2011年5月23・24両日、フランスのボルドーでG8宗教指導者サミット2011が、G8各国はもとより昨年末より急激に民主化の展開しつつある中東やアフリカ地域からの参加者も招いて開催された。泉尾教会の三宅善信総長が日本代表として参加し、気候変動に関するセッションのスピーカーを務めた。続いて、25・26両日、ロンドンの英国ユニテリアン本部を訪問し、IARFの運営等について話し合った。
▼ボルドーまでの遠い道程
G8宗教指導者サミット(略称「G8RLS」)は、毎年G8主要国首脳会議が開催されるのに合わせて、世界の宗教者の意見を政治的指導者に提言するために、英国国教会の呼びかけで2005年から開催されている諸宗教対話会議で、特に、2000年に世界百数十カ国の首脳たちが一堂に会して開催された国連ミレニアムサミットの際に採択された「ミレニアム開発目標(MDGs)」の実現がおぼつかない中、この達成期限である2015年までに何がなんでもこれを達成させることを各国政府に求めるものであり、これまで、G8主要国首脳会議と時を合わせて、英・露・独・日・伊・加の順に6回開催されてきた。
ボルドーに会したG8宗教指導者サミット参加者
G8RLSのフルパートナーを務める私は、今回で5年連続の参加になるが、G8首脳会議同様、毎年開催国が持ち回りでホストを務めるため、その準備プロセスから会議の運営、事後の報告文書の作成等まで、それぞれのお国柄で全く異なる。日本(2008年)やカナダ(2010年)が半年以上前から準備委員会を組織して、会場の設定から会議内容の通知まで早々と送付しているのと比べて、一昨年のイタリア(2009年)や今年のフランスは、「ラテンの国」と言ってしまえばそれまでであるが、再三再四われわれが急(せ)かせたにもかかわらず、G8RLS開催の3週間前になってやっと招待状が送られてくる始末で、「今年はまともな運営がなされるか?」と正直疑っていた。
しかも、日本を発つわずか2日前に「気候変動のセッションで15分間の基調発題をお願いする。あなたのスピーチが本セッションの内容を豊かなものにすると信じている」というメイルが届く始末である。もちろん、「私にスピーチの機会を与えていただき、ありがとうございます。謹んでお引き受けします」という受諾の意思表明と共に「フランス人は日本人同様、英語が苦手な国民ゆえ、短時間で端正な英文原稿を作成することの困難さをよくご理解されているでしょう」という皮肉を添えて返信した。それでなくとも、『いずみ』等の編集で出発ギリギリまで忙しい中、このスピーチ原稿を夜を徹して仕上げ、泉尾教会でチャリティーバザーが開催されたその日(5月22日)に、関西空港を発つエールフランス便でパリ経由でボルドーへ向かった。
G8宗教指導者サミット開会式の様子
「ボルドー」と言えば、誰でも知っている世界的なワインの産地であるが、丘陵の斜面には一面葡萄畑が広がり、あちこちに格式のある「シャトー」と呼ばれる醸造所が林立しているという私の事前のイメージは、空港へ着くなりまったく裏切られ、どこにでもある「普通の街」という雰囲気であった。空港から会場となるオテル・プルマン・アキテーヌまでは、主催者差し回しのバンに同じ便でパリから到着した同時通訳(英語・仏語)のスタッフと共に乗せられ、高速道路を15分走って、まるで京都洛北宝ヶ池の国際会館の如き、大きな池の畔に立つ殺風景なビル横の小さなホテルに、夜の9時(日本時間では23日午前4時)頃に到着した。辺りには、商店どころかレストランも見当たらない、まさに「会議にうってつけ」の会場であった。
▼ディスカッション中心のサミットに満足
23日朝、各国からの参加者が色とりどりの衣装で着席する中、今大会のホストを務めたフランス正教会のエマニュエル府主教の開会宣言で第7回G8宗教指導者サミットが始まった。エマニュエル府主教は、中東や北アフリカで急激に民主化が進展するこのタイミングにG8宗教指導者サミットが開催されることの意義について触れ、また、東日本大震災と深刻な原発事故という困難な時期にはるばるフランスまで来てサミットに参加してくれた私に特に謝意を述べてくださった。
西欧正教会首座エマニュエル府主教から歓迎の挨拶を受ける三宅善信総長
まず、地元を代表してカトリック教会ボルドー大司教であるジャンピエール・リカール枢機卿が歓迎の言葉を述べた。続いて、アラン・ジュペ市長(現サルコジ政権の外相を兼任)やサウジアラビアのファイサル・ムアマール副文部大臣や昨年のG8RLSでホストを務めたカレン・ハミルトンCCC(カナダ教会協議会)事務総長らが祝辞を述べた。
開会式の後、国際ユダヤ教諸宗教対話委員会のリチャード・マーカー議長がこのサミット全体を方向付ける基調講演を行ったのに続いて、第一セッションとして、「世界統治の再構築」をテーマに、トロイのマルク・シュテンガー司教を座長に、全アフリカ教会協議会のアンドレ・カラマガ事務総長とロシア正教会のヘグメン・ブレコフ渉外局副局長がそれぞれ発題を行い、フロアの参加者とディスカッションが行われた。今回のG8RLSの特徴は、なんと言っても「深い議論」である。この種の諸宗教会議でありがちな、著名な高位聖職者を雛壇に並べて、差し障りのないことを一言ずつ発言させるような会議ではなく、それぞれの問題について一見識ある宗教者が持論を展開し、それに対して、宗教的文化的背景の異なる宗教者から疑問や提言がなされ、一層、議論が深まってゆく…。これこそ本来の宗教対話である。
これまで何度も顔を合わせたシリア正教会のアレッポ大主教のマール・イブラヒム師は、この後、シリア内戦に巻き込まれて行方不明となった
昼食休憩を挟んで、第2セッションとして、「マクロ経済」をテーマに、ユダヤ教のR・マーカー議長を座長に、ベルギー教会協議会のルディヘル・ノル社会部長が発題を行い、フロアの参加者とディスカッションが行われた。特に、2008年秋のリーマンショック以来、世界の政治指導者の関心が、自国経済の安定を最優先するあまり、「MDGs」や「地球温暖化防止」といった全人類的・地球的課題に向けられなくなったことをどう再度取り組ませるかという観点から議論が盛り上がった。
▼気候変動セッションでスピーカーを務める
続いて、第3セッションとして、「気候変動」をテーマに、正教会全地総主教(エキュメニカルパトリアルヒ)の神学顧問であるジョン・クリサフギス博士を座長に、英国国教会首座カンタベリー大主教の名代として参加されたガイ・ウイルキンソン師と私がそれぞれ発題を行った。昨年のカナダ・ウイニペグでのG8RLSでも「気候変動」問題のパネリストを務めた私は、冒頭、今回の東日本大震災に寄せられた各国からの弔意や物心両面の激励に対してお礼を述べた後、「先進各国でその達成が諦められた感のある『京都議定書』の温暖化ガス排出規制を大震災による原発事故で3分の2もの原発の停止が余儀なくされたことによって、日本国民を挙げての15パーセントもの節電運動が達成されつつあるが、そのことのひとつのきっかけとして、天皇陛下による皇居の毎日2時間の自主停電が国民各層に節電意識をもたらせたことを紹介し、MDGsの達成も、豊かな先進国から貧しい途上国へ援助するという『上から目線』ではなく、先進国の人々が自らの便利で快適な生活を少し犠牲にして、自らも不自由を受け入れ、弱者の生活に連帯感を示す以外にない。そのためには、マーケットエコノミー至上主義を退けるべきである」と述べ、熱の籠もったディスカッションとなった。
気候変動セッションでスピーカーを務める三宅善信総長
さらに、第4セッションとして、「開発」をテーマに、英国シーク教のバハイ・シングQNNSJ議長を座長に、聖エディジオ共同体のジャン・デボルダー男爵とベルギーのドリス・ペシュケ欧州移民協議会事務総長がそれぞれ発題を行い、昨年末の政情不安以来、アルジェリアやリビアから大量に流入している避難民をいかに保護するかという欧州各国にとって関心の高いディスカッションが行われた。また、この日の夕食会の席上、『MDGs達成のための緊急行動』と題するスピーチがK・ハミルトン師から行われた。
翌24日は、エマニュエル府主教の再開宣言に続いて、第5セッションとして、「平和への投資」をテーマに、レバノンのムスリム・クリスチャン委員会ムハマド・サッマク議長を座長に、シリア正教会のグレゴリオス・イブラヒム府主教とドイツEKDのマルチン・アホルデバッハ博士がそれぞれ発題を行い、フロアの参加者とのディスカッションが盛り上がった。
サウジアラビアのKAICIIDのファイサル事務総長からの質問を受ける三宅善信総長
続いて、第6セッションとして、「平和のための多宗教協力の力」をテーマに、WCRPのウイリアム・ベンドレイ事務総長がスピーチを行い、宣言文起草委員長を務めるユダヤ教のR・マーカー博士から24カ条にわたる宣言文案が読み上げられ、フロアから数々の修正動議がなされて文言が修正された後、採択された。
最後に、地元の宗教界を代表してリカール枢機卿とホストを務めたエマニュエル府主教が謝辞を述べ、26日からドーヴィルで開催されるG8主要国首脳会議に提出するため、25日にパリのG8サミット事務局へ『宣言文』が届けられることを報告して、2日間に及ぶG8宗教指導者サミットは閉会した。
なお、会議終了後、これまでG8RLSに5回連続参加しているK・ハミルトン師(カナダ)とM・アホルデバッハ師(ドイツ)と私と、来年のG8RLS開催国である米国のR・マーカー博士によって「G8RLS継続委員会」が構成され、2012年に向けての準備作業が始まった。
▼英国ユニテリアンからの震災支援に感謝
5月25日朝、G8宗教指導者サミットを終えた私は、この日の夕方ロンドンで開催される会合に参加するため、パリ経由の便でロンドンへ発とうとしていたが、昨年9月のインドでのIARF世界大会の時と同様、運悪く、タクシー運転手組合のストライキに遭遇し、大変な思いをして、ボルドー空港へギリギリ到着できた。ちょうどこの時期のパリとロンドンの空港は、G8首脳会議に参加する各国の首脳たちを乗せた特別機が次々と到着するため、また、アルカイダの最高指導者オサマ・ビンラディン氏が米軍によって殺害された直後のため、テロ攻撃があるかも知れないという恐怖心からか、各地の空港は非常に警備が厳しかった。
英国ユニテリアン本部でデレック・マコーリ本部長に東日本大震災に対する義援金への謝意を伝える三宅善信総長
ロンドン・ヒースロー空港から地下鉄で一駅目のビジネスホテルへ宿を取り、その足で英国ユニテリアン本部を訪問し、デレック・マコーリ本部長らと会談した。ロンドンの金融街シティにある英国ユニテリアン本部では、ちょうど111年前のこの日に創設されたIARF(国際自由宗教連盟)の誕生を祝っているところであった。冒頭、私は、この度の東日本大震災に早々と寄せられた英国ユニテリアンの人々からの弔意や激励に感謝すると共に、IARF日本連絡協議会内部の意見対立によって、英国かデレック・マコーリ本部長ら寄せられた義捐金の被災地への伝達が未だ実施されていない不手際を詫びた。続いて、IARFの財務・投資委員でもある私は、基金運用方法についてIARF財務担当役員のジェフ・ティーゲル氏にマコーリ本部長とファーガス・オコーナー役員を加えて、意見交換を行った。
翌26日は、午前中には古くからのIARFのメンバーでインド出身のサルダル・シング氏夫妻の家を訪れ、諸問題について意見交換を行った後、IARFの唯一の国際事務局員であるロバート・パピーニ氏とロンドン市内で出会って、カフェを梯子しながら、地下鉄の終電ギリギリの時間帯まで、IARFの国際事務局運営について話し合い。翌朝一番の便で、パリ経由関西行きの便で帰国の途に就いた。