■人間救済への実践を積極的に
新年明けましておめでとうございます。昨年夏には日本宗教界の皆様とともに、比叡山宗教サミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」を開催いたしましたが、金光教泉尾教会三宅教会長様にも、常任委員として尽力いただきましたことを心より御礼申し上げます。
私どもが5カ年にわたって厳修いたしてまいりました天台宗開宗千二百年の記念行事も本年3月をもって終了いたします。この間、お授戒を中心事業として、混迷を深める日本社会に「あなたの中の仏に会いに」をスローガンとして止悪作善の道を示し、「己を忘れて他を利する」慈悲行の実践を勧めてまいりました。
しかしながら、日ごと見聞きする報道の多くは、誠に憂うべき寒々とした内容であり、私どもの力の至らなさを見る思いでございます。
宗祖最澄上人は「一目の羅、鳥を得ること能(あた)わず」と遺(のこ)されております。これは「衆生の済度とは一つの教えだけでは成就できず、多くの教えや手段のネットワークにより成就する」という意味かと存じております。このような事からも、私ども宗教者はともに手を携え合い、協力しあって衆生救済の大願にむけて進むべきものと存じます。
泉尾教会様にも、倍旧のご厚誼とともにこの大願成就へのご支援ご尽力をお願い申し上げます。
末尾になりましたが、金光教泉尾教会様のいよいよのご隆昌と皆様のご多幸をご祈念申し上げ年頭のご挨拶といたします。
■人と人との結びつき
金光教泉尾教会におかれましては、布教八十周年の御慶事を経て、本年は百周年に向かって力強い第一歩を踏み出される記念すべき年をお迎えになりました。
絶えず世界に向かって有意義な平和のメッセージを発信し続けられる姿勢に、日頃から深甚な尊敬の念を抱いております。
国内的にも、国際的にも、人間同士の不和と抗争が常態化し、カリユガ(註:「暗黒の時代」ヒンズー教の説く末世)の恐ろしい地獄が日常的に現出しております。
人間同士の信頼関係を再構築するためには、いま頓服的な即効薬はなさそうです。地道ではあっても、家族、地域社会、信仰の集まりなどで接する人と人が互いに相手を認め、尊重する日常の生活態度の転換から出発せねばならないでしょう。
国家とか民族同士でも、この基本姿勢になんら変わりはないと思います。
■自他不二の精神で
平成二十年の新年を平和裡に迎えることができましたことを、心よりお喜び申し上げます。
しかし、これは目下の日本の現状だけで、地球的グローバルな視野では、宗教に起因する争いがテロという無慚(むざん)な行為によって主張され、異なる宗教の人たちの心胆を寒からしめています。
日本は、元来「大和の国」あるいは「和国」と呼ばれ、大いなる和(やわらぎ)の精神に満ちた国でありました。天照大神(あまてらすおおみかみ)は和魂(にぎみたま)、それに対して弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は荒魂(あらみたま)、荒振る神で黄泉(よみ)の国に追放されました。日本人は戦争よりも平和を望んだのです。
後の時代の聖徳太子も、十七条憲法の第一条に「和を以て貴しと為す」と述べられておりますが、これは、平和精神はもちろんのこと、「日本の本来の神さまの和魂を尊べ」と言うことだと、私は考えております。この理想を第二条では、「仏法を敬うことによって実現できる」と述べられているのです。
仏法というのは、無我であります。無我ですから他者との区別はありません。他者も我(われ)なのですから、他を害することは己(おのれ)を痛めることと同じです。世界平和への唯一の道である自他不二の精神、これを説くことが、今、われわれ宗教者に課せられた使命であると思います。
■己(おのれ)を知る
世の中で、なにが難しいといって、自分を正しく観ることほど難しいものはありません。
甘くすると、すぐ自惚(うぬぼ)れる。驕(おご)りたかぶる。料簡が狭くなる、鼻持ちならなくなる。といって、一寸(ちょっと)厳しく観ると、いじける、落ち込む、僻(ひが)みっぽくなる。
なんとも扱いにくい次第。
ですが、自分を正しく見ることをしない限り、真実を観ることはできません。
自分が自分に気づくのは、自分の中の自分です。
もう一人の自分が、素直な自分になった時、正しい自分が観えてきます。
素直な自分―それは、あなたが自分でみつけだす以外ありません。
驕(おご)れる人間から謙虚(けんきょ)な人間へ
平成二十年の新春をお慶び申上げます。
金光教泉尾教会の三宅光雄先生、善信先生には、すべての人の幸せを願って世界平和活動を積極的に推進していただいていることに最大の敬意と感謝の念を抱いているものであります。
先(さき)の不幸な戦争が終って六十余年経ちますが、心の荒廃(こうはい)が未だに尾を引いているように思えます。
世界平和という永遠の理想に向って、知識、道徳、宗教等人間が持っているあらゆる英知をしぼって平和実現のために努力しなくてはなりません。
「驕れる人間」から「謙虚な人間」へ、この変化こそ平和実現への第一歩であると思います。
■宗教者の使命と誇りを胸に
昨年は「布教八十年記念大祭」ならびに「国際宗教同志会創設六十周年記念総会」など、さまざまな大行事をつつがなく修められ、誠におめでとうございます。また日本宗教界のため、さらには世界平和実現に向かって日々ご努力くださっておられますことに心からの敬意を表します。
さて、昔から「月日の経つのは早いもの」と申しますが、元号が変わって今年ではや20年。その間に私たちは21世紀の幕開けにも立ち会いました。しかし、時の流れに反して私たち人間は、相も変わらず欲に溺(おぼ)れ、争いに明け暮れております。そんな自然の理(ことわり)に叶わぬ営みを続ける人間は、いまや希望に燃えて迎えるはずの新年にも、先行きの不安ばかりを募らせてしまうというありさまです。
そこで私は、平成二十年の年頭に『迷わず 焦らず 精進努力』という言葉を掲げました。
そもそも、迷いや焦りの原因は、信心の欠如にあります。そして信心の欠如は、感謝の無さの表れに他なりません。
混迷を深めるいまこそ、私たち信仰を持つ者一人ひとりの信心が試される時が来たのです。私は、いまこそ各自がさらに感謝を深め、信心を堅くし、少しも迷ったり焦ったりすることなく精進を重ね、率先して世の柱、土台とならなければならないと確信しております。
本年五月、私は平和都市・広島に世界各地から宗教者をお招きして「子どものための宗教者ネットワーク」第3回フォーラムを開催させていただきます。問題山積の国際情勢ではありますが、ここでも、迷わず、焦らず、私たち一人ひとりが世界を平和に照らす光明となるよう祈りを捧げ、行動させていただきます。
宗教者の使命と誇りを胸に、ともに世界平和を目指して邁進(まいしん)いたしましょう。
■真の問題解決は内省から
あけましておめでとうございます。
国内外には、いまだに看過できない問題が山積しております。その原因を探る際、人はつい、「社会が悪い、国が悪い、周囲が悪い」と責任を他に向けてしまいがちです。
例えば、道を歩いていて石につまずいた時、人には3つの反応があるといわれます。1つは、自分がうかつであった、不注意であったと反省する人。次に、石に腹を立てる人。果てには、石を置いた人を恨む人。宗教的にみれば、やはり自分を省みることが大事でありましょう。
この世の諸課題も、自らに原因の一端がないかを振り返ることが欠かせません。お互いに、そうした態度をとって初めて、真の解決に結びつくのであります。
問題に直面した時、自分がうかつであった、不注意であったと受け取り、まず自らを変えていける一人ひとりでありたいものです。
■「われよし、つよいものがち」では…
謹んで平成二十年戊子(つちのえね)の新春のご挨拶を申し上げます。
昨年、月探査衛星「かぐや」から送られてきた、私たちの住む美しく青色に輝く地球のあざやかな映像を見たときの感動は、いまだに記憶に新しいところでございます。
宇宙から見ればこの上なく美しく輝く地球(ほし)ですが、地上は異常気象による自然災害が頻発し、飢餓、貧困、病、紛争、テロ、暴力などが後を絶たず、いたるところで生命の尊厳が軽んじられ、「われよし、つよいものがち」が世界中に満ちあふれています。
出口直(でぐちなお)大本開祖は、明治二十九年旧12月2日「解(わか)りた人民から改心をして下さらんと、世界の人民三分(さんぶ)になるぞよ」と啓示しましたが、開祖の言葉は、いまこの時代のことを示されたのではないかと思われてなりません。
世界の状況を見ますと、私たちに残された時間はそう多くはありません。人類は一刻も早く心と行いを改め、善(よ)き事は出来ることから即実践にあたらねばなりません。私どももその覚悟と自覚を持って、皆さまと共に新たな年を精一杯励ませていただきたいと存じます。
■眠っている神性を引き出す
金光教泉尾教会の皆様、新年のお慶びを申し上げます。
世界は今なお、紛争やテロ、差別、貧困、地球温暖化など、さまざまな問題を抱えています。このままでは、地球の近い将来すらも危ぶまれる状況です。しかし、あらゆる技術を駆使して、それらを表面的に解決したとしても、人類一人ひとりの心が変わらない限りは、いつかまた同じことが引き起こされてしまうだけであります。
今、宗教者がなすべきこと―それは、真の祈りを通して、人類一人ひとりの内部に眠っている神性(仏性)を引き出すことであると思います。そのためにも宗教者が一丸となり、また多分野の精神性の高い方々と手を携えて、真の祈りの力を示すことが重要であります。
世界は混迷を極めていますが、その一方で、宗教を超えて、祈りの力を認める方々も現われはじめています。そのような時代を迎え、今年も皆様と共に、真の祈りの道を歩ませていただける栄誉に、深甚なる感謝を捧げるものであります。
■くり返しを喜び くり返しを恐れつつ
新年を迎えるにあたり、私がいつも心に思い浮かぶ言葉の一つに「くり返しを喜び くり返しを恐れつつ」があります。これは、以前先輩より送られた年賀状に寄せられた言葉でありました。
先輩の真意を伺ったことはありませんが、私なりに解釈いたしますと、「くり返しを喜び」は、生まれてよりこの方、物心がついて以来、繰り返し新しい年を迎え、歳を重ねてきたことを、素直に喜びたいということでありましょう。
次に続く「くり返しを恐れつつ」は、毎年同じように新しい年を迎えることを、徒(いたずら)に惰性に流されることへの戒めでありましょう。
つまり、自らへの問いかけ無くしては、前向きで自発的な生き方は成し得ないと思うのであります。
現代社会は他を顧みることない自己中心的な考え方や主張にとらわれ、その結果として自らを傷つけ、他を傷つけ、まさにいのちの尊厳が損なわれる憂慮すべき状況にあります。宗教者として何をなすべきか、様々の視座や取り組みもありましょうが、私は先の言葉を深く味わいながら、在り様を自問自答し、今年も歩みを進めてゆきたいと考えております。
合 掌
■感謝・慎み・たすけあい
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
二十世紀は、ひたすら物質の豊かさを求めて歩んできた時代でありました。このような中で、現代の日本人は莫大な量の、刺激的な情報に振り回されております。
情報化の進行はバーチャルな世界を蔓延(まんえん)させていきますが、それは人間として生きることの本質を見失わせ、いのちを粗末にする傾向が世相にも顕著に表れているように思います。
ここに、二十一世紀は「心の時代」といわれる所以(ゆえん)があります。人のいのちの尊厳は、教科書を通して学校教育の中でも徹底して説かれていますが、現実には、人権や環境などの諸課題に示されているように、人間の拠って立つべき拠り所が失われているとしか言えない事件や、社会的な事象が発生しています。
多くの課題を前にして、私共は、まずは家庭の中、教会の中から子や孫に生き方の手本を示していくことが、宗教者・信仰者の急務であると実感しております。
今年も、私たちが掲げるスローガン、「感謝・慎み・たすけあい」の実践を通し、宗教者として、人間が生きていくことの意味を世に広めていき、本当の意味での世界のたすかりを目指し、邁進(まいしん)していく次第であります。
■ 人類が悪を越えなければ
新年おめでとうございます。
新しく年が明けると、いつも「今年はこれまでよりもすばらしい世界が開け、身近な生活にもよいことが訪れるのではないか」と希望に包まれます。
しかし、地球全体で現実は大変な悪や悲惨に満ちています。「悪」は、誰でもそれと見分けることができる明々白々のものと思うのですが、どうして人間は次から次に悪を生み出すのでしょう。臓器売買、児童虐待、親族間殺人、テロと無差別殺戮(さつりく)、戦争、核兵器の保有、環境破壊、貧富の格差拡大への無頓着など。
これら悪の広がりの背後には、時々、悪を悪と認識できていないかのような事例もあります。しかし、その奥をのぞくと、その源泉にもっとも深い悪性が隠されているのを感じざるを得ないのです。「悪を捨てなさい」と力強く訴えることができるのは、みずから悪を退けようと真摯(しんし)な努力をしている宗教者以外にはないでしょう。善そのものである神を信じるからです。
■共生させていただく
私たち人類は、この地球の上で生かされています。この地球を大切にし、自然を守らなければなりません。
大自然を征服した錯覚に陥り、感謝もせずわがもの顔で、好き勝手なことをしてはいないでしょうか。そのしっぺ返しのように地球温暖化現象が現れ、まるで自分の首を自分で絞めているようです。
今一度、生かされている人類であることを思い出したいものです。
自然の中に生かされている私たちは、自然を大切に、地球上の生物と共生するのではなく、共生させていただく、その心が大切であります。
「大自然を征服する」などできないのです。
驕(おご)り高ぶる心には、地球を守ることも、世界の平和への道も遠く果てしないのではないでしょうか。
今年から世界の国々が京都議定書に基づいて温暖化防止に取り組みます。
まずは仏教者が手本を示したいものです。
■ 宗教心によって育まれる豊かな人生
新年明けましておめでとうございます。
三宅教会長を始めとする金光教泉尾教会の皆様方は、宗教による心の平安だけにはとどまらず、教育、文化、環境、社会福祉、国際平和活動をはじめ多岐にわたる分野で非常に重要な役割を果たされて参りました。
現在、日本国は、世界でも有数の「経済的に豊かな社会」を実現することができました。
しかし、残念なことに、その一方で三万人を超える自殺者の問題、心の荒廃、凶悪犯罪、青少年問題、倫理観の低下などが深刻な社会問題として山積しております。
私ども政治家を含めて多くの方がたがこれらの問題の解決のために懸命に努力しておりますが、そのためには宗教界を担う皆様方の叡智によるご助言、ご指導、ご協力が是非とも必要だと考えております。
また、宗教および宗教的行事を通じて育まれるすなおな信仰心や生命の尊重、自然に対する畏敬の念、他者への感謝や慈愛の気持ちによって、私たち一人ひとりが真に豊かな人生を歩めるのではないでしょうか。
皆様におかれましては、日ごろの献身的な宗教および社会活動に対して深甚なる敬意を表するとともに、今後のご健勝、ご活躍を心よりご期待申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
■ 人々の行動規範を変える力を
金光教泉尾教会のみなさま、新年明けましておめでとうございます。昨年はご布教八十周年のお慶びの下、新たな意識に燃えて充実した一年を過ごされたことと存じます。
今年は洞爺湖畔で「G8サミット」が開かれますが、三宅善信総長が事務局長を務めておられます「G8宗教指導者サミット2008」がそれに先立って開催されますことは、誠に意義深いものです。
なぜならば、このサミットの最大のテーマは環境問題だからです。例えば、世界の政治指導者は温室効果ガスの抑制について、「いつまでにどのくらい減らすか」を決めることができますが、大変に漠然としていますので、すぐに人々の行動規範が変わるとは思えません。
それに対して、世界の宗教指導者が発するメッセージは、一人ひとりの心に届き、その日から人々の行動規範を変える力を持っていると確信しています。世界の要(かなめ)としてのお仕事に心から敬意を申し上げ、ご活躍をお祈りしています。
世界では異なる宗教同士の衝突による戦争が未だに止みません。愚かな政治家の成せる業ですが、政治家が真の宗教の心を持ち、世界の平和に貢献できますように、金光教泉尾教会のご指導をこれからもお願い申し上げます。
■ 心の豊かさを大切に
金光教泉尾教会の皆様には、ご家族とご一緒に、輝かしい二〇〇八年の元旦をお迎えのこととお喜び申し上げます。また、皆様には、日ごろから大阪府政の推進にお力添えをいただき、厚くお礼を申し上げます。
さて、近年、地震や風水害、暮らしの安全を脅かす事件や事故が頻発し、多くの方々が日々の暮らしの中で様々な不安を抱えています。このような中、皆様が、強い信心のもと、心の豊かさを大切にされていることを大変心強く思っております。
大阪府では、災害への備えや防犯対策の充実など府民の皆様が安全に、安心して暮らせるよう、積極的に取り組んでいるところです。皆様には、今後とも大阪府政の推進に一層のご支援、ご協力をお願い申し上げます。
結びに、金光教泉尾教会の今後ますますのご発展、皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りいたします。
■ 人と人とが暖かく触れ合える世界を
新年、明けましておめでとうございます。
皆様方におかれましては、ご家族とともにお健やかにお過ごしのこととお喜び申し上げます。
今の世界の状況を見ますと、地域紛争や民族紛争が後を絶ちません。死傷者の数は数え切れず、紛争地を逃れる難民も急増しています。また、テロによる無差別殺人も毎日のようにニュースで伝えられています。
また、国内を振り返っても、悲惨な家族内殺人や暴力、子どもや高齢者など社会的弱者を狙った犯罪が相次いでいます。
こうした中、世界の平和を取り戻し、人と人とが温かく触れ合える世界を築くためには、宗教者の果たす役割はこれまで以上に大きいと思います。
三宅光雄教会長をはじめ、金光教泉尾教会のみなさまのさらなるご活躍をご期待しております。
昨年、みなさまのご支援により大阪市長に就任しました私は、市民一人ひとりが大阪に誇りを持ち、老若男女を問わずみんなが心豊かで、明るく、元気な毎日を過ごせる大阪にしたいと考えております。今後ともみなさまのご指導、ご協力をお願い申し上げます。
最後に、金光教泉尾教会のますますのご発展とみなさまのご健勝、ご多幸を祈念し、ご挨拶とします。
■ 医療崩壊
「医療崩壊」という言葉が飛び交っている。産婦人科医が不足しているが、過剰労働や訴えられる危険で医師のなり手がないようだ。病院では「患者さま」というところが多くなった。
冗談だが、「最近の医師は患者さんの顔を見ない。患者さんがこわいからだ」と聞いた。「消費者は王様です!」と言われたのはもうだいぶ前のことだが、医療の世界でも「お金を払う人こそ主人」という考え方が優勢だ。
アメリカ流の市場経済万能主義が医療の世界に入り込んで、これまで医療を支えていた「いのち尊重」の価値観が維持できなくなっている。アメリカのように、お金がないと医療を受けられない社会に移ろうとしているのではないか。
生命科学研究の分野では、資本主義的な営利の力がもっと強力に働いて、「人間改造」への圧力が強まっている。昨今、宗教界が「生命倫理」に取り組む姿勢を強めているのは、「いのち軽視」の状況がこんな方面からもひしひしと感じられるからだろう。