8月24日から27日までの4日間、英国のバーミンガム大学を会場に、三宅光雄教会長が会長を務めるIARF(国際自由宗教連盟)の第34回世界大会が世界30カ国から約300名が参加して開催された。
▼大規模な代表団の派遣
1900年に創設された世界最古の国際的諸宗教対話組織(国連経済社会理事会に総合諮問資格を有する国際NGO)であるIARFの、ボストンで1969年に開催された第20回世界大会に大恩師親先生が参加されて以来、45年間にわたって泉尾教会は「加盟教団」として重要な役割を担ってきた。特に、2008年以後は、その国際事務局機能を泉尾教会で引き受け、かつ、ダライ・ラマ14世法王を基調講演者に迎えて南インドのコーチで2010年に開催された第33回世界大会で、三宅光雄教会長が「IARF会長」に選出されたこともあって、ここ数年間は、国際的な諸宗教対話組織としては、泉尾教会史上最も深く直接運営に関わり、また、今回の英国での第34回世界大会の準備においても中心的な役割を担ってきた。
その意味でも、今回の世界大会には、三宅光雄会長をはじめ、国際事務局業務を統括している私自身は言うまでもなく、今回の世界大会で日本の青年代表を務める三宅会長の次女と三女と私の長男に田村聡子さん、ローマの日本人学校の校長を務める和歌山会の松本芳之氏夫妻、さらには、三宅光雄会長が国際宗教同志会の理事長を務めている関係で、国際宗教同志会会長の村山廣甫曹洞宗審事院審事ご夫妻、同常任理事の大森慈祥辯天宗管長ご夫妻、同理事の宮本惠司妙智會法嗣、同監事の懸野直樹野宮神社宮司ご夫妻と、泉尾教会関係者だけで16名も参加する大規模な代表団が派遣された。
RFYNの総会にゲストとして招かれ、IARF会長として各国の青年たちを激励する三宅光雄師
また、三宅光雄会長は、第34回世界大会の開会前日まで開催されていた姉妹団体であるIALRW(国際自由宗教婦人連盟)の世界大会と、IARF世界大会開会式の終了後に開催されたRFYN(自由宗教青年ネットワーク)の総会に、IARF会長としてゲスト参加し、それぞれでスピーチを行った。
▼何故この大会テーマで開催されたのか
4年前に南インドのコーチで第33回の世界大会が開催されて以後、世界の情勢で最も変化したことは、先進国だけでなく途上国においても、携帯電話やスマートフォンといった通信器具(ツール)が急速に普及したことによって、ツイッターやフェイスブックやユーチューブといったいわゆる「ソーシャルメディア」ネットワークの急激な拡大により、国家機関や大企業でなくても、個々人の誰でもが、簡単に世界中に自分の意見を表明し、今、眼前で起こっている「事実」を、あたかもテレビニュースのごとく映像付きで全世界へ配信することができるようになったことである。
このソーシャルメディアの普及によって、約2年半前に湧き起った、『アラブの春』と呼ばれる市民革命の連鎖的拡大によって、北アフリカ諸国において、何十年間もビクともしなかった長期独裁政権があっけなく次々と倒れたことは記憶に新しいが、宗教的少数派の人権擁護を主活動目的とするIARFでは、今回の世界大会のテーマを『デジタル時代における信教の自由の挑戦』と定めて、英国で最も「移民」の人口比率が高く、それ故、ヒンズー教徒やムスリムの人口が多い、バーミンガムが今回の世界大会の開催都市に選ばれた。
第34回IARF世界大会の開会式で会長として挨拶する三宅光雄師
開会式は、24日午後、バーミンガム大学のバーバーホールで開催され、英語と日本語による「平和の祈り」の唱和に続き、IARF会長の三宅光雄師が開会の挨拶を行った。地元の各宗教の代表者や市長等による歓迎の辞に続いて、今大会の基調講演者で英国の著名な作家カレン・アームストロング女史が『宗教的問題とわれわれの時代が要求するもの』という基調講演を行い、IARFが世界大会毎に贈っているアルバート・シュバイツアー賞をピーター・モラレスUUA会長から同女史に授与した。その後、インド系の伝統舞踊が上演され開会式は終了した。
2日目からは、会場を大学センターに移し、朝の全体会合では、3人の発表者による『アニメーション』と題する映像をふんだんに用いたマイノリティとの和解プログラムが紹介された。その後、『少数派の権利とデジタルメディア』と『極論と極論の間』という2つの分科会が、それぞれ3人の発表者によって行われた。午後からは、『自由の遺産』と『他宗教の経典や文化への敬意の確立』という分科会が行われた。さらに、夕方には、各地域会議と『近接する者同士』という分科会が行われた。
3日目は、4年に一度開催される法人としてのIARFの最高意思決定機関である「総会」が、議決権を有する84名の代議員が出席して、規約に従い、会長である三宅光雄師が「議長」を務めて開催された。総会を成立させるための定足数の確認や総会の手続き説明に引き続き、「議題案」の採択、2010年に開催された第33回世界大会の「議事録承認」や「会長演説」に引き続き、過去4年間の「活動報告」や「会計報告」が行われた。
▼難航した「総会」
本来、各種報告の任務を担うはずであった英国人の法人業務担当兼財務担当理事が任期を8カ月残して、昨年末に突然辞任したので、法人業務には米国のエリック・チェリー師が、財務には一燈園の西田多戈止師が残存期間を引き継いだという経緯もあり、説明が難しい部分もあった。他にも、総会開催時以外の常設の意思決定機関である国際評議員会の定員の大幅削減を含む『定款』の改訂等が審議されたので、それでなくとも「議論好き」の欧米人代議員たちが中心となって激しい議論の応酬があった。また、「総会」で直接選出される定員一の評議員候補にパキスタンとケニアと英国からの3名が立候補し、それぞれの施政方針演説を行い、第1日目の「総会」は終了した。
その後、『メディアと責任』と『鋭敏化したネットワーク』という2つの分科会が開催され、午後からは、『デジタルユートピア主義』と題する全体会合が行われ、英国コプト教会首座のアンガエロス主教や英国諸宗教ネットワーク理事長で、私のハーバード大学の同級生でもあったハリエット・クラブトゥリー博士他が発表者を務め、3年前、北アフリカ地域において長年続いた諸独裁政権がソーシャルメディアの普及によりあっという間に崩壊した「アラブの春(革命)」の際、民衆の側の「当事者」の一角としてコプト教会がどのようなことを行ったのかという実例に則して、デジタル時代の実情について議論した。夕方には、バーミンガム大学の神学・宗教学部の教授たちによるパネルが行われた。
最終日の朝は、「総会」の第2日目として、前日の激しい議論を踏まえて、各項目毎の採決が行われた。前大会の議事録の承認や過去4年間の活動報告や財務報告については、すべて賛成多数で評決が行われたが、予め、国際評議員会から提出されていた定款の「常設の意思決定機関である国際評議員会の定数を現行の19名から11名に減らす」という条項の改正案と、現行では、「団体の法律上の代表者である会長・副会長・財務担当理事に加えて、評議員の中から4名以下の執行理事を選任する」という条項から「執行理事を廃止する」というように改正することと、さらに、この日、会場から一般動議として提出された「総会時に一般から選出される評議員を1名から3名に増やす」という案件の決定には、非常に時間を有した。
提案された議案への賛否の意見が二分され、投票数を確認する総会の様子
というのも、「定款」を改訂するには、過半数ではなく、出席者の3分の2以上の支持を得なければならず、日本国憲法同様、意見の対立する案件に関しては、改訂を行うのは事実上困難だからである。しかしならが、現行の「定款」が制定された2006年時には、国際事務局はオックスフォードにあり、常勤の事務局員が事務総長以下数名おり、国際評議員は年に1回集まって「思いつきの意見を述べる」だけで良かったが、2008年以後は、国際事務局が大阪へ移転し、専属の事務局員も1名だけになった上に、インターネットの発達により、国際評議員同士が日常的に意見交換を行うようになったので、IARFを取り巻く「前提」そのものが大きく変化したからである。
非常に近接した投票が予測されたので、挙手ではなく投票用紙を用いた投票になり、「国際評議員の定数を19名から11名に減らす」という提案については、賛成56票・反対28票とまさに3分の2ピッタリというギリギリで可決された。これに伴い、「11名の国際評議員とは、東アジア・南アジア・欧州中東・北米の各地域からの2名ずつに加えて、RFYN(青年団体)代表・IALRW(国際自由宗教婦人連盟)代表と、総会時に一般会員から選ばれる1名」という定款改訂が成立したことにより、自動的に「一般会員から3名の評議員を選出」という動議は無効となった。ただし、「執行理事を廃止する」という提案は否決され、世界大会終了後、新たに構成される新国際評議員会であらためて審議されることになった。なお、今回の総会で、新たな三役を含む国際評議員11名が選任され、会長には、オランダのウィツケ・ダイクストラ女史が、副会長には三宅光雄師が、財務理事には米国のベッツィー・ダール女史が選任された。
▼無事、閉幕した世界大会
総会終了後、最後の全体会合『自由の技術』と題するセッションが、ジュネーブのIARF国連代表らによって行われ、今大会の期間中、各国からの発表者が三十数名にも及ぶ充実したプレゼンテーションであった。昼食後、閉会式が行われ、各大陸からの青年たちの代表が今回の世界大会の感想や提言を述べ、三宅光雄会長から、過去4年間にわたる国際評議員、一般会員、そして、今大会のボランティアへの感謝と、次期会長に選任されたW・ダイクストラ女史の指導力への期待を込めた挨拶が行われ、1960年代に会長を務めたダナ・M・グリーリー博士の時代以来、歴代会長に継承されてきた「議長の小槌」が、万雷の拍手のもとに三宅光雄師からダイクストラ新会長へと手渡され、ダイクストラ新会長から就任挨拶が行われ、第34回世界大会は無事、閉会した。
第34回世界大会の閉会式で会長の任期を終え、退任の挨拶をする三宅光雄師
なお、三宅光雄師の会長任期期間中および、今回の世界大会の開催準備ならびに大会期間中の運営にあたっては、会長教団である泉尾教会に協力する形で、暫定財務理事の大役を担ってくださった西田多戈止先生の一燈園と、IARF最大の支援教団であり、国際評議員に赤川惠一師を出している立正佼成会の両教団が、応援の事務局スタッフを常時提供してくださったおかげで、無事、会長の任期を終え、かつ、第34回世界大会を閉幕することができたことを紹介し、関係者の皆様にあらためて感謝の意を表したい。