・・ 2004年 新春メッセージ ・・

『現代社会における宗教者の役割』(順不同 敬称略)

■相依り相扶けて生きること
  第255世天台座主
                     渡邊惠進

泉尾教会のご信者ならびにご関係の皆様、明けましておめでとうございます。

 旧年は、中東地域等にて戦乱が続き、国内に於いても人間性を喪失したかのごとき、心傷む事件が頻発いたしました。現代社会は、ともすれば物質的・経済的価値を偏重し、道義・情理が軽視され、結果として生命を軽んずる風潮が内外共に強く感ぜられ、残念でなりません。

 私たちは、相互に連関する大地自然に支えられ、その恩恵によって生命を全うできることを再認識すべきであります。この道理を素直に受容する人こそ、神仏を畏れ敬い、自己の限界を知って自制し、他を思いやる人となるでありましょう。

 『共生』即ち相依り相扶けて生きることを自ら実践し、啓蒙することが望まれてなりません。


■不変なるもの

  和宗 総本山四天王寺 第109世管長
                     塚原亮應

 今日、わが国は豊かになり、宗教など必要ないと考える方も少なくないようです。しかし、現在働いておられる方の60〜70パーセントが、将来に不安を抱いておられるそうです。そういった壮年期の方は多忙な毎日を送られ、悩みと向き合う暇も無いというのが現状です。

  では、主に何が不安なのか、まずは景気や会社の行方であり、自らの行方でありましょう。しかし会社の行方を個人が心配したところで限界があります。やはり経営者の役割は大きいといえます。

 われわれ宗教者の責務は、教理に則した経営理念というものを明確にし、提唱していかなければ、これからの社会を良くするという任は果たせないでしょう。

 仏教において、その教理の根幹は無我であります。つまりあらゆる現実は原因と結果の連鎖からなり、全ての事象は心から発露します。そして全てが複雑に関係し合い、支え合って存在しています。

 経済も心と密接な関係を持っているということを、どれだけの経営者がお気づきでしょう。経済は世界の平和と密接に関係します。宗教者はそこにも大いに着眼すべきであると考えます。


■知恵達者なおサルさんの年に

  辯天宗 第2世管長
                         大阪国際宗教同志会 会長
                           大森慈祥

 新年おめでとうございます。今年一年、みんな幸せな日々でありますようにしっかりお祈りいたしましょう。

 平和な世界をとみんなが熱望しているにもかかわらず、未だ戦争が絶えず、イラクではこうしている間にも、尊い人命が失われています。人命を断つ行為は最高の罪悪であり、これを実行してはならないということを、どのような宗教でも教え、これを厳しく禁じているはずです。熱心なその宗教の信者でありながら、なぜそれを守らないのでしょう。どんな宗教でも信者はその教えを厳守しなければならないはずですのに。

 私たちは、時に「自分の信仰以外を認めない」といった言動を経験することがあります。熱心の故であることはよく理解できますが、どのような場合も相手の立場や信条を認めるという心がない限り、反対者撲滅といった悲惨な出来事がいつも起こるでしょう。

 みんなの知恵を集めて戦争のない平和な世界を創り出したい。知恵達者なおサルさんの年の初めにそんなことを思いました。


■核武装を唱える政治家の姿

    カトリック枢機卿
                         WCRP日本委員会 理事長
                            白柳誠一

 平成15年11月の衆議院選挙の結果分析を見て心を痛めたのは私ひとりではないだろう。新議員480名のうち17パーセントにあたる83名が「核武装を検討すべきである」というのである。核兵器のひとつである原子爆弾の唯一の被爆国であり、『非核三原則』を国是として歩んできた日本にあって、政治を左右する衆議院議員が堂々と核武装を説いているのである(毎日新聞:平成15年11月11日参照)。

 世界を何回も破壊できるほどの核兵器がすでに存在し、その有無をめぐって起きたイラク戦争が世界を混沌とさせているなかで、政治に直接関与する人が真剣に核武装を唱えている姿をWCRP創立に関わった先輩たちはどのように見ておられるだろうか。私たち日本の宗教家にも重くのしかかってきた問題である。


■まずは感謝の生活を

   円応教 第2代教主
                         新宗連 理事長
                           深田充啓

 新年のお慶びを申し上げますとともに、昨年は先代教会長故三宅歳雄先生の御生誕百年祭、ならびに金光大神百二十年大祭を執り行われ、教会長先生始め信者様一同、大いに慶びの心で新年をお迎えのこと、心よりお慶び申し上げます。

 昨年を振り返りますと、不況の長期化、中東地域でのテロ、暴力や犯罪が低年齢層にまで及んでいるなど、暗いニュースばかりで、思わず目を覆い、耳を塞ぎたくなるようなことばかりです。しかし、こういう時代だからこそ、金光教のみ教えにある「万人が神を自らに現して、人と人が助け合う世界の実現をはかること」の精神と、歳雄先生のような実行力が必要になってくるのではないかと思います。

  私たちは自分一人だけでは生きてゆくことはできません。多くの人や物の支えによって生かされているのです。その考え方を持つことが出来れば、自然と心の中に感謝の心が芽生えてくるのではないでしょうか。全ての人々に感謝し、全ての物事に感謝する。毎日の生活が感謝で始まり感謝で終わることができれば、多くの問題も解決に向かうのではないでしょうか。

  そのためには、私たち一人ひとりがみ教えに即した生活を心がけ、家庭から地域社会に向けて、喜びと幸福の輪を広める働きに邁進させていただきたいと思います。


■家庭、親の役割

    立正佼成会 第2代会長
                            庭野日鑛

 人は、なかなか自分自身の真実を見つめようとしません。何か事が起きても、「世の中が悪い、周囲が悪い、相手が悪い」と他に責任を転嫁しがちです。外の出来事ばかりに目が向き、現象に振り回されます。

 近年、社会問題化している青少年による凶悪な犯罪に対しても同様です。大人は、「最近の若い者」を嘆きます。「昔はこんなことなどなかった」と他人事のように話します。しかし、この世の出来事は、結局、人の心の表れです。親である大人、その家庭の役割が十分でないために、いま、青少年の問題が相次いでいるといえます。

 青少年の育成は、社会を形づくる土台であり、最も急を要する課題の一つです。大人自身がこれまでのあり方を顧みて、安らぎと憩いの場であり、人格形成の場である家庭を、もう一度、調えなければなりません。

 時代がどのように変化しようと、宗教の役割は、真の自己を自覚する――「心田を耕す」ことに尽きます。新年にあたり、この根本を見つめ直し、次世代の育成にしっかりと取り組んでまいりたいものであります。


■軍事力行使は紛争解決につながらない

   大本 第5代教主
                            出口 紅

 いま、世界はイラク戦争の泥沼化によって、ますます混迷を深め、日本を取り巻く国際情勢にも緊張感が増しつつあります。私たちは半世紀前の悲劇的な歴史を顧み、そのような惨禍がふたたび繰り返されないよう祈らずにはおれません。

  過去の歴史をみても、いかなる軍事力行使も紛争を根本から解決するものではありません。このような危機をはらむ現代においては「力の支配」でなく「法の支配」によって、倫理的、平和的共存をめざさなければ、人類が生き残ることは難しくなるでしょう。

  それぞれの国の政治、経済、文化の多様性を認め合い、多国間対話を尊重して、「平和的共存」をめざす世界連邦による世界秩序を構築することが、いま、私たちに与えられた大きな課題であると存じます。未来世代のために、人類のいのち輝く、共生の新しい時代を開くべく、宗教者は、手を携えて努力させていただきたいと念願いたしております。


■平和のために祈る

御嶽教 主座
                           大桃吉雄

 人類福祉の増進と世界平和の貢献に、弛まぬ努力を履行し続けて百二十年、究極の完成の訪れを希いながら、協賛する聖者が弥増すご隆盛を心から慶賀申し上げます。

 セルビアの一青年が放った一発の銃弾から発し、悲惨な結末で終結した第一次世界大戦。人類の滅亡を辛うじてくい止め、悲しみと悔恨を今に引きずる第二次世界大戦。奪い合いは不平と不満を募らせ、不足は飢餓の惨状をもたらしますが、互譲は和楽を生み出し平和をもたらします。

 戦争は一人でも引き起こすことが出来ますが、平和の礎は平和実現の為の実践行を宗教家各々が、斯の心情を第一義として断固とした覚悟も新たに、斯道の実践をし続けなければなりません。

 「祈りとは心の転換である」。幸い祈りの業を得ておりますわれわれは、平和への祈りを続け続けて、弥果てに世界人類が統べて平和の真っ只中に生きることを信じて止みません。


■世界中の人間が互いにたすけあって

天理教 表統領
                           飯降政彦

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

 昨年も、イラク戦争にはじまる紛争の数々、また国内においても増加の一途をたどる凶悪犯罪の頻発など、混迷を深める現代社会の厳しい姿に直面しました。その最大の病根は、“われさえよくば、今さえよくば”といった利己的、刹那的な考え方ではないかと思えます。

 そうした現代社会に、「私たちは一体何を訴え、何を伝えなくてはならないだろうか」との思いで、天理教では昨年、世界へのメッセージ・統一標語を選定いたしました。そのキーワードは「たすけあい」です。

 「たすけあい」ということは、天理教だけではなく、様々な個人や団体が訴えておられます。私たちは、これらの動きと共に、等しく兄弟姉妹である世界中の人間が互いにたすけあって、感謝と慎みをもって日々を送る心と行動の広まりを目指し、混迷する現代社会に「たすけ」の明かりを灯してまいりたく存じます。


■一人はみんなのために

 融通念佛宗 総本山大念佛寺 宗務総長
                          山田隆章

 新年のお慶びを申し上げます。

 毎日の新聞やテレビで報道される事件は、悪逆非道で人間の道義性を没却した卑劣さと残忍さを増してきているように思われます。

 それらの背景には学校・社会、ことに家庭の教育力の不足が指摘されています。あのマレーシアのマハティール氏が「今や日本は反面教師」と断言されましたが、大変深刻な状況になっています。

 老若男女を問わず自分一人よがり(我執)が強すぎるのです。我執からの解放は、信仰心を持つこと以外にないと思います。信仰心を持つと、人間としての生き方や生きざまが変わります。大自然の力によって自分が今あることに気づかされます。心の中に宿る誰もが持っている仏性、もしくは神性にめざめることができるのです。

 今こそ「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と共生していかねばならない時だと思っています。


■宗教者間の和解を進め

石清水八幡宮 宮司
                    世界連邦 日本宗教委員会 副委員長
                          田中恆清

 私は、世界連邦日本宗教委員会の会長をお務めになられ、同会の中興の祖とも言うべき比叡山千日回峯行者、故・葉上照澄大阿闍梨との深いご縁を得て、三十年近く宗教協力運動に関わっておりますが、宗教者が互いの信仰を尊重し、その違いを認め、祈りという宗教者の共通の営みを通して、世界の恒久平和のために交流を深め、神仏の御心の随(まにま)に協力体制を確立してゆくことは誠に重要なことであります。

 そして申し上げるまでもなく、泉尾教会三宅歳雄先代教会長様はこのことをいち早く実践され、国内はもちろん、国際的にも宗教協力を率先垂範されて来た大先達であります。私たち日本の宗教者は、今世界で起こっている宗教間の争いに端を発すると言われている紛争や戦争の早期終結を願い、宗教者間の和解をより一層進めるために最大限の努力を絶えることなく傾注することこそが、最も大切な使命であると改めて痛感する次第です。




■神の恵みと祖先の恩
  神社本庁 常務理事
                         熱田神宮 宮司
                            小串和夫

 神社にはたくさんの樹木がありますが、これは古代より日本人が森を神々の鎮まる神聖な所と捉えてきたことに由来します。神道と自然は切っても切れない関係にあります。

 私共の先祖は、古来より、自然は征服するものではなく、われわれを生かしてくれるものとして自然と共に生き、畏敬と感謝の念をもって接してまいりました。

 二千数百年に及ぶ長い歴史の中で、神道が断絶することなく現在まで継承されてきましたのは、その根底に先祖に対する思いがあったからに外なりません。神々に対する祭りは、先祖の霊に対する祭りでもあるわけです。これを神道では「敬神崇祖(けいしんすうそ)」と言います。

 何かと多事多難な世の中ですが、一人ひとりが自省してそれぞれの立場で与えられた使命をまっとうし、先人の心を心として、世のため人のために尽くしながら一所懸命に生きる必要性を説きつづけたいものと願っています。


■いかに宗教的情操を培うか

 衆議院 議員
                        自民党 政務調査会長
                          額賀福志郎

 教会誌「いずみ」新年号の発刊にあたり、金光教泉尾教会の皆さまに謹んで新年のご祝詞を申し上げます。

 最近の社会情勢を見ますと、家族間での家族愛や、友人間での友情、社会人としての信頼関係など、当然、人間として持ち合わせていなければならない基本的な道徳や社会通念が失われつつあることを痛感いたします。

 今まさに、私たちがいかに宗教的な情操を培(つちか)っていくかが問われている時であり、金光教の尊い教えが求められています。

 今後も、皆さまには、日ごろ頂いているみ教えをもとに、使命達成のため全力を傾注されますようご期待申し上げます。

 金光教泉尾教会のさらなるご発展と皆さまのご多幸を心より祈念して、ごあいさつといたします。


■世界の人々が心の平安を取り戻すために

大阪市長
                            関 淳一

 新年、あけましておめでとうございます。

 金光教泉尾教会の皆様方には、お健やかに輝かしい新春をお迎えのことと、心からお喜び申しあげます。

 新年の幕開けを迎えましたが、今なお、国際社会の平和と安定を脅かす戦争やテロをはじめとする危機や不安が続くなど、人類の苦難と不幸は依然としてあとを絶たない状況が続いております。

 こうした多事多難の中、世界の人々が心の平安を取り戻し、相互に理解を深め、尊重しあい、幸せに暮らせるようにするために、宗教者が果たされる役割は誠に大きく、三宅教会長のもと、金光教泉尾教会の皆様方の一層の御活躍を期待申しあげます。

 私は、昨年12月、皆様方の大きな御支援、御支持により第17代の大阪市長に就任させていただきました。誠に光栄に存じますとともに、その使命と責任の重さを痛感しており、今後、市民から寄せられました期待と信頼にこたえ、大阪に住み働く人々がゆとりと豊かさを実感できるまちづくりに全力を注いでまいりますので、今後とも、皆様方のお力添えを賜りますようお願い申しあげます。

 金光教泉尾教会のますますの御発展と、皆様方の御健勝、御多幸を心からお祈り申しあげまして、ごあいさつといたします。


■「宗教者」のかたわらにいたい

  日本宗教学会 会長
                         東京大学 教授
                           島薗 進

 「宗教者」のいるところに、必ずしも宗教的な実存の場所があるというわけではない、それだけ、「宗教的なもの」は拡散してきている。いわゆる「宗教」から遠いところに、鮮烈な霊性(スピリチュアリティ)の発露が見られることがますます多くなってきている。集団ではなく個人であるからこそ、宗教的な感性に近づくという傾向がある。

  だが、そうした「宗教的なもの」「スピリチュアルなもの」は、やはり、安定性や持続性に乏しい。家族や地域社会など伝統的な制度と結びついた宗教や個人を組織した宗教集団にしか果たせない役割がある。それは持続であり、交わりであり、修練であり、共同行為ではないかと思われる。集団が厭(いとわ)れる時代だが、集団故のメリットを発揮する可能性が十分にある。


■宗教的な価値基準が無いからこそ

  チベット文化研究所 所長
                            ペマ・ギャルポ

新年あけましておめでとうございます。宗教は本来、人種・国境を越えてあらゆる人々の幸せを願い、あくまでも各個人の問題として個人の信仰を重視するものです。残念ながら近年は、宗教の名の下でいくつかの醜い争いが起きています。そのため一部の人々は、宗教そのものが戦争の原因であるように決めつけ、信仰を持つことの負(マイナス)の部分を強調しています。

  しかし、私は困難な時期だからこそ、常に各個人が確固たる信念と信仰心を持つことが重要と考えます。世界各国の様々な問題を見ると、むしろ宗教的な価値基準が無いからこそ、無慈悲で無差別な殺戮(さつりく)やテロ行為が生じているのではないでしょうか。新世紀において私たちの人間としての尊厳をとり戻し、世界に平和を構築するためにも、宗教家として各個人が自らの行動を慎重に見極めることが大切です。

 どうか2004年も皆様に、そして世界にとって良い年でありますよう心から祈念申しあげます。


■初心に帰る

   一燈園 当番
                          西田多戈止

 今年は故三宅歳雄先生の五年祭になるそうですが、私は親先生は生きていられて、天上で従横に活動されていると感じています。

 九年前、私は、「宗教協力によって世界で初めて地球の平和を祈る鐘を作りたい」との度を越した願いを持った時、もちろん、龍雄先生や光雄先生のご助言がありましたが、いの一番に賛成し、直ぐ資金を預けて下さったのが親先生でした。
その『地球感謝の鐘』は、三年前に「地球感謝の日制定運動」を喚び起こし、今、来年の愛・地球博に「地球に感謝→トイレ文化」で参加しようとトイレの関係者の輪が拡がり出しました。親先生が引っ張って下さっているようです。

 私ども一燈園も、お陰様で創始百年になりました。宗教者の根本の願いは、(1)人格の完成 (2)世界真平和と教えられています。内外共に暴力が頻発していますが、人格を見失っているからだと思います。百年にあたり、あらためて「初心に帰る」を実践目標にしています。



■宗教界のリーダーへの期待は大きい
  UFJ総合研究所 シニア・フェロー
                           原田和明

 紀元前146年、通商大国としてローマ帝国と覇を競ったカルタゴは、建国以来700年でついに滅亡した。何故カルタゴは完全に抹殺させられたのか。

  カルタゴの歴史は文明の浅はかさをハッキリ示している。彼らは富の獲得のみに血道をあげて、政治的な、知的な、倫理的な進歩を目指す努力をしなかったからだ。

 これは1980年代後半、専ら経済大国の地歩を固めてアロガント(傲慢)になった日本にとって貴重な歴史的教訓であった。そして、21世紀のパラダイム・シフトの下で、国力の凋落(ちょうらく)に直面。漸(ようや)く、新たな知価社会の到来を認識した。

 新しい社会のキーワードは、多様性と智恵である。「失われた十年」はわれわれ日本人が物の豊かさより心の豊かさを求めるチャンスとなった。この流れを本物にしていくことこそ、多神教的国家、日本に求められる人類平和の目標である。宗教界のリーダーたる各位への期待は限りなく大きい。

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