■自然や他者に対する思いやりの心を
明けましておめでとうございます。皆様方には恙(つつが)なく平成二十三年の新春をお迎えのこととお慶び申しあげます。
昨今の科学技術の飛躍的進歩は、私たちに物質的豊かさと利便性をもたらしましたが、一方で、核兵器、武力紛争、環境破壊、異常気象、エネルギーや食糧問題、生活格差など、「人間の安全保障」を脅かす諸問題をも引き起こしてしまいました。これらすべては人間が神仏への敬虔な祈りを忘れ、自然への畏敬を欠き、自己の欲望充足のみに血道をあげてきた結果がもたらしたものであろうと存じます。
今こそ私たちは、地球上のすべての者が助け合い、分かち合いながら生きていることを実感し、自然や他者に対する「思いやりの心」を育んでいかねばなりません。真の豊かさや他者と分かち合う喜びを自ら学び考え、日々の生活の中で感謝していく必要があります。皆様方の神仏への祈りと感謝の心が世界平和への礎(いしずえ)になりますことを祈念申しあげます。
■宗教者が一致して環境保護を
金光教泉尾教会のご信徒の皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年は、貴教会が現在地に遷座されて60年の記念すべき年をお迎えになりました。
その記念事業として 御神田を開墾され、すばらしい実りとともに、貴重な体験を得られたと聞いております。
20世紀は科学技術文明の驚異的な発展によって、私たちは物質的な繁栄を享受することができるようになりました。その反面、地球の資源が枯渇し、大気は汚染し、生物の種を少なからず消失させてしまいました。
今こそ宗教者が一致して、環境の保護と改善を訴えなければ、地球上から人類をはじめ多くの生物が根絶する危機に立ち至っております。御神田の開墾、耕作を通じて、環境の保護の重要性を認識し、世論の先頭に立って環境の保全を訴える貴教会の姿勢に感銘を受け、運動の実りある成果を期待しております。
■助け合いながら助けていただく
卯の年の新年を皆様と共に迎えられたこと誠にめでたく存じます。年の始めは人生の旅の新しい出発日です。あなたは何回目のお正月を迎えられましたか。新年とはめでたくもあり、めでたくもなしですが、神仏に祈るこころがあれば、大変喜ばしいことです。
しかし、ここ近年を振返ります時、昨今の政治、経済は混沌として進展せず、円高不況の波は止まらず、諸種の企業も困難な時代を迎え、未就職者が170万人と言われ、日本産業の行き詰まりを思う時、宗教者は今、何をすべきかと問われています。
人の命(いのち)を、自分の命(いのち)も子供らの命(いのち)も大切にしない。善も悪も区別なき濁世(じょくせ)の世界にまみれて乱れています。自然の恵みをいただき、太陽の輝きのように、神仏に「案穏(あんのん)の日々を下さい」と祈ることの第一は命(いのち)の大切さではないでしょうか。
「我身は天よりもふらず、地よりも出でず、父母の肉身を分けたる身なり。我身を損ずるは父母の身を損ずるなり。此の道理を弁(わきま)えて親の命(おおせ)に随(したが)ふを孝と云ふ。親の命(おおせ)に背くを不孝と申すなり」と、日蓮大士は、いのちとは何か、何がいのちかと遺訓されています。
人や物を大切に、親や子供を大切に自分をも大切にできない世の中に、私たちは今生かされています。今日一日を大切にできない人々のために、一生懸命祈りたいと思います。
社会に奉仕する精神を持ち、生涯を捧げ誇りある仕事を祈りの中で、宗教的理想を掲げて日々実践し熱心に取り組む姿は、世界平和実現のために働く親先生光雄教会長、善信総長台下です。信心を堅固に、助け合いながら、助けていただく、人々のために祈りをさせていただけることの喜びは、神様、仏様がお授けくださることでしょう。今年こそ私も異体同心して、心に響くお祈りをいたします。皆様今年もよろしく良き年でありますことを祈念いたします。
■日本は衰退途上国に
平成二十三(辛卯)年の新春お慶び申し上げます。
貴教会の三宅光雄先生、善信先生におかれては、世界を舞台に恒久平和実現に向かってご尽力くださっていることは誠に尊いことであり、有り難いことであります。その創造精神の若さと強大なエネルギーには感服のほかございません。
わが国は今、衰退途上にある国のナンバーワンといわれているそうです。これは宗教等の精神文化軽視の結果が、経済、外交、治安等あらゆる面で脆弱(ぜいじゃく)化してきたように思われます。
これらをたてなおすために、光雄先生、善信先生をはじめ貴教会の皆様方の益々のご活躍と貴教会のさらなるご発展を祈り、新年のご挨拶とさせていただきます。
■世界にこころを伝える使命と役割
謹んで新年の賀詞申し上げます。
平素より教会長様、総長様をはじめ貴教会の皆様には格別のご厚情賜わりますこと厚く御礼申し上げます。本年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。
さて、地球環境問題や食糧問題、エネルギー問題、さらには外交問題など、暗いニュースばかりが届く昨今でありますが、悲しいことに、これらの問題には、各国・各界の政治的・経済的思惑が背景にあることは周知のことと存じます。
そのような中、利害関係の壁を越えた、万物の生命(いのち)に関わるこれらの問題に真摯(しんし)に向き合い、希望ある未来へと導くことができるのは「祈りのこころ」ではないでしょうか。
私たち宗教者、信仰者には先導役として世界にその「こころ」を伝える使命と役割があり、そのためにまず私たちが学び、信じ、そして行動しなければなりません。
本年が実り多き年となりますよう、皆様の益々のご指導ご協力をお願いいたし、私の拙(つたな)い挨拶といたします。
■「祈りと行動」で明日への活路を
平成二十三年、明けましておめでとうございます。時の流れとは言うものの、本年3月で三宅龍雄先生とお別れしてから5年という歳月が経つことに驚き、あらためて先生に想いを馳せ、感謝の念を深めております。
さて、昨年末には三宅歳雄先生によって創建された「泉光園」が御遷座六十周年をお迎えになられたとのこと、心からお祝い申し上げます。私ども妙智會教団も昨年10月に開教六十周年を迎え、式典には三宅光雄先生にご出席を賜り、さらにご登壇いただいて世界の宗教代表者の方々と「平和のための祈り」を捧げていただきました。誠に有り難うございました。
私はこのたびの記念式典を開催するにあたり『祈りと行動』をテーマに掲げましたが、これは式典に限らず今後の妙智會教団のテーマでもあります。宗教者にとって「祈り」は命に等しいものですが、混迷する昨今においては「祈り」だけでなく「行動」が伴ってこそ、活きた宗教と言えるのではないか? そんな自問自答を踏まえ、私はふだんから「合掌をしましょう」と言い続けています。なぜなら「合掌」という人類だけに与えられた祈りを伴った行動によってのみ、明日への活路が拓(ひら)けて行くと信じるからです。
これからも世のため、人のために、ともに祈り、ともに行動してまいりましょう。
■人を豊かにする共存に向かって
世界的に強引な横暴な自己主張が目立つ今日、もう少し他者と共に生きてゆく姿勢を大切にしなければなりません。
自己中心的な欲望から他者に協力する心を喪失させていっているこの世界において、自我を抜け出してゆくことができる心の養いが求められます。
自分に神から与えられた命(いのち)を大切にし、同時に人の命も大切にする努力の輪を広げていかねばなりません。人を追い詰めて死に至らせるようなことや、自分の命を人のためにも大切にする心など、現在最も必要とされている心構えではないでしょうか。
■お土から上がりたものを大切に
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
昨年、私はブラジルの各地を回らせていただく機会がありました。ブラジルは雄大な自然の中に、驚くほど豊かな多種多様の「生命(いのち)」が生息する、まさに「自然の宝庫」といえる国ですが、急激な森林伐採や環境破壊による生物の絶滅、激しい気候変動や海面の異常上昇など、さまざまな問題も身近に感じてまいりました。
近年の地球上の異常気象や、災害などは、天地のご恩を忘れ、人間や生物への愛と感謝とを見失った現代文明の風潮の中に原因の多くがあるのではないかと、深く省みる次第でございます。
「日の御恩 月のお恵み 土の恩 はなれて人の 住むところなし」 (大本二代教主出口澄子詠)
お土をおろそかにしては、人類は早晩、食糧の深刻な危機に直面することを深く憂うるものでございます。
お土から上がりたものを大切にし、天地のご恩、衆生のご恩に感謝する暮らしの実践に日々精進してまいりたく存じます。
■「いきる」とは
「いきる」とは、どういうことでしょう。
生きる、活きる、熱る。言葉にも種類があります。もう一つ、「息る」と使いたいと思います。人間が誕生する時、息を大きく吸って「オギャー」と産声を上げます。また、この世の旅を終える時、息を引き取り、神のもとへ帰ります。
「いきる」とは、息をすること。
誰しも、呼吸をせずにいきられません。いきている自分を確かめるには、息をしているかを確認すればよいのです。それをもって、そこに感謝ができる自分があるかを確かめるのです。確かめたとき、皆様の前には、感謝が今以上に溢れるでしょう。命(いのち)を与えてくれた親に、先祖に、神様に。連綿とした命の流れを覚えるでしょう。この流れは、次に繋げるための命です。だから、ひとりひとりの大切な命があるのです。
活かされてあることを知り、生きられる自分を知り、情熱をもって息するとき、感謝と共に力強く輝ける皆様があります。
ともに、いきましょう。
■共生の世界実現のために
神道では、神と人と国土自然とは血縁の親子であり、生命(いのち)において繋がっていると認識しています。人の生命(いのち)は親を通じ神々から与えられ、死を全うする中でやがて子孫が祭る先祖の神となる。生命(いのち)はその人限りのものでなく、祖先から子孫に続く生命(いのち)の連続性の中にあると考えますから、われわれは子孫に対する大きな責任をもっています。
天壌無窮(てんじょうむきゅう)(註:天地と共にきわまりのないこと)即ち、生命(いのち)の永続性であります。
そして、神道の理想とする平和な世界に向けて、われわれがいまだただよえる未完成な世界を互いに修理固成して行くことが大きな使命であります。
世の中の一人ひとりが共生の世界実現のために一致協力して精進努力することが最も大切なことであります。
昭和天皇御製
西ひがし むつみかはして 栄ゆかむ
世をこそいのれ としのはじめに
■『教育勅語』の精神を現代に
金光教泉尾教会三宅光雄教会長様、三宅善信総長様をはじめ信奉者の皆様には恙(つつが)なく新年を迎えられましたこととお慶び申し上げます。
皆様もご高承の通り、昨年は明治天皇様から下賜され、長くわが国の国民道徳の根本規範として学校教育を支えてきた『教育勅語』が渙発(かんぱつ)されて120年の佳節を迎えました。
この『教育勅語』には、孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・修学習業・智能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇という普遍的な12の徳目が示されております。
先の大戦後、公教育から『教育勅語』が排除されて以降、日本人の道徳心は低下する一方で、昨今の政界の混乱や家族間で目を覆うばかりの悲惨な事件等もこの事に起因するものと拝察いたします。
今こそわれわれ神道人が率先して明治天皇様の大御心を拝し『教育勅語』の精神と意義を啓発して、人が行うべき正しい道を伝えてゆくことが閉塞感漂う現代社会の闇を祓うための緊要なる使命であると存じております。
■真の「いのち」の有り様に気づく
謹んで新年のお慶びを申しあげます。
「自己中心主義」。この言葉が今の社会の世相を表すとともに人間社会が抱える大きな課題の要因ではないでしょうか。
現代社会は、混迷の時代であります。環境問題や経済不安、年間3万人をも超える自死など、社会問題が複雑化し、人々の苦悩も深刻化しています。これらの問題の根底には何があるのか。それが、冒頭に申しあげました、他を顧みない利己的な考え、「自己中心主義」が強く反映されているのです。
宗教は、人間とは何かと問い、その中で人間の本当の価値観を見出し、今までの価値観を転換させることができます。自己中心の自身の有り様、考え方を転換することができるのです。私たちは、常に他者と比較して、自身の有り様を見ています。そして時には、自分にとって必要ないものを排除することに力を注ぎます。果たしてそのような生き方、考え方が私たちの本当の生き方なのでしょうか。
宗教によって価値観が転換できるとは、私たちが真の「いのち」の有り様に気づくことです。
私たちに課せられた責務は大変重要です。混迷の社会において、その役割を全うしなければなりません。 合 掌
■無縁社会に一れつ兄弟姉妹の絆を
人間関係の希薄化が言われるようになって久しいものがありますが、昨年放送されたNHKのシリーズ番組では、遂に『無縁社会ニッポン』と、縁が失われた社会という表現が登場して、少なからず驚かされました。
目覚ましい科学・技術の進歩は高度経済成長を促す一方で、産業構造の変化や社会の流動化をもたらし、人々の生活スタイルを大きく変えました。その積み重なりの中で、長らく社会のセーフティーネットでもあった地縁や血縁が急速に失われつつあるということでしょう。また、そうした中で周りの人や事柄に無関心な人が増えているように思います。
天理教では、世界中の人間は皆神の子として兄弟姉妹であり、その人間たちが互いに助けあって暮す明るく活気に満ちた世の中こそが、人間生活の目標であると教えられます。それは当(まさ)に、無縁社会の対極と言うべき世のあり方です。
周囲のことに無関心な人が多い時代だからこそ、先ずは身近なところから、心にかけ、声をかけることが大切だと思います。そのささやかな一歩が、新たな絆を生み出し、やがては助け合える世の中へと繋がっていくと信じます。
私たちは無縁どころか、みんな元をたどれば兄弟姉妹の絆に結ばれたお互いです。今後とも私共はその真実を伝え、広めて、全人類が一つの家族として団欒(だんらん)する世界を目指して努めてまいります。
■あらゆる命を生かす
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
昨年11月、名古屋市において「COP10」(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されました。生態系や種などの環境も含めた保全だけでなく、生物資源の持続可能な利用や、遺伝子資源についても議論の焦点となり、「生物多様性」という言葉が広く関心を集める年であったと思います。
しかし一方で、テレビや新聞では遺伝子資源利用から生じる利益配分の議論が特に大きく扱われ、経済活動を守るための議論ではないかと耳を疑いました。
地球上の生物の命(いのち)は人間のために存在しているのでしょうか。生物の命は人間が生み出した命(生命)ではなく、私たち人間と同じように神仏(=大自然)を親として生かされている命であるはずです。信仰者である私たちがこの心を敷衍(ふえん)していくことこそ、あらゆる命を生かす大きな一歩になると信じております。
人間の命だけでなく、全ての生物の命の尊さを今一度考えて、感謝したいものです。
■ 宗教者の協力が何よりも必要
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋市で開催されましたが、多様な生きものや生息環境を守り、その恵みを将来にわたり利用するためのものでした。多様な生物の喪失は、温暖化問題など地球規模の環境問題と大きくかかわっております。
国内におきましては、昨年、老人の孤独死、無縁社会ということがクローズアップされました。これは地域、社会の絆が崩れてきているからにほかなりません。
いずれも政治にとって重要な課題でありますが、宗教者の皆さまのご協力が何より必要とされるところです。金光教泉尾教会の皆さまは、これまで世界平和、環境問題にも積極的にかかわってこられています。日々、人々の心の平安のために活躍される皆さまが、本年も宗教活動を基盤として、こうした活動に邁進されますことを、心から祈念しております。
■ 日本を守る正念場
新年明けましておめでとうございます。
三宅光雄教会長をはじめとする金光教泉尾教会の皆様方は、宗教活動にとどまることなく、幅広い分野で重要な活動をされていらっしゃいます。特に昨年は泉尾の地に「御神田」を開墾され、秋にはすばらしい恵みをいただかれたと承りました。実践されることの大切さを学ばせていただきました。
総選挙の敗北から1年4カ月、私は「政治は国民のもの」という立党宣言の主旨に立ちかえり、新綱領策定、党改革促進により、わが党の拠って立つ基盤の再確認とともに、正すべきを正し、新生自民党の構築に全力で取り組んでまいりました。
本年は、日本を守る正念場です。わが国の主権と国益を守るため、なんとしても政権を奪還しなければなりません。地域に根ざした国民政党としての誇りを胸に、自らが先頭に立ち闘い抜いてまいります。
金光教泉尾教会の皆様が今年もご健勝でご活躍されることを祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
■ 人々の幸せづくりのために
新年あけましておめでとうございます。
皆様には、日ごろから大阪府政の推進にお力添えをいただき、厚くお礼を申し上げます。
大阪府では、今後10年間の成長目標とそのための具体的な取り組み方向を明らかにする『大阪の成長戦略』の策定に取り組んでいます。
アジアとの厳しい競争に打ち勝っていくための施策を具体化するとともに、セーフティネットについてはしっかりと守りながら、府民の視点で魅力あふれるまちづくりに取り組んでまいります。
心の豊かさを大切にしながら、人々の幸せづくりのため様々な活動に取り組んでおられる皆様への期待は誠に大きなものがあります。皆様には引き続き、大阪府政の推進に一層のお力添えをお願い申し上げます。
結びに、今年1年が皆様にとって素晴らしい年となりますことと、皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りいたします。
■ 支え合い、喜びを分かち合って
あけましておめでとうございます。皆様方には、お健やかに新春をお迎えのことと心からお喜び申しあげます。
今日、地球温暖化をはじめとする環境問題や、貧困、紛争など、世界の人々が手を携えて解決に取り組むべき問題が増加しており、国内においても、少子高齢化や人と人とのつながりの希薄化などによって地域における支え合いの機能が弱まり、児童虐待や高齢者の所在不明など、生活に密着した問題が次々と顕在化しております。
こうした中、人々が恒久平和を希求し、相互に理解を深め、尊重し合い、心豊かに生きられるよう、宗教者が果たされる役割は誠に大きく、三宅光雄教会長、善信総長のもと、金光教泉尾教会の皆様方の一層のご活躍を期待申しあげます。
大阪市では今、「地域から市政を変える」という視点での新しい市政改革に取組み、地域に暮らす人々が支え合い、喜びを分かち合って、心豊かにくらしていけるまちの実現をめざしており、今後とも、皆様方のお力添えをお願い申しあげます。
金光教泉尾教会のますますのご発展と、皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申しあげまして、ごあいさつといたします。
■ 縁(えにし)をもっと大切に
金光教泉尾教会様には、三宅光雄会長、三宅善信総長はじめ「現代における宗教の役割研究会(コルモス)」に対し例年、多大のご尽力をいただいておりますが、本年も何とぞよろしくご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。
ところで、昨年夏頃から、生き方より以上に、どこで、どのように死にたいか、といった特集や議論が、やたら目につくようになっております。先立って、誰ひとり悼(いた)むひとがいない孤独死や、無縁死が、各人の不幸な人生模様をまじえて、さかんにとり上げられていたからでしょう。
実は小生も、嵐山光三郎さんとの対談本『上手な逝(ゆ)き方』(集英社)を上梓しまして、要は、家族の―実は不思議な―縁(えにし)をもっと大切に思い直すべきではないかと申しました。もとより、泉尾教会の皆さまには、親先生のご教話などに先刻ご承知の事柄ではありましょうけれど。
■ 高齢者の力を引き出す
国際学会があってカナダのトロントに滞在したが、おいしいアジア料理の店が多かった。中国系住民の数はとくに多い。中華料理屋で中国人の三世代の家族がテーブルを囲んでおり、年寄りが敬われているのを心強く感じた。
高齢者はその経験によって身についた威厳と穏やかさがあり、二十代、三十代の若い世代がもつ生産性とは異なる豊かさをもっている。親たちは祖父母世代がもつそのソフトパワーを信頼して、子どもたちが彼らに接することを願うのだ。
このような世代間の接触と交流のあり方は、いのちの循環にふさわしいものであり、死や暴力の脅威を和らげてくれるものだ。三世代同居は難しくなったが、世代間接触の場は工夫によって拡充できる。
宗教集団はいのちの循環を尊ぶすべを知り、高齢者の力を豊かに引き出してほしい。宗教集団が構成員の高齢化を歎(なげ)くのを耳にするが、それをチャンスに切り換えることができないものだろうか。