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2015年2月

陽春の花に目を見張る人多し。
それより、冬の株立ちを疎かにすな。
そこからこそ、百年への栄えが芽生えよう。

使うていただける喜び。
その有り難さ、その勿体なさからの
湧き上がるもの。燃え立つもの…。
若い頃から、そのためにもがいてきた。

時々刻々、その中でいきいき願い、
神と氏子の助かりの実現に向って
生きぬかせてもらっている。

日々、鮮やかに死ぬ稽古が要る。
「今日こそ最期の御用の果たし!」と
喜び感謝、そこに打ち込むわれ。

未熟者のわれ自身、
何事も成し得ていぬを詫びる。
その不十分さをみな神様が補ってくださる。
お礼を申すのみ。

助かるということは、助けられ、修行せねば
いられぬということである。
生きていく問題の上で、ひとつひとつおかげを頂き
通していかねばならぬということである。

人々に「私の思うようにやってください!」
と言うのでなしに、その人が喜んでくださるような
「この私にならならせてください!」と
お願いすることが要る。