オランダでIARF国際評議員会

2015年4月14日〜15日
金光教泉尾教会 総長
三宅善信

 2015414・15の両日、オランダの地方都市スコーンホーフェンにおいて、国際自由宗教連盟(IARF)2015年度国際評議員会が、昨年夏に英国で開催された第34回世界大会時に新たに選任された国際評議員11名が参加して開催され、副会長を務めている三宅光雄教会長の代理で出席した

▼オランダの片田舎?

昨年8月末に英国のバーミンガムで開催された第34回IARF世界大会時に任期4年の正副会長、財務理事を含む11人の国際評議員が選任され、世界大会閉会直後にその半数以下の出席で1時間程度の「顔見せ」的な評議員会が開催されたが、ウィツケ・ダイクストラ新会長下での本格的な国際評議員会が開催されるのは、実質的には今回が最初である。親先生が会長を務めていた四年間もそうであったように、次期世界大会開催候補地で会場の下見も兼ねて開催されることになっている4年目以外の国際評議員会は、会長の出身国で開催されるのが近年の慣例になるので、今回から3回の国際評議員会は、特別に支障のない限り、オランダで開催されることになっているが、今回の国際評議員会の開催地となったオランダ内陸の小都市スコーンホーフェンの名前は、地理や歴史に詳しい私でも、さすがに初耳だった。

今回の国際評議員会は「4月14日の朝9時から」ということで、前日13日の午前中に関西国際空港を発つKLM便を利用したが、手荷物保安検査場前の関空4階の出発ロビーには、これまで100回近く関空を利用した私でも経験したことのない長蛇の列がグネグネと100メートル以上続いており、その大半が日本渡航へのビザ条件が緩和された中国人団体の「爆花見」客で、珍しく時間に余裕を持って関空に着いたのに、危うく乗り遅れそうになった。アムステルダムのスキポール空港に到着した後、5分早い便で成田から到着していた立正佼成会の赤川惠一外務部次長と預け荷物受け取り場で合流し、タクシーに同乗して今回の国際評議員会の開催地スコーンホーフェンを目指すことになったが、タクシーの運転手ですらその地名を知らずに、慌ててカーナビに入力して行き先を確認したほどの場所である。

運河を行き交う自動車用の渡し船
運河を行き交う自動車用の渡し船

「オランダは狭い国」という先入観があったせいか、首都アムステルダムから東西南どちらの方角へでも、2時間もハイウエイをぶっ飛ばせば、そこはもう「外国」というイメージであったが、実際のオランダは四国の面積の2倍強あるのでかなりの広さである。ただし、国土の約20%は人口湖や河川などの内水面であり、また、国土の約25%は干拓によって造成された「海面よりも低い」土地である。その意味では、同じく「海面下の土地」大正区に生まれ育った私には親近感がある。ただし、オランダは国土のほとんどが真っ平らであり、かつ、500年間にわたって、「貿易立国」を維持してきた先進工業国にも拘わらず、依然として国土の大半が耕作地あるいは放牧地である点が日本とは異なる。スキポール空港からタクシーを1時間少し飛ばして、目的地であるスコーンホーフェンの全客室数12部屋という小さなホテルへとチェックインした。

地元オランダチャプターとの歓迎夕食会
地元オランダチャプターとの歓迎夕食会

夕食まで1時間程あったので、街を少し見て回ったが、ホテルの目の前には幅150メートル程のレック川が流れており、盛んに大型のコンテナ船や観光船が上り下りしている。このレック川は、二十数キロ下れば欧州最大の港湾ロッテルダムであり、上流ではドイツを南北に貫いてスイスにまで至る大河ライン川に合流しており、欧州の内水面運輸の一大動脈の一部をなしている。また、このレック川は運河を通じてアムステルダムへも行くことができる。近代になって自動車(トラック)が発明されるまでは、洋の東西を問わず、重たい荷物はすべて船によって運ばれていた事実を鑑みると、このスコーンホーフェンは13世紀以来「交通の要所」であった。それ故、大型船の上り下りするレック川にはその通行を妨げる橋を架けることができず、ホテルの窓からは、レック川の南北両岸から自動車を乗せて数分おきに「橋代わりの船」が行き来している。大正区を囲む尻無川と木津川も、名前こそ「川」であるが、法的には「大阪港の巨大な突堤の一部」であり、「大型貨物船優先」のため、尻無川は岩崎橋以南、木津川は大浪橋以南には橋を架けることができず、対岸である港区や西成区との間には、道路代わりの「渡し船」が運行されているので、状況の想像ができるであろう。因みに、オランダ語の「ホーフェン」とは「港」を意味する。
明朝からの国際評議員会に先だって、IARFのオランダ人メンバー数人がわれわれ国際評議員に対する歓迎夕食会を催してくれた。中には、昨夏まで国際評議員を務めていたアネリス・トレニング女史や、1980年代にIARF国際事務局が西ドイツのフランクフルトにあった頃、ゲアマン事務総長の下で事務局員を務めて、現在はEME(IARF欧州中東地域協議会)の財務担当を務めているルーシー・マイヤー女史など「懐かしい顔」も見えたが、これまで出会ったこともない人も居て、一般会員の皆さんからは「見えにくい」IARF国際評議員会の会合の様子が少しでもイメージしてもらえれば有り難い機会である。

▼職務分掌はそれほど重要か

4月14日午前9時、2015年度国際評議員会の初日が始まった。最初に、事務局から9人の国際評議員本人と、副会長である親先生の代理の私とバングラデシュから選出されたカジ・イスラム評議員の代理であるタパン・ロザリオ神父の2名を含めて全11名の評議員の出席が確認された。それ以外の9人とは、会長のウィツケ・ダイクストラ女史(オランダ)、財務理事のベッツィー・ダール夫人(米国)、エリック・チェリーUUA国際部長(米国)、ロバート・インス英国ユニテリアン(英国)、ヤフーダ・ストロフIEA執行理事(イスラエル)、ヴァラジャラダル・レンガパッシャム氏(インド)、赤川惠一立正佼成会外務部次長と、RFYN(青年)代表のジャンビ・グプテ女史(インド)とIALRW(婦人)代表のカマルオニア・カマル教授(マレーシア)の各氏である。

国際評議員会で問題点を指摘する三宅善信師
国際評議員会で問題点を指摘する三宅善信師

最初に、昨夏会長に就任してやる気満々のダイクストラ女史から「施政方針」を示したペーパーが配布された。特に、この評議員会直前に辞意を表明した英国在住の唯一の国際事務局員ロバート・パピーニ氏の「後任」にどのような事務局員を選考するかについて、腹案を用意していたダイクストラ会長から「新しい事務局スタッフを置くための職務分掌(ジョブディスクリプション)(註:欧米では一般的に、人を雇用する場合、「事前にその人がなすべき職務事項をすべて文書化して雇用契約を行い、予めそこに記されていない業務が発生した場合には、被雇用者はそれを遂行する義務がない」というふうに考えるからである)について、オランダに本部を置く同じような国際NGOから年俸35,000ドルから45,000ドルの“優秀な人材”をレンタルスタッフとして雇用すべきである。そして、その人物の職務分掌に、賃金を上乗せしても良いから外部資金調達(ファンドレイジング)も加えるべきである」と表明されたことから議論に火が点いた。

というのも、今回の国際評議員会が開催される時点で、各加盟教団や各国チャプター等からIARFに対して、2015年度予算のために資金拠出表明がされている金額の合計が、わずか34,468ドルに過ぎないのに、もし年俸35,000ドルのスタッフを雇ったら、その人件費だけで歳入総額を上回ってしまい、国際NGOとしての具体的なプログラムを何ひとつすることができなくなってしまう。しかも、加盟教団から拠出された資金の多くは、「○○○のプログラムを実施するために…」と、用途を制限された指定寄付であって、勝手にこの用途を変更することはできないからである。

このように、現在IARFが置かれている財政上の実態を無視して、会長としての自分の手足として働くスタッフをIARFの国際予算からまず雇用しようというダイクストラ女史からの提案には、最大の資金提供国である日本はもとより、具体的な活動プログラムを実施しているインドや中東から選出された評議員からもクレームが付いた。昨年まで会長を務めておられた親先生も、加盟教団としての泉尾教会からの毎年1万ドルの資金拠出だけでなく、国際事務局オフィスの無償提供や、正規に雇用されている国際事務局員よりも遙かに長い時間IARFの国際業務を実際に取り扱っている私やそのスタッフを無償提供してきたからこそ、IARFが収入以上の働きをなすことができていたにもかかわらず、評議員たちへ提出される資料が、形式上は正式に雇用された英国人の国際事務局員からメイルで回覧されるので、「実際に仕事をしているのは雇用された英国人の事務局員だ」と勘違いしている時点でアウトである。

▼日々の業務こそ大切

案の定、私が主張した「まず『年俸何万ドルの人を雇いたい』かではなくて、われわれに拠出できる人件費用の予算は何万ドルしかないから、パートでもよいからその範囲内で雇える人を雇用したらよい。それに、英国で公益法人の資格を維持するために最低限必要な監査費用等の確保が先である」という意見に傾き、また、米国UUA国際部長のチェリー師から、「現在、IARFの口座にある繰り越し現金(註:昨年度中に支出されることが決まっていたが、現時点ではまだそのプログラムが実施されていないので、予算上未執行になっている資金)の内から15,000ドルを取り崩して、先の34,468八ドルと合わせたら約5万ドルの予算が組める」という動議が提出され、賛成多数で可決された。続いて、ダイクストラ会長の提案した「年俸35,000ドルから45,000ドルのレンタルスタッフを雇用する」という案が反対多数で否決され、結局、新たな国際事務局員を雇用するための予算としては19,000ドルということになった。

白熱を帯びるIARF国際評議員会
白熱を帯びるIARF国際評議員会

こうして、会長の施政方針案からなし崩し的に予算の話になったので、財務担当理事のダール夫人から、2015年度の予算を立てるための資料として2013年度と2014年度の資金状況の報告がなされたが、ダール女史自身、昨年8月の世界大会時に初めて国際評議員に選出されたので、過去の経緯も知らず、また、彼女が財務担当理事に就任して以後の半年間も、世界大会の会計を締めるための作業が継続しており、日々の経理についてもほとんどタッチして来なかったので、一昨年末、突然辞任した英国人財務担当理事の後を受けて財務担当理事の重職を引き受けてくださった一燈園当番の西田多戈止先生のスタッフが作成した非常に的確な図表に基づいて予算案が審議された。

ただし、この予算表についても、少し細かい質問がなされた場合、ダール女史では十分回答することができず、私に随行したスタッフが代わって予算表の各項目の意味についても説明した。こうしてみると、結局のところ、英語の言語能力云々というよりも、継続的にそのプログラムに関わり、かつ、日々会計帳簿をつけている人だけが全体像を正確に把握しているということがハッキリして、会議のために年に一度集まって、その場の思いつきで意見を言うことには、役員本人の自己満足以外になんの価値もないということである。

昼食休憩を挟んで、午後も2015年度予算について話し合われ、現在、IARFプログラムでは最も実績を上げているインドにおける青年プログラムについて、ジャンビー・グプテRFYN(自由宗教青年ネットワーク)会長から活動報告が行われ、またこの時点でも指定寄付の予算が付いていなかったイスラエルとケニアとパキスタンでの活動計画などについても協議し、前評議員で今回はゲストとして参加されていた三輪隆裕日吉神社宮司が、自身が評議員の任期中に拡大させた西アジアやアフリカでのIARF運動を軌道に乗せるために、さらに数千ドルの資金提供を申し出て歓迎された。

とにかく、今回の国際評議員会は、3分の1は「初参加」で、文書化されたIARFの細かい『定款』や『規約』はもとより、これまでの「経緯」や意思決定プロセスの「慣行」についても不案内なため、どうしてもそれらの人々の発言機会が少なくなるので、私が一件一件議論を停めて、彼らにそのことについて説明し、彼らの理解も得た上で、意思決定をさせるように務めた結果、2015年度の予算案が承認された。また、ダール財務理事と法人格の置かれている英国での登記上の「唯一の会員」であるロバート・インス氏に加えて、IARFの財務実態について最も詳しく、かつ、資金運用についての経験が最も豊富な私が、財務委員に任命された。

会議で意見は戦わせても、ランチタイムは和気藹々と
会議で意見は戦わせても、ランチタイムは和気藹々と

この日の審議を終えるに当たって、私から「11年間の長きにわたってIARFに奉職し、今月限りで退任することになっている国際事務局員のロバート・パピーニ氏(55歳)が次の仕事を見つけやすくするために、最後の1カ月間だけ事務総長(2006年以来空席)の地位に就けてあげよう。痩せても枯れてもIARFは国連経済社会理事会に総合諮問資格を有する国際NGOであり、履歴書の直近の職歴に『IARF事務総長』とあるのと、単なる『(平の)事務局員』とでは大違いである。われわれにはなんの余分な財政負担も伴わないから…」と提案した。この私からの提案には、日頃、意見が対立することの多いダイクストラ会長も賛意を示したが、意外なことに、日頃、意見を共にすることが多いチェリー師から反対意見が表明された。曰く、「1カ月間だけの事務総長なんて意味がない」とのこと…。私は、「あなたの国(米国)ではどうか知らないが、多くの国の軍隊や警察では、退役する当日に一階級昇進させた上で退役させる習慣がある。そうすることによって、彼の第二の人生の職探しが有利になるし、国家の側もなんら財政負担を伴わない」と説明したのだが、「アメリカでもそうであるが、私(チェリー)は彼(パピーニ)を事務総長職に就けることには反対だ」と頑なに主張したので、快く全会一致なら良いが、敵を作ってまで多数決で通すような話ではないので、この妙案も沙汰やみになった。


▼次期世界大会はどの地域で開催?

2日目の朝9時から、数年来混乱していた「SACC問題」について報告がなされた。SACCとは、インド・バングラデシュ・ネパール・スリランカ等の南アジア地域におけるIARFの地域連絡協議体の名称であり、前々IARF会長のトーマス・マシュー氏がその代表を務めていたこともあり、毎年相当額の国際予算をつぎ込んで当該地域でIARFの活動を行ってきたが、実質的にインド以外の国々の役員が排除され、途上国にありがちな杜撰な会計報告が目に余るので、資金提供主として、SACCに対して透明で民主的な運営への改善と誠意ある会計報告を要求したところ、「自分たちの名誉が傷つけられた」と逆ギレして、「SACCはIARFを脱退する」と一方的に通知してきた問題についての報告であった。実は、10年ほど前にSACCが結成された際にも、その前のインドにおけるIARFの責任者が多額のIARFの資金を持ち逃げし、そのような個人的な管理では信用性が乏しいのでSACCという協議体を形成したのに、また同じような結果になってしまったが、どういう訳か欧米人は資金管理に杜撰なインド人に対して甘い。だから、インド人のほうも、大半の資金が日本の加盟教団から拠出されているにもかかわらず、資金管理に厳しい日本人のことを疎んじて、自分たちに甘い欧米人の肩を持つという傾向が、IARFに限らず、あらゆるNGOにおいて見られる。

国際評議員会参加者による記念撮影
国際評議員会参加者による記念撮影

続いて、2018年に開催予定の第35回世界大会の開催候補地について審議された。前回の第34回世界大会の開催候補地が、ジュネーブ(スイス)とエルサレム(イスラエル)とバーミンガム(英国)の間で大揉めに揉め、かつ、最終的に開催地となったバーミンガムの地元ホスト委員会が全く機能しなかったことによって多大の迷惑をかけ、日本から数百万円の追加資金提供と数名のボランティアスタッフの派遣という緊急避難措置によってかろうじて世界大会を成功させることができたという「苦い経験」に鑑みれば、できるだけ早い時期に次期世界大会候補地を選定し、その準備体制に入るべきであることは十分理解できる。特に、自分自身の出身母体が脆弱(ぜいじゃく)なダイクストラ会長にとっては、前会長のように緊急時にヒト・モノ・カネを追加投入できないことは明白なので、そのことについて焦る気持ちも解る。そこで、例年になく速いペースでこのテーマが議題となったが、例によって私は、初めて評議員になった人たちに従来の世界大会開催地の選定のおける「ローテーションの慣習」と過去三十数年間の開催地について説明した。こういった仕事も、本来は事務局員がすべきことなのであるが、そこまで配慮できる人材ではないので致し方ない。

因みに、その「ローテーションの慣習」とは、IARFの会員がある程度まとまって存在する四大地域である東アジア・南アジア・欧州・北米の各大陸で順番に開催していくというシステムである。1981年の第24回ライデン(オランダ)大会以来、東京大会、スタンフォード(米国)大会、ハンブルグ(ドイツ)大会、バンガロール(インド)大会、イクサン(韓国)大会、バンクーバー(カナダ)大会、ブダペスト(ハンガリー)大会、高雄(台湾)大会、コーチ(インド)大会、バーミンガム(英国)大会と回って来たので、常識的には、「次は北米で…」ということになるが、北米地域で開催されたら、たとえ受け入れ能力はあっても、確実に一番忙しい貧乏くじを引かされることになるのが明白なUUAのチェリー師が北米での受け入れを拒否した。

同様に、東アジア地域の日本も、開催能力は一番あっても、やはり中心になることになる教団の忙しいスタッフたちがそれを望まないであろうから受けないとなると、南アジア地域になるが、インドはSACC問題の混乱が尾を引いている上に、まだ、IARFの活動がそれほど根付いていない東南アジアでも無理である。そうすると、これまで一度も世界大会を開催したことがないイスラム圏という手もあるが、これも、安全上の問題の他に、イスラム教の有力な加盟教団がないという致命的欠点もあり、難しい…。おそらく「信教の自由」であるとか「マイノリティの人権擁護」というIARFの趣旨からすると、なかなか難しい問題であり、このテーマは来年まで持ち越されることになった。

この後、今後3年半のダイクストラ会長下の活動の戦略的構築として、年限を切っていろんな案が会長自身の手によって示されたが、基本的な財源の確保や事務局スタッフの選考に不透明な部分が多いため、エリック・赤川・三輪の三師を構成メンバーとして、具体的活動計画作業チーム(GMT)が設立された。また、インドチャプターと日本チャプターの間で交流プログラムが実施されることが発表され、立正佼成会からのこのプログラムに対する4,000ドルの特別指定寄付の拠出も表明された。

昼食休憩後、IARFの危機的状況を乗り越えるために、2007年末から今日まで大阪に置かれていた国際事務局を返還し、かつ、その間、私が管理責任者となっていた日本でのIARF国際銀行口座(円・ドル・ユーロ・ポンドの4通貨)の閉鎖と、英国にあるIARF国際口座へ一本化するために、英国のナショナル・ウエストミンスター銀行に置かれている非営利団体としてのIARFの口座にも円口座を開設するように現在作業中であり、円口座が開設次第、ただちに全額送金することを表明した。

▼抜きがたい価値観の対立

これで、今回の国際評議員会で話し合わなければならない大まかのことに結論が出されたが、昼食休憩後に大きな問題が提起された。ダイクストラ会長他2名の評議員が連名で、「4月末で退任するロバート・パピーニ氏に、昨夏の世界大会という余分の仕事まで頑張ってもらったから、特別報奨金として2,300ドルを与える」という提案である。この提案に対しては、私が噛み付いた。「そもそも、世界大会まであと6週間に迫った昨年の6月末の時点で、急に辞任を表明したのは報酬を受けている唯一の事務局員として無責任も甚だしい。逆に罰金(ペナルティ)を課したいぐらいだ。その上、『過去3年間不当に安い賃金で働かされたので、その補填として3万ドル支払わなければ今すぐ辞任する』と、世界大会を“人質”に取ったような交渉態度を取ったことは看過することはできない。われわれはすでに2015年度の予算を承認したのであるから、それに加えて、もし彼に報奨金として2,300ドルやりたいのであれば、その意見に賛成する評議員が自ら資金を提供しろ。もしくは、今回承認した各地でのプログラムのための予算から2,300ドルを減額すべきだ」と述べた。

財政をめぐる議題では、特に議論は先鋭化する
財政をめぐる議題では、特に議論は先鋭化する

「ハッキリ言って、世界大会の準備が一番ピークに差し掛かっていた6月末時点での『世界大会を人質に取っての条件闘争』なぞ、許されるべき行為ではないし、世界大会を英国へ招致しておきながらその準備活動になんら自己犠牲を払おうとしなかった英国のホスト委員会との間での調整の役目をパピーニ氏が放棄したので、それらを補うために緊急避難的に日本が200万円の費用を拠出してプロの国際会議マネージャーを英国へ送り込み(註:実際、彼女ひとりが数日でできた仕事を、英国のホスト委員会は半年以上かかってできずに、しかも、いろんな経費ばかり計上してきた)、さらには、立正佼成会・一燈園・金光教泉尾教会などの中心的加盟教団から多数のボランティアを派遣して世界大会を成功に導いたのに、なんたる不当な要求か!」と私が語気を荒げると、提案者のストロフ博士とダイクストラ会長は、「被雇用者には余分な仕事に対して正当な報酬を要求する権利がある」と宣(のたま)ったので、私は、「業務に対して遂行の責任を負うべき報酬を受けている被雇用者がサボタージュしたことが最大の悪因である。賞賛されるべきは、それらの理不尽な状況を打開すべく、無償で自分たちの時間を提供して世界大会のために奔走してくれた日本人ボランティアのほうである」と言ったが、ダイクストラ会長に至っては、何を勘違いしたのか「日本人のボランティアも報酬が欲しいのか?」と尋ねるので、「バカか? 日本人ボランティアは全員、英国までの飛行機代も、現地でのホテル代も、世界大会の登録費も全額キャッシュで自己負担した上で、無償で世界大会の成功のために協力してやっている。そんなことになったのも、本来、寝ずとも仕事を仕上げなければならない有給のスタッフが十分仕事をしなかったことが原因である」と答えると、会長に選出されたにもかかわらず、飛行機代もホテル代も登録費も全額自分で払わずに助成金を受けているダイクストラ会長は、まだ解らずに「日本人ボランティアたちも、彼女たちのボスに自分の仕事に相応しい賃上げを要求すればよいではないか…」と応答したので、アホに点ける薬はないと思い、もう1人の提案者であるストロフ博士に対して、「被雇用者が余分にした仕事とは何か?」と私が問うと、ストロフ博士は「世界大会の準備だ」と答えたので、私は「実際、彼はたいした仕事をしていない。実務をしたのはほとんどすべて日本人ボランティアだ」と答えた上で、「百歩譲って、彼が余分な仕事をしたとしても、4年に一度世界大会が開催されるのは周知の事実であり、世界大会の準備は当然、通常の事務局員の業務に含まれる。これは、キリスト教の牧師が教会から毎月同じ給与を貰いながら、『12月はクリスマスがあるので忙しいから月給を増やせ』と言っているのと同じようなバカげた行為である」と応答したが、「それは日本人とわれわれとの文化に差異によるものだ」と一歩も引かなかったので、私は、「それなら結構。私の考え方とあなた方の考え方のどちらがより多くの支持を得るか、今、この場で賛否を問うてみよう。ただし、結論によっては私にも考えがある。善悪の価値観に関する基本的な部分において私と価値観を異にする人々やその人々が運営するプログラム対しては、当然、財政上の支援が期待できなくなるということも警告しておかねばならない」と言った。

この私からの「最後通牒」に対して、一番敏感に反応したのは、意外なことに、これまであまり馬の合わなかった英国人インス氏であった。彼は即座に「この会長他2名からの提案書はなかったことにしよう」と言い出したのである。その提案に米国のチェリー師も乗った。そして、「一切の特別報酬は無しにして、『IARFはパピーニ氏だけでなく、すべてのボランティアに深甚なる謝意を表明する』という趣旨の感謝状を正副会長と財務理事の三者で作成してもらおう」という提案を行った。ストロフ博士も、これ以上争っても、双方の文化の溝は埋まるべくもないことが明らかな上に、最大の資金拠出国である日本からこれ以上そっぽを向かれたらIARFが立ち行かないことを理解したので、矛を収めたが、ただ一人ダイクストラ会長自身は、自分自身が日頃から価値観を共有していると思っていた欧米人の口からも、自己の提案を全面否定されたのが合点のいかない様子であった。だから、私は前日、11年間の彼の事務局業務の労に報いることをなんの財政負担も伴わずにできる「事務総長職」に昇格させてから退任させようとしたのである。その親心も解っていない。

こうして、2日間にわたる中身の濃い国際評議員会も後味の悪いものになってしまったが、15日の夕方無事、全日程を終了して全員で夕食を共にし、翌朝ホテルを辞して、スキポール空港へと向かったが、途中の車窓から見える一面のチューリップ畑がいかにもオランダらしい風景であった。





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