・・ 2005年 新春メッセージ ・・

『今、宗教者は何をなすべきか』(順不同 敬称略)

■祈りを実際行動に移すこと
  第255世天台座主
                     渡邊惠進

泉尾教会の皆様、明けましておめでとうございます。新しい年を迎えた内外の状況は、残念ながら混迷の最中にあるといわざるを得ません。とりわけ、次代を担う青少年・児童を取り巻く環境が年々悪化の傾向にあることは寒心にたえないところです。

私どもが為すべきことは、真摯(しんし)な内省(ないせい)、懺悔(ざんげ)を自らに課し、人々の静寧を神仏に『祈る』ことを第一義としたその上で、宗教それぞれの教えに内在する『生命を尊び、他者を思いやり、自他の平安・平和を大事にする心』の開発・実行に更なる努力が必要と思い知らされております。

宗教者個々には種々の制約もあると存じますが、この祈り・努力を単なる言葉に留まらせず、取りうる限りの実際行動に移すことに依って、家庭、地域そして社会の浄化・健全化は進み、ひいては世界の恒久平和実現につながる流れが確かなものとなるでありましょう。実践の難しさと厳しさを痛感しながらも、この流れが大いなるものとなることを切に念願いたしております。 


■恒久平和に向けた「四無量心」の光輝

  和宗 総本山四天王寺 第109世管長
                     塚原亮應

 年頭にあたり、金光教泉尾教会の皆々様のご多幸を心より祈念いたします。

さて、今世紀を迎えても科学万能主義・物質文明に執着した人類は、未だ文明の衝突を繰り返し、民族・地域紛争といった悲しむべき事態の収束に、どうやら無力なままのようであります。

急ぐべきは、人類が過去幾多の過ちを猛省し、各々の宗教心を拠り所として、精神生活・精神文化へ回帰しなくてはなりません。とりわけ、現代人が忘失している、大自然への畏敬の念や森羅万象生きとし生けるものへの感謝の気持ちを、いち早く取り戻さなければなりません。

今こそ、宗教者はあらゆる機会において、対峙・対立の無意味さを説き、融和・融合を礎(いしずえ)とした「恒久平和」の実現に向けては、慈(人々に楽を与える)・悲(人々の苦しみを除く)・喜(人々の幸せを喜ぶ)・捨(差別なく人々を平等にする)という四無量心の光輝につとめなくてはなりません。


■異教異宗にも善なるものの働き

第218世東大寺 別当
                        森本公誠

内外ともに憂慮すべき事態が雨後の筍のごとく次々と起こっている。どうして人類は戦争を止めることができないのだろうか。どうして異常としかいえないような犯罪がひっきりなしに起こるのであろうか。今年こそは平穏な年でありたいものよと、神仏に祈っては裏切られる。責めは神仏の側にあるのではない。人間の側にある。宗教者も人間の側にいるのであるが、無力を感じざるを得ない。

それでも宗教者は祈るのである。偉大な先人の宗教者の言葉を信じ、人々の安寧のために、人々の心の救いのためにその教えを説く。だがその教えなるものは、それぞれ機縁があり、歴史がある。人によっては心地よく聞こえても、人によっては異界の言葉として聞く耳がない。ましてや個人を離れて集団の原理が働き、集団のこだわりが生じてくると、集団の呪縛にとらわれ、異教集団を排除してしまう。せめて宗教者だけでも、自己の宗旨のみを絶対化せず、異教異宗にも善なるものの働きがあると、ゆとりある心を持ちたいものだ。


■宗教的情操の涵養(かんよう)に努める

    法相宗大木山薬師寺 管主
安田暎胤

いつの時代も、人間がいるところは、「殺・盗・淫・妄」の事件が絶えません。これは人間の業(ごう)のようです。だからといって、自由奔放のままに許すことはできません。許せばブレーキなき車のようなものです。宗教者はそのブレーキ役を果たすべきかと思います。

そのためには、宗教者自らが襟(えり)を正す生活をし、人として歩むべき道を説かなければなりません。いま具体的に起きている戦争や災難の救済をするという大役と共に、長期展望に立って人の心に慈愛や和の精神を培う、さらなる努力をしなければならないと思います。

戦後は教育の場から宗教が追放されてしまいました。公私が共に力を合わせ、宗教的情操の涵養(かんよう)に努める必要があると思います。宗教が戦争の火種になっているように誤解されていますので、宗教者はそれを払拭(ふっしょく)し、美しく輝くような善意に満ちた人間形成の実現に向けて努力することが大事かと思います。


生死一如の共有を

  出雲大社教 管長
千家達彦

敬礼天下之春 おしえのにわのミヤオさまのミハタラキのお役に立たせていただきましょう。

国技の大相撲には、外国人力士が多く、その活躍が目覚ましい。ある親方は「軒下を貸して母屋を取られた」と嘆いている。東京オリンピックが日本の蘇生を象徴した後の幾十年経った今の世相とダブって見える。

先ず、日本人は日本の心を蘇生させ、「共生」を言うならば「共死」も一如と祈りたい。ハワイ日系新聞の短歌欄に“家系図は ファミリーツリーと言うそうな 根幹枝葉の大樹の様”とあった。

イタリアのトスカーナ地方を観光した友人は、ある家の壁掛に、一本の聳(そび)える大樹の根・幹・枝・葉に代々の家族の名が書かれていたと言う。
洋の東西を問わず“おのれの命脈”への祈りは共有している。おしえのミオヤさまのお祈りの始源はここにある。

「生死一如」を宗教する者の共有のハタラキとしたい。


■生命輝く希望に満ちた世界を

    大本教主
出口 紅

謹んで新年のご祝詞を申し上げます。

昨年を振り返りますと、台風23号など大型台風の襲来、また新潟県中越地震の発生など数多くの天災に見舞われた年でございました。被災されました皆さまには心よりお見舞いを申し上げますと共に、一日も早い復興を願わずにはいられません。

海外に眼を向けますと、中東における混乱と苦悩は日に日に深まり、頻発するテロと暴力は誠に悲惨な状況であり、心が痛みます。また、地球規模の環境破壊と異常気象による災害は止まることがありません。

いま、まさに「末法」ともいえる世の中ではございますが、信仰を持つ私どもは、そのような時こそ、世界の人々とともに助け合い、支え合い、天地の恵みに感謝し、「大難を小難に、小難を無難に」と真剣に祈り、行じつつ、明るく前向きに日々を送らねばならないと思っております。

今後、世界に幾多の試練が訪れようとも、神仏のご加護のもと、人類の英知と努力で乗り越え、生命輝く希望に満ちた平和で幸福な世界を実現すべく、皆様方と共に手を携え歩んで参りたいと存じます。

今年がどうか平安で穏やかな良い年となりますように、心からお祈り申し上げます。


■神も仏も明らかにある社会に

 辯天宗管長
大森慈祥

新しい年を迎え、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

昨年は非常に暑い夏で、その上に秋には台風の水害、そして大きな地震の災害が起こり、また、小学生が連れ去られ命が奪われるという悲惨な事件もあり、暗い思いになることも多かったのですが、年末には北朝鮮から曽我ひとみさんのご主人と娘さんが来日し、念願の佐渡での家族そろった生活に入られるという明るい出来事もあり、何かホッとするものを覚えました。

さて今年は「酉(とり)年」ですが、酉は鶏(にわとり)で、世界中を通じて鶏は予言の動物とされています。ギリシャ神話では、天上天下の気に感じ、人間が感知できない将来のことを予言するとされています。神社に鳥居があるのは、もともと鶏の止まり木なのだそうで、神さまのお告げを知らせる鶏ということから来たものだと言われております。

今年はそのような、神様との関係の深い酉の年です。つまり信仰ということに関わりの深い年であるといえましょう。このような酉の年に当たって、私たちは今年こそ信仰を一段と世の中に伝える活動を大きく進めたいものです。この濁世の世の中を浄める力を持つのは信仰より他にありません。信仰を失った「神も仏もあるものか」といった人間の増加する現代社会を造り出した諸原因をよく反省し、神も仏も明らかにある社会にしなければ、やがてこの私たちの世の中は地獄と化してしまうでしょう。それぞれにしっかりと信仰を世の中に伝えていきたいものです。


■生きる権利を脅かされている人々の力に

カトリック枢機卿
WCRP日本委員会理事長
白柳誠一

宗教者の本分とは、自分の信仰を深め、その信仰に生き、人々にその信仰を伝えていくことであろう。現代世界に生きる宗教者は、現代世界の諸条件の中で生き、また、

同じ条件の中に生きる人々に信仰を伝える使命をもっている。

したがって、現代世界の諸問題は宗教者にとって大きな関心事である。第二バチカン公会議は「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ、貧しい人々と、すべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事柄で、キリストの弟子たちの心のなかに反響を呼び起こさないようなものは一つもない。それは、かれらの共同体が人間によって構成されているからである」と述べている。

貧困、疫病、戦争によって生きる権利を脅かされている人々の力になることこそ、今、宗教者に求められていることであろう。


■祈りを捧げる合掌世界を築く

妙智會教団 会長
宮本丈靖

昨年国内では、猛暑、台風、水害、地震と自然災害が相次ぎました。これは、いままで自然を痛めつけてきた人間への自然の意趣返しではないでしょうか。

海外では、イラク戦争後も抵抗勢力によるテロが頻発し、中東での紛争はいまだ解決の目途が立っていません。「新しい世紀は平和な世に」と、すべての人びとが願ったにもかかわらず、混迷は深まるばかりでございます。いまこそ私たち宗教者は原点に戻らなければなりません。

三宅歳雄先生は『心の糧』のなかで、「わが祈りは、わがいのち。わが祈りは永世、われは永遠」と遺されております。このお言葉のごとく、宗教の原点は祈りであり、いのちを大切にすることです。

世の人びとだれもが手を合わせ、祈りを捧げる合掌世界を築くことが、実りある平和社会をつくるのです。私はそのために身命を惜しまず“祈りと実行”をもって、本年も佛道を歩んでまいります。


■内なる平和を

 立正佼成会 会長
庭野日鑛

「地球の上を全部牛の皮で覆(おお)うことができれば、みんなはだしでどこへでも行ける。しかし、それは不可能だ。ところが、一人ひとりが足に牛の皮を履(は)くならば、どこへでも安心して行ける」という譬(たと)えがあります。

「地球の上を全部牛の皮で覆う」とは、外面的な活動によって平和を築くこと。「牛の皮を履く」とは、一人ひとりが自らのいのちの尊さに目覚め、他のいのちを尊重することといえます。

私たち宗教者がめざす平和は、お互いを尊重し、礼拝していくことによる、自己内面の平安であり平和です。先の譬えから言えば、「牛の皮を履く」ことといえましょう。

内なる平和を創造するのは、宗教による「智慧の光」です。太陽の光は暗闇を照らすいっぽう、影も生み出しますが、「智慧の光」は、人間の内の隅々にまで至り、心の闇をことごとく照破します。

新年にあたり、宗教者の一人として、人の内を照らす智慧の光の前に、ひたすらに帰命することを願うしだいであります。


■宗教的情操教育の必要性

円応教 教主
深田充啓

戦後の日本は、科学技術の発展や経済成長により、物質的、経済的には豊かになりましたが、精神面はその発展に追いつけず、人心の荒廃が叫ばれ、その結果、「生命の尊厳」が軽んじられ、他への「思いやり」であったり、「感謝の心」が失われ、凶悪犯罪や青少年問題の増加などの社会問題が起きているのではないかと思っております。

私は、こういった問題に対して、「宗教的情操教育」の必要性を前々から訴えてまいりました。宗教というものは、人智を超えたものや自然への感謝、ひいては人や物への感謝であったり、個としてどう生きるか、与えられた生命をどのように生き、生かされるか、という部分を教え示しているものではないかと考えております。

学校や家庭での教育に宗教的な情操教育を取り入れ、教える側も教えられる側も、他を尊重し、他を思いやれる関係での学びが必要となってくるのではないでしょうか。

自分が発する言葉にも、行いにも、愛と感謝の心を込めて、家庭から周りへと喜びと幸福の輪を拡げ、自分の周りにどれだけたくさんの笑顔の花を咲かせることができるか、共々に努力精進させていただきたく思います。



■感謝のあふれる生活を
 松緑神道大和山 教主
田澤清喜

未だ、世界中では紛争の絶えない状況。国内では、青少年による犯罪の増加や他人だけではなく身内の方を殺害するなど「安全な国・日本」のイメージが崩れてきている状況を目の当たりにして、すぐに行動できない自分に苛立ちを覚えるこの頃であります。

私が心がけていることは「一日に何回感謝を表せたか」です。空気がある、食べるものがある、住むところがある、笑うことができる、など考えると、日々の生活の中で感謝を表せないことというのは無いと思います。

自分だけで生きているわけではなく、様々な自分を取り巻く環境があってこそ、生き活かされて今の自分があるということを自覚することが大切です。一人一人が当たり前のことに幸せを見出し、感謝を表すことができれば、人を危(あや)めたり、恨んだりすることは少なくなるでしょう。

世界の総(あら)ゆるものを信じ、世界の凡(あら)ゆるものを愛し、世界の総(すべ)てを善解し、身近な平和を求める私達でなければいけません。


■できることから一歩ずつ

浄土宗 宗務総長
水谷幸正

いつも年頭に思うことは「多事多端」であったということです。それにしても、昨年はひどかった。国外のこともさることながら、地震、台風、豪雨などの災害、凶悪犯罪の頻発など「五濁悪世の末法」と言いたくなります。

自然災害防御に無力な宗教者として、被災者のご苦労を癒す一燈布施行を捧げました。若い青年僧が被災地でのボランティア活動に汗を流し、同苦の行に励んでいます。

凶悪犯罪発生の理由は、社会状態・生活環境など様々であるにしても、宗教情操教育の希薄に由ると受けとめたい。教育と教化、特に家庭教育の健全化に、宗教者が一役も二役も果たさねばなりません。

言うは易く行なうは難しですが、要は謙虚にして敬虔な辛抱強い努力者を育成することです。被害者、さらには戦争で尊い人命を無くした人びとに同悲の涙を流しつつ、戦後六十年を経た宗教者は何をなすべきかを自問自答しつつ、できることから一歩ずつ着手してゆく所存です。


■命の大切さ

融通念佛宗 宗務総長
山田隆章

新年のお慶びを申し上げます。

戦争とテロで多くの尊い人命を失った昨年でありました。国内でも、幼気な児童が下校時に殺されるというような残忍で無慈悲な事件が相つぎました。また、自分で自分の命を絶つ人も五年続けて三万人を超え、自殺死願者がメールで誘い合って集合死するという事件もありました。

台風も記録的な数で日本列島に上陸し、さらに、新潟県中越地震が生じ、今なお不安や恐怖の中で怯(おび)えた生活を強いられている方々がたくさんおられます。いくら科学が発達しましても、大自然の力の前に人間の力は非力です。

私達はあらためて「森羅万象すべての力を借りて生かされている」ということに気づき、神仏を崇敬し、今あることに感謝して、自分の命を大切に、また他人の命も大切に受けとめ、奉仕の生活に生きなければならないと思います。
                                                   合掌


■世界たすけに邁進(まいしん)を誓う

  天理教 表統領
飯降政彦

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

私共天理教は、平成18年1月に勤める「教祖百二十年祭」に向けての三年千日活動の仕上げの年を迎えました。年祭を目指しての合い言葉は、「一層の心の成人」です。お教えいただく「陽気ぐらし」社会の実現を目指して、人をたすける心の涵養(かんよう)に励み、本物の信仰者を目指しております。

しかし、平和の扉を開く世紀――と人類が大きな期待を寄せた21世紀を迎えても、相も変わらず、国の内外を問わない数多くの問題を突きつけられ、厳しい世相であります。人類は重く病んでおります。

だからこそ、人々には教えが必要であり、教えをしっかり学び実践する本物の宗教者の出番なのであります。先行きが見えない、不確実で不透明な世の中で、元なる親の教えしか人類を助けていただく道はないことをあらためて確信し、世界たすけに邁進(まいしん)を誓う次第です。


■拝み合いの極楽世界に

念法眞教 教務総長
桶屋良祐

あけましておめでとうございます。昨年は、台風・地震と日本列島に自然災害が続きました。罹災された方々には心からお見舞い申し上げ、今年一年、平安であるようお祈りいたします。

昨今、国外では戦争やテロ行為での殺戮(さつりく)、国内では自分の欲望を満たすための殺人(強盗、誘拐、堕胎=少子化が叫ばれる中にあって妊娠者の二割以上)や自殺(平成15年、過去最多の約35,000人=警察の調査による)などで毎日のように人命が失われるという、誠に人の命の軽きこと甚だしい世情でありまして、人は何のためにこの世に生をうけたのか、その理由を知らない人があまりにも多いように思われてなりません。

人命のみならず一木一草に至るまで、この世の生きとし生けるすべてのものの命は天地自然の源・神仏の恵みによって授けられたものであり、私たちが、人として神仏から与えられた使命に目覚め、相手の立場に立った四無量心(慈心・悲心・喜心・捨心)に基づいた言葉や行ないや思いでもってすべてに愛を植えていったならば、そこには自然と拝み合いの極楽の世界が生まれるはずであります。

今こそ宗教者が使命を果たし、祈りと協力によって平和な世界が築かれることを心から念じ、自らも努力する次第であります。


■神様から授かったいのち

住吉大社 宮司
真弓常忠

幼児の殺害事件が絶えません。子が親を殺すというおぞましい事件も起きました。生命の軽んぜられることまさに極まった観です。教育関係者はそのたびに必ず、「いのちの大切さを教えます」と繰り返すばかりですが、その言葉の背後に宗教に対する理解が欠落しています。憲法の建前で「宗教には触れてはならないもの」と敬遠しているのでしょうが、いのちの大切さは宗教的裏付けがあってこそ理解できるものです。

ドイツ人のさる大学の教授であるお母さんが、中学一年生くらいのお嬢さんを連れて訪ねて来られました。お嬢さんのほうから質問がありました。「人は何のために生きているのですか? 神道ではどのように教えていますか?」

私は即座に、「人は、神様からいのちを授かったのですから、生きている限りそのいのちを大切に、一生懸命生きているのです」と申しましたら、彼女はにっこり笑って手をさしのべてきました。何でもないわたしの言葉を素直に理解してくれた笑顔が印象的でした。教育関係者からはこの言葉が出ないのでしょうか。



■私たちの使命
 熱田神宮 宮司
神社本庁 常務理事
小串和夫

昭和34年の夏、当地は伊勢湾台風の襲来で大打撃を受けました。古(いにしえ)より「災難は忘れた頃に……」と良く言われておりますが、昨年は記録的な台風の本土上陸、のみならず新潟県中越地震の勃発まで重なり、日本中が心痛める事態となってしまいました。当神宮の伊勢湾台風で荒れた境内は今日、幸いにして1900年来の森を取り戻し、連綿と歴史を刻んでおります。

神社の森の存在は日本の歴史そのものであり、人々は皆その土地の自然環境から身を護り、恵を得ているのです。私たちの祖先が守り伝えて来た歴史、伝統、文化を互いに敬い、理解し、そのことを子々孫々へ正しく継承していくことこそ、今私たちに課せられた使命かと存じます。

自然とともに生き、祖先の御教えのまにまに地域の方々と共に生きる心、すなわち神道の根幹を神の御心と解し、益々の精進を重ねられますことを念願いたしております。



■地球と平和を守ろう
衆議院 副議長
中野寛成

新年あけましておめでとうございます。昨年は想い出すだけでも怖くなるほどの天災、人災、戦争、テロ、事件、事故が世界中で続発いたしました。

政治や経済も人々の不安を取り除くどころか混迷を続け、私たちもまた反省しきりであります。“今年こそは!”の新たな決意をもって自らの使命を果たしたいと思います。

その中でも、地球という人類存在の根源ともいうべき大自然を、神をも恐れぬ人類の仕業によって破壊しようとしていることを先ず猛省することが必要だと考えています。

また、人々、特に青少年の心をむしばんでいる社会の荒廃を防ぎ、立て直すことも急務です。

そのために、政治家としての責務の重大さを思うとともに、特に、人々の心の問題はやはり豊かな宗教心によってしか救われないのではないかと痛感しております。

教育現場へのカウンセラーの派遣もさることながら、教育の基本に豊かな宗教心がなければ、形だけの指導になってしまうのではないかと思います。今こそ、宗教者の力と、信仰の力が広範な社会全体に発揮されることを期待してやみません。


■共生の精神こそ肝要

志帥会 会長
衆議院議員
亀井静香

昨年は自然界が猛威を振るい、各地で甚大な被害の爪痕を残しました。被災の方々がご不自由なまま年を越されたのではないかと気がかりでなりません。国家として引き続き万全の支援体制を講じることは勿論、全国民が見守り支えるという連帯意識が大切であると考えます。

また、未だに絶えないイラクや中東における紛争やテロ行為を見るにつけ「人類の平和は武力に頼って成せるものではない」と確信しております。人種・国家を超えてお互いに許し合い、生きとし生けるものの幸せを願う共生の精神こそ肝要であります。

慈悲の御心を以て共生を目指し、大宇宙の中で生かされる命の有り難さを説き、世界の平和を願ってご指導に奉じておられる宗教者の役割は、ともすると、経済力、文明力によってのみ価値観を追求する現代に於いてこそ必要であり、皆様方のご尽力に心から感謝と敬意を捧げる次第であります。

世界中で唯一原爆の被害から復活したわが国が、共生と平和を目指すリーダーとしての役割を担うため、私も共に傾注してまいることを年頭にあたりお誓いし、併せて皆々様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。


■平和と繁栄を享有できる世界を

大阪市長
關 淳一

金光教泉尾教会の皆様方には、ご家族と共に、輝かしい2005年の元旦をおえのこととお喜び申しあげます。

また、皆様方には、日頃から大阪市政の各般にわたり、格別のご理解とご協力を賜り、心から厚くお礼を申しあげます。

新しい年を迎えましたが、激動の時代に今なお、世界の各地で、テロや紛争の恐怖、貧困や飢餓の苦しみなど、人類の苦難と不幸はあとを絶たず、国の内外ともに多事多難の状況が続いております。

こうした中、人々が平和と繁栄を享有できる明るい希望に満ちた世界の実現に、宗教者が果たされる役割は誠に大きく、三宅教会長のもと、金光教泉尾教会の皆様方には、今後ますますのご活躍を期待申しあげます。

大阪市では、相次ぐ地震や台風により各地で大きな災禍が起きていることから、特に災害に強い安心・安全のまちづくりに力を注ぐとともに、今後とも、スポーツ・文化など様々な分野で世界平和と国際的な友好促進に寄与してまいりますので、皆様方の一層のお力添えをお願い申しあげます。

金光教泉尾教会のますますのご発展と、皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申しあげまして、新春のごあいさつといたします。


■誰が宗教教育をするのか

花園大学 学長
西村惠信

今年は私の6回目の当たり年で、うれしいようでもあり、先が見えてきたようであり、それこそ一休さん並みに、「目出度くもあり、目出度くもなし」というところ。

その上、45年のあいだ親しんだ大学生活からも、今春で引退となれば感慨一入(ひとしお)である。すると、今頃になって、「この国の宗教教育はこれからどうなるんだろう」などと要らぬ妄想が湧いて出てくるのである。

教育基本法の見直しということも耳にするし、実際、日本の公教育がこのままでは、これからの日本を背負って立つ子供たちは、どのような精神的支柱をもって21世紀を生き抜いていくのであろうか、と孫たちを見ていると心配になる。

独立法人化する国公立大学は、紛れもなく実学志向を強めるであろうから、そうなれば、そこら出てくる教員も、精神的基盤のない連中ばかりであろう。そう思うと、今こそ宗門立の大学が、国を救うような役目を果たすときがやって来るのではないか。宗門立の大学は、そういう自覚をもって新しい年を迎えて欲しいものだ。


■あまりにも酷い自己中心主義を目覚めさす天災

神道大教 管長
尾立聖兆

昨年度は、経済的には、期待したわりには盛り上がりが今ひとつで、景気回には未だ道遠しの感がありましたが、一流企業は決算では軒並みに高収益を上げております。

しかし、一流企業の高収益は、ほとんどが、下請け零細業者の犠牲のもとに成り立っているのが現状です。下請け業者の成り立たないような安値で強引に発注し、そのため、多くの負債を抱えて倒産した零細業者は後を絶ちません。昨年はそのような意味での倒産の多い年でありました。

近頃は、安く買い叩き、びっくりするような値段で仕入れてゆく。相手のことは少しも考えない、自己中心主義が殖えております。昔のように「下請けにも適正利潤を与え、そして自分の所も一定の利潤を得、顧客に対しても満足を得る」このような思想が滅びつつある誠に嘆かわしい時代になってきております。欠陥車と知りながら、ひた隠しに隠してしまい、死亡事故まで起こして、ようやく認めるというような、誠に呆れ返った商売道が、罷(まか)り通る現状です。

天はそれを怒り、天災が加えられたとき、人は初めて神の心を持つ人心に帰らせていただくようでございます。神戸の大震災の時しかり、昨年の新潟地震、また記録破りに多く訪れた台風災害時もしかりでございます。悪い事は子供たちのみに背負わせがちになり易い世相の中で、大人たちによる、天をも怒らす、世相混迷の原因となる自己本位、自社本位が薄れた時の、素晴らしい世の中の成り立ちのために、懸命に頑張る一年にしたいものと思っております。


■深まりゆく混迷の中から

日本宗教学会 会長
東京大学 教授
島薗 進

「いのち」が軽くなっていると多くの人が感じている。戦争(利益のための破壊、医療(弱いいのちの切り捨て)、リストラ、自殺やうつ病の増大、子殺しと子供の破壊的暴力――その原因は何か。

自らのいのちが尊ばれていないという痛みが噴出している。厳しい選別があらゆるところに待ちかまえており、「容赦ない」切り捨てが見え隠れする。

その一方で、安楽やぜいたくはますます広がっている。あまりにバランスが悪いではないか。もっと人のいのちが尊ばれ、痛んでいる者が慰められるようにしていこうではないか。

宗教者は、一人一人の痛みに向き合いながら、また、社会が抱える大きな問題を見据えてほしい。そのような痛みの場所に近づき、そこから声を上げてほしい。世界がめげていることを明るみに出して、それぞれの形で信頼回復への道を示していってほしい。


■日本は高度なモラルの持ち主であった

蔭横浜大学 教授
ペマ・ギャルポ

2004年の年末、私は台湾の李登輝前総統にお目にかかることができました李閣下は、台湾で数々の民主化を手掛け、台湾の人々のみならず世界的にも尊敬される数少ないステーツマン(政治家)の一人です。

その李閣下は「21世紀において発展し、世界に大きな影響を及ぼせるのは、高度な道徳観、つまり宗教的価値観を備えた民族である」と言いきりました。しかも「日本が本来そのような高度なモラルの持ち主であった」と日本を高く評価して下さいました。

現在の世界を見回せば、テロが拡散し恐怖と不信感が満ちています。これは憎しみや恐喝で解決できるものではありません。世界の指導者たちには特に、仏教の五戒、キリスト教の十戒などのような自らの行為を戒める道徳的基準が要求されています。

日本国内の様々な悲劇的事件を見ると、同様な精神性の欠如が原因と思われます。今こそ金光教の皆様をはじめ、宗教家が、世界平和とそれぞれの国の繁栄と発展に大きな貢献をすべき時と思い、年頭にあたり皆様のご健勝とご多幸そして世界平和を共に祈りたいと思います。


■非難し合っていては道は開けない

UFJ総合研究所 シニア・フェロー
原田和明

サンティアゴの日中首脳会談で胡錦涛主席は「日中の政治的停滞の原因は日本の指導者の靖国参拝にある」と強い姿勢で発言した。小泉首相は「大局的見地から関係改善に努める」と強調したが、今後の靖国参拝には触れず、「日本の伝統では、死ねば皆、神である」といった説明に終始した。

日中が今日のような「政冷経熱」となったのは、江沢民の反日教育が主因だと思う。南京大虐殺など実態の不明な点も多く、両国の歴史認識には大きなギャップがある。日本国内の靖国問題への世論も二分されている。対中強硬派は中国の姿勢を「覇権主義だ」と反発するが、両国が非難し合っていては道は開けない。

国際経済社会が大きな歴史的変革期にある今日、首相が靖国参拝に固執することは、日本の国益を損なうのみならず、新しいアジアの発展にも大きな障壁となる。

首相は真の大局的視点に立って、宗教を問わない国立墓地の建設、A級戦犯の分祀をあらためて検討するなどの具体策を打ち出し、日中友好の道を開くべきだと思う。宗教人の立場からも熟慮検討されて、行動すべき時であろう。



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