■善き行動によってこそ
金光教泉尾教会の皆様、新年明けましておめでとうございます。
昨年は、台風や竜巻など自然災害で多くの被害が全国に及び、人類の無力さをあらためて痛感させられました。
しかし一方、近年では災害が発生いたしますと、直ちに多くの方がボランティアに向われる姿を目にするようになり、わが宗祖伝教大師が述べられた忘己利他の精神、即ち「己を忘れて他を利する」を実践されているものと喜んでおります。
目を転じますと、連日報道には、青少年が犠牲となる悲惨な事故、大人が自分の目的達成のために罪を犯す事件が取り上げられておるように存じます。
また、伝教大師は『善なくして苦を免るる、この處(ことわ)り有ること無し』とも申されております。善き行動によってこそ問題解決の道は開かれるのであります。問題のそれぞれによって善の施し方は異なるでしょう。しかし、ひとりひとりが良心に従って行う善こそが安寧の世界への一歩でありましょう。神仏のご加護のもと、明るく平和の社会実現のために精進いただきますことを祈念もうしあげます。
■人々のために力を尽くす幸せ
高野山真言宗 管長
総本山金剛峯寺 座主
松 長 有 慶
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金光教泉尾教会のご信徒の皆さま、明けましておめでとうございます。
今の世は政治も経済もひたすら競争の原理を至上として突進しています。勝ち組を目指す生き方は、一時的には賞賛と羨望を集めるかもしれない。
でも、ご本人は心の安らかさを失っていることのほうが多いようです。
他の人のために祈る。それがやがては社会の平和をもたらし、やがてはご自分の幸せにつながる。こうした生き方は、ご信心によって始まり、次第に世の中に自他ともに大きな実りを生み出すことになりましょう。
心の目が開かれるとはこういうことなのです。
今年もお元気で人々のために力を尽くす幸せを充分に味わってください。
■祖訓を受け継ぎ、実践に努めること
神社本庁 総長
石清水八幡宮 宮司
田 中 恆 清
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謹んで新春のお慶びを申し上げます。
平素より教会長様、総長様をはじめ貴教会の皆様には格別のご厚情賜りますこと厚く御礼申し上げます。本年も何とぞ宜しくお願い申し上げます。
さて、昨年十月、伊勢の神宮におかれましては、第六十二回式年遷宮遷御の儀が恙無(つつがな)く斎行されました。日本国民にとりまして、本年は「おかげ年」として誠に慶祝なる年であります。すでに「お伊勢さん」は奉祝ムードに沸き立ち、老若男女を問わず、かつてない程多くの参詣者で賑わっております。
喜ばしいことに、日本人の伝統文化や信仰が遷宮を契機に見直されておりますが、その中においても我々は時世時節にとらわれることなく、先人たちの教えを今一度見つめ直すことこそが肝要ではないでしょうか。
確(しか)と祖訓を受け継ぎ、実践に努めることが社会の木鐸(ぼくたく)たる宗教者の務めであり、大道であると信じております。
■他を意識することから
融通念佛宗管長
総本山大念佛寺法主
倍 巖 良 舜
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平成も四半世紀を経て26年を迎えることとなりました。
金光教泉尾教会におかれては、光雄先生、善信先生が国内のみならず国際舞台において世界平和のためにご尽力くださっていることは誠に有難いことであります。
しかし、宗教的対立から紛争激化している地域や、いろいろな問題で対立している所が沢山あります。いかなる宗教でも善をなし悪をなさず、平和を尊(たっと)ぶということは基本的スタンスであります。
人間は一人では生きていけないのです。神仏のおかげ、多くの人のおかげ、人だけではなく多くのもののおかげで生きているのです。
自分の存在が無限の関連の中にあるということを自覚することが大事です。自分の命が大事ならば他の命も大事なのです。他を意識することから平和の扉(とびら)が開かれます。
■いのちを生きる
立正佼成会会長
WCRP日本委員会会長
庭 野 日 鑛
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『ちちははも その父母も 我身なり 我を愛せよ われを敬(けい)せよ』——これは、二宮尊徳翁の道歌から。
私たちは皆、父母、祖先から連綿と続くいのちを受け継いでいます。そのおおもとには、宇宙の根源とも申すべき、万物を産み育てる神仏の働きがあります。
『我を愛せよ われを敬せよ』とは、我が生命を愛し、敬(うやま)うことが、神仏はもちろん、祖先、父母を敬うことに通じるというお諭しでありましょう。
個々の生命には、いわば無数の祖先のいのちが集約されています。いのちの系列の最先端を生きているとも言えます。その自覚に立ち、世のため、人のため、日々の精進を重ねてまいりたいものであります。
■困難な時代を共に力を合わせて
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
21世紀を振り返りますと、地球温暖化や異常気象による大規模な自然災害、また政治・経済・エネルギー問題など、社会の万般が大きな行き詰まりを迎えています。まさに現代は、私ども開祖の神諭(しんゆ)に警告された「善と悪との境界(さかい)の大峠」の様相を呈していると思えてなりません。
しかし、神諭には、困難な時代を乗り越えたあとの明るい未来「みろくの世」の姿もはっきりと示されています。
私どもは、信仰者として、大難を小難、無難にとひたすら祈るとともに、一人ひとりが神さまのご警告に耳を傾け、各宗派それぞれのみ教えの実践に、真剣に地道に着実に取り組み、励むことで、この困難な時代を共に力を合わせて、乗り越えさせていただきたいと存じております。
金光教泉尾教会様の益々のご発展と皆様のご健康、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。
■周辺に追いやられた方々のことを
新年おめでとうございます。
御教団がいつも世界の悲惨な状況に目を向けて、宗教の違いを超えて取り組んでいらっしゃることに敬意を評します。
国内では東日本大震災発生から三年近く経ちますが、被災地ではまだ多くの被災者が仮設住宅などで困難な生活を余儀なくされています。「もう自分たちは忘れられているのでは」という思いをその方々の多くが持っていらっしゃいます。
アベノミクス、東京オリンピックなどという掛け声の中、私たち宗教者は、世界の、また日本国内の周辺に追いやられた方々のことを忘れることがあってはならないと思います。
私たちにとって最も大事なのは、これらの方々の心の「復興」がなされるように祈り、行動することではないでしょうか。
■平和と仕合せへの願い
動物は本能によって支配され、行動する。生まれつきの性質にも多少違いがあり、それによって行動の形態にも違いがあるが、本能の力が優るようだ。弱肉強食の世界でもある。
しかし、人間は、生まれつきの性質によっても行動様式に違いはあっても、むしろ後天的な育成や教育によって、人それぞれにかなり違いが出てくる。文化、習慣、宗教、教育が考え方や判断にきわめて大きく影響する。
全人類にとって、お互いに他の人間をすべて大切にするという原則は、風俗、習慣、文化、宗教、教育を超えて、最優先されるべき黄金律である。この原理をわからなくする後天的な「刷り込み」は、すべて間違っている。
すべての人の平和と仕合せを愛したい。
■日々成長して少しずつ良くしてゆく
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
平成25年は二十年に一度の神宮の式年遷宮と六十年に一度の出雲大社の大遷宮が行われるという記念すべき年でした。
新しく生まれ変わった神殿に拝し、気持ちを新たにされた方も多かったのではないでしょうか?
この二社の神殿が新しくなったように、一年が終わり、新しい「お日様」を迎えたら、私たちも同じように新しく生まれ変わらなければなりません。昨年よりも今年と変化し進歩してゆかなければなりません。
そして一人でも多くの人々が年々、また日々成長して、この国を少しずつ良くしてゆきましょう。
■自然の中に神仏を聴く
金光教泉尾教会の皆さま、新年おめでとうございます。
私達は、近年二度の大震災や大型台風に見舞われました。私達にはただただ毎日、鎮魂の祈りを捧げ、復興を見守るほか術はなく、私達の非力を痛感しています。
「天災は忘れたころにやって来る」と表現した寺田寅彦先生は、日本特有の環境として、地震・津波・台風等の天災を「天然の無常観」と言っています。
私達はいま一度、無常観に心を置いて自然の中に神仏を聴く、という信仰の原点を甦らせることが必要です。
無神論的自己認識を持ちがちな現代人の心情の奥底には、そういう感情があると信じています。
日々、信仰の心を持ち続け次の世代に託す、この地球をもっと大切にするための役割を果たしたいと願っています。
そして、これからの宗教は、共に教義の垣根を薄め、宗教間の協力を進めることが重要です。ことに、国際間の宗教協力における、三宅光雄先生、善信先生のお働きは尊く、心よりの敬意を捧げます。
これからも、一緒に歩ませていただきたいと願っています。
■己の心
世界を敵に戦ふより難きは、己の心の鬼と戦ふことなり。
人は己の心の至らざるを知らば、誰か人の至らざるを罵(ののし)らん。人を罵り、怨み、憎み、疑ふ、それ等は畢竟(ひっきょう)、己の心を知らざればなり。
平和ならざる状況を目にし、耳にするとき、誰しも心が痛むはずです。しかし、その痛みが和らぐ日は少ないところです。平ら成る世界があることを願われた現代に、私たちは、自身の心を平らにすることが必然と痛感します。
神に縋り神の恵みを知る者は、常に楽しく、悪をなすべからず。
怒らん時はほゝ笑めよ、憎む時は愛せよ、疑う時は信ぜよ、恨む時は神を思へ、羨む時は神に祈れよ。
他のために、他と共に生きようとした東日本大震災から三年のこの年。
共に生きる、共生(ともいき)の精神を再認識すること、実践することの大事を感じます。
■「他者」の心に寄り添う
昨年11月にオーストリア・ウィーンにおいてWCRPの第9回世界大会が開催されました。今日のWCRPの発展に多大なご貢献をされてこられた三宅光雄教会長先生、善信先生とともに私も参加いたしました。
「他者と共に生きる歓び」という宣言を通じて、私たち宗教者は、「他者」に対して募る敵対心に反対し、そのために協力していくことを国際社会に約束しました。その中で私が思ったことは、国や宗派のみならず、自分の身近にも「他者」がいるということです。周囲の人々のいのちを尊重し、慈愛をもって接することが平和への第一歩です。
東日本大震災においては、未だに28万人以上の方が避難生活を強いられており、今後も息の長い関わりが必要となります。震災以降、「支えあい」「思いやり」が大事だと捉え直す人が増えています。「他者」の心に寄り添い、絆を深め、艱難辛苦(かんなんしんく)に共感し、物事に幅広く対応してこそ宗教者です。
あらゆるいのちのつながり、相互に支えあっているという仏教の縁起の教えを体現しながら、これからも社会貢献に寄与してまいります。
■ 自他共に心豊かに生きることのできる社会をめざして
謹んで新春のお慶びを申しあげます。
新しい年を迎え、過ぎ去った一年を顧み、新しい年をどのように生きるか、どのような世のなかを築いていくのかを考えることは、宗教者として大切なことであります。
科学技術や経済の発展により、私たちの生活は豊かになりました。しかし、いまだ世界には紛争が絶えない国や地域があとを絶たず、多くの人が貧困や飢餓などで苦しんでいます。その根底には、人間の自己中心的な考え方があり、自らの利益を追求するあまり、他のいのちの尊厳を無視した生き方が横行しているからだと私は思えてなりません。
このような時代だからこそ、宗教者として、常に自分自身の生き方を深く見つめ、それぞれの違いを尊重し、人と人とが支え合い、敬い合うことの大切さを社会に示す役割があります。
人類のみならず、さまざまな生物のいのちの尊さに気づき、心豊かに生きることのできる世のなか、平和な世界を築いていくために貢献してまいりましょう。
■慎みと助け合いの生き方を
私達は、世界中の人間全てが、神の子、お互いは兄弟姉妹として、仲よく助け合って暮す「陽気ぐらし」世界の実現を目指して、日々努めるものであります。
しかし、未だ力及ばず、世の中の動きは、助け合いどころか、人間関係がますます希薄になり、その一方では、国の内外共に、競争や対立が激化しているように感じられます。
また、自己中心的で、目先の利害や欲望の追求に走る風潮も、強まりこそすれ弱まる気配の無いことは、実に遺憾の極みです。
私達は、たとえ道程は如何に遥かに見えようとも、変わることなく「陽気ぐらし」の大旆(たいはい)を掲げ、「慎みと助け合い」の生き方を、自ら実践すると共に、身の周りに伝え、広めて、足元から「陽気ぐらし」の輪を広げてゆきたいと存じます。
■「感謝」の心を弘げ幸せな日暮らし
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
評論家の如く、身の周りの出来事を論評し、他人をしたり顔で批判する。そんな人が増えているように感じます。宗教家も然り。
他に目を奪われ、心を奪われ、己を見失い、他人を批判したり悪口を言ったりして自分を正当化していないでしょうか。批判は簡単ですが、「ここで一旦立ち止まって自分の足下を、心を見つめ直しては…」と思うのです。
まずは信仰者が、人は一人では生きていけないことを自覚して、他を批判する前に周りの幸せのために出来る事をしっかり実践する。その姿でもって、多くの人のお蔭で今日があることに感謝し、「小欲知足」の心で生きて行くことを弘めていきたいと思います。
合掌