▼△ 創立71周年記念婦人大会 △▼ 


記念講演 「心の道しるべ」



法相宗大本山薬師寺 副住職:安田暎胤

7月15日、婦人会の創立71周年大会が開催され、法相宗大本山薬師寺執事長として、故高田好胤管長と二人三脚で現在の薬師寺の大伽藍を再建させた安田暎胤副住職が講師として招かれ、『心の道しるべ』と題して、記念講演を行った。


安田師の講演に耳を傾ける婦人会員

 

                  
▼金光教との共通点

ご紹介を頂きました薬師寺副住職を拝命いたしております安田でございます。昨年、遷化(せんげ)いたしましたのは、有名な高田好胤管長でございますが、私はその間ずっと執事長をいたしておりまして、昨年から副住職をさせていただいておりますが、いつも高田と私はコンビを組んで薬師寺の御用をしてまいりましたけれど、あちらは有名な高田、私は無名の安田と、おなじ田が付きましても、あちらは高いほうで、私は安いほうと、いつも紹介をしておったんでございますが……。

今日はお招きを頂きまして、伝統ある泉尾教会の婦人大会の記念講演をさせていただけるということ……。 大変有り難く、嬉しく勿体なく……。 今、お二人の感話を拝聴して、本当に皆様方のご信心の篤いことを感激しながら拝聴いたしておりました。昔からよく「医者の不養生、坊主の不信心、紺屋の白袴」と申しまして、だからわれわれのほうが信心は薄いんでございます。むしろ皆様方のほうが、本当に日常生活の中に心からなる信心の生活をなさっているのかなあと……。 感心をいたしておった次第でございます。これもやはり今、入院されておられます親先生の、あるいは二代先生・三代先生のお力かと存じますけれど……。 こうした立派な教会が出来ましたことが、親先生をはじめ皆様方の平素からのご信心の賜物(たまもの)と、敬服申す次第でございます。

私どもは、奈良の古いお寺でございまして、歴史だけは1300年もあるんですが。金光教様のことは、今日までほとんど存じませんでした。どんなことをお説きになっているのかなぁ……。 でも薬師寺にいらっしゃる方の中にも随分、金光教の方もいらっしゃるのです。そんな方は熱心な真面目な方が多いんですね。きっと立派なお教えなんだろうなぁと思いつつ、内容のことは存じませんでしたが……。 少しばかり、私の知った方から、この教会の教義的なことなど、ご案内を読ましてもらいました。そうしましたら、非常に仏教的で、私どもが平素思っていることと共通点が多々ございまして。私は、「こういうものなのかなぁ……。」と、従来の神道とまた違うんだなぁというようなことを感じた次第でございます。

私が平素しておる仕事ともよく似ているなぁ。日常生活に共通点がたくさんございました。私は毎朝4時に起きまして、自分の敷布団の上で体操を、ヨガとか深呼吸とかしながらNHKラジオの『心の時代』というのを聴きながら、50分間ぐらい柔軟体操と「いい話」を聴かせてもらって、その後、金堂にお参りいたします。すばらしい薬師如来という仏様がおわしますが、ご本尊様のその前に行って、今日まで健康で生かさせていただいたことを、こんなすばらしいお寺で勤させていただけることに、まず私は感謝を申し上げます。「今日まで本当に有り難うございました」というその感謝の気持ちを最初に申し上げ、お礼に毎朝参っております。

そしてまた、いろいろと、今も感話にございましたように、私どもでも、病気をされた方、ご不幸な方、そんな方々からの病気の平癒を頼まれることがありまして、そのお取次ぎをさせていただこうと、祈願帳に書いてあるものを読みながら、そうした方々の健康をお薬師様にお願いをいたします。お薬師様は、私たちの肉体の病的・精神的な病を癒してくださる仏様でありますので、したがって、私たちはそうした方々のお願いを、お薬師様にお取次ぎをさせていただきます。

信仰というものは、各々に信ずるご本体は違いますけれど、あらゆる宗教の共通点はあるのではないかと私は思っております。キリスト教の場合は「ゴッド(神」)、イスラムには「アラー(神)」がいる。各々の信仰の対象は違います。しかし、大自然の大いなるものに、私たちが生かされていることに感謝をするということが、世界の宗教の共通点ではないかと思っております。たまたま薬師如来という限られた形がありますけれど、そういうものでなしに「もっともっと大きな大きな自然の力によって私たちは生かされているのだ」という感謝をするということは大事なことでありますし、お取次ぎをさせていただくということも、なにかよく似ているなぁと思いました。


▼利他の生活が仏教徒の理想

それから、私たちは仏教では、よく「自我」ということを申します。我、我情我欲ですね。ものの誤りは何か? 自分本位の利己的なものの考えが大きく世の中を悪くし、また私自身を苦しめるものなんですね。自分の自己中心的な気持ち、利己的な気持ちをどうして取り除いていったらいいのかなぁ。ということに重きを置いて、「無我になれ」とよく申し上げるわけです。でも、なかなか私たちの我は取れません。無我とか自我とかいうと難かしゅうございますけれど。自我というのは何か? 自分のことしか考えないのが自我ですね。逆に自分のことを考えず人様を育てる、人様のために働く、人様を賛える、これが無我なんですね。そういう無我の生活をすることが大事なんです。「仏法は無我にて候そうろう」という言葉がございます。これも、こちら(金光教)様の我情我欲をとり除き、自分自身の、そして利己中心のものの考え方を取り除くような教えがあったかと存じます。

そうした自我意識、自己的な気持ちをとり除くためにはどうしたらいいか? それは「利他」ですね。人様を救うお働き、人助けの仕事をすることなんです。仏教の言葉では「布施」という言葉がございます。お布施ですね。お坊さんが家の前に来られますと布施を差し上げます。これは、もともとはインドの言葉で、ダーナという言葉です。ダーナを漢字にあてはめますと旦那という言葉なんです。ダーナとは与える人のことをいうのです。昔の世界の場合普通は、男性が働いて収入を得て、家へ持って帰って来てくれますから、男性のほうが「旦那さん」とこうなるんですね。逆に近頃、女性が元気になりましたから、男の方が遊んでおって女性の方が一生懸命に働いて収入を持って帰ってこられたから、その方が旦那になるのです。

それをお寺と在家の関係の中においても、在家さんのことをお寺さんは檀家と申します。旦那の家なんです。いろいろなものをお供えしていただきますから、お寺からみれば在家のお家の方は旦那の家で、省略して檀家となる。またお寺から何を貰うのかというと、これは教えですね。法の施しをするから、在家の方はお寺さんが旦那の寺で檀名寺となる。お互いが旦那なんです。旦那であり合うわけなんです。

そうしたことをやって来たわけですが、その布施の行。仏教にはたくさんの行がありますけれど、最初のまず第一は布施の行なんです。「人のために働く」ということなんですね。これが誤解がございましてね。この間も、朝の4時のラジオを聞いておりましたら、横浜のキリスト教の牧師さんです。すばらしいお話でした。いいお話だなぁと感心して聞いておったんですけれど、一番最後にガクッときました。それはなぜかといいますと。「仏教は貰う宗教、キリスト教は与える宗教」(会場笑い)とおっしゃるのです。キリスト教は与える宗教で、仏教は貰う宗教だとおっしゃるんですね。なぜかなぁと思って聞いていますと。タイやビルマへ行くと、坊さんがいつも托鉢して貰ってサっている。だから、仏教は貰う宗教だとおっしゃるんですね。

でも、本当はそうでなしに、布施の行をすることによって、至らない人間がすばらしい人間にならせていただく。凡夫の私たちが少しでも理想的な人格を身につけるためには、どうしたらいいんだろうか?それは、布施の行をする。「人様のために人助けになることをするんだ」ということなんですよね。ですから、そういったことも、何かこちら様の本を読んでおりますと、「あぁ、同じことをおっしゃってるのかなぁ」と思いながら、拝読をした次第です。

勿論、そうした人助けの最後は、信心の生活をその方にしてもらうことです。1日の生活が大きな感謝の気持ちを持ちつつ、命を尊び、世界の平和を願い、少しでも人様のためになるような働きをする。そうした生活が出来るようになることが、まぁ私たち仏教徒におきましても、理想的な生き方なんですね。そういうことを思うにつけても、何かより一層、金光教さんに対して親しみを感じさせてもらいました。私はこの何年か前に、大相撲の春場所の時に佐渡ヶ獄部屋の部屋見舞いに来たことがございました。その後、こちら様の七十周年の記念ご大祭にも寄せてもらったんですけれども。WCRPを通じて最近では大変深くご咾懇(じっこん)にさせていただいております。こういったこちら様の幅広い人助けの運動が、そうした世界への助けの活動となっておるのかなぁと思っております。
                                                   

命をくれた二人の母

さて、今日は婦人大会ですから女性の方が大勢集まっていらっしゃいます。「21世紀は女性の時代だ」と言われます。ついこの前、WCRP日本委員会から代表として、オランダのハーグへ行って参りました時、土井たか子さんが来ておられまして、「21世紀は女性がもっともっとしっかりせねばならん」というような話を演説されておりました。今日、名古屋からこちら(泉尾教会)へ近鉄電車に乗って来たのですが、車中でふと見た週刊誌に、女性の方が、「子供は要らん。子供は作りたくない。子供の世話はかなわん」というようなことが書かれていました。「仕事が好きなんだ。仕事をしたい。子供の世話にはなりたくないから子供は要らん」というようなものの考え方をする方が増えて来たように書いてございましたが、これは恐ろしいことだと思います。自然の摂理を破壊してしまうのかなという不安を感じたんですが……。

私が、生まれてすぐに母が亡くなりました。1年上に兄がおりますけれども、続いて私が誕生いたしました。2年続けて子供を産むということは、体力に大変な消耗がおきたんでしょうか。母が床に着いたり起きたりする生活が続きまして、もう半年足らずで亡くなったんであります。そのうち、母の妹さんが嫁いで下さったんです。その時そうとは知らなかったんですけれども、来ていただいたんだそうです。母が亡くなった当時、まだ赤子だった私は、母の実家―実母と義母の実家は同じですから―に参りますと、親戚のいとこ連中が「あんたの本当のお母さんは亡くなっていないんだ。今のお母さんはお母さんの妹さんや。あんたらまだ小さいから、可哀想やから。それでまぁ、お育てに来はってん」と言うことを聞いてショックを受けました。家に帰って尋ねますと「そんなことはない。本当のお母さんや」と、家の人は言うんです。隣近所の人に聞くと、半分位は「いや本当のお母さんだ」とか、「いや、やっぱり後添えに来はった」とか、いろいろ言うんですね。私もやがて知るんですけれども、小さい時は出来るだけ隠してあげて欲しいと思うんですね。どうせ私を騙すんなら、いっそ騙し続けて欲しかったんですけれども、もう聞いてしまったら仕方がないですね。

まぁ、お母さんの妹さんですから、血の繋がりもあるし、親しみもありました。その母も苦労をしてくれました。その後、父が戦争で西部ニューギニア(現在のインドネシア)へ征って、ついに帰らざる人になりました。私が小学校の時でした。父は、私がまだ幼稚園の時に戦争に征きましたから、昭和十八年に戦地へ出向いた訳です。その内に訃報(戦死の報)が届きましたが、「これはデマではないか」と疑心暗鬼でおりました。けれども「本当に私は(お父さんの戦死を)見てきた」という戦友が来られてからは、諦めざるを得なかったんですけれども……。ですから私は、今いる母の苦労を見て大きくなりました。その母の苦労……。朝起きたらもうご飯を炊いている。夜は夜で、私が寝る頃にはまだ夜鍋(よなべ)をしておる。「いったい、いつ寝てはんのかなぁ」と思うくらい、一生懸命働いて、内職をしながら私たちを育ててくれたこのお母さんのためにも、「私も立派な人間にならなあかんな」と思ったものです。

中学校の時に、奈良のお寺、薬師寺に小僧にまいりました。昭和25年5月5日、小僧に参った訳ですが、たまに母に見舞いに来てもらうと「何故この子供だけこんな苦労をさせなければならないのかなぁ」という思いで、着物の袖で涙を拭きながら帰った姿が、いまだに思い出されます。そうした母の苦労を見て大きくなりますと、「なんとか母を幸せにしてあげたいな」という気持ちがいつも残る訳です。

もう10年程前の話になりますけれども、父親の戦死した場所に慰霊法要に参りました。その時に母の手紙を託されたので、「一緒にお参りに行きませんか」と申し上げたんですけれども、「手紙だけその地に埋めて来てくれ」ということで預かっていきました。私は読まずに黙って埋めようと思っていたんですけれど、高田好胤管長が「是非、読んであげなさい」とおっしゃるので、その前で封を開けて読ませていただきました。もう、感激といいますか、涙、涙でありました。長い手紙の一節でありますが、「ご安心ください。あなた様と亡き姉よりお預かりいたしました2人の息子が、誰にも恥じない立派な人間として成長してくれました。ご報告出来る最も嬉しいことであります」こう書いてあった。私たちもうすうすは知っておりましても、今までそんな「預かった」なんて言葉はタブーで言わなかったですわね。それを母自身が「姉とあなた様にお預かりいたしました2人の息子が、誰にも恥じない立派な人間として成長してくれました。ご報告できる最も嬉しいことであります」と、書いていた。その瞬間に、母のずっとそれまでの苦労が、走馬燈の如く思い出されまして、「預かったが故に一生懸命育ててくれたのかなぁ」、本当の我が子ならば、多少殴っても蹴ってもいいんでしょうけれども、「ひたすら、預かった子が故に守っていただいたな」という思いが込み上げてきました。

普通、子供というのは、両親の愛情で育つんです。「父は照り、母は涙の露となり、同じ恵に育つなでしこ」と言いますが、父親の強い愛情、母親の優しい愛情でもって、すくすく成長していくのが子供なんであります。私の場合は父がいませんので、「父親の分まで頑張らなくちゃ」と1人2役だったんでしょうね。母の優しい姿は見たことがありません。幼い頃は、ただ「怖いお母さんだな」と、強気な母の一面しか見ておりませんけれども、内心涙の情の深い母でもありました。私は「その母のおかげで今日あるな」と思っております。勿論、また、私を産んでいただいたお母さん。今の時代ならば「体力が弱いから堕す。もうちょっと体力を、元気つけてからお産みなさい」と、水子供養を受ける身であったかもしれません。でも、そういう時代でありますから、授かった子供と思って私を産んでいただいた。そして、体力消耗して亡くなってしまわれました。身代わりの母です。「育ての母と身代わりの母」によって、私の今日があるんですから、母のいのちが私のいのちだと思っております。


▼不幸せにこそ感謝の気持ちを

私が今、あえてそんなことを申し上げておりますのは、誰しも人間というのは、一生の間に辛いこと、悲しいことがあるものだからです。幸せの連続は絶対にありません。また、不幸せの連続もありません。一生に一度や二度は、辛いことや悲しいこと、ピンチがあるんです。それこそいろんなこと―病気もあれば、経済的なこと、阪神大震災のような災害もあります―が起きて、必ず人生の大きな岐路に立つことがあると思います。

私の場合は、大したことはありませんが、まぁ世間の人から見れば、幼い時に両親を亡くしたということで、不憫(ふびん)な子であったと思われるんですよね。けれども、その時にまだ子供であったが故に、明日のこともありますし、未来もありますから、それほど辛いと思わなかったんです。誰しも、一生に一度や二度は辛い悲しいことがあります。でも、その辛さや悲しさ、ピンチを「有り難う」と受け止めていく生き方。どんなことでも「そのすべてが自分を育てていただく肥やしになるんだ」という、そういう思いで生活することが大事なんですね。

「おかげさま」ということがよく言われますね。「何もかもがおかげさまなんだ。私を育てていただくおかげなんだ」と……。「かげ(陰)」とはわれわれの知らない、見えないところにあります。意識、無意識の中にたくさんの陰の力を頂いています。そのおかげで、今日を頂いています。だから良い時はむしろ恐いんですね。「調子の良い時は奢るなよ。月のない日もただ一夜だ」と。むしろ辛い時、悲しい時は、まだ明日があるんです。未来があるんです。絶えてしまっては駄目なんです。ぐっと辛抱する。

辛抱の辛は辛いという字ですね。一番上に横に一を入れると幸せになるんですよ。そうですね。辛いという字は一番上にちょっと一文字を入れますと、幸せという字に変わってしまう。1つ辛抱すると幸せに変わるんだと……。そして、すべてのことが私を生かそう生かそうとお働き下されている。大きな神様、あるいは自然のお力、天地自然のお恵み、皆様の大きなお働きのおかげで1日1日を乗り越えて行きますと、必ず大きな、また新しい明るい人生がやって来るんです。

同じ状態が続かないことを、仏教では「諸行無常」と申します。同じ状態が続かないんです。子供が大きくなって成長していくのも「諸行無常」。また、お歳を召されて年老いていくのも「諸行無常」なんです。一瞬たりとも同じ状態はないんです。「世の中は娘が嫁と花咲いて、嬶(かか)と萎(しぼ)んで婆々と散り行く」というんですよ(会場笑い)。高田管長がこの歌が好きで、何遍も申しておりました。「世の中は娘が嫁と花咲いて、嬶と萎んで婆々と散り行く」事実といっていいんですけれども、女性の方が変化が激しいものだから、よくそういうことが言われておりますが、私は「一瞬たりとも同じ状態が続かない」そういうものが世の中なんだと思えば、その辛抱、辛さも耐えられるんじゃないかなぁ、何かのお諭しかなぁと思うんですね。


▼病になって気付くこと

ご病気の方の感話が先ほどもありました。私も時々病気の方のお見舞いに行くことがあります。私はずっと僧衣を着ていますから、衣を着て病院に行きますとね、気を遣(つか)うんです。病院で「何号室の方、お迎えにきはったのかなぁ」(会場笑い)と誤解を受けないかと気を遣うんです。そのお見舞いに行った時に感じること、また、行くと必ず申し上げることが「どういう方が元気で帰っていらっしゃる(退院する)か。どんな方が向こうへ往ってしまう(死ぬ)か」やはり、それは感謝の違いです。例えば、お医者様をお薬師様と思って「有り難うございます」。昼に来てくれる看護婦さんは日光様かな。夜に看てくれる看護婦さんは月光菩薩かな。「あぁ日光さん、月光さん、有り難うございます」。病院で出されるお料理も「少々味は薄いけれども、自分の体のことを思って量って料理してくれたんだなぁ」と有り難く感謝する。

ほんの4、50年前は、こんな立派な病院なんかなかったのに、今、こんな立派な病院に入れていただいている。日本の医学は大変進歩しました。世界一の長寿国とは何か? 「医学の進歩、食糧の充実、戦争がない」ということ。そのおかげで、こんな世界一の長寿国になった。有り難いことやなぁ。あぁ、ものが言えるということは、どんなに有り難いことなのか。自由に歩けるということはどんなに嬉しいことなのか。そんな健康体に対する思い。平素は何も思っていませんね。私たちが当たり前と思っている五体満足は、病気をして初めて、その有り難さが解るんです。

病気結果ですから、「過去にこんなことをしたからこうなったんかなぁ」と、自分というものをじっくり反省させていただく良い時間を頂いたと思いながら、病気に対し、お医者様に対し、感謝する。そういう人はだいたい早く退院されます。けれども「なんで私だけこんな病気になったんかな」と病気に対する不満。「ちっとも治らへんやないか。病院が悪いんやないか」と、医者を藪医者呼ばわりして「病院変わろうかなぁ」とか、「看護婦さんの態度が悪いやないか」と、治療をしてくれる方への不満。出される食べ物に不満を持ち、「(病院の食事は)ええから(要らないから)料理持ってこい」と食べ物への不満。不思議なことに、会社の社長をなさるような偉い方ほど不満があるんですね。しかし、看護婦さんにしてみれば、皆同じ患者さんですから、「はい、おじいちゃん」と言う訳ですが、これに平素「社長、社長」と言われている人ほどカチンとくるんですね。でも、そういう風に何から何まで不満を持っている人は、スゥッと向こうへ行ってしまいます。よく感じます。だから「感謝しましょう」と、昔から申します。「病は心の善知識」本当の先生という意味ですね。病気は先生なんだ。病気をしたおかげで、今まで判らなかったことが見えてきた。よくあるんですよ。


▼ピンチはチャンスだ

今日ここに書いてある『心の道しるべ』の中には、星野富弘さんという方の詩画も収めされています。実はこの方は、ある時突然に首から下半身麻痺になってしまったんです。彼は体操の選手でして、大学の教育学部を卒業した後、中学校の体育の教師をしていましたが、授業中に模範演技をした際、誤って首の骨を折り下半身麻痺になってしまいました。けれども、口に筆をくわえて絵を描く。詞を書かれる。その絵があまりにも美しく、詩があまりにも美しいんです。彼は、キリスト教の方の毎日毎日心からなる看護やキリスト教の信仰のおかげで立ち直ったんですけれども、この経験を通して、元気であったら見えなかったものが見えてきた。確かに、五体満足は幸せなんだけれども、そういう状態でも素晴らしい毎日毎日の生活をなさっているんです。

1つ1つの詩を読む時間はありませんが、例えば「花菖蒲」という詩を読みましても「黒い土に根を張り、どぶ水を吸って、なぜきれいに咲けるのだろう。私は大勢の愛の中にいて、なぜ醜いことばかり考えるのだろう」決して醜いことばかり考えている訳ではないのですが、純粋なあまり、ちょっとした汚点が大きく見えるんですね。真っ白な中に黒1つ付いただけでも大きく目立つんです。平素は感謝なさっています。確かに黒い土に根を張って、どぶ水を吸って、同じ空気を私も吸っているではないか。なのに、あの花は美しく咲く。私は大勢の愛の中にいるのに、恥ずかしいことを思ってしまった。私は、五体満足な方が来てお目にかかった時に、あまり偉そうなことを言っていると、ふと「その方も私みたいな体になったらいいなぁと思ったりする」と言うんですね。大勢の方のおかげで今日のいのちがあるのに、そんな人の不幸を、何故思ったりしたのかなぁ。恥ずかしいという気持ちが全身に広がって、それは病気をしたが故に、大きく自分が見えてくるんです。

例えば、お見舞いに頂く花にしても、われわれは普通花を貰いましても「あぁ、きれいな花だな」と思ってそれでおしまいですが、星野さんの場合、1日中その花との対話になるんです。「花も私も一緒やなぁ。あんたはもう一生終わってしまうのかなぁ。私もこのベッドで一生終わってしまうんだ。何処へも行けない。だけどあんたは、そこで一生懸命花を咲かして私を楽しませてくれているではないか。私もまた、ここで一生懸命、ここで生きよう。花に負けないように」花を見ても見方が変わってくるんですね。こんな風に、体に障害を持った方、あるいはいろいろ不幸に出遭った方は、ものの見方が変わってくるのです。こうした信仰生活に入られる場合でも、順風満帆で行っている場合よりも、何かあった時に「何かにお縋(すが)りしたい」と、今まで気が付かなかった傲慢さが見えてくるんです。信仰したおかげで「もっともっと謙虚にならなあかんなぁ。恥ずかしいな」と、今までの生き様が深く反省させられるんです。何かがあった故なんです。順調だったら見えなかったことが、不幸な出来事に出遭ったが故に、見えないことが見えてくる。したがって「その不幸はむしろ喜ばなあかんなぁ。私を気遣ってくれるが故に、そんな出来事に出会わせてくれたのかなぁ」という具合に、物事を見ていくと良いんですね。

私の好きな清水重夫さんの詩がここに書いてございます。彼は、辛いことが起こると「これでまた強くなる。有り難う」と感謝するんです。悲しいことが起こっても「これで人の悲しみがよく判る」と有り難くなる。ピンチになると「これでもって逞(たくま)しくなれる、有り難う」と、辛いことも悲しいことも「ピンチを乗り越えて生きることが人生だ」と言い聞かせる人です。自分自身、そう思えるようになると、ふっと楽になって楽しくなってくる。人生が光り輝いてくるんです。ピンチはチャンスだ。人生はドラマだ。ますます光り輝く人生を「有り難う」の心と共に、有り難いこと、勿体ないこと、懼(おそ)れ多いこと、そういう気持ちで謙虚な自分になって、日々の生活を送ると、さらに自分が磨かれてくるのではないでしょうか。

坂村真民さんも仏教信者です。踏みにじられても、喰いちぎられても、死にもしない。枯れもしないその根強さ。そして、また太陽に向かって咲く明るさ。私は、それを私の魂とする。そういう明るい方向に向かって生きていこうとする逞しさをタンポポから学ぶんです。一杯いろんなものがあります。


▼皆様とのご縁の中で

私たちは「袖振れ合うも他生の縁」と申しますが、これは「多い、少ない」の多少ではないのです。過去・現在・未来、三世にまたがって、大きなご縁と感じるんですね。愚かな人は、少ない縁にあって縁に気付かず。中才は、縁に気付いて縁を活かさず。素晴らしい方=大才は袖触れ合う縁をも活かす。いろんな良いご縁があるんです。私たちにとって、人の出会いも縁ならば、病気もひとつの縁なんです。そのご縁をどう活かしていくのかが大事ではないのかなぁと思いますね。今、世の中は不景気でございますが、これもひとつのご縁と思って、ひとつ耐え忍んでいかなくてはならんのですがね。

もう時間が少しオーバーしているように思いますけれども、私は今日こうして、皆様にご縁を頂きました。ある所へ行った時に「良きことの話題に上るを聞き終われば、世に明るさの加わるごとし」という詩を拝見し「大変良い詩だなぁ」と思っておりましたら、こちらの金光様(四代教主様)の歌だったと思います。本日は、私のような者までお招きいただいたご縁に感謝いたします。また、今日のお話の中から少しでも、何かをご縁と思ってお受けいただければと思います。

最後に、私が3年前にインド仏跡へ参拝しました時のお話をさせていただこうと思います。この時は高田管長と一緒に行ったんですけれども、小さい時にお母様が亡くなられて、妹さんがお育てになられたお釈迦様と、私は同じ境遇なんですね。だから、私にとりましてインドの仏様を慕う旅は、私の母を偲ぶ旅でもあるのです。仏跡参拝の日程がすべて終わって「ああこれで皆終わりだなぁ。今年も無事に百何十人の人が行けて良かったなぁ」と思い、ふと、ヒマラヤを見た時に涙がポロポロと出てきました。私は遠藤実さんという人と非常に親しくしておりますが、高田管長も非常に好きでした。特に『星影のワルツ』というのが映画のようだと、大変愛しておりました。

私どもは慰霊(戦地法要)へ行っても、慰霊法要はお経だけではなく、詩吟とか童謡とか、いろんな歌を歌うことがあります。その時にふと、母を偲ぶ歌詞がもう1分以内にパッパッと出てきたんですね。眠気覚ましにちょっと最後に歌わせてもらいます。「仏の国を旅すれば、思い出すんだ母のこと。いのちを私に捧げてくれた身代わり母さん有り難う。育ての母さん有り難う。涙が頬をまた濡らす」(会場拍手)こういう歌なんですけれど、私にとって母はいのちです。どうぞ世のお母様方、子供から「なんと私は素晴らしいお母さんを頂いたのだ」と、喜んでもらえる。そういうお母様方になっていただきたいと思います。この教会のお母様方は、皆そういう方々だと思いますけれども、週刊誌などを見ておりますと、大変寒々しい思いがございますので……。どうぞ、ご信心の生活を深めていただき、世の鑑となるようなお母様になっていただきたいと存じます。

今日の話の至らないところは『心の道しるべ』という本に書いてございます。今日はこちらに持って来ておりまして、先ほど署名しましたものを下の階で販売しております。星野富弘さんの詩や絵も入っていますので、ご希望の方は帰りにお買い上げ下されば幸いでございます。時間が超過いたしましたけれども、これで終わらせていただきます。有り難うございました。