第35回IARF世界大会 関西地区事前学習会
『アメリカにおけるマイノリティ問題』

なんもり法律事務所 弁護士
南 和行

IARF日本連絡協議会では、世界大会が開催される年には、関西と関東に分かれて、世界大会に参加する人々を対象に、大会開催国の歴史・文化・社会・宗教事情等に精通した講師を招いて話を伺い、世界大会参加をより有意義なものにしてきた。今回は、関西から第35回IARF世界大会に参加する泉尾教会をはじめ、一燈園、むつみ会から大会参加予定者約30名が、LGBTを始めとする性的マイノリティの差別問題に積極的に取り組んでおられる、なんもり法律事務所の南和行弁護士を迎えて、『アメリカにおけるマイノリティ問題』という講題で、ご講演をいただいた。

南和行弁護士

マイノリティ問題の本質

本日はお招きいただき、有り難うございます。貴重な勉強会で一燈園の西田先生をはじめ、立派な先生方の前でお話をさせていただけることに感謝申し上げます。さて、本日の講題は『アメリカにおけるマイノリティ問題』ですが、皆さまがこの夏、ワシントンDCで開催される大会へ参加されるにあたり、下準備の一環として知識になるようなことを話してほしいと伺いました。

アメリカのマイノリティ問題ですが、「マイノリティ」をそのまま日本語に訳すと「少数派」と言われます。100人居てたら30人でも少数派と呼ばれますが、この言葉にはプラスアルファの意味が込められています。それは何かと申しますと、漠然と社会で当たり前と思われていることの中から排除されている人たち、零(こぼ)れ落ちてしまっている人たちを指して「マイノリティ」という言葉を使うこともあります。極端な言い方をすれば、女性は人口のおよそ2分の1ですから、決して少数派ではありませんが、「女性はマイノリティだ」と表現することもあります。それは何故かと申しますと、男性を中心とする価値観が社会で当たり前とされていたら、「女性というだけで我慢を強いられる」、「言いたいことを言えない」、「男の人と同じじゃない」と感じる。そういう意味で女性マイノリティと表現する方も居られます。
LGBT問題について熱弁する講師の南弁護士
LGBT問題について熱弁する講師の南弁護士

「アメリカにおけるマイノリティとは何か?」を考える時、以前と比べて拡がりつつありますが、「アメリカの場合」というと、まず脳裏に浮かぶのが民族的マイノリティの問題です。今もそうですが、白人であること、特にヨーロッパにルーツがあり、アメリカ合衆国の独立(1776年)以前から居る白人がアメリカ的価値観の中心にあります。ですので、自らの意志で後からやって来たアジア人などの他民族は「あなたは当たり前から外れているのだから…」と、マイノリティとして扱われてきましたし、何よりも黒人の問題があります。アメリカでは長らく、黒人は奴隷としてまるでモノのように扱われてきました。そのような状況下で南北戦争が起こり、奴隷は解放されましたが、そこに住んでいる黒人たちは「そもそもここは白人文化が当たり前の場所」ということで、始めから少数派でしたが、その上さらに権利が抑圧されていました。それは、法律で「黒人に権利はない」と記されたものもあれば、法律には書かれていないけれども、人々の意識から排除された、零れ落ちたものもありました。

その他、宗教的マイノリティの問題もあります。これは私よりも三宅善信先生のほうがずっとお詳しいと思いますが、キリスト教を中心とした価値観がアメリカの中心にあるとすれば、他の宗教や、あるいはキリスト教の系統であったとしても一般的に人々の生活感と結びつきが弱い宗教に対して、「貴方たちはちょっと違うのだから我慢するしかない」という漠然とした思いが社会の根底にあります。しかし、「それはおかしいじゃないか」ということでマイノリティ問題のひとつとなっています。この「マイノリティ問題」とは、当たり前とされている価値観や中心とされている価値観と異なる価値観を有する者が、一方的に我慢を強いられたり、後回しにされたりする。それに対して社会も「あなたはこういう民族(あるいは宗教)だから、仕方がない」と追随する。あるいは、当事者自身やその家族が「私たちのほうが変わり者だから」、「お邪魔している立場だから仕方がない」と与えられるべき権利を我慢してしまう…。そこにマイノリティ問題の本質があると思います。そして、アメリカは多民族国家に起因するさまざまな問題を通じて、マイノリティの当事者が権利獲得、権利回復を実現してきた歴史があります。

LGBTとは何か?

そこで今日は、今最もホットなマイノリティ問題であるLGBTについてお話しさせていただきます。最初に何故、今日私が講師として呼ばれたかと申しますと、私自身が同性愛者であることを公言している弁護士だからです。同性愛とはLGBTという言葉で表されるグループのひとつですが、この写真に写っている男性が、僕の私生活上のパートナーです。私たちは2人とも弁護士なのですが、男同士で結婚式を挙げ、2人で弁護士事務所をやっています。私の74歳の母親は、今現在、私たちの事務所で事務員として働いてくれています。著書『僕たちのカラフルな毎日』では自分たちのことを「弁護士夫夫(ふうふ)」と呼び、テレビに出たり、昨日もNHKの『ラジオ深夜便』で話をさせていただきましたが、本業が弁護士ですので、日本における性的少数者の裁判もやっています。そんな中で、先ほど三宅善信先生からご紹介いただいたアメリカの国務省のプログラムに参加する機会を頂きました。そこで学んだアメリカのLGBT事情、性的少数者事情についてお話しさせていただこうと思います。

今日、初めて「LGBT」という言葉を聞かれた方も居られるかと思います。そういう方のためにちょっとだけ簡単に説明しますと、頭文字のLが女性の同性愛であるレズビアン、Gが男性の同性愛であるゲイ、Bが男性・女性いずれも恋愛対象になるバイ・セクシャル、Tが割り当てられた性別が不一致であるトランス・ジェンダーのことを指すのですが、最後のTは、自分が男(あるいは女)に生まれたにもかかわらず、育っていく過程で自分は女(あるいは男)であるという自覚が生まれてくる、心と体の性別が異なる人を意味します。ですので「LGBT」と一括りにして呼んでいますが、実際は、それぞれ異なる性的少数派を指すのです。

では、何故LGBTが「マイノリティ」と呼ばれるのでしょうか? 先ほど申し上げたように単に人数が少ないほうを少数派というのであれば、一重まぶたと二重まぶたの人や、右利きと左利きの人を比較した時と同じことが言えるはずですが、マイノリティは「全体に占める割合が小さい」という意味だけでなく、「権利が虐げられている」という意味を含む言葉として使われています。何故なら、LGBTの人々が社会から「彼らは同性愛者なのだから、普通の人より権利が少なくても仕方がない」という風に見られていたり、LGBTである当事者も「嫌な思いをしたくはないけれど、私は人と違ってはみ出し者だから仕方がない」と思う人が多い現状があり、黒人問題や宗教的少数派の人々と同じような問題を抱えているからです。そこで、このLGBT問題を単なる少数派と捉えるのではなく、被差別問題として考えてみたいと思います。

性を巡る少数派の問題は、どうしてもお国柄や文化において状況が異なります。中には「日本はアメリカとお国柄や文化が違うのだから、そもそも日本には同性愛者に対する差別はない」と思っておられる方も居られますが、僕は「日本人にも無縁の問題」ではないと思っています。もちろん、アメリカでも同性愛であろうがトランスジェンダーであろうが、混ざり合って暮らしていて差別のない地域もあるだろうと思いますが、少なくともまず、アメリカにおけるLGBTと差別の問題は知っておく必要があると思います。「専門用語が出てきたら私にはよく解らない」と慌てなくても大丈夫です。何か気になる言葉が出てきたらスマホなどでもう一度調べてみてください。

アメリカにおける被差別マイノリティとしてのLGBT

次に、アメリカのLGBT差別、あるいは人権を制約されている代表的な事例を取り上げてみたいと思います。かつて、同性間(とりわけ男性同士)の性行為を犯罪とする「ソドミー法」という法律が長らく存在しました。性行為は非常にプライベートなことですから「他人の性行為の話など、聞きたくない」と思う方も居られるでしょうし、「そんなことをテレビで取り上げるなんて嫌らしい」と思う人も居るかもしれません。しかし、アメリカに限らず多くの国に存在したこのソドミー法は、例えば男性同士で性行為をしていることが判ったら、犯罪者として懲役何年、禁固何年、罰金、逮捕しても良いという法律です。そのような法律があるとどうなるかと申しますと、「同性同士で性行為なんて、おかしいんじゃないか」といった感情的な差別偏見を助長するだけでなく、国家の警察権力によって同性愛者を弾圧することができるのです。「あの人たちは男同士なのに、まるで恋人同士のようだ」とか「あの2人はアパートに入って行き、そのまま一晩一緒に過ごしていたようだ」と聞くと、「ソドミー法違反(男同士の性行為)の疑いあり」ということで、部屋に乗り込んで警察署へ連れて行くということができる訳です。政治的に弾圧することも可能になり、非常に良くない人権侵害となります。

興味深い講演内容に耳を傾けるIARF世界大会参加者
興味深い講演内容に耳を傾けるIARF世界大会参加者

1969年、そのような状況下のアメリカ東海岸のニューヨークで「ストーンウォール事件」という大きな事件が発生しました。これは一昨年映画になりましたが、当事者からは「映画の描写は事実と異なる」という反発がありました。この「ストーンウォール事件」とは、ストーンウォールというクラブが話の舞台なのですが、そこは同性愛の男性であったり、身体は男だけれど心は女だというトランスジェンダーの人たちが夜になると集って楽しく過ごす場所でした。そこへある日、ソドミー法を盾に警察が乗り込んできました。警察は「お前らのやっていることは違法だ」、「俺たちはいつでもお前たちのことを逮捕できるんだぞ」と迫りますが、クラブに集っていた人々は「私たちはクラブに集まって音楽をかけて楽しくパーティをしているだけで、誰に迷惑をかけている訳でもないのに、何故弾圧されなければならないのか?」と、警察に対して強く反発するのです。それが一種の暴動にまで発展するのですが、結果的に世論が味方をしてくれる側面もあり、性的少数派の権利に対する世論喚起に繋がった事件でした。それからちょうど10年後、西海岸のサンフランシスコでゲイの活動家であるハーヴェイ・ミルクが暗殺される事件が起こりました。

この1960年代後半から80年代にかけてアメリカで起こった事件は、日本にはそれほど情報として伝わってこなかったのですが、アメリカのLGBTの人々が「自分たちはマイノリティなのかもしれない」、「私たちは権利を侵害されているのかもしれない」と気付いた時代です。このハーヴェイ・ミルクという人がどのような人だったかというと、暗殺された時はサンフランシスコの市会議員でしたが、それ以前から男性の同性愛者の権利獲得のための活動を活発に行っていた人です。この話の背景にあるサンフランシスコという街がどのような街だったかというと、ここはもともと非常に自由な気風がある西海岸の街ですが、一般的なアメリカ人は「大陸の西の果てにあるこの街に辿(たど)り着きさえすれば、自由が獲得できる。自分らしい生活に辿り着ける」といったイメージがあります。

ハーヴェイ・ミルクもそうでしたが、当時、同性愛者の人やトランスジェンダーの人は、家庭内での差別や親との断絶などがもの凄く多かったそうです。「男の子なのに良い齢(とし)して彼女の気配もない」、「どうやら男性の恋人が居るようだ」あるいは「男の子として育ててきたけれど、どうも本人は女の子として生きていきたいようだ」。そのことが明らかになった時、家族から「出て行け!」とか、「そんな風に育てた覚えはない」、「恥ずかしい」と、家から追い出される事例がとても多かったのです。実は今もLGBTの子供たちが同じような状況にあります。日本の場合は追い出しはしないのですが、そういった若者たちが故郷を捨てて「カリフォルニアへ行けば、サンフランシスコへ行けば、自由に自分の世界で生きてゆける」と集まってくる地域なのです。それ故、サンフランシスコでは同性愛者の横の繋がりが強く、コミュニティが形成されているのですが、ハーヴェイ・ミルクは、ただ暮らして仕事をするだけではなく、街の政治にも関わって発言していこうという活動の中で、同性愛者であることを明らかにして市会議員になった初めての人です。同氏が暗殺されたのが1978年です。「別の汚職事件の絡みで政敵に暗殺された」とも言われていますが、むしろゲイに対する差別の中で殺された側面もあります。

アメリカは、ストーンウォール事件やハーヴェイ・ミルクの暗殺のように、同性愛者やトランスジェンダーの人々に対する迫害であったり、それをきっかけとした社会的事件や運動によって、同性愛者やトランスジェンダーの人々の権利が虐げられていることに対する問題意識が少しずつ広まっていきました。実はアメリカでも、制度の中に取り込まれた差別が多くありました。例えば、同性愛者は国務省―日本の外務省に相当―の外交官にはなれませんでした。これは規則としてはっきり記されていましたが、国務省には国務省なりの理由がありました。アメリカは世界の中心的な国なので、外交は非常に重要ですが、何よりも世界各国の大使館や領事館の大使や職員となって赴く外交官がスパイになってしまうと非常に困った事態に陥ります。

特にアメリカは多様な民族なので、肌の色や名前からどの国の出身かは判っても、どちらの国の味方なのかは判りません。そこで何故、同性愛者が外交官になれないかというと、仮に「同性愛者であることをバラすぞ」と相手に脅された場合、敵国側のスパイに転向する可能性があるという発想があるのです。一般に同性愛者は一見しただけでは判りませんから、普段はそういった面を隠して仕事に従事している同性愛者も少なからず居ます。そういう人に狙いを定めて「お前が同性愛者であることをバラすぞ!」、「このことが公になった場合、今度はお前の母親がどこでどんな差別に遭うか判らない」と脅し、「外交官がアクセスできるあのファイルを持って来い」と言われるかもしれません。そのため、アメリカの国務省には同性愛者の雇用を禁ずる規則が長らく存在し、実際に同性愛者であることがバレて解雇された外交官も居ました。

実は、私がアメリカの国務省のIVLP(註:国務省の教育文化局によって設置された、将来その国の指導的立場になりそうな人々を招くプログラム)の研修に行くことができたのは、二代前の大阪総領事がゲイで、たまたまマスコミの仕事などを通じて親しくなり、一緒に食事をするような仲になったことがきっかけで推薦していただけたのですが、このパトリック・リネハンという元総領事は私より年配の方なのですが、彼が外交官試験に通って入省式に臨んだ際、最初の挨拶で「この場に同性愛者は居ないな。もし居るならば、今すぐそのドアから出て行け」と言われたそうです。それはアメリカの軍隊においても同じで、いざという時は全員が指揮官の命令に従って行動せねばなりませんから、統率、集団行動が大切です。そんな場で何かあっては困るということで、どの国でも軍隊では男女別々になっているのですから、そんな軍隊内に同性愛者が居ると対応に困る訳です。

だから、軍隊内において同性愛者は決してそのことを公言してはならないし、他者に同性愛者かどうかを尋ねてはいけないことになっていました。そういった自分らしさを我慢してこそ軍隊だという政策が長く取られていました。ですので、愛国者として軍隊に入って国を守りたいという思いがあっても、同性愛者であるが故に軍隊に入隊することを諦める人も居ました。アメリカには、このような制度化されたLGBTに対する差別がありました。極めつけが、1996年のクリントン政権の時に「結婚は男女の間に限る神聖なものだ」ということを決める「結婚防衛法(DOMA)」が成立しました。当時、ビル・クリントン大統領が議会で成立したとして署名しています。

LGBT差別の廃止に向けて

このように、社会を騒がせるような同性愛やトランスジェンダーに対する差別的な事件もあり、そういった人々を社会の枠組みから排除するために制度化された権利侵害もありました。アメリカでは、それぞれの事件を通じて「これはマイノリティ問題だ」、「これはマイノリティの権利侵害にあたる」という認識がなされてきてさまざまなムーブメントが起こりました。ソドミー法は世界的にもどんどん廃止されていったのですが、ストーンウォール事件でニューヨークの警察が同性愛やトランスジェンダーの人々が集まるクラブを強制捜査してバッシングしたことに対する抗議活動が、今、アメリカ国内のみならず全世界において拡がりつつあるプライド・パレードやゲイ・パレードの発端であると言われています。

これらのパレードは大都市に限らず、ちょっとした地方都市でも行われていますので、もしかしたら皆さんがワシントンDCで大会に参加された時に「あなたたちの街でプライド・パレードはありますか?」「日本のプライド・パレード、ゲイ・パレードはどのような感じですか?」と尋ねられるかもしれません。皆様の中には、「このゴールデンウィークに東京でレインボー・プライドが行われました」というニュースをご覧になった方も居られると思いますが、このパレードには政治家や芸能人も出てきて、渋谷の街を虹色の旗を持って練り歩きました。この6色の虹色の旗は、ハーヴェイ・ミルクの時代にサンフランシスコで使われるようになったそうですが、要するにマイノリティの権利獲得に向けて、「ここにも同性愛者が居ますよ」、「トランスジェンダーの人が居ますよ」と、世の中にはいろんな性別の人や性的嗜好があるのだということを、誇り(プライド)を持ってアピールすることが、このパレードを行う目的なのです。当然、そういう声を積極的に政治へ届けようという人々も増えてきました。

この「当事者の団結による権利獲得運動」はご存じない方も多いかもしれませんが、先ほど、かつて国務省では「ゲイの人はクビだ」という話があった訳ですが、「それはおかしいんじゃないか?」と国務省内の当事者の人々が思い始めました。私がIVLPの研修で出会った国務省に務めるゲイの外交官の話では、国務省の中にもゲイの人は大勢居て、他の人には判らないように「今日は同性愛者の外交官だけが集まって、夜何時からどこどこにあるナイトクラブに集まろう」といった秘密のメモを回して集まったりしていたが、皆自分が同性愛者であることを隠していた。しかし、ひょんなことから仲間内の1人が同性愛者であることがバレてクビになってしまった。けれども「彼をクビにしないでくれ」と訴えると、自分だけでなく他の同性愛者も芋づる式にバレてクビになってしまうと思い、言えなかったそうです。そのようなことをきっかけに「GLIFAA(ゲイとレズビアンの国務省員)」という、いわば労働組合のような団体が国務省の中に形成されました。要するに、同性愛者であることを隠しているが故にスパイに転向する可能性を疑われるのならば、いっそのこと、国務省内で同性愛者がグループを結成し、「私たちは同性愛者のグループです」ということを国務長官や組織に公言しようということになったのです。

明らかにしてしまえば、その事実で得るものは何もありません。引いては自分たちの権利を確保し、国務省の外交官として仕事を順守し、仲間を守ることにも繋がっていく訳です。例えば、外交官は海外に赴任しますが、同性愛者であることを公言すると逮捕されるロシアや、石打ちや死刑になるイスラム諸国のような国もまだまだあります。仮にそういった国に赴任した場合、身の危険があります。ですので、自らの外交官としての安全のために、そういった国への赴任は控えてほしいという話になります。あるいは、海外赴任する際に、パートナーが女性ならば結婚して外交官夫人として現地へ共に赴任できますが、同性愛者も自らのパートナーを伴って赴任したいということも言えます。このように、当事者が団結して組織の中で権利獲得に繋げてゆく動きもあります。
この他には、ちょうど私が研修を受けていた頃に、ついに軍隊でも「見ざる 言わざる 聞かざる」政策がなくなりました。それまでのアメリカの軍隊は「統制ができない」という思い込みや誤解によって、同性愛者に名乗り出ることを禁じていましたが、そのことを周囲に話しても良い、むしろ言ってほしいという方向へと変わったのです。多くの軍人が、外交官と同じく海外へ赴任しますが、その時はパートナーを伴って赴任して良いと政策を転換しました。これらは主にオバマ政権時代の話です。先ほど話に登場した「結婚防衛法」も、2013年に連邦最高裁で違憲判決が出ました。さらに2014年、バラク・オバマ大統領が「LGBT差別禁止法」に署名しました。日本で差別禁止という時は、どちらかというと包括的なものが多いですが、アメリカの場合は、よりテーマを絞った法律が多くあります。

関西地域からのIARF世界大会参加予定者が聴講した
関西地域からのIARF世界大会参加予定者が聴講した

連邦政府は法律によって連邦政府のことしか決裁できませんが、アメリカ合衆国では、連邦議会で決められる法律は、場合によってはカリフォルニア州やアラバマ州といった個別の州における州法の立法を妨げることはできません。そこでこのオバマ大統領が尽力した「差別禁止法」は「連邦政府はLGBTを差別をしていないことが明らかな企業としか取引をしない」という法律です。例えば、「同性愛者であることを公言してはいけない」あるいは「営業職に同性愛者は就くことを禁じる」といったようなルールを設けている企業とは、連邦政府としては取引を断るといったような法律です。連邦政府に楯突いてまで商売しようとする企業はほとんどないので、これは実効性があります。連邦最高裁は「結婚は男女に限る」としていた「結婚防衛法」が違憲であるだけでなく、「同性婚を認めていないことが、そもそも憲法違反だ」という判決まで出したのです。
オバマ政権も後半に入ってくると、アメリカではそういったLGBTの人権問題がどんどん政治的解決へと向かいますが、オバマ大統領が旗振り役を務めたのかというと、むしろ、先ほどの話に出てきたような1960年代から80年代にかけて起こった激烈な差別事件と闘おうと立ち上がった人々が続々と出てきたこと、あるいは当たり前とされてきた制度化された差別問題に対して当事者が声を上げたことなど、一人ひとりの小さな勇気や社会運動が積み重なっていく中で、ようやく世の人々の中に「これは見過ごしていただけで、人権問題なのではないか」という意識が芽生え始めたことが、大きな流れを生み出したと思います。

しかし、そうなると今度は反オバマ陣営の保守的な人々から反発が生じます。例えば、ノースカロライナ州では2016年に「トイレ隔離法」ができました。これは「トランスジェンダーの人が生まれつきの性別ではないトイレを利用した場合、逮捕する」というゆり戻しです。しかしアメリカの凄いところは、一部の州においてそういった保守的な法律ができても、例えば、大手の企業が「そういうことならば、ウチの企業はノースカロライナ州では今後、国際会議を一切行わない」とプレッシャーをかけたのです。ノースカロライナ州はシャーロット市に大きな空港があるため、国際会議が頻繁に行われて大勢の人がやって来るのですが、多くの企業が手を引いてしまうと商売あがったりになるのです。このように当事者でなくてもアメリカ社会そのものが動いていることで、人々の間で問題意識が共有され根付いていく。そんな中に、現在のアメリカにおけるマイノリティ問題があります。

おそらくアメリカでの会議に参加されたら、アメリカにおけるLGBTにまつわる話を多く耳にされるだろうと思いますが、その時に「では、日本ではLGBTの問題はどのように考えられているのですか?」という問いが発せられた時に「日本には昔から男色の文化や歌舞伎の女形の文化もあって、同性愛やトランスジェンダーに対する差別はないんですよ」と応じたら、それは回答として適切ではないかもしれません。私自身、同性愛者の弁護士として活動していますと、差別がいっぱいあることは実感します。ただ、その差別の形がアメリカとは異なります。また、権利獲得のためにアメリカと同じような方法を取れば良いかというと、それも違います。そういった意味で、皆さんがアメリカで有意義な議論をするための下地になるような話をこの後の質疑応答でできればと思います。ご清聴有り難うございました。  

(文責編集部)