パリのジャパン・エキスポで祭典と講演
英国のバーミンガムでIARF世界大会準備

2013年7月2日

 2013年7月2日から8日の旅程で、パリで開催された欧州最大の日本文化紹介イベントである『ジャパン・エキスポ2013』に参加し、開会セレモニーの祭主を勤めると共に、講演を行った。また、バーミンガムでは来年夏に同地で開催される第34回IARF世界大会の準備を行った。


▼ジャパン・エキスポとは?

 7月2日に関空を発ち、パリのシャルル・ド・ゴール(CDG)空港へと向かった。私はこれまでに数十回欧州を訪れているが、バチカンのあるローマやかつてIARFの国際事務局があったフランクフルトやオックスフォードには、記憶しきれないくらい何度も訪れているが、意外にも、パリには二度しか行ったことがない。もっとも、パリには関空から直行便が毎日飛んでおり、欧州各都市への乗り継ぎに便利なパリCDG空港は、乗り継ぎのためなら毎年何度か利用するので、とても馴染みが深い空港である。それに、CDG空港と関西空港は、どちらも設計デザイナーが同じレンゾ・ピアノ氏なので、見た目のフォルムが共通している。ただし、ターミナルビルの広さも乗降客数もCDG空港のほうが数倍はあるであろう。免税店やレストランの数や質という乗降客の快適度という言い方をすれば、比較にならない。

 何故、CDG空港のことについて詳しく記したかと言うと、今回は珍しくCDG空港が乗り継ぎ空港ではなく、ここからフランスへ入国するからである。ところが、フランスへ入国すると言っても、今回の仕事場であるノール・ヴィルバントの見本市会場はCDG空港のすぐ近所であり、パリ市の中心部からは相当離れている。大阪で例えると、関西空港に着陸したが、目的地は大阪市内ではなく、空港対岸のりんくうタウンにあるようなものである。エッフェル塔も見えなければ凱旋門も見えない。そして、見本市会場の建物と言えば、大阪南港のインテックス大阪か千葉県の幕張メッセのような殺風景な巨大空間である。見本市会場へ行ったことがない人は、関西空港や成田空港のターミナルビルでもよい。とにかく、ただただ巨大な「無柱空間」が広がっている施設である。ここが、7月4日から7日まで開催される『ジャパン・エキスポ2013』の会場なのである。

 『ジャパン・エキスポ』とは、毎年フランスで開催されている欧州最大の「クール・ジャパン(格好良い日本)」の祭典であり、驚くなかれ、わずか4日間に欧州各地から二十数万人の観客が来場するのである。今年で第14回目となる『ジャパン・エキスポ』は年々活況を呈し、アニメ・漫画・ゲームからアイドルに至るまで、日本が世界に誇るコンテンツ産業の一大見本市であり、日本の経済産業省や外務省も支援している。日本からも毎年、多くの人気若手アーティストが参加し、内外のメディアでも大きく取り上げられるイベントに成長してきた。

JAPAN EXPO開会セレモニーで祭主を勤める三宅善信
JAPAN EXPO開会セレモニーで祭主を勤める三宅善信

 そのような中、「世界一の水準を誇る日本のアニメ文化の源泉として、神道を紹介して欲しい」との主催者からの要請もあり、神道国際学会理事長を務める私は、数名の若手の神職や巫女たち、そして、雅楽と現代音楽の両方を演奏できる「天地雅楽(てんちがらく)」のメンバーらを伴い、『ジャパン・モーメント(日本の瞬間)』と称するパビリオンの開会セレモニーの祭主を勤めた。高津宮の神職による修祓(大麻行事)の後、出口王仁三郎師の玄孫にあたる出口春日師と土御門神道(陰陽道)の魚谷聡成師による降神と献饌の儀に続き、私が祭詞を奏上し、玉串を奉奠した。続いて、巫女舞が奉納され、撤饌と昇神の儀を以て神事は終了した。引き続き、私が『アニメと神道』と題するスピーチを英語で行った。

 連日、数万人の来場者でごった返すエキスポの観客の3人に1人は、アニメキャラクターのコスプレをしているほど日本文化に憧れており、多くのフランス人の青少年が漫画やアニメを通じて熱心に日本語を習得していることは、驚くべきことである。かつて、世界市場を席巻した日本の家電製品や自動車産業等が新興国の追い上げによって国際競争力を失いつつある現在、日本も新しい収益の柱を生み出さなければ、斜陽国へと落ちぶれていってしまうであろう。しかも、2年半前の原発事故以来、50基ある原発のほとんどで再稼働が難しいので、天然ガスや石油など大量の化石燃料を輸入しなければならなくなった上に、アベノミクスや日銀黒田総裁の「円安」政策によって、それらの化石燃料の輸入コストが暴騰してしまい、下手をすれば、「日本人は燃料を輸入するために働いている」ことになってしまう。

 新興国の追い上げと燃料コストの高騰という経済状況の中で、家電製品や自動車をはじめとする製造業でもって日本経済を引っ張って行くことが不可能になりつつある現在、原材料も燃料もコストがかからず、CO2等の温室効果ガスも排出しない漫画・アニメ・ゲーム・アイドル(音楽)といった「コンテンツ産業」は、国際的にも圧倒的な競争力を持っており、日本経済の将来の柱として期待されている。だから、経済産業省も全面的にバックアップしているのである。


▼祭事とスピーチを行う

 少しずつ違った絵を何千枚も描いてフィルムにコマ撮りし、それを連続映写することによって、あたかも「動いている」かのように見せる「アニメ」の技術そのものは、ウォルト・ディズニーの昔(註:ミッキーマウスが登場したのは85年前)から存在した。しかし、ハリウッドで盛んに創られたディズニーやハンナ&バーベラ等の動画は「カートゥーン」と呼ばれ、手塚治虫や宮崎駿などの日本の「アニメ」作品とは、技術的原理は同じながら、明らかに質を異にするものである。その違いは何処にあるかといえば、「すべての被造物は唯一なる絶対神によって無から創造され、人間はこれらの被造物を管理する権利と義務を神から付与されている」と考えるユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった一神教の宗教的文化背景によって創られた作品と、日本人のように、「山川草木国土悉皆成仏」といった「あらゆる存在がいのちを有しており、その点においては、人間とあらゆる生きとし生けるものとの間に差はない」と考える神道的な「アニミズム」が精神的背景にある人々によって創られた「アニメ」との間には、「質的な差」があって当然である。「アニメ」とは「アニマル(息をして動くもの=動物)」と語源を一にしている。そして、そういう「アニマ(生命力)」を持ったものを信仰の対象とするのがアニミズムであって、日本のアニメが、欧米のカートゥーンと「質的に異なる」のは、その宗教的文化的背景の違いによって当然の帰結なのである。

JAPAN EXPOの参加者に講演をする三宅善信
JAPAN EXPOの参加者に講演をする三宅善信

 これらのアニミズム的背景は、漫画・アニメ・ゲーム・アイドル全てにおいて保有されているので、他のハイテク産業のように、日本とは宗教的文化的背景の異なる国々が簡単に「真似」できる代物ではないのである。だから、コンテンツ産業が日本の新しい「収入の柱」となり得るのであって、そのことが日本の官庁や産業界にも理解されてきつつあるので、役所も企業もこの「ジャパン・エキスポ」に力を入れており、その副次的効果として、これまで「日本語を学ぶ者」がほとんどいなかった欧州において、かくも多くの青少年たちが、なんとか日本語を習得しようと試みているのである。彼らにとっての日本は、かつて十九世紀の欧州の芸術家たちが感じていた「エキゾチック・ジャパン(異国情緒溢れる日本)」ではなく、「クール・ジャパン(格好良い日本)」なのである。

 私は、当初予定されていた開会セレモニーだけでなく、期間中、毎日何回か会場を換えて、神事やスピーチをはじめ、雅楽と現代音楽のセッションを行った。何故なら、広大な会場にいる数万人の参加者で、パーテーションを切られた(仮設の壁で囲まれた)ステージ上で、わずか30分間だけ行われた「開会セレモニー」を見聞きした人がどれだけ居るだろうか…。それ故、われわれは、来場者全員が一度は通過するエントランスホールや、大音響の響く会場内の喧噪を離れて中庭で一休する人々の前にも出かけていって、神事や即興のスピーチを行った。おかげで、今回の「神道プレゼンテーション」は大いに盛り上がりを見せ、欧州のマスコミからも何度かインタビューを受けたし、会場を行き来するコスプレの来場者たち(欧州の一般の若者)とも大いに交流することもできた。また、この「ジャパン・エキスポ」を飛躍のステップと考えている若手アイドルグループ(註:一昨年はきゃりーぱみゅぱみゅ、昨年はももクロZなどが出演し、その後、大いにブレイクした)たちとも楽屋を共にしたが、どの子供たちも皆、同じような顔に見えて区別が付かなかったのは、やはり、私が年を取りすぎたせいであろうか…。くまモンやひこにゃんといったご当地ゆるキャラたちも来場して、各県への観光客の誘致活動を行っていた。

JAPAN EXPOの参加したゆるキャラやコスプレイヤーと交流する三宅善信
JAPAN EXPOの参加したゆるキャラやコスプレイヤーと交流する三宅善信

▼IARF運営上の対立

 7月5日の夕方、「ジャパン・エキスポ」の会期をまだ半分残していたが、関係者のレセプションの冒頭にだけ顔を出して、パリ発バーミンガム行きの最終便に飛び乗った。今回の欧州出張のもうひとつの目的である来年夏に英国バーミンガムで開催される第34回IARF世界大会の開催地の地元ホスト委員会の皆さんと顔合わせし、準備状況を視察するためである。この日のかなり遅い時間帯にバーミンガム空港入りしたのに、ホスト委員会の中心者であるムハマド・アミン・エバンス氏が迎えに来てくださり、夫人が運転する車で市内のホテルまで送ってくださった。今回のバーミンガム訪問の最大の目的は、この初対面のエバンス氏の人となりを知ることである。エバンス氏自身、IARF英国チャプターのメンバーになってまだ1年少ししか経っていないので、国際組織であるIARFであるにもかかわらず、英国チャプター会員以外の役員とも会ったことがないし、また、当然のことながら、これまでのどの世界大会にも参加したことがない御仁なので、彼のIARFに対する理解─過大評価や過小評価も含む─が適切であるかどうかも見極めなければならない。しかし、まさか「貴方の人品を見定めに来た」という訳にはいかないので、「大会予定施設を見学するためにバーミンガムまで来た」という名目での訪問なのである。

 翌6日の朝9時には、事務局員のロバート・パピーニ氏が私の泊まっているホテルに到着、続いて、IARF財務担当理事のジェフ・ティーゲル氏、法人会計士のトニー・ボール氏、英国ユニテリアン協会会長のデレク・マッコーリ師らが100キロ以上離れたロンドンから駆けつけてくださり、エバンス氏を含めて大会予算の話を中心に話し合いを行った。ただし、大会予算の前に、本来なら4月に泉尾教会で開催された国際評議員会終了後2週間以内で確定するはずであった本年度のIARF予算が、ティーゲル財務担当理事の不作為─ティーゲル氏からすれば、最大の資金拠出国である日本の各教団が今年度の拠出金額を先に提示していないのが悪いと思っているが、日本側からすれば、拠出するに当たって、日本側から明示した財務理事に対する数点の質問項目に財務理事が回答して来ないから、送金するに送金できない─によって、まだ確定しておらず、勢い、ティーゲル財務担当理事と今年度のJLC(IARF日本連絡協議会)当番事務局を預かる私との間で激しい意見の応酬がなされた。

IARF財務理事や地元英国のメンバーと意見交換する三宅善信
IARF財務理事や地元英国のメンバーと意見交換する三宅善信

 本来ならば、胸に希望を抱いて初めてIARFの国際役員と出会うエバンス氏の眼前でこのような「内輪もめ」を露呈するのは良くないことであるかもしれないが、エバンス氏には、IARFの財政的実態をよく把握してもらい、世界大会の予算執行に当たっても過度な支出を考えないように自覚してもらう良い機会である。また、日頃は、いくらJLCが正論を主張しても、ティーゲル財務担当理事の篩(ふるい)を通った意見─つまり、ティーゲル氏の納得できる意見─だけしか報告されておらず、本当に国際評議員会で話された内容や、毎日のように日本から送られる質問状にティーゲル氏がまともに回答していないという事実を英国のIARF幹部に知らせる良い機会でもあるので、大いに議論を戦わせた。ティーゲル氏は、議論で負けそうになるといつも「あなた方は英国の公益法人法を知らないから」だとか、終いには「あなたの英語が解らない」と訳の判らない方向へ議論をすり替えようとすることだけでも、財務担当理事の資質を疑わなければならないのであるが、人材にも財力にも限りがあるIARFだけに辛いけれども致し方ないところである。


▼現地の施設を視察

 その後、夏でも寒い日のある英国では考えられないほどの好天気の中、徒歩でバーミンガム市中心部の歴史的スポット(世界大会時に、一般市民とどのような交流プログラムをするか考えるため)を見学して回り、ピザ屋で昼食を摂って─何故だか、エバンス氏のみ昼食を摂らず─から、電車に乗り換えて、世界大会の会場となるバーミンガム大学へと向かった。市の中心部から電車で2駅(10分未満)の至極便利なところに、新しくて広大なキャンパスを有するバーミンガム大学がある。われわれ一行は、世界大会時に使うであろう講堂等を見学しようとしたが、あいにく土曜日であったため、多くの施設が施錠されていて内部空間や設備等を見ることができなかったが、それでも、カフェテリア(軽食堂)や大学内の宿泊施設(4つ星ホテル並み)等を見学した。

アル・マフディ研究所で地元宗教者に挨拶する三宅善信
アル・マフディ研究所で地元宗教者に挨拶する三宅善信

 その後、大学からそう遠くない、イスラム教側から初めて提供された諸宗教対話センターであるアル・マフディ研究所を訪問。英国第二の都市であるバーミンガム市は、かつて世界を統治していた「大英帝国」の名残で、数多くのアジア人やアフリカ人が定住しており、イスラム教徒やヒンズー教徒の人口が英国で一番多い地域でもあり、その意味でも、諸宗教間の相互理解を進めるIARFが世界大会を開催するのに相応しい土地である。アル・マフディ研究所では、私たちのために、地元のいろんな宗教の方を集めて、歓迎レセプションを開催してくださり、私がIARFを代表して挨拶を行った。翌早朝の便で英国を発たなければならないのに、レセプション開始時刻にはなかなか人の集まりが悪く閉口したが、日没間際になると三々五々参加者が増えてきた。どうやら、英国ではこの日からイスラム教徒の断食月ラマダンが始まったようである。だから、エバンス氏も昼食を摂らなかったのだ。

 このようにして、アル・マフディ研究所を辞し、「論敵」ティーゲル氏の運転する車に乗せて貰って、市中心部のホテルへ戻った頃にはすっかり週末の夜も更けていた。そして、翌早朝、バーミンガム空港へと向かい、往路とは正反対に、パリのCDG空港を経由して、7月8日の朝、無事、関西空港へと帰投した。



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