8月23日から27日にかけて、ローマを訪問し、フランシスコ教皇と謁見。また、バチカン諸宗教対話評議会での協議を行った。
フランシスコ教皇が即位されて2年半経過したにもかかわらず、まだ現教皇と謁見する機会がなかったが、この度、その手配が整ったので、関係各方面と最終調整を行うために、私は教会長よりも一足先の8月23日に大阪を発ち、アムステルダム経由の便でその日の夜にローマに到着。テルミニ駅に近い安宿に旅装を解いた。翌24日と25日は、バチカンの各方面を回って、情報収集と各機関との調整を行った。何故なら、前教皇であるベネディクト16世と現フランシスコ教皇の性格がまったく異なるからである。ローマ教皇は、全世界に12億人の信徒を有するカトリック教会の精神的な最高指導者であると同時に、「世界最小の国家」であるバチカン市国の元首として、バチカンの諸官庁の最高指導者でもあり、教皇の代が替わるということは、「政権が交代する」ということを意味するので、「閣僚」の顔ぶれが変わるどころか、官庁の形態まで一部変更されるからである。特に私は、2011年9月から2012年9月の1年間に3回も前教皇ベネディクト16世と謁見させていただいたおかげで、その「手続き」についても詳しかったつもりであったが、今回、1年半ぶりにローマを訪れてみて、その変貌ぶりに驚かされることばかりであった。
バチカンは「世界最小」とはいっても、ひとつの「独立国家」であり、相当な広さ(註:東京ディズニーランドと同じぐらい)があり、カンカン照りの中をローマ独特の石畳の道を歩き回るのはとても大変である。しかも、バチカン市国内に収まりきらない教皇庁のビルのいくつかはローマ市内に点在している。その上、昨今の国際テロ対策もあって、重要施設に入るときには、従前よりもセキュリティチェックが厳しく、一般観光客に開放されているサン・ピエトロ大聖堂に入るためにも、カンカン照りの広場で1時間半ぐらい行列に並ばなければならない。私の目的が大聖堂の見学ではなく、その隣の教皇庁の施設へ行くためであっても、その列を通過しなければならないのである。こうして、2日間をかけて、バチカン内外の諸官庁をあちこちと歩き回って、やっと謁見日前日の夕方に、翌朝、サン・ピエトロ大聖堂前で行われる「謁見」への通行許可証を入手することができた。
こうして、諸準備を終えた私は、25日の夕方にバチカンに近いホテルへと移動し、夜の10時頃に到着する神戸灘教会長と12時前に到着される泉尾教会長をホテルのロビーで迎えて、明朝の謁見の詳細について説明した。私の場合、直近の3回の謁見はすべて、このホテルに近い「パウロ6世謁見ホール」(屋内)で行われたが、今回の謁見会場はサン・ピエトロ大聖堂前の広場であるため、お天気の心配もあった。
▼3人揃ってフランシスコ教皇と謁見
8月26日朝は好天に恵まれた。朝食を済ませた後、教会長と神戸灘教会長と私は、それぞれの装束に着替えた後、サン・ピエトロ大聖堂前広場へと向かった。すでに、この日の一般謁見のために世界各国から集まった巡礼団の人々が何千人も屯(たむろ)する中、昨日までの完璧な準備のおかげで、多くのチェックポイントをスーッと通過できて、われわれは教皇が着座される席に最も近い「いの一番」の特別来賓席へと案内された。泉尾教会の信者さんに判りやすいように喩えると、会堂の正面階段の上がりきった赤絨毯の所に教皇が着座され、正面階段前の参道の部分を一般謁見者が埋め尽くすという状態をイメージしていただければ良い。何倍も大きいが…。われわれの席は、その赤絨毯の向かってすぐ左隣である。しばらく待つ内に、サン・ピエトロ広場には1万人ぐらいの群衆が集まり、いろんな言語でなされる司会者の紹介に基づき、それぞれの巡礼団のバナー(横断幕)などを振ってそれに応えていた。
大群衆の中をパパ・モビルに乗って巡回されるフランシスコ教皇
そうした会場の興奮が最高潮に達したのは、大聖堂の正面階段の左脇からフランシスコ教皇を乗せた真っ白な「パパ・モビル」と呼ばれるベンツのジープを改造した車両で、手摺りに掴まった教皇が立ったまま乗られる特殊車両が姿を現した時である。この車両に立ち乗りされたフランシスコ教皇は、十数分間をかけて大群衆の中をグルグル回りされるので、教皇を間近に拝した敬虔なカトリック教徒たちの感激ぶりは想像がつくであろう。もちろん、いつテロ事件が起こるか判らないので、屈強なボディーガードたちが、教皇と群衆の間に割って入ろうとするが、気さくなフランシスコ教皇はそんなことはお構いなしで、高齢者や障害者の手を握り、あるいは、幼児を抱きかかえて彼らに「祝福」を与える…。こうして、群衆と触れ合いをされた教皇は、パパ・モビルを下車されて自らの足で大聖堂前の階段を昇って来られて、私たちの目の前の玉座に着席された。
フランシスコ教皇に謁見する三宅善信総長
さすがに、全世界に12億の信徒を抱えるローマ・カトリック教会である。この日の祈りと説教は、アラビア語・クロアチア語・英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・ポーランド語・ポルトガル語・スペイン語の9カ国語で行われた。今年は「家族」という一貫したテーマで説教を行っておられるフランシスコ教皇は、この日は「家族における祈り」の重要性について説教された。「もっとお祈りしなければならないことは判っています。でも、時間がなくって…。という言い訳をする者が多いことが残念です」という教皇の言葉が身につまされた。また、「たとえ自分の願いが実現できなくても、人間の心は常に祈りを渇望している」とも説かれた。1時間ほどにわたって、各国語で行われた教皇の祈りと説教はあっという間に終わり、いよいよ「謁見」の時間となった。
地元のテレビ局からインタビューを受ける三師
バチカンの儀典官に促されて、泉尾教会長と私と神戸灘教会長が教皇の御前へと進むと、フランシスコ教皇は、一人ひとりの手を取ってわれわれの来訪を歓迎してくださった。この日の来賓は、われわれとあと1組しかなかったので、特別手厚く接してくださった。こうして、フランシスコ教皇との初めての謁見を終えて、サン・ピエトロ広場まで戻ると、ローマ日本人学校の校長をしている和歌山会の松本芳之氏が「謁見会場の最上段で先生方のお姿が大写しになっている映像をずっと地元のテレビで拝見していました!」と興奮した様子で待っておられた。2年半前にローマ日本人学校の校長に就任された松本氏夫妻と私は、昨年3月にフォコラーレのシンポジウムでローマ郊外のカステル・ガンドルフォを訪れた際に会う機会があったが、その際、「ローマにいる間に、是非、親先生ともお目に掛かりたい」と切望されていたのが実現した。また、サン・ピエトロ広場では、地元ローマのテレビ局とポーランドのテレビ局からインタビューを受けた。
諸宗教対話評議会のミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット次官らと懇談する三宅光雄教会長と三宅善信総長
われわれは、その足で、歩いて10分ほどの場所にある諸宗教対話評議会のオフィスを訪問し、ミゲル・アンヘル・アユソ・ギクソット次官らと、同評議会が主催して本年10月末にローマのグレゴリアン大学で開催される第2バチカン公会議50周年記念国際シンポジウムについてや、仏教と比べて遅れている神道とカトリック教会との対話促進の具体的手順等について1時間以上にわたって話し合った。こうして、「実質1日」のローマ滞在を終えられた教会長と私は、翌27日の早朝、教会長はパリ経由のエールフランス便で、私はアムステルダム経由のKLM便で帰途に就いたが、欧州と日本との時差の関係で翌28日の朝9時過ぎ、再び関西空港で合流して泉尾教会へと戻った。