・・ 2006年 新春メッセージ ・・

『今、宗教者は何をなすべきか』(順不同 敬称略)

■命を尊び、他者を慈しみ
  第255世天台座主
                     渡邊惠進

金光教泉尾教会の皆様、新年明けましておめでとうございます。さて旧年は、世界各地で環境悪化が原因と疑われる自然災害が多発し、地域紛争における報道も絶えること無く、寒心のいたりにたえません。

かかる中にも宗教者は、神仏の崇高なる負託を受け、真摯な内省に立ち、「生命を尊び、他者を慈しみ、世界の静寧を」を切に祈り、自ら実践し、啓蒙すべきであると思っております。その事こそが世界恒久平和への原点にあたるのではないでしょうか。

折しも、天台宗・延暦寺は本年1月26日に開宗壱千二百年の祥当を迎えます。宗祖伝教大師は「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」とお示しになられました。私たちは、今一度これを深く自心に刻み、日々の活動の基として実行する所存でおります。

泉尾教会様には旧に変わらぬご協力をお願いし、併せて皆様のご多幸をお祈り申し上げます。


■「和の精神」の実践

  和宗 総本山四天王寺 第109世管長
                     塚原亮應

新年を迎えまして、泉尾教会の皆様のご多幸を心より祈念いたします。

聖徳太子は、「和を以って貴しと為し」と述べられております。「和」は人の世の根本精神であります。これは社会においても、隣国との外交においても、あらゆることに「和」を貴ぶべきであることを示されております。それは、「和の精神」が平和と幸福の根本をなすものであるからです。

そして太子は、この実践方法の第一として「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」とお教えになりました。篤く三宝を敬うと精神が浄まり、いつの世にも欲望の心、執着を離れて、永遠の幸せが得られるとの教えであります。

「和の精神」が実践された社会や家庭で育てられた人には、殺人を犯すような冷酷な心、人の痛みがわからない悪心が育つはずはありません。皆が相手の幸福を考えて生活する素晴らしい世界になるはずです。

憂うべき現代世相のなかで、「和の精神」を実践し、これを実践する人を育てなければならないと強く感じる次第であります。


■利他行に燃えあがらなければ

妙智會教団会長
宮 本 丈 靖

新年のお慶びとともに、「御布教八十年記念大祭五百日信行」をスタートされましたことに、心よりお祝い申しあげます。

ご信行のスローガンは『人を助けよ 燃えるいのちで』と伺っております。これは三宅歳雄先生の、「祈りと喜びは信心のいのち いのちの火をあかあかと燃やせ」とおっしゃる御心そのものと拝察させて頂きます。

昨年は世界的にテロが頻発し、民族紛争はやむことなく、また地球環境は悪化の一途をたどりました。国内的にも人心は乱れ、世情は混迷を深めるばかりでした。このような五濁末法の世を、なお一層改める努力をしなければなりません。そのために自分を捨て、他の人に尽くす利他行に燃えあがらなければ、人を助け、幸せに導くことはできません。その修行こそ自分の幸せにつながるのです。

ともに手を結んで熱と力を発揮し、1日1日精いっぱい、いのちの火を燃やし続けたいと私は心に強く誓っております。


■内なる平和なくして、本質的平和なし

    立正佼成会会長
WCRP日本委員会理事長
庭 野 日 鑛

本年は、第8回世界宗教者平和会議が35年ぶりに、京都で開催されます。WCRP日本委員会では、すでに準備を進めており、三宅光雄先生はじめ諸先生の多大なご尽力を頂いています。

WCRP[では、非武装、開発、人権、環境など、地球的諸課題に対する方途が模索されます。どれもが宗教者として看過できないものばかりです。
しかし、個々の課題に取り組むとき、単に物資を援助したり、紛争を調停するというだけでは、政府や国際機関と変わらなくなってしまいます。

宗教者の目指す真の平和は、決して外面的なものにとどまりません。1人ひとりが真実の道理に目覚め、心底から神仏に頭を垂れ、帰依する中に顕現されるものです。お互いを尊重し、合掌礼拝する中に生まれるものです。

内なる平和なくして恒久的、本質的な平和はあり得ません。このことを心に銘じ、本年も皆さまと手を携え、精進してまいりたいと思います。


真理と正義に基づく行動的愛を

カトリック枢機卿
白 柳 誠 一

私たちの生きる現代世界は数え切れないほどの多くの問題を抱え悩み苦しんでいる。それぞれ問題は異なる側面をもつが、各宗教にはそれらの問題解決の鍵、判断の基準のようなものが存在する。

キリスト教にあっては「愛」である。ここで言う愛とは感情的な甘い心の動きではなく、真理と正義に基づく、赦しを伴う行動的愛である。聖パウロの『愛の賛歌』(コリント人への手紙13章)は言っている。「たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ山を移すほどの完全な信仰があっても、愛が無ければ私は何ものでもない。たとえ、全財産を貧しい人に分け与え、たとえ称賛を受けるために自分の身を引き渡しても、愛がなければ私には何の益にもならない。愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛はねたまず、高ぶらず、誇らない。見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。愛はけっして滅び去ることはない」。

「生死一如」を宗教する者の共有のハタラキとしたい。


■皆が人間として尊重し合う

    カトリック長崎大司教
見 三 明

政治、経済、文化、宗教などは、適切に補完し合うべき人間の生活分野です。そのうちの1つが一方的にほかのすべての分野を支配するなら、バランスが崩れ、人間は不幸になるでしょう。その顕著な例がいくつかの国に見られます。

日本でも、とくに昨年から第九条を眼目とした憲法改正や在日米軍再編などが、結局は政治の力によって実施されつつあります。しかし、「軍備増強や核による抑止力は国の安全と国民の平和のためにならない」ということは、過去と現在の経験から明らかです。

宗教者は、宗旨のちがいはあっても、人間にとって根本的で重要なことがらを、神仏の名によって教え諭し、身をもって示す使命を与えられています。言い換えると、皆が人間として尊重し合い、真理と正義、愛と自由を享受する社会をつくるために、宗教者として独自の役割を果たすべきだと思います。


■心の内なる平和を外へと広める

大本教主
出 口 紅

謹んで新年のご祝詞を申し上げます。

被爆・終戦60年の昨年、「核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦実現への道の探究」を盛り込んだ国会決議が採択されましたことは、世界平和を切望する私たちにとって大変画期的な喜ばしい出来事でございました。

11月末には世界連邦平和促進全国宗教者大阪大会が貴教会を会場に開催され、全国の宗教者が「世界連邦実現への道」を真摯に探究いたしました。

特に、バチカン諸宗教対話評議会副議長フェリックス・マチャード先生のご講演の中で「人間の心の中に平和がなければ世界に平和をもたらすことは難しい」とのお言葉が強く私の胸に響いております。

唯一の被爆国である私たち日本の宗教者は、神仏への祈りの中で、まず自身の心の中に平和を築き、人種、国境、宗教などあらゆる障壁を乗り越え、世界の諸宗教と協力・連帯を進め、愛と正義と法秩序に基づく新しい未来社会構築のため、心の内なる平和を外へと広めることが大切であると存じます。

本年が平安で穏やかな良い年となりますよう心からお祈り申し上げます。


■今こそ和譲の精神を

第84代 出雲國造
出雲大社宮司
千 家 尊 祐

年の始めのためしとて 終わりなき世のめでたさを
松竹立てて門ごとに 祝う今日こそたのしけれ
初日の光さし出でて 四方に輝く今朝の空
君がみかげに比(たぐ)へつつ 仰ぎ見るこそ尊ふとけれ       
(第80代出雲國造・出雲大社大宮司 千家尊福作)

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

右の歌は、新年を迎えた清々しさ、皇室を真中に仰ぐ日本の永遠の中に生かされる喜びが素直に表わされております。

出雲大社の御祭神 大國主大神は、和譲の大御心にて、大変なご苦労をなさって開拓された国土を天孫に奉還なさいました。この和譲の精神が共存共栄の社会の柱です。

権利を主張したもの勝ちのような、自由主義という名に隠れた弱肉強食の世相にあって、今ほど和譲の精神が求められている時代はありません。大國主大神さまから教えられる和譲の精神を育てる土壌づくりがわれわれの使命ではないでしょうか。


■「大御心」を拝し

熱田神宮宮司
神社本庁常務理事
小 串 和 夫

熱田神宮の鎮座する当地愛知県は昨年、愛・地球博の開催、中部国際空港の開港等で活況を呈し、当神宮へも多くの方々のご参拝を頂きました。

わが神社界ではこの機に併せ、1300年の歴史を有する神宮式年遷宮の紹介、NPO法人社叢学会の展示「千年の森」への協力を通じ、万博来場者を「鎮守の森」へ誘うべく、教化・広報活動を展開いたしたところでございます。

また、万博ご視察の天皇皇后両陛下にはご公務ご多用の中、当神宮へ御参拝遊ばされました。その折、天皇陛下より「熱田神宮の奉護大変と思うが、遺漏なく奉仕するように」とのありがたいお言葉を頂戴いたしました。

私どもは常日頃より大御心を戴し、日々神明奉仕に勤めておりますが、皆様方におかれましても、新年を迎えるにあたり「大御心」を拝し、敬神生活にご精進下さいますよう心よりお願い申し上げる次第でございます。


■ケとハレ ――祭りの意義――

住吉大社宮司
真 弓 常 忠

お祭りの日はハレの日です。だからこの日に着る着物を晴着といい、その姿を晴姿と申します。それに対して日々の生活はケといいます。われわれはとかく日常性の中に埋没してしまいそうになりますが、一年に一度は、日常性から脱却して生命力の活性化をはかることが必要です。畏(かし)こまって祭典に参列するのも、また神輿(みこし)や山車(だし)を担(かつ)いだり、曳(ひ)いたりして、原始の興奮を体験するのも、まさに非日常的な世界に参入するにほかなりません。俗から聖に入ることです。

ケからハレへの質的転換です。それによって、人びとは自己の神性(神としての性格、聖なる性質)をとり戻し、社会生活の意義を確かめることになります。自己の神性をとり戻すとは、俗にいう「お陰(かげ)をいただく」とか「ご利益(りやく)を蒙る」ということにほかなりません。神威を畏こみ、神の恵みを仰いで、神々の加護によって生きることの喜びをかみしめ、明日の生産に希望と力を得る源泉とするのです。そこに祭祀(祭り)の意義があると申せます。


宗教家が怠惰であったから


浄土宗宗務総長
水 谷 幸 正

年頭にあたって、いつも思うことは、自然の脅威による災害もさることながら、社会世相がますます凶悪になってゆくことです。昨年も凄惨な犯罪が頻発しておりました。
どうしてこんな世の中になったのか。戦後60年、自由主義、個人主義のはき違いもありますし、政治や教育の問題もありますが、わたくしたち宗教家が怠惰であったからではないかとわたくし自身厳しく反省しております。

立派な宗教家もたくさんいらっしゃいますが、幼児、児童、青少年、そして壮年の方々への宗教教化が真剣に行われておれば、もっとよい社会になっているはずだ、という反省であります。

他のことを云々する前に、まず脚下照顧、自ら反省し、一歩一歩着実に宗教心の満ちた社会になるよう精進してゆく所存です。



自分と根源との一体性を実感したい
 高野山真言宗宗務総長
土生川 正道

昨年11月中旬、大学のレギュラーと共に10日間余イタリアを訪問した。イタリア中央神学部との交換研修が目的であり、密教の神秘体験に対する神の啓示が主題の一つでもあった。

私がこの研修で最も斬新な感懐をもったのは、神の創造にビッグ・バーンも含まれていたことである。従来の神学教理では引力や進化論は論外であったからであり、宇宙生成の原理も神の創造によることと含意すれば、すべての現象が神の摂理によることの条理性は明白となる。

近年の生物学の躍進によって、遺伝子の継続性すなわち生命の永続が論証される。それはある意味では、宗教的生命の永遠性が証明されうる状況を現出していると考えられる。

年来ご高誼を頂いている龍村仁氏は永遠で共同全一の生命の根源を「サムシング・グレート」と呼び、宇宙根源生命としておられる。

私達もより精進して自分と根源との一体性を実感いたしたいものである。


■MOTTAINAI

融通念佛宗宗務総長
山 田 隆 章

昨年はテロや自然災害で大変な年でした。

国内では列車転覆という大事故がありました。また、何の関係もない人を狙いうちにするような卑劣な事件をはじめ、幼気(いたいけ)な子供が殺されるという犯罪があとをたたず、悲しいニュースが報道されました。今年こそは平和で安寧な年になることを願ってやみません。

すでに一昨年(2004年)のことになりますが、ケニアの環境副大臣ワンガリー・マータイさんが、ノーベル平和賞を受賞されましたが、「公益のために奉仕すれば未来に希望は待っているものです。私が自らの体験から学んだのは、他人に奉仕すれば何事にも代え難い特別な幸福が還ってくるということです。」とのべられ、同時に『MOTTAINAI(もったいない)』という今の日本人が忘れている倹約と感謝のこもった日本語を環境保護の世界語にされたのです。


■宗教に関心を持たねばならない時代

天理教表統領
飯 降 政 彦

最近の日本人の宗教意識調査によりますと、神仏を信じている人は日本人の2割台といわれています。

われわれはこれまで、一生懸命に物を作り、幸せを求めてきました。しかし今は、それだけでは決して幸せになれないと、考えを改めるようになりました。

毎年3万人を超える自殺者。勉強をしない、働きもしない「ニート」と呼ばれる人が60万人。そこには心が如何に大切かということが現れており、宗教に関心はないとは言っていられない、関心を持たねばならない時代なのです。

ところで、最近のロボットの開発進展には目を見張るものがあります。しかし、如何に優秀なロボットが誕生し、人の為に働いてくれても、所詮はロボットでしかありません。人様の喜びを自分の喜びにできる心、人様が悲しんでいる時、苦しがっている時、辛がっている時に、共に悩み、相手の為に祈る心をもっているのが人間です。今の世の中、そういう心を失っている人が多く、悲しい限りです。

折しも、本年は、私共の教祖・中山みき様の百二十年祭の年。今、心の時代に、一人でも多くの人々に、教祖のお心にふれていただく機会を作るのがわれわれの使命であります。


■拝み合いの世界を具現化

念法眞教教務総長
桶 屋 良 祐

新年、明けましておめでとうございます。

日本は世界唯一の原子爆弾被爆国であり、広島・長崎合わせて23万3167名の死者を出し、今なお後遺症で苦しんでいる方が多くあります。被爆より60年の今日、世界の中には核兵器が拡散し、その武力を背景とした力の外交が行われる現状を見るに、21世紀を迎え自己中心的考え方から周りの人の幸せの為に何をなすべきか、この精神の涵養(かんよう)が最も必要なのではないでしょうか。

近年、若者の就職希望に必ずと言って登場してくるのが「人のため」「社会のため」というキーワードであると聞きます。これらの素晴らしい力を活かすも見過ごすも先導者の双肩にあることを痛感いたします。それには先ず宗教者が和合と祈りを以って排他的精神を廃し、あまねく全てのものに愛を施していくという精神に立ち返ることで全ての人々に手本を示していくことが強く求められていると感じるのであります。

人々が助け合う拝み合いの世界を具現化していくため、自ら先ず自問を続け、実践と祈りに邁進(まいしん)する次第であります。


■人間味ある社会を取り戻すために

  国務大臣 防衛庁長官
衆議院議員
額賀 福志郎

新しい年を迎え、皆さまのご多幸とご繁栄を心からお祈り申し上げます。

昨年は戦後60年の節目の年に当たりましたが、わが国は、戦後の混乱を乗り越え、世界でもまれに見る驚異的な経済成長を成し遂げ、平和国家に成長いたしました。しかし、その反面、多くの国民は、何か大切なものを失ってしまったのではないかという空虚感を抱いているようにも見えます。

最近の社会風潮を見ましても、先行き不透明による不安が広がる一方、家族や社会における人間関係の思いやりや暖かさが失われ、精神的荒廃が目立って参りました。

このような社会不安を解消し、国民生活の向上を図ることが、政治に課せられた使命であります。私は微力ながら、さまざまな社会的、国家的諸問題と取り組み、家族愛とか隣人愛とか人間味ある社会を取り戻すために全力を尽くしたいと思います。

今後、国民一人ひとりが宗教的情操を基盤とした人間形成を築いていくことがきわめて大切であり、現代ほど、宗教者の使命が問われている時はないと思います。

泉尾教会の皆様におかれましては、日ごろご指導頂いている尊い御教えをもとに、使命達成のため一層のご精進に励まれるようご期待申し上げます。


■思いやりあふれる社会づくりに

大阪府知事
太 田 房 江

金光教泉尾教会の皆様には、ご家族とご一緒に、輝かしい2006年の元旦をお迎えのこととお喜び申し上げます。

また、皆様には、日ごろから大阪府政の推進に格別のご理解、ご協力をいただき、厚くお礼を申し上げます。

さて、現代社会におきまして、私たちは物質的な豊かさや情報化の進展等による生活の利便性の恩恵を享受していますが、一方で、地域社会における人と人のつながり、ふれあいの希薄化が進み、痛ましい事件・事故も続発するなど、人々は日々の生活に様々な不安を抱きながら暮らしているのが現状です。

このような中、皆様には、強い信心のもと、心の豊かさを求め、人の絆を深めるため、様々な活動に取り組んでおられます。皆様のご活動を大変心強く思いますとともに、地域社会において、慈しみの輪が大きく拡がり、思いやりあふれる社会づくりに引き続き力を尽くされることをご期待申し上げます。

結びに、金光教泉尾教会の今後ますますのご発展と、皆様のご健勝ご多幸を心からお祈りいたします。


■宗教者の果たす役割は大きい

大阪市長
關 淳 一

新年、あけましておめでとうございます。

皆様方には、ご家族とともにお健やかに新春をお迎えのことと、心からお喜び申しあげます。

「心の世紀」といわれる21世紀に入ってからも、国際社会の平和と安定は今なお大きな危機に直面し、人類の苦難と不幸は依然としてあとを絶たない状況が続き、国の内外ともに人々の生命や財産を脅かす事件や事故が相次いでおります。

こうした中、世界の人々が恒久平和を希求し、相互に理解を深め、尊重しあい、幸せに暮らせるようにするために、宗教者が果たされる役割は誠に大きく、三宅教会長のもと、金光教泉尾教会の皆様方の一層のご活躍を期待申しあげます。

私は昨年、多くの皆様方の温かいご支持、ご支援を賜り、再び大阪市長に就任させていただきました。新しい年を迎え、改めてその使命と責任の重さに身の引き締まる思いがいたします。

皆様方の期待と信託にこたえ、決意も新たに様々な改革を実行し、住み働く人々がいきいきと輝き、ゆとりと豊かさを実感できるまちづくりを進め、内外から多くの人材が集まる創造都市の実現をめざしてまいりますので、今後とも皆様方のご理解とご協力を賜りますようお願い申しあげます。

金光教泉尾教会のますますのご発展と、皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申しあげまして、ごあいさつといたします。



せちがらい、いや無惨な世界がじわりと身近に
東京大学教授
島 薗 進

「官から民へ」というかけ声のもと、自己責任・自己負担の圧力が強まってきている。医療費の負担増が話題になったが、アメリカではかなりの人々が保険に入るお金を節約せねばならず、したがって「病気になれない」生活を送っている。

それが当たり前で、「あなたの責任」だというのが、「小さな政府」への動きの底流にあるものだ。すぐ近くに大富豪と低所得者が並び合う社会は、その中間あたりにいると感じている人々にとっても楽ではない。殺伐とした気配があらゆるところに漂う。

そこで何とか豊かさを囲い込もうとするが、これも一時しのぎだ。地球の人々全体が幸せになれる(その希望をもてる)ような社会の展望が示せなければ、この危機的事態は克服できないだろう。宗教家や学者の出番である。ビジョンを示し、説得できる可能性はないわけではない。


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