2013年11月20日から22日までウィーンで世界各国から600名を集めて開催された世界宗教者平和会議(WCRP)の第9回世界大会に、同日本委員会の理事として参加した。
1970年に第1回世界会議が京都で開催されて以来、WCRP(世界宗教者平和会議)の世界大会は、これまで5年に一度の割合で、欧州・北米・アフリカ・豪州・中東・欧州・日本と世界の各大陸を巡回して開催されてきたが、諸般の問題があって前回の世界大会から今回まで7年もの期間が空いてしまったが、その間に、世界を取り巻く情勢は、「テロとの戦い」の時代から「アラブの春」に見られる市民ひとり一人が世界相手に発信してゆく時代へと激変した。
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第9回WCRP世界大会での記念撮影 |
教会行事の関係で11月17日の深夜に関空を発つエミレーツ航空のドバイ経由便で、丸一日かけてウィーンに到着。東京から団体でオーストリア入りしたWCRP日本委員会の現地結団式に合流した。
今回の世界大会は、ウィーン市内のホテルを会場に『他者と共に生きる歓び』をテーマに開催され、世界各地から約600人の宗教指導者が参集したが、その過半は、この7年の間に新たにWCRPに加盟した国々からの代表たちが占め、良く言えば、これまでの慣例に流されることなく新しい視点から会議を進行することができるが、悪く言えば、WCRPが長年積み上げてきたこれまでの経緯を無視した「思いつきの発言」によって、その場凌ぎの会議の中身になってしまう可能性がある。この辺りの舵取りが肝心であるが、どうもそれを行っているようには見えない。
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旧知のサウジ宗教省顧問のアルヒーダン博士と共に |
今回の世界大会の最大の特徴は、サウジアラビア国王が創設したKAICIID(アブドラ国王国際諸宗教・諸文化対話センター)が共催団体となって、ヒト・モノ・カネで全面的にバックアップしているという点である。それゆえ、従来の欧米のキリスト教や日本の教団中心の会議構成からアラブ中心のそれへと変革しており、中東やアフリカからの参加者が増えた半面、日本や中南米からの参加者数が減った。今回も、日本からの正式代表枠はたった5名分しかなく、それ以外は日本委員会理事である私を含めて「オブザーバー」ということで、数年に一度しか開催されないWCRPの意思決定機会であるビジネスミーティングに参加できないことには大いに問題があると思われる。また、今後の世界大会開催に際しては、どこか巨大なスポンサーを見つけないと、世界大会が開催できなくなるのでは…、と危惧される。
色とりどりの装束に身を包んだ世界各国から宗教指導者が一堂に会する中、開会式は11月20日の朝から始まった。L・キシコフスキー実務議長の下、パン・ギムン(潘基文)国連事務総長からの祝辞(ビデオ)をはじめ、F・ムアマアルKAICIID事務総長やエラ・ガンジー女史(マハトマ・ガンジー翁の孫)やW・ベンドレイ国際事務総長が挨拶を行った。続いて、「子供の保護」に関する特別セッションが行われ、ユニセフのL・バリー局長らが発題を行った。
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東方正教会の世界総主教バルトロメオ1世の講演 |
午後からは、本大会のテーマである『他者と共に生きる歓び』と題する全体会合が行われ、サウジアラビアのA・ビン=バッヤ地球刷新センター会長や米国ユダヤ人協会のD・ローゼン国際局長や庭野日鑛立正佼成会会長らが発題と討論を行った。その後、今大会の4つのサブテーマ、すなわち、(1)「紛争予防・解決を通して」、(2)「正しく調和のとれた社会を通して」、(3)「地球を尊重する人間開発を通して」、(4)「諸宗教教育を通して」に分かれて分科会を行った。環境問題を審議する第3分科会に出席された親先生には、「人間が環境を改善するというよりは、まず、『地球に感謝する』という姿勢が大切である」と力説されて、用意した資料を配付されてこの分科会の議論をリードされた。
夕方には、第1分科会での議論を集約したものが、ノーベル平和賞の選考委員でもあるG・シュタルセット名誉オスロ主教らからの論点整理と共に全体会合で報告された。また、連日の昼食や夕食会の時間はもとより、各セッション間の休憩時間も、世界の各地から訪れた宗教指導者たちと意見交換を行う機会であった。私は、WCRPを通じて長年交流があるシリア正教会のマール・イブラヒム大主教について、イラクやシリアのメンバーから安否情報を尋ねた。イブラヒム師とは、ちょうど1年前にウィーンで開催されたKAICIID会議や昨年の比叡山宗教サミットの際にも話し合う機会があったが、激化するシリア内戦に伴う混乱によって、人質として拉致され、220日間にわたって行方不明状態が続いているからである。
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混迷のシリアで誘拐された2人の仲間の生還を祈って |
2日目は、第2分科会の議論を集約したセッションから始まった。このセッションの進行は、アフリカ司教会議議長のJ・オナイエケン枢機卿である。ナイジェリアのオナイエケン枢機卿は十数年前から存じているが、枢機卿は民族的・宗教的マイノリティの人権擁護ということに大変関心を抱いており、来年夏に英国のバーミンガムで開催される第34回IARF世界大会に是非とも招きたいものだと思った。
続いて2日目の分科会に移り、この日の第3分科会の座長をされたカナダ教会協議会のK・ハミルトン事務総長と親しい親先生はこの日も積極的に発言され、ユニセフのバリー局長らとも意見交換された。ハミルトン女史と世界連邦運動の前理事長であるJ・クリスティ博士らとは、昼食の時間も諸問題について意見交換を行われた。
午後には、第3分科会の議論を集約したセッションが行われ、ラテンアメリカ諸宗教委員会議長のR・ダマスケノ枢機卿らが話し合いを進めた。また、「女性に対する暴力」に関する特別セッションが、国連等からの代表を招いて行われた。そして、もう一度、4つの分科会が行われた。この日の夕食後に行われたビジネスミーティングでは、向こう5年間の国際委員会の人事等について検討が行われた。
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サブテーマ毎の分科会が同時並行で開催された |
大会最終日の11月22日は、国連のA・ディエン事務次長を招いて開催された「保護する責任」に関する特別セッションに出席した。これは、現在、国際社会における喫緊の課題で、従来の考え方では、主権国家が構成単位である国連は、多国間の戦争防止には有効に機能するが、実際に世界で多発している内戦や統治機能を失った破綻国家や独裁国家内において、無辜の民が大量に虐殺され、あるいは難民として流出しているにもかかわらず、誰も彼らに救いの手を差し伸べることができない現状をいかに改めてゆくかという問題である。つまり、国際社会は、こと人道や人権問題に関しては、各国の国家主権を超えて介入することができるとする考え方に基づくものである。
その後、アメリカ・アフリカ・欧州・中東・アジア大洋州の5地域に分かれて地域別会合が行われ、アジア会合では第8回ACRP(アジア宗教者平和会議)が来年8月末に韓国のインチョンで開催されることが発表された。アジア地域会合には初めて北朝鮮の代表団も参加したことが注目された。また、キム・スンゴンACRP事務総長から、「来夏のACRP大会がIARF世界大会と日程が重なってしまったことへのお詫び」が直接私の元へなされた。
昼食後に、閉会式が行われ、大会の「宣言文」が採択された。今回の世界大会を最も特徴付けたのは、「アラブの春」の要因ともなったツイッターやフェイスブックといったソーシャルメディアの普及である。欧米だけでなく、アジア・アフリカ・中東の宗教者たちも、目の前の壇上で誰かが発題を行っている最中でも、掌中のスマホやタブレット端末を盛んに操作して、会場で今撮影した映像と共に、それぞれの意見をドンドンとネット上に書き込み、全世界に向けて発信していたことであった。その点でも、従来どおり、新聞記者向けの情報提供しか用意していなかった日本側は、決定的な遅れを取っていたと思われる。