オランダでIARF欧州中東会議に出席

2012年7月19日〜23日

 2012年7月19日から23日まで、オランダ東部のヌンスピート村にあるメンノローデ会議場において、IARF(国際自由宗教連盟)のEME(欧州中東地域)会議が、『リベラルな宗教は、このまま停滞するのか、何らかの役割を演じるのか、さらなる前進があるか』をテーマに、欧州ならびに中東の12カ国・地域から約70名が参加して開催され、IARF会長である親先生の名代で出席した。EME会議は、4年に一度開催されるIARFの世界大会の中間年に開催され、世界大会によって構築された新体制が順調に機能しているか、機能していなければどのような点で改善すべきかを提言してきた。


▼珍しく鉄道を使って…

19日に大阪を発っていたのでは、19日の午後から始まるEME会議には間に合わないので、前日の18日に大阪を発ち、その日はアムステルダム市内に1泊するというコースである。今回は関空から乗り換えなしでアムステルダムのスキポール空港まで行けたのは良かったが、「楽」ができたのはそこまでである。大きな荷物があるので、海外では、空港から市内まではタクシーを利用することが一般的であるが、今回の会場は、アムステルダムから結構離れた「田舎」であるため、オランダの鉄道システムを習得する意味も込めて、スキポール空港からアムステルダム市内まで鉄道を利用してみることにした。

欧州の主要空港は、地下に鉄道駅が併設されていることが多く、慣れれば「それなりに便利」なのであるが、日本のように「誰が見ても一目で判る」路線図・駅名・料金等の掲示がないので、いささか難しい。大正駅から茨木駅へ行く場合で例えるなら、大正駅の自動券売機の上には駅名と料金表付きの路線図が掲げられており、「まずJR大阪環状線の外回りに乗って大阪駅まで行き、そこでJR京都線に乗り換えて茨木駅へ行く…。料金は380円」と一目で判るし、世界中この形式にしたら良い(もちろん各国語で…)と思うのだが、実際はそうなっていない。

 

何故、この方式でないといけないかというと、もし、ただ「茨木駅まで○時に来てくれたら迎えてやる」と言われても、その地域に住んでいない人なら、最終目的地へ行くのに「乗り換え」が必要なのか判らないし、また、たとえ大阪駅で乗り換えることが判ったとしても、実際には「茨木駅行き」の電車なんかは存在しないわけで、その遙か先が目的地である京都線(東海道本線)の「米原行き」とか「野洲行き」と表示された快速電車に乗らなければならないからである。オランダではこのような表示が一切なく、ただ、スキポール空港のだだっ広いロビーに自動券売機がポツリと置かれているだけである。

しかも、この券売機は「紙幣」が使えない…。日本の自動販売機はたいてい千円札が使えるし、場合によっては一万円札でも使える(それだけ偽札が少なく、また自販機を壊して現金を強奪する人間が少ないという意味だが…)のであるが、外国の自販機は基本的には「硬貨」のみしか使えない。しかも、「硬貨」といっても、日本の500円硬貨のような高額な硬貨は少なく、ユーロの場合、2ユーロ硬貨が最高額の硬貨である(米ドルの場合は25セント)。外国から到着したばかりの人が、たとえ空港内の銀行で両替したからといっても、そんなにジャラジャラと小銭を持っているはずがないし、ましてや、関西で言うところのICOCAのような鉄道用電子マネーを持っているはずがない。私の場合、たまたま、前回欧州に来た際のユーロ硬貨の釣り銭が結構あったので、それをジャラジャラ投入して、スキポール空港駅からアムステルダム中央駅へと向かった。余談であるが、駅のプラットホームと電車の床の高さが揃っているのも、日本の鉄道だけである。欧米の鉄道では、大きな荷物をぶら下げて乗り降りするだけでも大変である。

インターネットも使えて便利なオランダの鉄道
インターネットも使えて便利なオランダの鉄道

こうして、なんとか東京駅のモデルになったと言われるアムステルダム中央駅に着いた。もちろん、明日の「移動」に備えてアムステルダム中央駅の券売場の視察も怠ることなく…。私が、一夜の宿にしたのは、中央駅から道路を1本渡った場所にあるその名も「Aトレインステーション」なる木賃宿であった。アムステルダムの街は、運河だらけであるが、飛行機・鉄道・船舶が巧く一体運用された街である。事前の週間天気予報では、ずっと「雨」であったのであるが、19日の未明に、激しい落雷と集中豪雨が降った後は、あたかも「日本の梅雨明け」のように、ずっと好天になったのは有り難かった。しかも、大阪では、連日35度の酷暑日が続いていたのに、オランダでは、最高気温が20度前後という実に爽やかな時候となった。


▼会議場へ辿り着くだけで…

19日の昼前、今回の目的地であるメンノロード会議センターの最寄り駅であるヌンスピート行きの切符を購入するため、切符売り場(日本でいう「みどりの窓口」)へ行った。何故なら、事前の調査では、途中で最低1回は乗り換えなければならず、とても自動券売機では解らないと思ったからである。おまけに、窓口ならクレジットカードも紙幣も使えるからである。欧州の主要駅は国際特急列車が停まるので、独特の雰囲気がある。私は「国内長距離」という案内のあるカウンターに並んで目的地行きの切符を購入したが、やはり、途中アメルスフォルトという駅でズヴォーレ行きの電車に乗り換えなければならないといういささか複雑な経路であった。しかも、「アメルスフォルト行きは何番線から発車する?」と尋ねると、「6番線から」というので、6番線のホームまで行ってみると、6番線のホームがやけに長く、しかもホームの前のほうと後ろのほうに2編成の列車が停まっているではないか! いったいどちらの列車に乗れば良いのか? こういうことは日本では考えにくいのであるが、他の乗降客に尋ねてやっと正解の電車に乗り込んだ。30分ほどで乗換駅のアメルスフォルト駅に着いた。そこで10分間ほどズヴォーレ行きの電車を待っていたが、その間にも国際特急が通過したり、ズヴォーレ方面行きには違いないが「急行」電車のため、ヌンスピート駅には停まらない電車に危うく乗りかけてしまうところであったが、駅のホームで待っていた人に教えて貰ったりして、やっと「乗るべき電車」に乗り込むことができて、さらに30分ほど走ってヌンスピート駅に着いた。

ヌンスピート駅は、予想通り、駅前にほとんど何もない閑散とした地方駅であったが、駅のホームに到着した私を見て、駅前駐車場から手を振る人が居たので、そこまで行ってみると、今回の会場となるメンノロード会場センターの職員が私を迎えに来てくれていた。というか、田舎の駅なので、おそらく1時間に2本ぐらいしか電車が停まらないのであろうから、今回の会議に参加する人の内の何人かは私と同じ電車に乗って来ると踏んでいたのであろう。確かに、今回の会議に参加する東洋人は私だけであったので、たとえ一面識もなくてもすぐに判ったであろう。何人かの大会参加者とライトバンに乗り合わせて会議場へと向かったが、途中までは「郊外の住宅地」の趣もあったが、半ばを過ぎる頃から数キロは完全な松林となり、社会の喧噪からは切り離された森の中にメンノロード・コングレスセンターの施設(会議場・管理棟・宿泊棟・食堂等)が姿を現した。

私の到着が、開会式の始まる15分ほど前であったので、皆さんハラハラして待っていたそうであるが、受付で宿泊施設の鍵を受け取り、部屋を探している(註:2階建ての宿泊棟は、複雑に廊下が入り組んだタコ足のような配置になっている)と、この度、新しくIARFの加盟団体になったマケドニアのベクタシ教団の事務局長アルベン・スレジマ二博士とバッタリ出会い、彼が私の部屋まで荷物を持って行ってくださった。彼は、昨年10月にイタリアのアッシジで開催されたローマ教皇ベネディクト16世主催の『世界平和祈りの集会』の際に、ベクタシ教団最高位のババ・エドモンド師の随行者として来た際、私と同じホテルで同じお召し列車に乗った仲である。部屋に着くなり、旅装を解いてネクタイ・スーツ姿になって開会式の会場ホールへと走った。


▼会長の名代として

19日の夕方の開会式では、EME議長のウィツケ・ダイクストラ女史が開会宣言を行い、地元オランダの宗教界を代表してアト・イペンバーグ師─先ほどの送迎ライトバンに乗り合わせた人─が歓迎の挨拶を行った。続いて、直前までカナダのウイニペグで開催されていたWFM(世界連邦運動)の第26回世界大会に出席されたため、今回のEME会議に参加できなかったIARF会長である親先生の名代として、私が開会挨拶を行った。

三宅光雄会長の名代としてEME総会の開会式で挨拶をする三宅善信総長
三宅光雄会長の名代としてEME総会の開会式で挨拶をする三宅善信総長

私は、最初に、「昨年3月の東日本大震災に際して欧州各国から寄せられた祈りと義捐金に対して、すべての日本人を代表して謝意を表すと共に、それらの義捐金が無事会長によって被災地に届けられ、有意義なプログラムに使われた」ことを報告すると共に、「福島原発の事故による困難が日本社会に多大な忍耐とともに大きなチャレンジをもたらせている。同様に、いかなるNGOにとっても、その目的を実現させるためには資金と人々の協力を集めることが欠かせないが、それを『できない』という人は正直ではない。その人は単に、自分が自己犠牲を『払いたくない』あるいは、そういう努力を『したくない』という思いをごまかすために、いろいろな理由をつけて『できない』と言い訳しているだけである。4日間のEME会議を通じて、われわれは喜んで自己犠牲を払いつつ、自ら進んで何をなすべきかということを探って行こう!」と檄を飛ばした。私の挨拶に続いて、オランダで有名なアーティストのK・ポステンムス氏が宗教的リベラリズムを主題にした「独白劇」を1時間にわたり熱演した。

EME総会参加者と戸外で記念撮影
EME総会参加者と戸外で記念撮影

20日は、バルカン半島の小国マケドニアから新たにIARFに加盟したベクタシ教団(註:イスラム教神秘主義スーフィズムの世界本部)のスレイマニ事務局長が導師になってベクタシ教団の歴史を紹介すると共に祈りを分かち合った。続いて、ライデン大学の社会学者のM・テーボルグ名誉教授が、経済学者ドラッカーの組織論等を引き合いに出して『リベラル精神と地球の将来』という野心的なテーマの基調講演を行った。続いて、国際事務局員のR・パピーニ氏から一昨年9月にインドで開催された第33回世界大会以後の進捗について報告され、その間に北アフリカや中東地域を大きくゆるがしたソーシャルネットワークシステム(SNS)による社会変革の機会を捉えて、IARFでもウェブサイトをはじめSNSを最大限利用して活動を広めてゆく旨の報告がなされた。午後には、ユネスコの「世界遺産」にも指定されたオランダの干拓の歴史を学ぶショックランドへ社会見学に行った。夜には、国際役員や事務局や地域代表の間で、数多くの非公式会合が行われた。

EME総会の合間を縫って、国際役員による各種の非公式会議が開催され、議論をリードする三宅善信総長
EME総会の合間を縫って、国際役員による各種の非公式会議が開催され、
議論をリードする三宅善信総長

21日は、朝からルーマニアのハンガリー系ユニテリアンによる祈りが行われ、続いて、オランダ経団連のCSR(企業の社会的責任)問題名誉顧問のB・フェンデル=ロエフ氏を講師に、『オランダのビジネスシーンにおける企業倫理の問題』と題する講演と質疑が行われた。さらに、「EMEの現状と課題」、「中東における出会いプログラム」、「欧州議会とIARFの関係」、「国連経済社会理事会の一員としてのIARF」等、多くのテーマについて分科会が催された。夕方にはEMEの意思決定機関である「総会」が開催され、人事等が承認された。夕食後には、「文化イベント」が行われ、夜の更けるのも忘れて交流を深め合った。

諸宗教の祈りで金光教の祈りについてスピーチする三宅善信総長
諸宗教の祈りで金光教の祈りについてスピーチする三宅善信総長

22日は、朝からイスラエルのシュロモ・アロンIARF副会長のリードで『諸宗教の祈り』が行われ、その場で指名された数人がお祈りと短い説教を行った。私も指名されたので、英語で拝詞を唱え、短い説教を行った。その後、好天に恵まれたので、野外ホールに会場を移して、昼食前に閉会セレモニーが行われた。次回のEME会議は2016年に英国で開催される予定。なお、EME会議に引き続き、4月に泉尾教会で開催されたIARF国際評議員会で設置が決議された2つの活動部会の内のひとつ「平和活動部会」の初めての会合が開催されて、参加した。

EME総会終了の翌日に開催された平和活動部会に参加する三宅善信総長
EME総会終了の翌日に開催された平和活動部会に参加する三宅善信総長




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