■己を忘れて他を利する
明けましておめでとうございます。泉尾教会ご関係の皆様には恙(つつが)なく平成二十二年の初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
過ぐる年も経済不況が喧伝されるなか、格差・貧困問題など現代社会の歪が問題視され、自死者も減少が見えず、誠に心痛む思いであります。
かかる折なればこそ、われわれは人間社会のあり様の原点に立ち返り、相互扶助すなわち支え合い、助け合いが生存の必須条件であることを思い起こさねばなりません。一人では生きられない、生活も生存すらもおぼつかないことを自覚・自認すべきと存じます。
比叡山の開祖、傳教大師の御教え「己を忘れて他を利する」の意味するところを改めて考え、受け止めることが大事な時期と思えてなりません。これは、自己犠牲・他者救済を徹底する菩薩の心構えとされますが、吾人にとっても応分の自己犠牲をいとわず、欲望も程々に抑制し、他者への思いやり・気づかいを優先することで「共生」の大切さを示す普遍の方向性と申せましょう。
現代生活は、神仏のご加護のもと大自然の恵みと助け合いで成り立つもの、私も老骨ながら読者諸氏ともども希望に満ちた、明るく平和な社会実現のために努めたいと存じております。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
■すべての命が輝く世に
2009年は私共の信奉する日蓮聖人が、時の政権である鎌倉幕府に対して、『立正安国論』という論文を提出して、行政の反省を求めてから、750年の記念すべき年でありました。私共、法華経の比丘、比丘尼の修行者及び壇信徒は、一同にこの750年を如何に有意義に過ごし未来へ伝えるべきかを協議して、平成二十一年10月10日より11月23日まで京都国立博物館に於いて、『日蓮と法華の名宝』展を開催し広く全国へ広報いたしました。
この立正安国論の中に「天下泰平国土安穏は君臣の楽(ねが)う所、土民の思う所なり、夫(そ)れ国は法に依りて昌(さか)え、法は人に因(よ)りて貴(たっと)し」とあります。今、国の内外に於いては、平和であるようで平和でなく、職業に不安を感じ、失業で失意して、自らの命を殺(た)つ、親が子を、子が親を虐殺、無差別に人の命を奪う、テロ国家と称して暴力、武力と侵略の繰りかえし、天下は泰平ではありません。
国際社会の平和、武力のない国、核のない世界の安定を積極的に願い、多くの人たちが国土の安穏を祈る。日蓮聖人の言葉の中に「一人の心なれども、二ッの心あれば其の心も一ッ心なれば必ず事成ず」とあります。
人々が恒久平和を望み、人々が相互の理解を深め、尊重し合い、心の豊かさを大切に生きられる世界、すべての命が輝く世の中にすることが、宗教者の果たせる役割だと思います。
結びに、金光教泉尾教会が光雄教会長を中心に、善信総長台下のもと、ますますの発展と信徒一同のご健勝を心から祈念し、私の願いといたします。
■見えないものが大事
平成二十二年の新春、お慶び申し上げます。
貴教会が平和実現のために世界的な活動をなしてくださっていることに厚く喜びと感謝をいたしております。
科学の力で物質文明は際限なく発達しておりますが、人間には「心」という厄介なものがあります。これがたえずゆれ動いて善の方へ行くかと思えば悪の方へ飛んで行ったりいたします。この見えない「心」というものに、神仏を敬う気持ち、命ある今を喜び命の大切さを思う気持ちを植えつけなければなりません。
この見えない神仏とか心とか命というものが最も大事なのです。見える世界はごく限定された小さい世界です。見えない世界こそが無限に広がっていく大きな世界なのです。
年間3万人を超える自殺者が出ている日本は病気にかかっています。「宗教軽視症候群」です。宗教界はこの病気の予防治療に専念せねばなりません。
貴教会の念願である「世助け、人助け」運動が益々大きく輪を広げ、明るい未来のかけ橋となっていただくよう期待をいたしております。
■世界平和を目指し熱と力で前進
新年、明けましておめでとうございます。
去年は3月に三宅龍雄先生の「三年祭」、また8月には三宅歳雄先生の「十年祭」を挙行され、さらに秋には「立教百五十年大祭」を無事に終えられ、何よりのことと存じます。
私ども妙智曾教団も本年3月に「宮本ミツ・会主二十七回忌法要、10月には「開教六十周年」を迎えます。ご承知のように妙智曾教団は昭和二十五年10月12日に発会し、今日まで会主の大願であった世界平和実現を目指してまいりました。区切りとなる本年はさらなる躍進を誓って修行指針を「世界平和をつくる 熱と力で精進努力」と定めました。
去年、オバマ米国大統領の平和に向けた構想により、世界は新たな一歩を踏み出しましたが、この歩みを続けるために必要となるのは「熱と力」。いわば三宅歳雄先生が終生唱えられた「世助け、人助け」の偉大なるご精神そのものといえます。
いまこそ私たち宗教者が心を一つにして手を携え、一日もはやく世界平和が実現するよう祈りと行動をともにいたしましょう。
人間の荒廃に歯止めを
18世紀中期から19世紀中期にかけて、産業革命がヨーロッパの国々に広がってゆきました。これは科学技術の発達に拍車をかけ、いわゆる先進国で大工場が次々に設置され、大都市への労働人口の集中をもたらし、家族形態を変化させ、都市風俗を生み出し、製品を売るための流通機構の拡大とともに、経済競争を世界規模で広げてゆきました。
日本でも科学技術や営業にたずさわるハイタレントマンパワーが求められ、学校教育の片寄りを生じさせ、エリート指向が著しく強化されました。全人教育が出来なくなり、教育の場が、成熟した人間を育てることから大きく逸れてゆきました。その結果、社会は荒廃の一途をたどっています。
宗教者の力が、今どこに注がれなければならないかを、おのずから語る現象なのではないでしょうか。宗教者は結束して、人間が人間として成長するように努力する必要を痛感いたします。
■核なき世界を目指して
謹んで新春のお慶びを申しあげます。
昨年9月、国連安全保障理事会は「核なき世界を目指す」というかつてない決議を採択しましたが、私どもはそのひと月後の10月、日本古来の平和の神事「鳥取大本歌祭」を鳥取市にて催し、全国から寄せられた平和を祈る和歌が朗詠され、私もともに世の平安を祈らせていただきました。
その鳥取にて終戦直後の昭和二十年末、曾祖父出口王仁三郎は、新聞記者の取材に対し「いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある」と未来を予見し、日本の使命を語っております。
核兵器や戦争のない世界、自然環境が護られた美しい地球を次世代の子どもたちに残すのは、私たち宗教者の義務であり大きな責任でございます。今年も皆様方と手を携えて世界の平和のため精一杯の努力をして参りたいと存じます。
■「宗教心」と「信仰心」
私は、毎晩行っていることがあります。
今日、嬉しかったこと。今日、感動したこと。今日、感謝したこと。
これを探すことです。簡単なようで、続けることの難しいものです。
「無宗教」と言われる方も日本には多くあります。宗教=宗教団体という考えからくるものではないでしょうか。「宗教心」と「信仰心」という言葉を、私は使い分けることがあります。宗教心とは、信じる宗教の教えに基づいた心。信仰心とは、人間の持っている神仏を崇め信じる心。道徳に近い考え方。
毎晩行っていることは、信仰心をベースに宗教心を加えたものになります。生命を大事にすること、他を敬うことなど人間の理(ことわり)は、無宗教と言われる方も持っています。しかし、昨今、ここの心・価値観が違ってきているのでは、と…。
信仰心の再建(たてなおし)、宗教心の必需性に気付いていただくことが、宗教者に求められてきていると考えるところです。毎晩、確かめてみませんか。
■日本人のこころ「寛容の精神」
謹んで新年の賀詞申し上げます。
三宅光雄教会長様、三宅善信総長様をはじめ皆様には、日頃から諸般の事共に関しまして格別のご理解ご協力を頂きますこと、あらためまして厚くお礼申し上げますと共に、本年も相変わりませぬご厚情を賜りますようお願い申し上げる次第です。
さて、21世紀を迎え、はや9年の月日が経ちました。
9年前、世界の国々が新しい世紀に希望をつなぎ、これからの一歩を踏み出しましたが、現実の世界は益々混迷を深くしています。国際社会が抱える問題は今や一地域のことだけではなく、地球的規模にまで広がり、人類共通の課題となっています。
そのような中、私たち宗教者は何をなすべきでしょうか? 宗教者の使命と役割とは何でしょうか?
日本人は古来、「神か仏か」ではなく、「神も仏も」という寛容の精神を大切にしてきました。
今こそ、世界中の人々すなわち宗教者という枠を超えた信仰者=全人類が、寛容の精神を以って共に神仏に祈り、自然と共に生き、地球が抱える大きな問題を一丸となって解決してゆかなければなりません。
私たち宗教者は、その先頭に立ち、何が本当にできるのかを真摯(しんし)に胸に刻み、行動に移すときではないでしょうか。
■命の尊さに目覚める教えを
謹んで新年のお慶びを申しあげます。
現代社会が抱える問題は、格差問題、自死問題、環境破壊など、問題は複雑化しています。その原因の根底には、他を顧みない自己中心的な考えが強く反映されています。殊に憂慮すべきは、物質的な利害得失が優先され、人と人との絆(きずな)や命の尊厳といった、目に見えない事柄への感謝や畏敬のこころが失われつつあることです。
現代は、無宗教時代とも言われます。しかし、宗教的ニーズは高まっているはずです。それは何故か。宗教は、一人ひとりが命の尊さに目覚める教えだからではないでしょうか。混迷を深める世の中において、私たちに求められる役割は非常に重いものがあります。私たち宗教者が、その灯火となるよう、あらゆるいのちの繋がりの中で生かされていることを現代社会に伝えていく責務があるのではないでしょうか。
合 掌
■家族団欒(だんらん)を家庭から世界へ
人間関係が益々希薄化し、本来最も信頼し、助け合うべき家族同士さえバラバラになり、甚だしきは、争い、傷つけ合う世の現状は、実に憂うべきものがあります。
天理教では、世界中の人間はみな神の子として兄弟姉妹であり、互いに助けあって明るく陽気にくらす世の中こそが、人間生活の目標であると教えられます。その神人和楽の姿は、まさに究極の家族団欒と申せましょう。
社会が流動化し、心の絆(きずな)が弱まりがちな今日ですが、それだけに家族団欒の大切さを忘れてはならないと思います。そのためには先ず、家族の核である夫婦の和が欠かせません。夫婦が互いに補い合い、助け合う姿が家庭の治まりをもたらし、それが子や孫にも映り、周囲に及んで、信仰家族、人類家族の助け合い、団欒へと繋がると信じます。
私共は今後とも、全人類が兄弟姉妹として、互いに助け合う明るく活気に満ちた世界を実現すべく努めてまいりたいと存じます。
■「利他行」を広げ、幸せな感謝の日暮らし
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
昨年、民主党政権が生まれました。国民が変革を求めた結果でありましょう。
ところで、現代を眺めますと、生活の中心は自分の幸せで、「形の幸福」を求めて行動している人が眼に付きます。政権交代もその延長線上にあるのではないかと危惧しています。
新政権が子育て支援に取り組むことは、大変結構なことです。与えられる物は多い方が良いに決まっています。しかし、各家庭にお金がないから子供が少ないのでしょうか。物質的豊かさを求め続けていることも、少子化の一因のように感じています。子育ては、親が子供に「無償の愛」を注ぐものであり、「形の幸福」とは対極の位置にあるからです。
人は一人では生きていけません。周りの人も幸せになって初めて「自分も幸せ」と言えるのではないでしょうか。
両親に、家族に、会社や社会の人々に心からの「利他行」をさせてもらいたいものです。
■「世助け人助け」は政治にとっても大切な使命
金光教泉尾教会の皆様、新年明けましておめでとうございます。皆様方におかれましては、お健やかに新春をお迎えのこととお慶び申しあげます。
近年は国内外を問わず、不安な世相や事件、事故が続いています。温暖化をはじめとする地球規模の環境問題も深刻化しています。
そのような中、心の豊かさを大切に様々な活動に取り組む皆様のご活躍には、大きな期待がございます。
三宅歳雄先生の「世助け、人助け」のご念願は、政治にとっても大切な使命であり、私たちも政権交代という民意の重みを肝に銘じながら、邁進(まいしん)してまいる所存です。
環境問題については、自然との調和・共生の理念のもと、共に尽力を果たしていただけますよう、お力添えをお願い申しあげます。
貴教会のますますのご発展と、皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りいたします。
■泉尾教会は「絆(きずな)社会」のお手本
新年明けましておめでとうございます。
三宅光雄教会長をはじめとする金光教泉尾教会の皆様方は、宗教活動にとどまることなく、教育、文化、環境、社会福祉、国際平和活動をはじめとする多岐にわたる幅広い分野で非常に重要な役割を果たしていらっしゃいます。
まさに「絆社会」のお手本とも言うべき活動は私どもにとっても示唆に富む有意義なものでございます。
また、昨今、殺伐とした事件報道に触れるたびに、宗教および宗教的行事を通じて育まれる素直な信仰心や生命の尊重、他者への感謝や慈愛の気持ちが重要であるとの感を強く抱いております。
自由民主党は野党になりましたが、真の国民政党として「政治は国民のもの」であるという立党の原点に立ち返り、自助・共助・公助による「絆社会を」を打ち立てて行きたいと決意しております。
金光教泉尾教会の皆様の、日ごろの献身的な宗教および社会活動に対して深甚なる敬意を表するとともに、今後のご健勝、ご活躍を心よりご期待申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
■ 笑顔あふれる大阪のために
新年明けましておめでとうございます。
皆様には、日ごろから大阪府政の推進にお力添えをいただき、厚くお礼を申し上げます。
昨年の総選挙で、長らく続いてきた政治システムを変えようと、国民は政権交代の意思表示をしました。夢や希望の持てる国、明るい社会の構築を求めているのではないでしょうか。
この国民の声を地方も真摯(しんし)に受け止めていきます。地方は覚悟を決め、単に国から財源をもらうのではなく、地域にある強み、地域にあるストックを最大限活用して「稼ぐ」という発想で地域経営に取り組むことが必要です。大阪・関西が、東京・首都圏とともに、わが国の発展を牽引するツインエンジンとしての役割を果たす。夢や希望の持てる国、笑顔あふれる大阪のために何をしなければならないかをしっかりと考え、行動してまいります
このような中、心の豊かさを大切にしながら、人々の幸せづくりのため様々な活動に取り組んでおられる皆様への期待は誠に大きなものがあります。皆様には、今後とも笑顔あふれる大阪に向けた支援をはじめ、大阪府政の推進に一層のお力添えをお願い申し上げます。
結びに、今年一年が皆様にとって素晴らしい年となりますことと、皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りいたします。
■ いちばん住みたい、元気な大阪めざして
明けましておめでとうございます。
皆様方には、お健やかに新春をお迎えのことと心からお喜び申し上げます。
近年、相次ぐ紛争や災害、そして未曾有の経済危機により国際社会の平和と安定が脅かされ、わが国においても、多くの人が日々の生活や将来に不安を感じている状況にあります。
こうした中、人々が恒久平和を希求し、相互に理解を深め、尊重し合い心豊かに生きられるよう、宗教者が果たされる役割は誠に大きく、三宅先生のご教導のもと「世助け、人助け」に取り組まれる金光教泉尾教会の皆様方の一層のご活躍を期待申し上げます。
大阪市では今、だれもが「いちばん住みたい」と思われるような「元気な大阪」の実現をめざして、その基本となる安全・安心で快適なまちづくりに力を注いでおり、今後とも皆様方のお力添えをお願い申し上げます。
金光教泉尾教会のますますのご発展と、皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申しあげまして、ご挨拶といたします。
■ グリーンゴールドの時代へ
金光教泉尾教会様には、三宅光雄教会長、三宅善信総長はじめ「現代における宗教の役割研究会(コルモス)」において例年、多大のご尽力をいただいておりますこと心より感謝申し上げます。
ところで、「石油文明からの脱却」が21世紀人類の課題であるといたしますと、われわれにとっては、ここ100年近くも苦しめられてきた軛(くびき)から、ようやく解放される、まさに好機到来ということになるのではありますまいか。
現に先端にいる多くの科学者が20世紀「ブラックゴールド」の時代から、21世紀「グリーンゴールド」の時代への転換を説き、「植物力」こそが、これからの人類を救うのだと言っています。しかも嬉しいことに日本国は四季の変化をはじめとする気候条件に恵まれ、世界でも類(たぐい)まれに豊かな「植物力」をもつ国だといわれます。われわれ宗教者も希望をもって、新時代を拓(ひら)くべく努力してまいりましょう。
■ 死別の悲しみを癒す場
2008年には映画『おくりびと』が大ヒットし、国内でいくつも賞をとったが、ついに外国映画部門でアカデミー賞を受賞するに至った。そういえば、2006年の紅白歌合戦では、秋川雅史が『千の風になって』を歌い、その後この歌は大流行した。どちらも死別の悲しみに関わる芸術表現が人々の胸を打ったものだ。孤独な死が増えるとともに、死別を経験した人の孤独な悲しみが癒されずにうずいていることを示すものとも言えよう。
悲しみを癒す交わりが切実に求められている。宗教者や宗教団体が癒しをもたらしうるはずだと肩肘はる必要はない。死者を思いながら語り合う場、あるいは単に死者にゆかりのある人・場所・物とともに時を過ごす機会を提供することがもっとできないものだろうか。それは深い信頼の源となるだろう。