ルチーア!」は、この「オー、マイ・ガッ!」みたいなもんなんです。この歌の舞台は、風光明媚な港町ナポリです。ナポリは、イタリア共和国カンパニア州ナポリ県というところにあるのですが、「イタリアなんて行ったことないわ」という方のために、ちょっとイタリアの地図を広げたいと思います。後ろの方、見えづらいかもしれませんが、これがイタリアの地図でございます(講演者が右脚を高く上げる)(会場笑い)。見えました? この、当たったら一番痛いところ(向こうずねの部分)がナポリでございます。もうちょっと上にいくとローマ。裏側の汗をようかくところ(膝)がゴンドラで有名なベネツィアです。
このナポリというところは大変暑いところでございまして、夏になると、住んでいる方が「たまらんなー、暑いなー」と過ごしてはる訳です。そういう方々を船に乗せて沖へ連れて行き、夕涼みをさせてお金を頂くというのが、この歌の本当のストーリーなんです。実は、このカンツォーネというイタリア民謡は、男と女のドロドロした、とても口では言えないようなことを歌にしてあるんです。このカンツォーネをそのまま日本の学校の教科書に載せるなんてとんでもないということで、本当のストーリーを全部ねじ曲げてきれい事に置き換えて書かれているのが日本語の歌詞でです。学校で『サンタ・ルチア』を習われた方はたくさん居られると思いますが、ですから、何を歌っているのかサッパリ頭に残っていない訳です。そういう曲でございます。
(ここから落語調で)「暑いなあ」「暑いなあ!」「たまらんなあ」「たまらんなあ!」「こんな暑かったら、サンタ・ルチアの港へ行って、夕涼みでもせえへんか?」「そら結構なこっちゃなあ!」という訳で、サンタ・ルチアの港へ行きました。そうしますと、港の岸壁には船がたくさん繋いでありまして、朝から昼間は漁師さんが仕事をしていて、昼から夕方になると船内に毛氈(もうせん)を引いてきれいにしまして、お客さんを呼び込みます。「おお、そこ行く人! どうや、ワシの船で夕涼みせえへんか? ワシの船はきれいやろう? 隣の船はババチイけどな! 今日は天気がええで。沖へ行ったらまだ明るいけれど、暗なったら星が水面にピカピカ映ってきれいなもんや。どうや、ワシの船で夕涼みせえへんか? サンタ・ルチア!」というのが、この曲の本当のストーリーなんです(会場笑い)。今日は帰ったらお友達に電話して「あんた、『サンタ・ルチア』て知ってる? 曲のストーリー知らんやろ、教えたろか?」と、今の話をしてあげると、人気者になれること間違いありません。
▼突然、女に捨てられる男の話
さて、2曲目でございます。2曲目は『帰れソレントへ』です。この曲も有名ですね。前半は有名どころを揃えております。先程お話ししたナポリのすぐ南にソレント半島がございますが、ここは良いところなんです。夏になったらオレンジの花が咲き、海も透き通っています。コインを投げると、水の中をトトトと落ちていく様子が見えるぐらいです。「ここは世界で一番ええところや。こんなええとこ見たことないやろう?」と言う人に、どこと比べて良いのかと尋ねますと「いや、ワシはここから一歩も出てないからここしか知らんけれど、世界で一番良いのは間違いないねん」と仰います。
ここに、キジェロッティさんという男が住んでいます。そして、アンジェリーナさんという恋人と仲良く暮らしているんですが、ところがどういう訳か、アンジェリーナさんが突然居なくなってしまったんです。キジェロッティさんは原因が自分にあることに気が付かないで、「アンジェリーナが出ていってしもたんや。何処行ってしもたんや。帰ってきてくれ。ソレントから出て行ってどこがええっちゅうねん。不思議な女や、こんなええとこないで」というだけの歌なんです(会場笑い)。出ていったのは「キジェロッティ、アンタが居るからやないか」と、答えは至って簡単なんですが…(会場笑い)。それでは『帰れソレントへ(トォルナ・ア・スレント)』をお聴きください。
「ヴィデ・オ・マーレ・クアンテ・ベッロ。スピラ・タントゥ・センチメント。コメ・トゥ・アキティエネ・メンテ。カ・スケタート・オ・ファイエ・スンナ…♪」(会場拍手)
有り難うございます。「こんな曲、小学校以来やわ」という方もたくさんいらっしゃるでしょう? 今はラジオでもテレビでもこんな曲は滅多に聴かなくなりましたが、頭の中に残っていらっしゃる方は少なからず居られると思います。
では、3曲目は『わすれな草』です。昔、菅原洋一さんが歌った「別れても 別れても 心のおくに…♪」という歌詞を思い浮かべた貴方、残念でした。これは『わすれな草をあなたに』という日本の歌謡曲なんです。イタリアの『わすれな草』はまた違う曲なんです。ワスレナグサは、ヨーロッパ原産の小さな薄紫色の花を咲かせるきれいな花ですが、実はこの歌にその花は出てまいりません。大阪弁で言うたら「ワレのことを忘れんといてや」という題なんです。それを日本人の細やかな情緒で、『わすれな草』という美しい花の名前を邦題にしたんです。それだけでこの曲のイメージはうんと変わりますね。
では、花が出てこないなら何が出てくるんやといいますと、鳥のツバメが出てまいります。私は昭和20年の生まれですが、子供の頃、伊丹に住んでおりました。今は空港があって賑やかすぎるぐらい賑やかですが、昔は田舎でしたから、近頃は見掛けることも少なくなったツバメがよく路地をシューッと飛んでいたものです。このツバメは渡り鳥でございます。日本が暖かくなったらやって来て、また寒くなる頃に南の暖かいところへ飛んでいきます。日本に来て家の軒先などに黙って家賃も払わんと巣を作ります。家主に挨拶もないんですよ。そして寒くなったら巣を放ったらかしにして何処かへ行ってしまいます。南へ旅立つ時に家の方に「いやー、半年間世話になりましたな。おおきに、おおきに。家賃よう払わんので申し訳ないんですけれど、この巣を神戸の中華街に持っていったらええ値で売れるそうなので、これを家賃代わりに…」ぐらい言ってくれたら可愛いんですが(会場笑い)。ツバメが飛び立った後、家の方も「昨日まで子ツバメがピーピー鳴いとったのに、今日はもう鳴き声が聞けん。もう南の島へ旅立ってしまったんか。そろそろ冬支度をせないかんなあ…」と季節感を味わうんですね。
さて、ナポリの街にキジェロッティという男がおりまして、アンジェリーナという彼女と仲良く暮らしておりました。ところが、ある日突然、恋人のアンジェリーナさんが出ていってしまうんです。実は、このカンツォーネという歌の90パーセントは、「突然女が出ていってしまい、男がフラれる」という筋書きが定番でございます。「アンジェリーナ、どこへ行ってしもうたんや? ツバメは春になったら帰ってくるけれど、お前は春になったら帰ってきてくれるんやろうか? 帰ってきてくれ! 帰ってきてくれ! お前が帰ってくるところは俺のところやで。俺の心がお前の巣やで…」というのがイタリア版の『わすれな草』という曲のストーリーです。大変美しい曲でございます。どうぞ聴いてください。
「パルティロノ・ル・ロンディニ・ダル・ミオ・パエセ・フレッド・エ・センザ・ソレ。チェルカンド・プリマベラ・ディ・ヴィオレ ニディ・ダモーレ・エ・ディ・フェリシタ♪」(会場拍手)
▼イタリアの気質と大阪の気質は基本的に同じ
なかなか良い曲でしょう? イタリアの気質と大阪の気質は基本的に同じだそうですので、イタリアの音楽は大阪の方々によく合います。こういう曲を歌ってますと、日頃カラオケやコーラスで歌っておられる方の中には「私も歌ってみたいわ」という方が居られるでしょう? 今笑っている方は「いよいよ私の出番やわ」と思ってはりますね(会場笑い)。それでは、『フニクリ・フニクラ』という歌の歌詞が皆様のお手元にあると思いますが、これは皆様よくご存知の「鬼のパンツは良いパンツ、強いぞー。強いぞー♪」という歌詞で知られる『鬼のパンツ』と同じ曲でございます。
この曲は世界中でいろんな歌詞に変えて歌われていまして、日本でも歌われておりますが、この曲は世界で一番最初にできたコマーシャルソングなんです。ナポリの近郊にベスビオ山という火山がございますが、あのベスビオ山に1880(明治12)年、登山電車(ケーブルカー)ができたんです。その記念にこの曲が作られ、歌うことで新しいケーブルカーをピーアールしようというのがこの曲の生い立ちです。「『フニクリ・フニクラ』とはけったいな名前やなあ」と思うでしょう? 実は、ケーブルカーはイタリア語で「フニコラーレ」と言います。このフニコラーレをもじって『フニクリ・フニクラ』という可愛い曲を作ったんです。この曲ができた頃、イタリアでは大騒動だったようです(ここから落語口調で一気に…)。
「えらいこっちゃで!」「何がえらいこっちゃねん?」「ベスビオ山のてっぺんまで行く登山電車ができたらしいで!」「登山電車ができたことの何がえらいこっちゃねん?」「お山にしてみたら、背中に線路引かれて電車が走るようなもんやないか。こちょばい(こそばゆ)し、腹立つし、気いー悪いがな。久しぶりにここらでいっぺん爆発したろか…?」「そんなこと思うかいな!」「思えへんか?」「思えへんわ。阿呆なこと言っとったらあかんで!」「そんなこと言っとるけどな、今までベスビオのお山までどないして上がっとってん?」「そら親から貰ったこの2本の足で登っとったに決まっとるがな」「そら結構なこっちゃな。せやけど登山電車ができたら歩かんでもてっぺんまでトットットーと連れて行ってくれんねんで」「そんなもんできたら楽なこっちゃな。いっぺん行かなあかんな」「ほな今から行こかい。ものはなんでもできた時が最高や。今行かんといつ行くねん」「今すぐに行ってもええけど、2人で行っても面白ろないがな。町内ぐるっと回って声かけておいで…」「ただ今!」「もう帰って来たんかい。人集めてきたんかいな?」「集めて来たがな。500人は集まっとるで」「ようけ集めて来たな。ほな行こか!」
「赤い火を吹くあの山へ 登ろう 登ろう。そこは地獄の釜の中 覗こう 覗こう。 登山電車ができたので 誰でも 登れる。流れる煙は招くよ みんなをみんなを。行こう 行こう 火の山へ。行こう 行こう 山の上。フニクリ フニクラ フニクリ フニクラー。誰も乗る フニクリ フニクラ♪」(会場合唱)
「私も早く歌わしてほしいわ…」と思ってた方、今歌ったことで口に付いてた糊がポッと取れて「気持ちええわ」と思っておられるに違いありません。1曲歌いますとだいぶ気分も柔らかくなりますでしょう?笑い声も違います。
さて、次は『彼女に告げてよ』ですが、再びキジェロッティとアンジェリーナさんが出てまいります。今回はこの2人に加えてジンディアーノさんが出てまいります。キジェロッティさんとジンディアーノさんはお友達なんですが、2人の間柄は、落語でよくある「こんちはー。甚平はん居はりまっか?」「何や、キー坊やないかい!」という感じです。
(落語口調で)「キー坊どないしたんや?」「いやいや、甚平はんに頼みがありましてな」「わしに頼みて、どうせまた『銭貸せ』やろ? 銭やったらないで、お前はんに貸した銭がようけあるやろ。あれを返してもらわんことにはあかんで」「今日は銭の話やおまへんで」「銭の話やなかったら何の話やねん?」「甚平はんの隣にアンジェリーナさんが住んではりますやろ? あの娘(こ)良い娘でんな」「ああ、良い娘や」「わたい、好きでんねん」「わしも好きや」「いやいや、わしの好きはそうやおまへん。惚れてまんねん」「惚れてるいうたかて、あの娘まだ18やで。お前いくつやねん?」「わては25でんがな」「25はないやろ。俺が48で、こんな小さい時分からお前とは遊んどるやないか」「そんなこと言いなはんな。死んだ親父が死ぬ間際にわたいを枕元に呼んで『キジェロッティ、お前ももう25歳や。もう安心やわい』と言い残してコテンと逝きましてん」「ええー!?」「親父が死ぬ間際に息子を枕元に呼んで嘘言いまっか? せやから25言うたら25歳で間違いおまへん!」「親父さんいつ亡くなりはったんや?」「あの人が死んでかれこれもう20年……」「ほんだらお前、45やないか」(会場笑い)「そんなこと言わんと、『キジェロッティが惚れとった』と言うといてぇ。頼んまっせ〜」というのが、『彼女に告げてよ』という歌の歌詞なんです。
「ディチチェンテロア・スタ・カンパニャ・ボスタ、チャジア・ペルデュト・スオノ・エア・ファンタジア、チャ・ペンゾ・センペ♪」(会場拍手)
有り難うございます。今の曲は初めて聞いたなという方が大半だと思います。時間のほうは如何でございますか? はい。あと10分ですか? ではあと2曲でございます。もっと聞きたいなという方は、是非、私のコンサートにいらしてください。
▼モテる男の条件
次は『カタリ・カタリ』という曲でございます。実は、私が高校1年生の時にラジオで聞いたんですが、その時「世の中にこんなきれいな曲があるんやな」と心に刻んでた曲なんです。後年この世界に入り、この曲を歌えるようになるなんて夢にも思いませんでした。またまた、キジェロッティという男が出てまいります。今回のお相手の女性は…アンジェリーナではございません(会場笑い)。カタリという名前なんです。ですので、曲名の『カタリ』は、主人公の名前なんです。カタリはイタリア語で「カテリーナ」の愛称ですが、フランスですと「カトリーヌ」、アメリカやイギリスでは「キャサリン」です。イタリア語とフランス語と英語では、大抵の人名は綴りが同じで発音が異なるだけなんですね。このキジェロッティさんがカタリに恋をする訳ですが、案の定、フラれてしまう訳です。ここで泉尾教会ですと「三宅先生に相談に…」となるところですが、なにせイタリア人はローマ・カトリック教徒ですから、キジェロッティは教会の神父さんの所へ行きました。
高原氏の軽妙な喋りに耳を傾ける婦人会員たち
(落語口調で)「こんにちは。神父さん居はりまっかいな?」「おお、誰やと思ったらキジェロッティやないかい。どないしたんや?」「いやあ、それが女子(おなご)にフラれましてな…」「女の子にフラれた。そりゃ面白い話やな」「面白いことおまへんわ。阿呆なこと言いなはんな。神父さん、どないかなりませんやろか?」「相手は誰や」「カテリーナでんねん」「カテリーナといったら、カタリやないか? カタリはあかんで」「なんであきまへんねん」「相手はイタリア一の美女やで?お前はんは町内一の阿呆やないか。釣り合いが取れへんわ」「そんなこと言わんと、どないかなりませんやろか?」「かなんなあ。キー公は言い出したら聞かへんからな…。昔から言われてることがあるやろう」「なんですの?」「昔から、一見栄(いちみえ)、二男(におとこ)、三金(さんかね)、四芸(しげい)、五精(ごせい)、六純朴(ろくおぼこ)、七台詞(しちぜりふ)、八力(やぢから)、九肝(きゅうきも)、十評判(とひょうばん)てなことを言うな…」「それ、何でんねん。まじないでっか?」「まじないやない。これは一から十まで男がモテる要素を並べたもんやけど、この中でひとつでもお前はんの身に備わってたら女子にモテるなあ…」「10もあったら、ひとつぐらいありまっしゃろな」「大抵の人間やったら2つや3つはあるもんや」「最初の一は何でしたかいな?」「一は『見栄』や。ちゃんとした格好しとけっちゅうことや。例えば白いタキシード着て赤い蝶ネクタイしとったら、それだけでモテるわいな」(会場笑い)「ほんまにモテるんでっか?」「あんまりモテた試しがないけどな…。まあ、ちゃんとした格好しとけ。ウチのシスターが『神父さん、そろそろキジェロッティさんが来はりますよ』と言うから『なんで判るんや?』と尋ねたら『臭いで判ります。あと28メートル…』距離まで判らんと思うけどな」「そんなこと言いなはんな、この服はこう見えても新(さら)でっせ。買うて3年経つけど、まだいっぺんも水潜らせてまへん」「いっぺんぐらい水潜らせ(洗濯し)たりいや」「2つ目はなんでしたかいな?」「2つ目は『男』や。男前やったらええけど…お前も鏡の前に立ったら判るやろう」「それ言われたら辛いな。3つ目は?」「3つ目は『金』や。財布の中見たら判るやろう」「4つ目は」「4つ目も5つ目も6つ目もお前にはない。帰れ! 帰れ!」「そないなこと言わんと…。最後のひとつだけ頼んます」「最後は『評判』や。評判が良かったら女の子が放っておかんな」「神父さん、わたいの評判、聞いてまへんか?」「聞かんことはない。聞かんことはないけど、あんまりええ評判がないな」「どんな評判たってまんねん?」「なんでも、お前古くて汚い靴履いて行って、きれいなもん履いて帰ってくる。そういう噂が立ってるで」「そりゃ、履き替えるっちゅうことですやろ?」「せや」「なんぼなんでも、そんなことしませんで」「せやろなあ。わしもそう思う。なんぼお前でもそこまでせえへんやろう。今度そんなこと言う奴がおったら、わしの口からちゃんと言うといたるわ」「頼んまっせ。わし、風呂行く時は裸足ですねん。裸足で行って履いて帰ってきまんねん。それを『履き替える』と言われたら腹が立つ」「そりゃ盗人やないか! 話にならん。帰れ! 帰れ!」「いやあ、神父さんに怒られてしもうた。カテリーナ、薄情な女子(おなご)やな…」これがこれから歌う『カタリ・カタリ』のストーリーでございます。名曲ですのでどうぞ聞いてください。
「カタリ、カタリ、ペッチェ・ミ・ディチェ・スティ・パローレ・アマーレ、ペッチェ・ミ・パルレ・オコーレ・メ・トゥミエンテ・カタリ♪」(会場拍手)
有り難うございます。良い曲でございましょう? 楽譜によっては『カタリ』や『薄情け』と書かれているものもございます。キジェロッティが「情けのない女子(おなご)や」と言ってましたが、そういうところからこの曲名がついたのでしょう。
▼ゴンドラに乗って『オー・ソレ・ミオ』を歌う
さて、ラストの曲でございます。最後は定番の『オー・ソレ・ミオ』でございます。「見よ、私の太陽」という意味ですが、この曲は皆様もご存知でございましょう? 「私の太陽がどないしたんや?」「ストーリー、解らへんわ?」と思われるかもしれませんが、これも簡単なんです。これもナポリの歌なんですが、ナポリは本当に良い所なんです。特に嵐が来て去った後、波が穏やかになって空気がきれいになって、世界でこんな良いところはないと思うほど素晴らしいところです。そんな素晴らしいナポリも、夜になると真っ暗で何も見えず、何も聞こえません。でも、私の心の中のナポリは、夜になってもアンジェリーナが住んでいるからいつもいつも素晴らしい所やで…。それだけのことなんです。これが、この曲のストーリーなんです。
もう昔のことでございますが、ベネツィアに行ったことがございます。船頭さんが運河をゴンドラでギッチラコ、ギッチラコと漕いでいる所です。船頭さんもイタリア語やとゴンドリエーレという格好良い名前になるんですが、そのゴンドリエーレが漕ぐゴンドラに若いカップルが乗り、小道沿いに石の橋をくぐりながら運河を進んでいく訳です。テレビですと途中からカンツォーネのメロディが流れてきて「ええ所やなあ。一度行ってみたいな」と思わせます。私がベネティアに行った時も、若いカップル―私と妻ですが―がゴンドラに乗って進んで行きます。小道沿いに石の橋をくぐりながら運河を進んで行く訳ですが、肝心のカンツォーネがないんです。もちろん、テレビはBGMで流しているだけですが、「カンツォーネがないのはいかんな」と思った私は、この『オー・ソレ・ミオ』を船上で、大きな声で歌ってみたんです。そうすると、橋の上に居るカップルが手を叩いてくれます。家々の窓が開いて、手を振ってくれる人が居ます。そりゃあ気持ち良いですよ。唯一、私の妻だけが「私は他人です」という顔であっち向いて乗ってはりました(会場笑い)。船から上がると、観光に来てはった大阪のおばちゃんたちが「ちょっとアンタ、さっき何処かの船で『オー・ソレ・ミオ』歌ってはった人居ったやろ。きっと船頭さんにお金払うて歌ってもらったんやろなあ。アンタとこの船か?」「ウチの違うで…」「何処の船やろな?」と話していました。それを聞いて、内心「それは俺や、俺や!」と思ってました(会場笑い)。私にとっては、そんな想い出のある曲です。では『オー・ソレ・ミオ』を歌わせていただきます。
「ケ・ベラ・コサ・ナ・ジュルナタエ ソーレ、ナリア・セレナ・ドッポ・ナ・テンペスタ! ペッラリーア・フレスカ・パレ・ジア・ナ・フェスタ……♪」(会場拍手)
今日は、たくさん拍手くださいまして、たくさん笑ってくださいまして、とても楽しい一時でございました。皆様、本当に有り難うございました。
(連載おわり 文責編集部)