創立89周年 婦人大会 記念講演
『テレビ報道の舞台裏
―私が出会った素晴らしい人たち―』
読売テレビ報道局解説デスク
ホームレス支援全国ネットワーク理事
山川友基

7月15日、創立89周年記念婦人大会が『よろこび心 祈りあい』をテーマに開催され、全国から大勢の婦人会員が参加した。記念講演は、読売テレビ報道局解説デスクの山川友基氏を講師に迎え、『テレビ報道の舞台裏―私が出会った素晴らしい人たち―』と題するお話を伺った。本サイトでは、数回に分けて、山川氏の記念講演を紹介する

山川友基氏
水内 俊雄氏

▼一分一秒でも早く伝えるために

皆さん、こんにちは。読売テレビ報道部でニュースの解説をしています、山川友基と申します。ただ今ご紹介いただきましたように、『かんさい情報ネットten.』という、月曜日から金曜日まで、毎日夕方お伝えしている報道番組の中で出演をしてニュースの解説をしております。本日は、とても歴史のある泉尾教会にお招きいただきまして、このようにお話をする機会を頂戴しまして大変光栄です。有り難うございます。また、創立89周年記念の婦人大会という、伝統ある取り組みの場で話をできますことを大変嬉しく思っております。よろしくお願いいたします。

まずは、私自身のことをざっくばらんに話をさせていただきます。私は昭和45年の万博の年に生まれました46歳です。家族は、妻1人と小学校6年生の娘が1人います。今日はこちらへ寄せていただく道すがら、「どんな話をしたら良いか?」と考えながらやって来ました。立派なご神前ですので、ちょっと緊張しております。会場には本当にたくさんの方がお見えになっていますが、パッと見た感じ、私よりちょっとだけ年上の方が多いかなと思っております(会場笑い)。実は、私たちがやっております『かんさい情報ネット ten.』という夕方の番組を一番視ていただいている視聴者の方は女性がとても多く、ちょうど皆様ぐらいの年代の方が多いです。ちなみに『かんさい情報ネット ten.』をご覧いただいている方はどれぐらいいらっしゃいますか?(会場で手を挙げた方々を見ながら)たくさんいらっしゃいますね…。有り難うございます。たぶん、今手を挙げられなかった残りの方は(毎日放送の)『ちちんぷいぷい』をご覧になっているのかな…(会場笑い)。どうぞ、『かんさい情報ネット ten.』もよろしくお願いいたします。

近畿地方は今年ずっと猛暑が続いています。今日も本当に暑いです。一方、九州地方では豪雨の災害がありました。東海地方にも大雨が降ったり、今年は災害が非常に多いと感じています。災害がある度に、私たち取材班は現地に赴き、現地の状況をお伝えしています。もしかしたら、皆さんのご家族、ご親族、あるいは知人の方で被災された方が居られるかもしれません。お見舞い申し上げます。私たちの仕事は、災害現場だけではなく、いろんな方々の生きるか死ぬかといった厳しい状況に立ち会うことが非常に多いです。私も、1995年の阪神淡路大震災があった年に入社し、この仕事を始めました。この教会の皆さんも阪神淡路大震災の時には、たくさんの方が救援活動に行かれて尽力されたという話も伺いました。

災害というのは、本当にいつ起きるか判りません。今年の近畿地方はこういう状況ですけれども、いつ何時、自分が被災者になるか、家族や親族が辛い思いをするかは判らない状況の中で、私たちはニュースをいち早くお伝えする仕事をしています。災害が発生した時、一分一秒でも早くニュースをお伝えするために、私たちは日々訓練をしています。例えば、和歌山県沖で南海トラフ巨大地震が発生し、大津波が起きることが想定されていますが、実際に起きた場合、どのように対応するのか? どうやって緊急放送を一分一秒でも早く始めて皆さんに避難を呼びかけるか? そういうことを念頭に置きつつ、訓練しています。災害だけでなく、ニュースは人の生きる死ぬ場面に遭遇したり、その人の人生の転換点(ターニングポイント)に出くわすといったような場をご一緒するような機会が非常に多いです。私も今まで、23年間記者をしています。テレビ局というものは、社内の人事異動がわりと頻繁にあるのですが、私は入社した時から報道記者を志望して以来、23年間部署を変わることなく、ずっとこの仕事をやらせてもらっている希有な存在だと思っています。その間、毎日いろんな方々と出会ってきました。


▼報道の現場は人との出会いの場

例えば、今、尖閣諸島が問題になっていますけれど、2010年9月、中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船が衝突した事件がありました。日中関係が悪化した最初のきっかけと言っても良いかもしれません。違法操業の取り締まりを受けた中国漁船が海保の巡視船にぶつけてきた証拠の映像を、政府(註:仙石由人官房長官)は外交問題に発展することを懸念し、映像を公開しないことにしていたのですが、現場の海上保安官のいのちがけの頑張りや、そのことを菅政権にもみ消された悔しさを感じたある1人の現職の海上保安官が、『sengoku38』というタイトルを付けて、インターネット上にその映像を公開しました。その時、彼を一番最初に取材したのが私でした。当時は、彼と彼の奥さんと私しか、その映像を投稿したのが誰か知らないという状況で、奥さんはこれから夫がどうなるのか、子どもさんも男の子が2人いましたが家庭や家族はどうなるのか、このまま夫は逮捕されてしまうんじゃないかと心配し、非常に心を痛めておられました。私は連日、奥さんと連絡を取り合いながら、励ましながら、ニュースをお伝えしました。

泉尾教会の広前で婦人会員を前に記念講演をする山川友基氏
泉尾教会の広前で婦人会員を前に記念講演をする山川友基氏

事件、事故の現場だけではありません。例えば、スポーツの取材などもあります。オリンピックなど、非常に華々しい世界レベルの選手たちが活躍する様を取材することもありますが、やはり勝つ人がいれば負ける人もいます。怪我で思い届かず出場できなかった人もいますが、そういう人の取材もします。そのうちの一人に、サッカーのJリーガーがいました。彼は非常に若い頃に活躍をされた方でしたが、怪我をしてしまったことで試合にも出られなくなってしまいました。けれども彼は、やっぱりサッカーがやりたい。まだ人生を諦めたくないということで、まだ誰もやったことがない最新の医療に自分の人生を賭けました。膝の治療でしたが、再生医療というのは、大きな手術をしてしまうと、そこで選手生命が終わってしまうかもしれないリスクがあります。けれども、彼の「まだ頑張りたい」という気持ちに応える形で、お医者さんも彼と一緒にチャレンジする姿を一緒になって応援する取材をしてニュースでお伝えしたこともあります。

この大正区は、非常に物づくりの盛んな所でもあります。悲しい取材の経験でいいますと、非常に景気の悪かった頃、大正区の中小企業や小さな工場がたくさん倒産しました。中には自らいのちを絶つという決断をされた方もいました。そこにお金を貸していた大阪の銀行、信用組合、信用金庫でも、1990年代後半の一時期、たくさん倒産しましたが、そういうニュースにも携わる機会がありました。いつ、どの銀行が潰れてしまうのか。誰もが疑心暗鬼になり、早くその情報が知りたいということで、私は連日夜に、銀行の幹部の家に出向き、「どうなんでしょうか」と話を聞いたこともあります。ある時、その幹部がいつもより少し遅い時間に家に戻ってきました。少し酔っ払って帰ってきた様子でしたが、悔しさで泣いていました。それが、その銀行の破綻を意味する、彼なりの最後のメッセージだった訳です。

しかし、素晴らしいことでも、非常に辛いことであっても、ニュースに登場する方は皆、輝いています。たくましく、何か覚悟を持っている、そういう人たちがとても多いように思います。そういう人たちのおかげで、私は成長する機会に恵まれました。本日は、『テレビ報道の舞台裏―私が出会った素晴らしい人たち―』という講題を付けさせていただきましたが、ニュースの現場は、テレビに出てくる人たちだけではなく、テレビに映らないところに、本当に素晴らしい人たちが居ます。


▼最後はテレビしかない

私は今でも心の支えにしている事件があります。今から13年前に起きた冤罪事件の話ですが、大阪市住吉区の帝塚山で、大阪地方裁判所の最高責任者が、路上で数人の男たちに襲われて現金を強奪され、本人も大怪我を負うという事件がありました。これは、結果的には冤罪事件だったのですが、当初警察も重要人物が被害に遭ったということで、「急いで犯人を捕まえないといけない!」と、警察の威信を懸けて捜査しましたが、1カ月ぐらい犯人を逮捕することができませんでした。「警察はいったい何をしているんだ?」という批判も受けながらの捜査だったため、警察にも焦りがあったのでしょう。1カ月後、5人の男性を逮捕しました。そのうちの3人は未成年の少年で、一番下はわずか13歳でした。

彼らは警察署で自白をしましたが、そのうちの2人は最後まで犯行を認めませんでした。私はある時、否認していた少年のお父さんと出会いました。お父さんは一生懸命「うちの息子は犯人じゃない。そんな事件は起こしていない!」ということを訴えていましたが、警察に言っても聞いてもらえません。市役所など、さまざまな行政の窓口でも訴えましたが、誰も耳を傾けてくれない。「こうなったら、最後はテレビしかない!」ということで、涙ながらに話してくださいました。私はこれまで、捕まっても「私は犯人じゃない!」と言う人もたくさん見てきましたので、彼も警察に逮捕された以上、当然それなりの理由があるのだろうと半信半疑でしたが、そのお父さんの「最後はテレビしかない。テレビの報道に頼るしかない!」という言葉を聞いた時に、テレビや報道は信じられているのだと、ちょっと熱い気持ちになりました。

そこから私の取材が始まったのですが、本当に彼たちが犯人じゃないのか、いったいどのような捜査がなされたのかを調べました。私の組織の中でも「そうは言っても、警察が捕まえたのだから、事件は終わりだ」と、これ以上取材する意味があるのかという空気があったことも事実です。しかし、だんだんいろんなことが判ってきて、警察が隠していた防犯カメラの映像があることを発見しました。その映像には、裁判所の所長が襲われた後に、襲った犯人たちがチラリと映っていました。警察はその映像の存在を知っていましたが、表には出していませんでした。

私がその映像を見つけた後にやったことは、映像を分析することでした。専門家の力を借りて、本当にこの人たちは捕まった人たちなのか、慎重に分析を進めた結果、映像に映っている人たちの背の高さに注目しました。そこでもう一度科学分析を行い、身長を測り直した結果、背の高さが全く違うことが判りました。それを証拠として裁判所に提出したところ、裁判所も認めてくれ、全員が無罪になりました。本当にやっていないと訴え続けた彼…。「やってしまった」と自白してしまった少年たち。それぞれの親が世間に叩かれながらも一生懸命自分の子どもを信じた。そういう事件でした。映像の力を使うことによって、裁判で彼らの無実を証明できた事件のひとつでした。

私の経験では、逮捕された場合、家族が(被疑者から)離れていくケースのほうが多いのですが、自分の子供たちを信じた親の頑張りは尋常なものではなかったと思います。仕事も失い、3人の少年たちのうち、2人は兄弟だったのですが、母子家庭の中学生でした。彼らは自白もしたので、捕まって入った少年院―大阪で捕まったのですが、少年院は兵庫県の加古川市の山奥にあります―に連日通って子供たちを励ましながら頑張った訳です。事件があってから一審判決が出るまで2年以上かかる事件でした。それでも警察、検察は、二審、三審まで食い下がったので、最高裁で最終的に無罪が確定するまでにはもっと時間がかかりましたので、もの凄く心労があったと思います。

そのお母さんは、その後、乳癌が見つかり亡くなりました。自分の身体を労う余裕もなく、病院に行くこともできず、そのことに気付いてあげる人が誰も居なかった。



(連載つづく 文責編集部)

 


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